#01 48aに出会うまで
はじめまして。えりです。
48aの圧力に負けてnoteを書きます。
生まれたばかりのベビを抱えて授業を受けてた人です。
1ヶ月だったベビは5ヶ月👶あっという間の4ヶ月間でした。
ライティング "も" 苦手なので、ジピりながら書きます。
ZeroPlusに出会うまでの道のりと、2度のうつ
現在、フリーランスのWEBコーダーとして活動を始めようと準備中です。
この道に至るまでには、放射線技師としてのキャリアと、2度のうつ病、そして子供の不登校など、さまざまな経験がありました。
(ちょっとまだ進行形。。笑)
今回は、その道のりについて書いていきます。
-放射線技師としてのキャリアと最初のうつ病
私は健康診断の会社で放射線技師として働いています。(現在育休中)
しかし、私の生活は子育てを機に大きく変わりました。
長女は今思えば、育てにくいと言われるような子だったのかな。
長男が生まれ、義母が手伝ってくれるようになりましたが、ありがたい反面、徐々に大きなストレスを感じ始めました。
義母には感謝しつつも、朝から手伝いにきてくれる、夜は私が寝室に子供達を連れて行くまでいてくれる、そんな日々に自由を奪われたような気持ちが募り、次第に自分の体調が悪化していきました。
(この頃は7:00に保育園に預け、19:00お迎えしてました。後々、義母に任せることになるけれど、それもまた家にいるストレスが…)
さらに旦那がギャンブルに依存し始め、家計や生活についての争いが絶えない日々が続きました。(今はないよ!平和。むしろ幸せ〜)
そんな中、私は過呼吸や突然叫び出すなど自分でもおかしいと感じる症状が出始め、ついに医師から「うつ病」と診断されました。
薬を飲み、何とか日常を維持していましたが、環境は変わらず、忙しい毎日に追われ続けました。
-2度目のうつ病と産業カウンセラー資格取得
その後、部下がうつ病で休職など、職場の人間関係や環境に問題があることを痛感しました。
職場の改善を目指して、私は産業カウンセラーの資格を取りました。
半年間、仕事の休みの日にはオンライン授業、時にはオフライン授業を受講し、上層部と現場の架け橋となりたかったのです。
しかし、その頃から私自身の心も疲弊していきました。
周囲との関係が深くなりすぎ、私自身も限界を迎え、再びうつ病に陥りました。(ひっぱられちゃうのよ、、)
またその頃、長女が小学校に上がり、学校が合わず登校途中で帰ってくることがぽつぽつありました。
授業参観では立ち歩きなど気になる点もあり、診断の結果、ADHDとLDの特性があることがわかりました。
子供の病院や学校、仕事と家庭の両立がだんだんと難しくなっていきました。
結局、私は休職することとなり、長女も不登校となりました。
-ZeroPlusとの出会いと新たな道
休職中、私は子供の不登校や自分の健康を考え、自宅でできる仕事を探し始めました。
そこで出会ったのが、ZeroPlusというプログラミングスクールでした。
ZeroPlusGateは0円で1ヶ月間メンターさんがついて質問し放題。当初は怪しさと疑い深くなっており、あまりメンターさんに頼ることができませんでした。
(質問した事といえば、「ほんとはデザインから自分でつくるんですよね?」です。)
しかし、最終的に私の希望の働き方ができる、そんなロードマップを一緒に考えていただき、入学を決意しました。
入学は産後1ヶ月ほど経った時期で、昼から夕方にかけての土曜クラスが私にとって理想的でした。それが6月入学。
運命的な出会いとなる48aのクラスメイトと共に学び始めました。
48aとの出会いは、私にとって大きな支えとなり、今後の自信へと繋がる貴重なものとなりました。
-これからの挑戦
もうすぐWEBコーダーとしての第一歩を踏み出そうとしています。
これからは開業までの道のりや、案件の獲得などもnoteでお伝えしていけたらと思っています。
今までの経験を活かし、これからの挑戦を一緒に楽しんでいただけたら嬉しいです。
-あとがき
ちょっと重いかなとも思いながら書いてみました。
私、頑張りすぎちゃうんだよ〜笑
がんばらないをがんばるー
頑張ってるママー!一緒に頑張ろう〜!
けどあせらずゆったりと、自分のペースで前向いていきましょ〜
読んでいただきありがとうございました!🫶