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note感謝祭で考えたフィルターバブル
小さい頃から本屋へ行くのが楽しみだった。特に雑誌が好きだった。本が好きな人が出版社に就職したというよりは、雑誌が好きで出版業界に入ってしまったくちだ。
本屋へ行くことは目的の本を買って終わりではなかった。知らない雑誌、知らない本との新しい出会いがあった。本屋は本を買うだけではなく、今まで知らなかった本の存在を知る場所でもある。本屋は知らない本を買わせる場所でもある。少なくとも昔はそういう場所だった。
インターネットで本を購入した際「一緒に購入されている本」「この商品を見た後に買っている本」など別のおすすめの本が表示される。
ユーザーの購入履歴や過去にチェックした商品などのデータを活用し、ユーザーに「おすすめ」を提供することをレコメンド機能と呼ぶ。
このレコメンド機能は既にECサイト等に必須の機能であり、実にありとあらゆる業種で活用されている。
レコメンド機能は、購買意欲をかきたてるような商品を提案することで多くの売上を生み出すという視点からは、ユーザーからお金を搾取するシステム、とも言えるが、
本探しにかかる時間、外れを買ってしまうリスクを減らし、欲しいと思う情報を探す手助けするという視点からは、ユーザーの利便性を向上させ満足度を高めるシステムとも言える。
本屋さんの中を歩くだけで、わくわくした時代は終わってしまうのだろうか。
本屋さんは、文化へのアクセスではなかったのか。
密林は、購入目的が明確な場合には優れているかもしれないが、本屋さんの置き換えにはならない。
本屋さんがなくなっていくことは、教育や文化の破壊にはならないのだろうか。
以下は、note感謝祭での深津貴之氏の言葉である。
「レコメンド機能にもあるべき姿とか課題とかがあって、僕らnoteが考えなきゃいけないのって、単純なマッチングシステム作っちゃっていいんだっけ。
逆に大きな問題意識を持っていて、レコメンド機能があったときに、自分に気持ちのいい記事だけ流れてきていいんだけって。
自分に気持ちのいい記事だけ、カルト宗教みたいに突っ走っていってしまうんだったら、クレームがきても自分に合わない記事流れてくるべき(っていう議論もあったりするので)」
これぞ深津イズム。
noteというプラットフォーム内では多様性を担保するため実にさまざまな施策(?)が走っているらしい。
以前からよく言われていることだが、noteにはランキングがない。今後もランキング機能が実装されることはないという。
ユーザーにとって気持ちのいい記事だけ流れてくるのが当たり前にすることと、ユーザーの発見性を高めることは別ベクトルらしい。noteについて知っていくことで、認識が少し変わっていった。
noteに対し、UGCサービスなのだからモチベーションの種をそこまでユーザーに提供しなくてもいいのでは、などと常々思っていたが、こういうこともまるっと含めて、noteの哲学なのだろう。ほんの一部のことしか知らないけれど。
多様性を大切にするプラットフォーム内では、コンテンツの均一化を招くことがあってはならないのだ。
1990年代インターネット創成期には「インターネットが社会をよくする」なんてことが言われており、実際そう信じこんでいた。
インターネットは狭い世界しか知らない自分に新しい世界を教えてくれた筈だった。だから、インターネットにおいて、多様性が失われるだとか、偏った情報にしか触れられていないだといったことが起きるとは全く想像していなかった。恥ずかしながらパーソナライズ化が弊害をもたらすことがあると気づいていなかった。
雑誌を買うということについて例えば、雑誌『週刊少年ジャンプ』を毎週月曜に購入すれば『ワンピース(尾田 栄一郎著)』が毎週読める。ただ、単行本が出版されてから購入するという選択肢もある。
漫画『ワンピース』を読むことが目的で、雑誌『週刊少年ジャンプ』を購入した人が、新しい漫画を知る機会を得るということは珍しい話でもなんでもない。そこには雑誌『週刊少年ジャンプ』を購入して読むような人は、雑誌『週刊少年ジャンプ』に掲載されているような漫画が好きという傾向がある所以でもある。(尚、コミケでは、雑誌『週刊少年ジャンプ』のようなタイプは売れない。雑誌ではなく『ワンピース』の単行本のような本が好まれる傾向にある。)
雑誌『週刊少年ジャンプ』を毎週月曜に購入することは別にフィルターバブルの中に入るわけではないが、手に取った時点でもう情報の取捨選択は行われている。ただ、それは読者の意思だ。
最初からバイアスから自由の世界にいたわけではないと思ってはいる。
いったい私はどんなフィルターバブルに入ってしまったのだろうか。
過去のクリック情報、検索、閲覧履歴、購買履歴、年齢、性別や位置情報などあらゆるデータが蓄積され、データを元に、検索結果等さまざまな情報がパーソナライズ化されたうえで表示され続けている。情報をフィルターにかけ続けることで、自分の興味関心に合うものだけ、自分が心地よいものだけに囲まれ、自分にとって快適な情報の中だけで生活することになる。
自分と正反対の考えは外に弾かれ、信じていることをさらに強化するコンテンツだけが目の前に残ることが当たり前の日常となる。ただ「見たいものを見る」筈が「見たいものしか見ていない」状態になり、無自覚に自分で自分を洗脳する事態を引き起こす。
フィルターバブル問題は、密林に限った話ではない。検索、SNSやGAFAの提供するプラットフォームなども含まれる。
情報を精査するスキルがあり、最終的にファクトチェックできればいいと思っていた。無自覚な洗脳はリテラシーがあっても防げないのではないか。
情報である以上、バイアスから自由にはなれない。
アマゾンは本屋のかわりにはならない
note感謝祭で参加者と話をしていた中で深津さんって黒子ではなく、看板やブランディングも担っているんだな、と改めて思った。
■note感謝祭概要
日時:12月5日(木) 19時~22時
場所:ピースオブケイクのイベントホール
第三部 19時~22時「みんなでnoteの未来を考えるnote大茶会」
※本note投稿は、「note感謝祭」第三部の感想です。
https://note.com/pieceofcakeinc/n/n8330e3814f16
https://note.com/pieceofcakeinc/n/n8330e3814f16
https://note.com/natsumi_official/n/n328237076247
第一部 13時~15時「noteとメディア連携で生まれるコンテンツの未来」
第二部 16時~18時「noteがひらく企業コミュニケーションの新しい形」
第三部 19時~22時「みんなでnoteの未来を考えるnote大茶会」
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