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「アンダーグラウンド」
年末になると、地域の図書館では通常10冊2週間の貸出が、20冊3週間の貸出となる。
本好きとしては、ここぞ!とばかりにほくほくしながら読みたかった本を選べる実にすばらしいサービスで、毎年楽しみにしている。
普段は通勤の合間に読むのに持ち運びしやすい、文庫や新書を選ぶことが多いけれど、家で読む前提ならページ数が多くて分厚いまるで辞書みたいなハードカバーがいいなぁと思って選んだ1冊。
1995年3月20日の朝、東京の地下でほんとうに何が起こったのか。同年1月の阪神大震災につづいて日本中を震撼させたオウム真理教団による地下鉄サリン事件。この事件を境に日本人はどこへ行こうとしているのか、62人の関係者にインタビューを重ね、村上春樹が真相に迫るノンフィクション書き下ろし。
講談社BOOK倶楽部 内容紹介より
1995年3月20日は月曜日。その翌日は春分の日でお休みだった。
その当時、学生だった自分はおそらく春休みに入る前だったか、でも学校に行っていたことは覚えている。
帰ってきて、夕方のいつもの番組でも観ようかなと思ってテレビをつけたら、どのチャンネルも事件なのか事故なのか、あるいはその両方なのか、その報道でいっぱいだった。
後に「地下鉄サリン事件」としてその当時の日本国内において最大級の無差別殺人行為となった同時多発テロ事件が起きてから、今年で30年になる。
本書は、リサーチャーの方が下記の二種類の方法から探し出してくれた「地下鉄サリン事件」の被害者の方に、村上春樹さんがインタビューされた内容を取りまとめたノンフィクション。
①新聞やマスコミ報道で被害者として発表された名前からピックアップ
②まわりの人に被害に遭った方を知らないか尋ねてまわる、もしくは口こみ的な方法で探す
正直、なんでこんなアナログな方法で!?と思ったけど、その理由は本書の「はじめに」にちゃんと記されている。
そして、その理由は本書を最後まで読み終えると、自分の中できちんと腹落ちしたのだ。
最初に書いたとおり、本書は辞書みたいに分厚く(定規で測ったら約5センチ弱)、700ページ強のボリュームのノンフィクション。
「最近こんなに分厚い本読んでなかったから、はたしてどのくらいで読み終われるかな」なんて思ってたけど、杞憂に終わった。
そのくらい、本書の内容は自分にとって惹き込まれるものであり、読んでいる間ずっと、タイトルの「アンダーグラウンド」のとおり、地下とか地底に潜り込んでしまって別の空間にいるような気分の不思議な読書体験になった。
取材において筆者がまず最初に質問したのは、各インタビュイーの個人的な背景だった。
どこで生まれ、どのように育ち、何が趣味で、どのような仕事につき、どのような家族とともに暮らしているのか
そういったことだ。
とくにお仕事についてはずいぶん詳しいお話をうかがった。
そのようにインタビュイーの個人的な背景の取材に多くの時間と部分を割いたのは、「被害者」一人ひとりの顔だちの細部を少しでも明確にありありと浮かびあがらせたかったからだ。
そこにいる生身の人間を「顔のない多くの被害者の一人(ワン・オブ・ゼム)」で終わらせたくなかったからだ。
はじめにより
村上春樹さんが、本書の「はじめに」でこう記しているとおり、本書には圧倒的なまでにインタビュイーの一人ひとりの人間としての物語がぎっちぎちに詰まっている。
それを読んだ読者は、村上春樹さんが意図されたとおり、「被害者」の一人ひとりのイメージを頭に描き出し、そして、日常生活ですれ違ったり、電車の中で隣り合ったり、同じ会社の別の部署に所属していたりと、事件とは関係なく、今この世界に存在する一人の人間として身近に感じることが大なり小なりできるのではないかと思う。
そのような姿勢で取材したのは、「加害者=オウム関係者」の一人ひとりのプロフィールがマスコミの取材などによって細部まで明確にされ、一種魅惑的な情報や物語として世間にあまねく伝播されたのに対して、もう一方の「被害者=一般市民」のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったからである。
(中略)
おそらくそれは一般マスコミの文脈が、被害者たちを「傷つけられたイノセントな一般市民」というイメージできっちりと固定してしまいたかったからだろう。もっとつっこんで言うなら、被害者たちにリアルな顔がない方が、文脈の展開は楽になるわけだ。そして「(顔のない)健全な市民」対「顔のある悪党たち」という古典的な対比によって、絵はずいぶん作りやすくなる。
私はできることなら、その固定された図式を外したいと思った。
その朝、地下鉄に乗っていた一人ひとりの乗客にはちゃんと顔があり、生活があり、人生があり、家族があり、喜びがあり、トラブルがあり、ドラマがあり、矛盾やジレンマがあり、それらを総合したかたちでの物語があったはずなのだから。ないわけがないのだ。それはつまりあなたであり、また私でもあるのだから。
はじめにより
本書を読み終えて、自分は「地下鉄サリン事件」について、事実関係としての情報を表面でなぞっていただけで、その深淵があんまりにも闇に覆われているように感じ、もっと深く知ることは「こっち側」の世界から「あっち側」の世界に行ってしまうような恐怖があったんだなということを感じ、哲学的に言うなら、自分が「知らなかった」ことを知った状態になった気がしている。
たぶん、今の年齢でなければ本書の内容は咀嚼できなかったと思う。
ずっと読みたいなとは思っていたけれど、なぜか先延ばしにしてたので、今読むことができてよかったなと思える貴重な読書体験になった。