Biennale of Sydney 21st / Cockatoo Island vol.1 /シドニーで週末を
金曜日、仕事を終えた私はその足で羽田空港に向かい飛行機に乗り、ひと眠りし、機内で「ペンタゴンペーパー」と「スリービルボード」をみて、シドニーに降り立ちました。これは、週末(土日)を海外で過ごすという実践をマレーシア/台湾/韓国で行ってきた私のさらなる挑戦です。シドニーで週末を。
私が海外に行くモチベーションの最大のものは芸術です。Biennale of Sydney 21stが開催されていることを知り、シドニーで週末を過ごすことを決めました。
シドニービエンナーレは21回目を迎えた老舗ビエンナーレの一つ。アジアでは最も古いと聞いています。Artistic Directorに森美術館の片岡真実さんが就任されたことで話題になっていたのではないでしょうか。テーマは「SUPERPOSITION: Equilibrium & Engagement」。SUPERPOSITIONとは量子力学で用いられる言葉で2つ以上の異なった状態が重なり合って同時に存在していることを意味します。これを量子力学だけではなくて様々な概念に適応して、互いに強化しあったり対立して打ち消すような2つ以上の考え方や状態や物事が同時に/重なり合って存在していることを想像し、「平衡」や「対話」から創造的/批評的にみていこう、というものでした。ざっくりいうと、最近こういう異なった状態とか矛盾したものを「敵対している」状態として考えてしまう風潮があると思うんですが、それ以外にも捉え方ってあるよね、っていうテーマですね。
会場は7つ、そのうち1つの「Cockatoo Island」の作品をいくつかご紹介します。
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Ai Weiwei
60メートルもある大きなゴム製の彫刻は、難民ボートとそれにつめこまれている何人もの人々を思い出させます。真っ黒いこのゴムは、実際に何千もの難民たちが地中海を渡ろうとする際に使われているボートを製造している工場で作られました。その他難民に関するAi Weiweiの様々有名な映像やその際にiPhoneで撮影された写真なども同時に展示されています。
戦艦など造船所としての歴史があるCockatoo Island、その廃工場にボートが展示されているのをみると、戦争はまだ終わっていないと突きつけられているような気がします。ボートを見下ろす位置にある橋の上で写真を撮ったり(それは私だ)セルフィーでInstagramに投稿する人は戦争に加担していると言っても過言はないのかなという気がしました。スペクタクル。
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Abraham Cruzvillegas
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Yukinori Yanagi
BankARTでの個展が初見の作品でした。前回の横浜トリエンナーレでも展示されていましたね。今回も大きなコンテナを組み合わせて作ったダンジョンの中を歩く作品。イカロスの詩の書かれた鏡が角に設置されていて、前に進むとまるで空に向かっているかのように感じられます。後ろを振り返ると煌々と燃え上がる太陽が見えます。
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Julian Abraham 'Tagar'
Diabethaolという作品を通じて、都市化と人口増大が環境(特に資源の枯渇)に対する影響について深い考察を促しています。東南アジア諸国が抱える経済発展と環境保全のバランスの難しさって現在進行形ですよね。そのことをただただ非難するわけにもいかないですし。
この作品では糖尿病の尿をエネルギーとして再利用する会社のプレゼンです。映像や会社のポスター、再利用するための大掛かりな機械が展示されています。インドネシアのことわざ「mengambil kesempatan dalam kesempitan」に由来するとか。この言葉は良い意味も悪い意味も含んでいます。良い意味は苦境からチャンスを、というようなもの。悪い意味は誰かの苦境から利益がもたらされる、つまり犠牲ですね。
ユーモアのある展示でしたが、廃工場でのインスタレーションということもあり、ディストピア感がありました。新しいエネルギー資源だ!っといってもそれは糖尿病の人がいる前提ですものね。
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Anya Gallaccio
ぐにょぐにょした粘土が積層されている作品で、これは3Dプリンタを使って出力されています。アメリカ最初のナショナルモニュメントに指定されたワイオミング州の「デビルズタワー」の名を冠し、地面そのものの成り立ちを感じさせる作品です。出力された最終形態について何一つ関心のないマシーンからのアウトプットは粘土の素材状態やその瞬間の天候といった環境に左右され積層されていく。「何かつくれるぜ!すごいぜ!」と盛り上がりの起点となった3Dプリンタが、制御不可能なものを作り続ける様子は面白いです。
ちょうどアーティストとビエンナーレのスタッフさんが粘土を補充しているところに出くわしました。ぐちゃぐちゃになりながら素材である粘土をほうりこむ姿は、地球を支えるアトラスではないけれども、なんやかんや人の手もまた土地を形成する大事な要素なんだなと思わせてくれました。(強引かな)
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Tawatchai Puntusawasdi
vol.2に続きます。
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