2024神戸新聞杯メイショウタバル紹介【ゴールドシップ産駒】
2024年9月22日メイショウタバルが神戸新聞杯を優勝しました。
筆者の覚え書きとして記事にします。
この記事は2024年10月7日時点のものです。
神戸新聞杯まで
メイショウタバルは3月23日に毎日杯(GⅢ)を優勝している重賞馬です。
毎日杯優勝までの道のりは記事があるのでご覧ください。
毎日杯を勝利して重賞馬となったメイショウタバル。
次走はついにクラシックレースの第一冠『皐月賞』
2024年4月14日
皐月賞
鞍上浜中俊騎手
前走毎日杯を勝った坂井瑠星騎手はシンエンペラーに騎乗。
鞍上は浜中騎手へ戻っての挑戦。
スタート直前、ダノンデサイルが右前肢ハ行を発症したため競走除外に。
1枠2番
パドックでは落ち着いていたメイショウタバルだが、枠入りを嫌がる姿を見せる。
スタート後、4番シリウスコルトと先頭へ。
ハナを奪い前走のように逃げるかと思ったが、ここから大暴走してしまう。
1000m57秒5
変な笑いがこぼれた筆者を尻目にメイショウタバルは止まらない。
直線に途中で完全に力尽き、あえなく最下位17着に。
優勝はジャスティンミラノ。
アルアインが持っていた皐月賞1分57秒8を大幅に更新する1分57秒1のレースレコードとなりました。
なんだこのレース。
大敗の原因はいろいろと考えられるため明言はしませんが、新馬戦と未勝利戦の鞍上を務めた角田大河騎手から浜中騎手へ騎手変更し未勝利戦を勝利してからというもの、調教助手と石橋調教師自ら乗り役を務めるものの一度も騎手を乗せての調教が行われていませんでした。
フレグモーネを発症し回避となったスプリングSの鞍上は横山典弘騎手の予定でしたがこんな記事があります。
調教の内容どうのこうのは素人なので言えることはないのですが、本番のレース(しかもGⅠ)に騎乗する騎手が、事前に馬とコンタクトを取り癖や調子を確認していなかった(できなかった)というのも敗因にあったのではないでしょうか。
気を取り直して次走は5月26日、日本ダービー。
現役時代ダービージョッキーであった石橋守調教師の独占密着動画が公開。
メイショウタバルの母メイショウツバクロは石橋守騎手の現役最後の勝利馬という縁がありました。
しかし本番2日前5月24日、衝撃のニュースが。
『メイショウタバル、左後肢の挫石のため出走取消』
元々脚をぶつけるなど自傷的な怪我に見舞われているメイショウタバルですが、最も出たかったであろう日本ダービーも無念の出走取消となりました。
浜中騎手のコメントもあります。
前走の反省を踏まえ、4週連続で調教をつけていた浜中騎手。
メイショウタバルの練習成果のお披露目はお預けとなりました。
日本ダービーの結果はというと、右前肢ハ行発症で皐月賞を除外となったダノンデサイル。
皐月賞、ゲートを目前に異変を感じ出走中止を決断した横山典弘騎手の判断は間違いではなかった。
前走の無念を晴らすレースとなりました。
大レースを目前に出走中止を決断する。
その決断が功を奏した馬はダノンデサイルだけではなかったのです。
神戸新聞杯
次走は菊花賞トライアルレースの神戸新聞杯(GⅡ)
1着~3着馬に菊花賞への優先出走権が与えられます。
5月26日に出走取消してから放牧(休養)に出ていたメイショウタバル。
8月に入厩。
今回の調教も折り合い重視で行われました。
放牧を挟んだことで精神的にリフレッシュできたメイショウタバル。
(スマートファルコン大先輩に間違われた)スマートファントム(石橋調教師騎乗)とメイショウモズ(調教助手騎乗)と3頭併せの調教と、とにかく折り合いをつけれるようにと意識しています。
2024年9月22日
神戸新聞杯
中京11R
芝2200m 曇・稍重
鞍上は先週中京1600mでゴールドシップ産駒の白毛馬ゴージャスを勝たせた浜中騎手。
皐月賞最下位の反省から浜中騎手、石橋厩舎一丸となって練習してきた成果を見せる時がきました。
8枠15番
皐月賞ではごねたゲート入りもすんなり収まり、放牧でのリフレッシュ効果が表れます。
インテグレイトとビザンチンドリームを見つめ合う余裕も(?)
