母親失格の烙印。

息子が不登校になり、1か月。

さすがに息子の様子もおかしいと思い、心療内科を受診しました。
そこは評判の良い先生で、息子の診察もじっくりと聞いてくれました。
「人に対しての恐怖感があること」「対人関係に不安が強いこと」いくつかのテストをしました。
その結果、息子は「重度の社交不安障害」であることがわかったのです。
社交不安障害とは…俗にいう対人恐怖症です。
人と話したり、人が多い場所などに行くと冷汗が出たり、不安が強くなるそんな病気です。
でも、息子は昔から社交的で、友達もたくさんいるし、人と話すのも好きな子です。
いじめられている子がいたら「一緒にこっちであそぼ」と声をかけられる優しい子でした。
なんで、そんな子が???と思っていたのですが、さすが専門医は「いじめられたり、辛い思いをしたね」「しんどいときは逃げてもいい」と息子にポンッと言葉を投げかけました。
息子は「先生はわかってくれた」と久しぶりに笑顔を見ました。今でも信頼している先生に出会えたのは良かったことでした。 

そんな中でも学校とのやりとりは毎日続き、中3の進級に向け、クラス編成がされることになりました。誰か合わない子がいたら、クラス分けの時に考慮することもできます、と言われましたが、息子は何も言いませんでした。

この頃は毎朝、「無理させちゃいけないと思う母」と「受験に焦る母」が押問答をして、私も息子もクタクタ。
この頃のことはあまりよく覚えていません。
娘は小学校を卒業し、息子と同じ中学に進級しました。

そうして、娘の中1の入学式と息子の中3の始業式を迎えたのでした。
息子は始業式はもちろん、休みました。
娘の入学式で学校に行っていたので、職員室にも顔を出し、担任に挨拶。クラス割を聞き、家に戻りました。
最初の2,3日は教室には入れず、学習室でした。
それでも、全く学校に行っていなかったときよりは遥かに頑張っている姿に安心していました。
中3になって、1週間が過ぎる頃、「明日、教室まで行く。門まで送って欲しい。もし、緊張して戻ってきちゃうかもしれないから、校門のところで10分だけ待ってて」と言われ、送り出しました。
このときは息子の背中が大きく見え「頑張ってる」「良かった」と安堵したのを覚えています。

中3の4月は時々休みながらもどうにか通うことができたのでした。

そして、娘も部活の見学が始まり、どこの部活にするかを決め、仮入部から本入部し、ゴールデンウィーク明けに運動部に入りました。

この頃からまた歯車が狂い始めたのです。
順調に学校に通っていた息子はまた休みがちに…。
理由は後で聞いたのですが、イジメが継続されていたようでした。そのときは本人も黙っていて話すことができませんでした。
再び、不登校になるのか…と絶望の淵に落とされました。
そして、娘も初めての学期末テスト、課題の多さ、部活の厳しさ、そして、クラスメイトで合わない子がおり、その子とトラブルが起きました。
娘がその子に教室で怒鳴られて、つい泣いてしまった…と。
もちろん、学校に行き、経緯も話し、先生に対応をお願いしました。
でも、娘の担任は新米教師…何の対応もされないまま。
ついに、娘のお腹痛い…行きたくない。という訴えが増えてきました。

娘も不登校になるのか…

と不安がよぎりました。
不安は的中。案の定、娘も休みがちになりました。徐々に感覚は空き、学校に行ける日も極端に減りました。

こんな状態が続き、子供たちが中3、中1の7月に私は1人「母親失格の烙印」を押された気分になって、毎晩、泣いていました。

「私の育て方が悪かった」「仕事してたから構ってやれなかったのが悪かった」「自分のことばかりで子供たちをちゃんと見れていなかったんじゃないか」「学校ともっとうまく立ち回れば、こんなに辛い思いをさせずに済んだのではないか」
ずーっとずーっと自分を責めてました。

自分を責めることしかできませんでした。

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