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Essay|それはまるで社会をのぞく望遠鏡
映画を受け取った私たちは、どうあるべきか。
アカデミー賞での歴史的快挙をきっかけに日本でも盛り上がりを見せる『パラサイト』。ポン・ジュノ監督とソン・ガンホさんが来日されるなど話題は事欠かない。私はというと、2019年12月31日の大晦日に日比谷の先行上映で『パラサイト』を観てすっかり心を奪われてしまった一人。
それ以降、ポン・ジュノ監督を調べていたら主演のソン・ガンホさんとのタッグ作を知り、観たいと思っていたらシネマート新宿で“鬼才ポンジュノの世界"特集をやっていて、そそくさとチケットを手に入れ『殺人の追憶』を劇場で観ることができた。
この作品がもう面白すぎてこれまたすっかり心を奪われてしまって、次の日には『グエムル』を観る始末。
この人たち最高すぎる。
『殺人の追憶』
(監督:ポン・ジュノ、主演:ソン・ガンホ/2003年)
『グエムル』
(監督:ポン・ジュノ、主演:ソン・ガンホ/2006年)
映画を通してみる社会
2作を今更ながら観て、いきなり『パラサイト』が出来たわけじゃないんだなと思った。なぜってポン・ジュノ監督はこれまでも映画を通して社会のことをまっすぐに見つめていたから。
『殺人の追憶』は1986年から1991年にかけて韓国で本当に起きた残虐な連続殺人事件をモチーフにつくられた映画だ。
映画を観ていると、この事件を追う刑事たちの憤り、苛立ち、ふがいなさがどろっと流れ込んでくるようでやるせない。
特筆すべきはなによりもこのエンディングだ。冒頭の排水溝での子供とのシーンがまさか、エンディングで伏線となって子供とのやりとりで終わるとは。いま思い出しても背筋が凍るラストにぞっとする。
2006年に公開された『グエムル』もまた、2000年に在韓米軍がホルムアルデヒドを漢江に流出した事件をきっかけにつくられたものらしい。有害物質に汚染された川から怪物が生まれた。
自然を破壊する怪物は人間がつくったものだ。その人間がつくった怪物は人を攻撃し、その矛先は弱者に向かうやるせなさ。その理不尽さに私たちは心を砕く。映画を観ていたはずなのに、気づいたら社会を見ていたんだと思い知る。
饒舌なソン・ガンホの顔
『殺人の追憶』でソン・ガンホさんは、田舎の刑事役を演じている。学より足というまさに泥臭い刑事で犯人の顔をみて刑事の感とやらを発動させる。まるで地図にピン留めされるナビみたいに彼の顔で物語が進んでいく。
この顔に観客は、非情な社会への悲しみや悔しさ、苛立ちを投影していく。一体犯人はどこにいるのか。どんな顔をしているのか。
一方『グエムル』でソン・ガンホさんは少し情けないダメな父親を演じている。売店を営む店主の息子、少し頼りないが娘への愛情は人一倍だ。得体の知れない怪物に娘を連れ去られたあの瞬間。
このシーンの描き方も秀逸で、またソン・ガンホさんに持っていかれる。時は、無情にも戻せない。怪物と戦っていたはずが、一体わたしたちの敵は誰だったのか。うまく言葉にできない父親の眼差しはなによりも雄弁だ。
自分で考える、ということ
ポン・ジュノ監督の描く作品は、いつだってユーモアとリアリテイがあふれている。それを表現するのに、ソン・ガンホさんは監督の作品に欠かせないし、圧倒的な説得力がある。二人が作る世界はそう、うまくてやるせないのだ。このうまさとやるせなさこそ、心を掴んで離さないし最終的に私たちを置き去りにする。
どうにもこうにもただ面白い、で終わらない。
映画から受け取った社会の問題について考えてしまう。いつも「どうする?」と言われてるみたいで、それは観るものを信じてくれてるようにも思うし、同時代を生きる人として共に考えていこうと言われているようでもある。
映画はつくられたものだけど、いつだって私たちが暮らすこの現実と繋がっている。