最期のその時⑦~念願の乾杯~
前回、排泄の話を書いたが、父が教えてくれた人間の尊厳について、私は生徒たちにのちに話すことにした。どこまで伝わったかわからないが、終末期を見てきた介護福祉士として、そして家族としても気持ち。父の想い。
いつもはうるさいクラスでも生徒たちはみな、真剣に話をきいてくれた。命と向き合う介護の仕事。介護だけでなく、今後看護師を目指す生徒も多かった。生徒に話す時に、感情の紐を緩めるとやはり泣きそうになる。感情をフラットにして話すように努めた。後で、生徒がこっそり感想をくれた時にはさすがに感涙した。
さて、父が自宅に戻り夕方。和室には誰が常駐するようにしていた。わたしは、久々の実家でみんながいる安心感もあり心強かった。病院にいると、どうしても何かあったら・・・と気が張っているからだ。
父が自宅に戻ってやりたいことの一つ。
親友とビールで乾杯!!
父には、小学生からの付き合いの親友がいて大人になっても仲が良く、家族ぐるみでも長い付き合いだ。二人でいるときは、少年の顔に戻り、釣りに行けばどっちがたくさん釣ったか、どちらが大きい魚を釣った…と競い合った。時々飲んで喧嘩しても次の日ふらっと家に行き何事もなかったように過ごす。大人になっても変わらない親友と父の関係性はすごく羨ましい関係だ。
父の容態が良くないことを、母から親友の奥さんに伝えてもらう。何度か親友のおじちゃんから電話がきたが、父の元気のない声をきいたおじちゃんは、悲しくなってそれから電話できなくなっていたそうだ。おじちゃんは父が死んでいくことを認めたくなかった。
しばらくして和室に行くと、「ビールを持って来い」と父から指令。
「え?まだおじちゃん来てないやん。」おじちゃんはまだ仕事で姿を見せていない。
姉1は、先ほどのトイレの件があったため急いでドラッグストアにおむつを買いにでかけていた。
父は「もう待てん。」と言う。姉1も出かけているため、もう少し待つよう説得するが、わがまま父発令。「もう飲む。」
くうぅ~このじじぃめ!!(※わたしは父にこのように暴言(もちろん冗談)を吐くことがある。父に何か言われるとこうやって言い返して笑いに変える我が家の独特なスタイル)
姉1にすぐに電話する。「あのじじぃめ!もう飲むってきかんのやけど」
姉1はもう少し待ってよーというが父は聞く耳を持たない。
仕方なく、父と姉2、わたし、わたしの夫、母でキンキンに冷えたアサヒの瓶ビールを分けた。
「かんぱ~い!」と笑顔で乾杯し、父は一気に飲み干す。心配で気が気でない母は「そんな急にのんで大丈夫?」と不安そうに見守る。
次の瞬間、
「うまか~~~~~~~っ!!!!!!」
父の最大の感情のこもった声と笑顔がでた。みんなで笑った。泣き笑い。
この瞬間を映像に収めておけばよかったね・・・と後悔した。
お気づきだろうが、わたしは福岡出身。このうまか~は何にも形容しがたい美味しさを表すものだった。
この後、姉1が帰ってきてなんでもう少し待ってくれないんだと父に怒っていた(笑) 姉1はとにかく声が大きい。姉1が喋ると父は眉間に皺をよせ
「やかましか」(うるさいの意味)と言う。
この乾杯の後、訪問看護の先生が夜9時頃来てくださった。最期の時のため、延命はしないと決めていた父。酸素だけはさせてね病院の先生が言ってくれていたおかげで父は苦しい思いをせずに呼吸できている。(もちろん、きついとは思う)
体の中はすでにボロボロ。懸命に生きる意志を持つ父の意志だけによってかろうじて生きている。そんな感じだった。
だから、体の身の置き場がないというなんとも言えないきつさが父を襲う。横をむいても上を向いてもどうしても体がきつい。自分で寝返りを打てる状態でもなかったので父の体の下にバスタオルを敷き、体格の良い父を二人がかりで動かす。
話を戻すが、在宅医の先生が「モルヒネは使いますか?」と聞いた。
その瞬間、父の目がキラッと少年のように輝いたのを見逃さなかった。
「使ってください」と即答する父。
(あとで家族で話したがみんな同じことを思っていた。父はモルヒネを使ってみたかったにちがいない。興味があったんだろう。)
あとは、看護師さんたちがいろいろ説明してくれた。モルヒネを打つと、ぼーっとするから話ができなくなるなど副作用も伝えられた。例の親友のおじちゃんはまだ来ていない。あとから聞いたが、父に会いに行く勇気が必要だったと奥さんが話していた。
それでも、父はモルヒネを打つと言った。ビールを親友と乾杯するんだというものも叶わなかったが、父の中で限界だったんだろうと理解している。
ちなみに、父を看取るまでのこの期間、父から聞いたことばが胸に刺さっている。
「死ぬともざっとなか。」 (死ぬのも大変だ・・・の意味)
入院中、電話をかけてくれた友人たちに、冗談っぽく且つ本気も含みつつ話していた言葉。もっとすんなり死ぬことができると思っていた。死ぬのがこんなにきついなんて。
昼間見舞いに来てくれた親族にも話していた。
死を目前にした父が漏らした本音。こんなに重い意味をもつ言葉に説明はいらない。
モルヒネを打って、その日はゆっくり眠りについた。
わたしも、久しぶりに布団に横になった。父のベッドの横に布団を敷き、ぐっすり眠った。今日はわたしが起きなくても誰かいるから大丈夫。そう思うと本当に久しぶりに寝た!と言えるほど眠ることができた。
次の日の早朝から、車いすの老婆(母(笑))が和室のふすまを開けるまで…。
そーーっとふすまが開き覗き込む母。びっくりして目を覚ますわたし。
「おとうが何かいいよらん?」と聞く。(母は父のことを〝おとう”と呼ぶ。)
いや、寝てるし!!というと
「息しよる?!」と心配そう。
うん、生きてる。そうやって自宅での二日目が始まった。
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