父と違い今まで出遅れたことがないメイショウタバル。
今回も良いスタートを切りました。
大外からスタート。
13番インテグレイトが先に出ていき、メイショウタバルはどうするか…
3番手あたりで追走の様子をほんの少しだけ見せたものの、浜中騎手は無理に抑えずメイショウタバルは先頭に立ちました。
観客席から上がる大きな拍手と歓声。
逃げる形になったメイショウタバルは1000mを1分ちょうどで走ります。
(カンテレ版神戸新聞杯動画の実況の「1200標識通過の時は1分2秒ぐらいで通過していきました」が誤解を招いた)
リードを5、6馬身取り3コーナーへ。
中京2200mはコースの形状上、スタートから2度の坂を上る負荷の高いレース。
4コーナーを回り、残り400mの標識を通り過ぎると上り坂の直線。
直線へ入ったメイショウタバル。
リードは3、4馬身。
浜中騎手はメイショウタバルの強靭なスタミナを信じます。
荒れた内を逃げるメイショウタバル。
坂を上り切り粘るメイショウタバルに迫る1番ジューンテイク。
メイショウタバルが逃げ切るか。
ジューンテイクが差し切るか。
2分11秒8の決着は…
メイショウタバルの勝利!!!
先週に引き続き筆者は叫んだ。
見事2200mを逃げきったメイショウタバル。
厩舎、騎手、馬が一丸となって練習してきた成果が結果として表れました。
正直「また逃げた」と思っていた筆者でしたが、ラップを見ると皐月賞のような暴走的な逃げではありませんでした。が、まるで精密機械のようにほぼ同じタイムを淡々と刻むメイショウタバル以外の馬には非常に厳しいラップ。
12.7 - 11.0 - 11.7 - 12.4 - 12.2 - 12.0 - 11.8 - 12.0 - 11.8 - 11.7 - 12.5
全く息を入れることなく、メイショウタバルが「マイペース」を貫き通したレースでした。
神戸新聞杯勝利でゴールドシップ産駒初の平地重賞複数勝利。
そして初の『親子制覇』を成し遂げました。
まさか親子制覇が神戸新聞杯になるとは…
阪神競馬場改修工事中のため同じ「神戸新聞杯」なのに
父ゴールドシップ→阪神で勝利
息子メイショウタバル→中京で勝利
というチグハグさもゴールドシップ産駒っぽいなと泣き笑いしました。
勝利のサイン(?)
神戸新聞杯当日までにメイショウタバルに関する動画や記事が出ていたので紹介します。
カンテレ公式チャンネルで神戸新聞杯を勝利した父ゴールドシップのレース映像が公開
サンスポZBT!競馬から吉報を待つ故郷からの応援動画が公開
そして5月26日に出走取消してから放牧中、メイショウタバルに大きな環境の変化がありました。
放牧中からメイショウタバルの装蹄を西内装蹄師が務めていたのです。
記事の通り西内装蹄師はゴールドシップ、ステイゴールド、メジロマックイーン。ジェンティルドンナ、ディープインパクトなど数多くの名馬の装蹄を務めたカリスマ装蹄師。
メイショウタバル
父ゴールドシップ
父父ステイゴールド
父母父メジロマックイーン
人間で言えば曾祖父(メジロマックイーン)の代から蹄を知り尽くした装蹄師。
心強いニュースでした。
メイショウタバルの蹄は薄く、蹄と蹄をぶつける追突癖があるので蹄角度と衝撃緩和のクッションに接着装蹄も合わせて装蹄。
今回のレースで効果が出ていたのかもしれません。
多発していた怪我の改善にも期待したいです。
勝利に至るまで
4月14日の皐月賞大敗から5ヶ月8日。
正直なところ、筆者は復帰戦を勝てるくらいしっかりと調整してきた石橋厩舎と浜中騎手に驚かされました。
ただ筆者から見るとこの勝利に至るまでを思い返すと、決して順調だったとは思えませんでした。
