発症-CIDPエッセイ-
-違和感-
14歳。中学生最後の体育祭の日、頭痛や発熱などの風邪のような症状が現れた。夏風邪が流行っていた時期だったし、風邪でも引いたかなぁ。と思い、近くの内科を受診した。病院へ向かう途中、ちょっとした足のもつれとふらつきを感じたけれど、熱もあるしふらつきもするわな。と思い、それほど気にせず病院へ向かった。
簡単な問診の結果、診断結果は『夏風邪』。でしょうねと思い、処方された薬を服薬し、自宅で三日ほど療養すると、頭痛や発熱は落ち着いた。
所謂『夏風邪』の症状は落ち着いたのだけど、通院の際に感じた違和感だけは落ち着くことがなく、落ち着くどころか寧ろ悪化してきているように感じていたけれど、日常生活にはそれほど影響が無かった為、一週間ほど様子を見たのだけど、日に日に歩くのが辛くなり、手に力が入らず物を落とす事まで増えてきて、これはまずいと思い、ネットで症状を検索すると、ドラマで聞いたことのある難病等が羅列され、恐怖を感じた自分は、近所にある脳神経外科への受診を試みたのだけど、「18歳未満の方は保護者様とお越しください」と伝えられ、父子家庭の自分は父に受診の同伴を頼むと、「そんなのは気持ちの問題だ」と一蹴されてしまった。父との関係性は後に綴りたいと思うが、幼少期から中学二年まで両親から暴力や暴言等の虐待を日常的に受けていて、中学二年で両親が離婚したことで虐待は落ち着いたのだけど、自分への関心は薄かった。だからといって放っておく訳にも行かないため、祖母に同伴を頼み、無事に脳神経外科を受診することが出来た。ちなみに祖母との関係性も良くはなかった。三兄妹の次男の自分への関心は祖母も薄い。話をもちかけた時と関心は薄かったけれど、「着いてきてくれるだけでいい」と懇願し、とにかく受診することが出来た。
-受診-
脳神経外科では、脳のMRIを撮影し、問診を受けた。MRIの結果には何も異常がなく、問診の際に、祖母が「この子ストレスが溜まっていて、変になっているのだと思います」と一言。当時14歳の自分の発言より、祖母の発言の方が説得力があったのか、診断結果はストレス。「何も無くてよかったね」と祖母に言われ、帰宅したのだけど、ストレスでこんな事になるわけが無い。と思った。思ったけど、専門的な病院を受診して伝えられた結果だったし、MRIには異常がなかったし、様子を見るしかないのかと、また一週間ほど様子を見ることにした。
様子を見ている一週間のうちにも、どんどん歩きにくくなり、手に力が入らなかったり、手の震えが止まらなかったりと、自覚症状はどんどん悪化していき、最初に症状を検索した際にもう一つ気になっていた神経内科への受診を試みた。神経内科の受診も脳神経外科同様、保護者の同伴が必要だった為、また父に頼んだけれど聞く耳は持ってくれず、祖母に頼むと「この間ストレスと言われたばかりでしょう」と拒否されてしまい、八方塞がりだった自分は、離婚して家を離れてから一度も連絡をとっていなかった母に連絡をし、事情を説明すると同伴を許可してくれた。母方の祖母が神経内科領域の疾患で亡くなったこともあり、事情を理解をしてくれた様だ。
父と祖母には言い出せず、黙って母親と神経内科へ受診した。約一年ぶりに会う母は、一緒に住んでいた頃のピリピリした様子とは打って変わって、爽やかで幸せそうだった。その様子を見て、やっぱり自分達と家族でいるのがしんどかったんだろうな。と思ったのはまだ別の話。
神経内科では、四肢の腱反射を確認したり、血圧を測ったり、綱渡りのように歩行したりと、軽い検査を行った。結果、四肢の腱反射の消失が確認され、「すぐに大きな病院で検査を受けてください」と医師から伝えられ、近場で一番大きな総合病院への紹介状を書いて渡してもらった。
帰宅しながら、あー、やっぱりまずいことになった。と思っていた。検査結果は勿論だけど、父と祖母に黙って母親と会ったことがバレるとまずいなぁと思っていた。しかし、総合病院を受信するには父に伝える必要があった為、恐る恐る母に同伴してもらい診察に行ったこと、診断結果と紹介状の話を父に伝えた。伝えると、「どうして黙ってあの人と行ったんだ?!」と怒鳴られたが、「誰も着いてきてくれなかったから…」と言うと、父親の怒りは収まったようで、総合病院への同伴を受け入れてくれた。
-次回予告-
総合病院への受診と検査入院。
診断結果を受けての治療開始。