Arsenale / Venice Biennale Arte 2019
Venice Biennaleは本展示と各国パビリオン展示の2つで大きく構成されています。本展示はArsenaleとGiardiniという2会場で展開。各国パビリオンは前述の2会場に加えてVeneziaの街に点在しています。
本記事の写真はArsenaleの本展示を抜粋しています。
GiardiniとArsenaleは参加作家が同じで、作品が違うものとなっています。表現の幅に驚いてばかりでした。作家ご本人が抱える表現の根っこにある問題意識は共通のはず。作品でこうも幅があるというのは、それだけ本質的、軸の強い作家さんばかりなんだということが伝わります。
ドローイング、コラージュのGiardiniとはうってかわってネオン管で血流を示すTavares Strachan。写真ではわかりづらいですが、ネオン管なのでゆるやかに点滅しています。
これもTavares Strachanです。液体の中にうっすらと人体が見えませんか?
Giardiniで壁を門で打ち付けていたShilpa Guptaは、同じ音が耳と心に残る作品ではありますが、この会場では指向性スピーカーを用いた小さな声が絞るように詩を朗読しているものです。声の主は移民や様々な境遇から周辺に追いやられている人たちです。
Giardiniでは壁を作ったTeresa Margollesですが、Arsenalでは市役所から外して持ってきたガラスをそのまま展示しています。そこには行方不明の女性を探すポスター。メキシコで録音してきた煩い電車の音とともに揺れるガラスは政府に無視される人々の叫びのようにも聞こえます。
Giardiniでは女性としての側面、Arsenaleでは見慣れた(という言い方はネガティブに伝わりそうですが極めてポジティブな意味で)片山真理さんの作品が展示されていました。彼女のこの作品はあってほしい。
Hito SteyerlはGiardiniで見せた過去から現在を考える作品と対象的に未来を提示するものでした。AIを用いた映像表現は魔術を用いたような、不可思議な結果の羅列です。魔法がもはやファンタジーではなくなったことを突きつけられるような気がしています。
Augustas Serapinasの椅子は美術の展示にありがちな俯瞰した視線(実際にあるわけじゃないけれどもどこか支配的にある媒介のようなもの)のための椅子です。監視員みたいですよね、プールの。縦にとても長いArsenaleの会場の至るところに彼の椅子は展示されていました。そして、会場の外にある造船所が見渡せる空気のよい砂利道に最後の彼の椅子が展示されていました。それがこれです↓
彼は美術業界や制度に対するアクションとなる作品を多く作っているようです。今後の彼の展示が気になります。
Alex Da Corteの映像。タノタイガさんを思い出すクオリティの高さ。
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ArsenaleではVRの作品も体験しました。待ち時間30分でしたが並んでよかったと思います。
さてArsenale会場ではGiradiniのように各国パヴィリオンも併設されていました。Giardiniほど規模の大きいものではありませんでしたが、様々な国が推している美術が見れるのは世界旅行をしているようでとても楽しいですよ。
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