屋根のあるホームレス
シェアハウスで過ごす初めてのお正月です。20代独身の頃4年間一人暮らしして以来です。
昨年、一昨年は、息子Kと二人暮らしで、別に何か行事するわけじゃないし、お互い好きな行動してるけど、それでも「家に誰かいる」感はあった。私が作ったお雑煮を、遅く起きてきたKに「食べる?」と聞いて「食べる」と返事がある、それだけで「一緒にいる」感を味わえた。
今年はそれがなくなった。
年末年始のFB投稿、家族で過ごし、親戚が集まる人々が目に入る。シェアハウス の若者たちは、てんでに「母国」や「田舎」に帰って、がらんとしてる。帰省もせず、今年からは集まる場所もなく、おせちもない私は、つくづく一人になったんだなと思う。
部屋を見た友人が「屋根のあるホームレスって感じだね」と言ったのにウケた。ほぼ寝る場所しかない部屋。最低限の身の回りのものの山の中に埋もれるよう。冷暖房完備で雨露しのげるホームレス。
確かに物理的な「家」はあるけど、帰る場所、居処、という意味での「家」ではない。ホームグラウンドとか、ホームカントリーとかと同じ、ベース、基幹という意味での「家」。根なし草の「根」に当たる部分。
私はその自由さを気に入って好きで選んだけど、自分は「拠り所」や「帰る場所」に執着のない流れ者気質だと思ってきたけれど、やはりそういうスタイルでしか暮らしたことがなく、農耕定住民族のDNAを持っているからなのか、無くなってみて初めて「ああ、家がないんだなあ」という感覚に気づく。
それでも私には夫も息子たちもいて頻繁に会って心も通わせており、孤独ではない。離れているけどいざという時に頼りにできる義父母や弟たちという「身内」もいて、セーフティーネットもある。考えてみれば、ただの「放し飼い」であって、戻る「巣」はあるのかも。
それでも一抹の喪失感のようなものを感じたんだから、本当に家族も家もないって、天涯孤独な感覚なんだろうな、とふっと思いを寄せる。50代にして、ホームレス擬似体験中です。