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Essay|君と見たい景色
いまこの文章を書きながら、Lucky Old Sunの「街の人」を聴いている。
去年の4月に公開されてすぐ、言葉通り全席が埋まった満員の劇場で「街の上で」を観てきた。全員マスクをしたままだけど、青と警官の出会うシーンやみんなが集合するコントみたいなシーンにくすくすと笑い声が漏れ聞こえて、それはとても心地よい時間だった。
公開してすぐは「ネタバレになるしな」と思ったりして、書くのを控えていたのだけど2021年の年末に今年のベスト映画が方々でラインナップされる中で「街の上で」はことごとく名前が挙がって、そろそろいいよねと思いこの記事を書いている。
豊かさが満杯だよと胸がくすぐったくなる。コロナのせいで当たり前のことが当たり前にできなくなったからだろうか、今泉監督の撮る映画に私は随分と寄りかかっている。
「愛がなんだ」が上映された頃、方々で「すごい」「すごい」と聞いていたけれど、私はなんだかすぐに観る気になれなくて公開から随分遅れて観た。好きという曖昧で得体の知れないものに捕らわれた若者たちの話。
本当に凄かった。気づけば今泉監督は売れっ子監督だ。そんな風に言われたくないだろうけど、や、どうだろうか?今泉監督をわかろうなんてずっとできない気がするけれど、監督の撮る映画はいつも「わかるよ」と思える人間のおかしみがいっぱいで、いつも毎度やられている。
そして去年観た「街の上で」がさらに凄かった。いずれの作品もキャスト全員はまり役だったけれど(今泉監督のキャスティングの才が素晴らしくていつも唸る)、二つの作品で“青”という青年を演じた若葉竜也さんについて語りたくなる。
いや、もう最高なんだってば。
■愛がなんだ
(監督:今泉力哉、主演:岸井ゆきの/2018年)
■街の上で
(監督:今泉力哉、主演:若葉竜也/2021年)
好きでいてごめんなさい
『愛がなんだ』では若葉竜也さんは仲原青という青年を演じている。初っぱなから「あれあれこの子、完全にパシらされてるけど大丈夫かな?」という登場の仕方だ。
深川麻衣さん演じる奔放なようこさんをずっと好きという役柄。もうその好きがどこまでもいっていて、執拗だけどピュアで絶妙なそれだった。仲原は、理不尽極まりない展開で行くことになってしまった謎の旅行から帰ってきたあと、ようこさんの親友で本作の主人公のテル子をラーメンに誘って「ようこさんを好きでいることを辞める」と言う。
そこまでの描写で、これは抜けられんなってほど好きを貫いてきた仲原青のこの宣言は、えええ?ってなるのだけど、この流れからのセブンイレブンの前でテル子とビール片手に語らうシーンが本作のキーとなっていると私は思っている。
「俺がようこさんをダメにしてるんですよ。
昔どっかで聞いた中国の王様の話。王様はどんどんエんエスカレートしていって、最後にはそれが残酷かどうかの判断がつかなくなっちゃうんです。
今まで王様が残酷だと思っていたんですけど、王様のを家臣たちのほうがよっぽど残酷なんじゃないかって。愛ってなんだろうって思ったんです」
何もかも悟った様な目。自分が好きな人から誰でもいい存在であるのが耐えられなくなってしまった寂しさ。好きを諦めないといけなくなってしまった空っぽ。少し冗談交じりに決心を言葉にする佇まい。
そういうものを見事に表現していてこちらが動けなくなるほどだ。若葉竜也さんに全力で拍手していた(心の中で)
四谷のRoom103に在廊している仲原青。仲原青が開いた“一瞬の夢”という個展にようこがやってきたときの好きな人を見つけた顔は、映画「ルーム」のジョイコブ・トレンブレイが演じたジャックが監禁された場所から脱出した車で見上げたそれみたいで、好きって本当もうどうしようもないよな。だって先に体が反応しちゃうもんね、というそれだった。
ようこにようこの写真を見つかったあとの、仲原くんの顔が最高によかった。
いはやは、本当に凄い。
確かにそこに存在する
『街の上で』の荒川青は、古着屋でショップの店員をしている。この映画での若葉竜也さんはずっと受けの芝居をしてそれがたまらなくおかしい。青は古本屋やライブハウス、いつものバーで色んな人と出会う。
好きだった人を簡単に嫌いになれなくてどこへ行っても彼女を思い出してしまうとか、昔なぜか自分で作詞作曲した過去の事はそんな簡単に誰かに話せるようなことじゃないとか、恥ずかしいところに触れられて勢い余ってうっかり相手を傷つけてしまってめちゃくちゃ後悔するとか、ひょんなことで頼まれたことをあれだけ準備していったのにうまくできなくてただ終わるとか、全く劇的じゃない日常にあるささいなことがとてもユーモアであったかい。
ショートケーキの上に乗った苺を最後の最後までとっておいたのにそれを食べようとして、フォークがうまく使えなくて落としてしまったみたいなそれ。
誰かに話すほどのことでもないだけど「あぁ」ってなる連続が下北沢の街にいっぱいあって、それがとってもおかしい。若葉竜也さんは荒川青としてただ下北沢に居てくれて、もしかしたらいまもいるかもしれないなって思ったりするのだ。
そして私はこの映画を見終えて、カフェのマスターが突然口にした「文化って凄いよね」っていうセリフを何度も何度も反芻している。次に下北沢に行ったとき、ふと荒川青のことやスズナリの前での警官との会話、珉亭での出来事を、思い出すだろうなって思ったりする。そうずっとずっと私たちの中に、残っていく。文化って凄いのだ。
今泉監督の映画に出てくる女の子は可愛い
誤解を恐れずにいうと、例外なく今泉監督の映画に出てくる女の子はとてつもなく可愛い。別にいつも笑顔を振りまいているわけでもなければ、逆に結構えげつけないことをずけずけと言ってたりするのに、それなのにとんでもなく可愛い。
なんでなのか考えてみると、流行をまったく追いかけていないからだ。好きな服や身につけているもの、その後ろにある彼女たちの判断の基準や行動の裏付けも全部、どこかから借りたものではなくて、彼女たちが彼女の選ぶものを身につけ、意思をもってそこに居るからではないだろうか。だからといって、それを誰かに押しつけたりしないし、個人としてそこに居る。
いつだって、潔い。細くてゆったりしててはかないのに、潔い。
「愛がなんだ」も「街の上で」もそんな女の子たち(あえて女の子というけれど)の潔さにぐんぐん引き込まれて、気づいたら映画は終わっている。全部間違っているかもしれないけど、いややっぱり全部正しい気がするし。いやもはや正しいとか正しくないとかそういうのどうでもいいなって思えてしまうのです。そういう説得力を持っていて、そういう意味で「かわいい」は最強だなと思えてしまうのだ。
そんな女の子たちに、若葉竜也さんの可愛さも完全に負けてないから恐るべし。本当、観て。