メイショウタバルが放牧から帰る少し前。
全国ニュース規模の衝撃的な出来事。
8月10日
石橋厩舎の所属騎手、角田大河騎手の訃報がJRAより報じられました。
角田大河騎手はメイショウタバルにもデビュー戦から2戦騎乗していたデビュー3年目の若手騎手。
8月1日夜
『角田大河騎手が函館競馬場へ車で侵入』という事件が発生。
その後8月10日に訃報が報じられました。
その間にもしかしたら…というニュースが噂されていましたが、ご遺族の意向により亡くなった詳しい日にちも状況も明らかになっていません。
そのため噂に上がった記事は紹介しません。
以下NHKが報じた訃報。
さらに前の皐月賞(4月14日)前の4月10日。
4月6日レース中に落馬し、病院で治療を受けていた藤岡康太騎手が亡くなりました。
弔辞を読んだのは競馬学校の同期で仲の良かった浜中騎手でした。
そして神戸新聞杯を翌週に控えた9月14日。
浜中騎手の斜行により菱田裕二騎手が落馬し負傷(左上腕骨骨幹部骨折、右膝関節内側側副靱帯損傷、右大腿骨骨挫傷)
浜中騎手は9月28日から10月6日まで開催日4日間の騎乗停止となり、9月29日のスプリンターズステークスのナムラクレアに騎乗できなくなりました。
決して擁護のできない騎乗でした。
石橋厩舎所属角田大河騎手の死に、浜中騎手自身が原因の落馬事故。
ふと思うのです。
神戸新聞杯に至るまで一体どんな気持ちだったのだろうと。
当たり前のことですが関係者でもない会ったこともない話したこともない、画面の向こうで知っているだけの筆者には憶測で言えることは何もありません。
落馬事故後の浜中騎手は開催日と全休日以外は毎日、菱田騎手が所属する岡田厩舎の調教を志願して騎乗していました。
もう一度言いますが、角田大河騎手の死も浜中騎手の落馬事故も筆者が憶測で言えることは何もありません。
神戸新聞杯勝利後には笑顔の石橋調教師に号泣する調教助手。
松本オーナーと固い握手を交わす浜中騎手の姿がありました。
ただ重賞を勝っただけではない。
この勝利に至るまでに何があったか知ってほしいと思いました。
そんな中でも、明確な立て直しが必要だったメイショウタバルを(完全に克服したわけではないけれど)重賞で勝てるほどにしっかりと調整してきたのは、前述の出来事を知っている筆者としてはただただ敬服の念が湧いてくるのです。
日本ダービーという大レース目前で挫石発症というアクシデント。
『出走取消』
陣営にとって苦渋の決断だったでしょう。
けれどその決断で得られたものはメイショウタバルにとって、とても大切で必要な休息でした。
大きな決断は運命の分かれ道。
皐月賞除外のダノンデサイルは日本ダービーを
日本ダービー出走取消のメイショウタバルは神戸新聞杯を
明確な逃げ馬もおらず今回は逃げる形になってしましましたが、それでも大きな成長を実感できた勝利でした。
だから筆者が言いたいことはただ一つ
「神戸新聞杯、優勝おめでとうございます!!」
最後に
次は最後の一冠。
『菊花賞』
浜中コラム
神戸新聞杯振り返りと意気込み
『菊花賞』
メイショウサムソンとその鞍上、石橋守元騎手の忘れ物。
そして松本オーナーにとってもクラシック最後のピース。
誰かが言った。
ゴールドシップ産駒は信じてくれた人のために走る。
石橋厩舎、浜中騎手そしてメイショウタバル。
人と馬とが信頼し成長してく様子を見てきました。
いつかきっと最高の瞬間が待っているはず。
それは次かもしれない、ずっと先の未来かもしれない。
その日が来ると信じて応援していきたいと改めて思いました。
ここまで記事を読んでくださった方。
これからもメイショウタバルを見守っていただければ幸いです。