最期のその時⑥~人間の尊厳とは~
やっとの思いで自宅に戻った父。
心底喜んでいた。コロナ禍で面会もできなかった、父の兄弟たちが次々に訪れる。
父の姿を見て、みんな目が潤む。心なしか父もそう見える。
わたしと言えば、ひとしきり号泣した後リビングに行く。姉たちが泣きました顔のわたしをみて「どうした?!」と聞くが、私の緊張と不安が爆発したことはすぐに察してくれた。車いすの母から「おつかれさま」と優しく声をかけられまた喉元からこみ上げる。
顔を洗い、父に悟られまいといつも通りのわたしで父のいる和室に行く。
その頃には雨もやんでいた。父の好きな庭を見渡せるベストポジションにベッドを置きギャッジアップして庭を見せる。
この家は、父が60歳くらいだろうか。はじめて手にしたマイホーム。我が家は自営業の父と美容師だった母(のちに病気で仕事を辞めざるを得ないのだが)が家計を支えていたが、とにかくお金持ちとは程遠い。子どもの頃から、父の英才教育は素晴らしく『うちは貧乏だ!高校までは面倒を見る。そのあとは自分でどうにかしていけ』と幼稚園の頃から言われ続けていた。普通子どもにそんなこと言う?!と思うが、子どもながらに「あ~うちはお金がないんだ。」とちゃんと刷り込まれていた。
そんな父が念願のマイホーム。もちろん大金を手にしたわけではない。たまたま格安で田舎の中古物件があったのだ。土地は広く、庭もある。
その庭に手を加え、木を植え、父は庭をながめるのが楽しみだった。
だから死ぬときはここで!と選択したのだろう。
病院にいるときからずっと、父の体は日に日に増して黄色い。そして、腹水が溜まりおなかはパンパン。おむつを当てているんだけど大きいサイズなのにおなかのテープが止まらないほど。父は「腹が苦しい。ガスがたまってるのか…」とまるでガマガエルを想像させるパンパンのおなかをさすりながら良く言っていた。呼吸も少しずつ苦しくなっていて酸素も必要だった。痰もよく絡む。
病院の先生からは、「腹水を抜くと少し楽になるかもしれないけど、感染リスクもあるし、退院前に抜くより自宅に戻って抜いてもらう方がいいと思う」そう言われていた。訪問看護の先生に来てもらい、腹水を抜いたら2L溜まっていたことがわかった。苦しかっただろうな。
父が自宅に戻るにあたって、孫たちに覚悟をさせた。
姉の子どもたち、じぃじとばぁばが大好きな子どもたち。黄色い父をみて驚くと思ったし、もしかしたら、怖いと思うかもしれない。だから、事前に父について姉たちから話してもらった。
わたしも、父が懸命に生きていること、見た目にびっくりするだろうこと、大好きなじぃじの先がないこと。現実を伝えておいた。
「え?じぃじ死ぬの?」ショックは隠せない。黄色いしおむつしてるし、元気なじぃじではないよ。そう伝えると、甥っ子1が「え?おむつ??なんなら俺が変えてあげる。」と言う。なんて子だ!!
待ちに待った父と孫との対面。父は大層喜んだ。
一方、心配した子どもたちと言えば「思ったより黄色くなかった」と言う。黄疸の症状について伝えていたが、子どもたちの中でもっと黄色!を想像してくれていたことはありがたかった。見た目怖く感じなかった?と聞いても「怖いはずないやん、だってじぃじやもん。」
子どもたちのその気持ちに本当に父と孫の絆を感じた。父は孫たちを本当にかわいがった。
いまで言う、『サ活』てやつ。父は毎日近くの市民センターの温泉に行き、サウナに入っていた。子どもたちも、遊びに来ていると一緒についていく。よく一緒に行くから、父が一人で温泉に行くと、同じく常連のお客さんから「今日は子分は?」と聞かれていたとか。
静かな病院と違い、みんながいる。生活音がある。きっと心地よかっただろう。何より、父が好きなひとやものに囲まれている。
相変わらず「水くれ」と言えばわたしが水を渡し、痰がでたらティッシュを差し出す。わたしは絶妙なタイミングで采配できる秘書のようだった。自宅でどのくらいもつだろうか…。少しでも長く一緒に居たいけど、辛い思いはさせたくない。そんな複雑な気持ちもあった。
ポータブルトイレも準備した。父は、病院ではおむつを当ててはいるものの、一度もおむつ内に排泄していない。尿は尿瓶を使う。(そのため、自宅用に尿瓶も買う必要があった)便は、室内では歩いて数歩のところのトイレに行った。ベッド上で差し込み便器を持ってきてもらったが、やはりそれで排泄することは難しくトイレに行った。それはもう執念だ。
そして、介護福祉士として働いてきたわたしが、『人の尊厳』を目の当たりにした瞬間でもあった。父は最期まで、おむつに排泄しなかった。おむつを利用することが悪いとか尊厳がないとか、そんなことではないことはご理解いただきたい。
父が大切にしていること。その一つが排泄で、トイレで排泄することにこだわった。今にも倒れそうなふらふらな体で、支えられながらトイレに行く。そして、ちゃんとトイレで排便できるのだ。そして、わたしに便の色を聞く。その頃には便は白色がつづいていた。心配させたくないから、「う~んちょっと白っぽいかな」そう答える。それを聞くと、なんでかな~と胆管を広げる手術をしたのにその効果がないことに頭を悩ませていた。
そんな時はやはり、「この人、本当に死ぬの?」とわたしの疑問が増す。この状態の人でトイレに行く人を私はみたことがなかった。
「体もきついだろうしすぐ替えるからおむつにしていいよ」
父と同じレベルの患者さんがいたら、介護士のわたしはそういう。大体の患者さんは「そうやね。トイレまで行けないね。」と諦めおむつ内排泄を余儀なくされた。(もちろんこのレベルの人はポータブルトイレに座ることすら難しい)
父に体を張って教えてもらった気がした。人間の尊厳。頭ではわかっていたけど、父の意地、父のこだわり、父が大事にしたい生活活動。
自宅に戻り、一度「トイレに座ってみろうかな」というため、体を起こしベッドの端に座らせた。ポータブルトイレを準備した。すると、
「あぁ、無理みたい。」
父が予想外のことを言った。立ち上がる力がもう残っていなかった。それでも、本人が行きたいならば!と家族総出で支えて立たせようと支えるが本人の言う通りさすがにもう無理だった。
「おむつにしていいよ。すぐに替えるから。」父に伝えるが、その後亡くなるまでおむつ内に排泄することはなかった。
~次回乾杯編~