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なぜ、今、西城秀樹か?——モダンJ-POPのメガスター・ヴォーカリスト、その抗いがたい誘惑
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⭐️最新の日本語版は、上のリンク先のウェブサイトでお読みください。
⭐️2024/11/4、英語版の修正に伴い、日本語版も、紹介する楽曲について、一部、修正・加筆しました。
YouTube、TikTok、Vimeo, Google Driveのリンクもすべて更新しました。
⭐️I'VE ALREADY FINISHED WRITING THE ENGLISH EDITION OF THIS ESSAY OF MINE ON THE WORKS AND THE LIFE OF HIDEKI SAIJO. IT HAS NOT BEEN RELEASED IN PUBLIC YET, THOUGH, AS I AM STILL LOOKING FOR AN ONLINE MEDIA TO PUBLISH IT. I MAY RELEASE IT ON MY WEBSITE SOMEDAY IF I WON'T BE ABLE TO FIND ANYWHERE TO CONTRIBUTE TO. IN THE MEANTIME, PLEASE TRY READING THIS JAPANESE EDITION INSTEAD. THANKS!
★以下は、古いデータの残りです。一括削除できないので放置していますが、読まずに無視してください。最新版は上の私のウェブサイトをごらんください。★
Music by Koji Makaino.
TBS TV Live Performance.
https://youtu.be/CIlQD0jL33E
https://drive.google.com/file/d/12ABVnGXcwOZ-HZOznQk9Cgu8M9Tbp7jx/view?usp=drive_link
★
Hideki Saijo,
“HOW CAN I EXPRESS THE JOY OF THIS LOVE?” , 1975. 「この愛のときめき」
Music by Tachio Akano.
TBS TV Live Performance.
https://youtu.be/TkxSqFPBfK8
https://drive.google.com/file/d/1WlAmzvjNQStJJbDY1sQ-8ZnZetw2AOmJ/view?usp=drive_link
★
Hideki Saijo,
“LET'S TAKE ON THROUGH OUR YOUTH” , 1973/1976. 「青春に賭けよう」
Music by Kunihiko Suzukki.
TBS TV Live Performance.
https://youtu.be/mw6bCvha7xk?si=_6PoL6YQqPvlRGOl
1974年の紅白の舞台での「ローラ」は、ヒデキのテレビ番組でのパフォーマンスのなかでも、もっとも有名で忘れがたいもののひとつだ。もう一度、ここで、このパフォーマンスの記録映像を観てみよう。この曲とステージによって、ヒデキは初めて、歌謡曲の世界に、ハードロックやヘヴィメタル的な要素を取り入れたと言われている。また、日本で初めて、テレビのステージで、ヘッド・バンギングを披露し、スモークを導入した。翌1975年には、「ローラ」のフランス語版が、カナダ、フランス、スイスとそのほかのヨーロッパ諸国で発売され、ヒット・チャートに見事ランクインを果たす。このフランス語版も、日本語版とはまた違った、独特な美しさと魅力の溢れる一曲となっている。
★
Hideki Saijo,
“Lola” – Japanese Edition, 1974. 「傷だらけのローラ」日本語版
Music by Koji Makaino.
TV Live Performance at NHK “Kouhaku Utagassen (Red and White Song Battle)” on the 31st December, 1974.
https://youtu.be/YWYxgIl--sw?si=hg18sIfMnSJXFxrE
https://drive.google.com/file/d/1xP7YpmSQ7B-P0umB6-cDnykcMDUFtUDq/view?usp=drive_link
★
Hideki Saijo & New Japan Philharmonic,
“Lola” – French Edition, 1975/1978. 「傷だらけのローラ」フランス語版
From the Live Album “Hideki Sings Love: A Valentine Concert Special”, 1978.
https://youtu.be/DuMCUpejCpM?si=zWuJQz86S-iV5awX
ヒット・チャートでの活躍に加え、1974年と75年は、ヒデキの初期の人気が、ひとつの頂点に達した時期でもあった。まず、日本を代表する映画会社、松竹により、ヒデキを主演とする映画が2本、制作された。ひとつは、マンガを映画化した74年の青春映画『愛と誠』、もうひとつは、ヒデキの全国縦断ツアーを撮影した75年のドキュメンタリー映画『ブロウ・アップ! ヒデキ』だ。加えて、同じく75年には、日本テレビ制作のドキュメンタリー特番『西城秀樹 日本縦断〜20歳の絶唱』が放映された。また、この頃から、ヒデキは、数々の日本音楽史上初となる事柄を成し遂げ、「時代の寵児」となっていく。
ヒデキは:
• 1973年、ロッド・スチュワートの東京公演で見た、軽量アルミ製マイクスタンドを使ったダイナミックなマイクスタンドアクションを真似て、日本人歌手として初めてステージに取り入れた。
• 日本人のソロ・シンガーとして、初めて、スタジアム・コンサートを行い(大阪球場、1974-1983年、東京・後楽園球場、1978-1981年)、また、初めて、日本武道館(1975-1985年)のアリーナ・コンサートを行った。
• 日本人のミュージシャンとして、初めて、1975年の全国縦断の夏のツアーで、延べ15万人という観客動員を達成した。
• 日本人のミュージシャンとして、初めて、1975年、富士山麓で開催された野外ライヴ・コンサートで、3万〜4万人のオーディエンスの前でパフォーマンスを披露した(ウッドストックにインスパイアされ、日本のサマー・ロック・フェスティヴァルの原型となった)。
• 1974年、ファンに向かって、球場ライヴの最中に、彼がファンのみんなを認識して共鳴できるように、「何か光るもの」、懐中電灯を持ってきて振るよう、ラジオ番組で呼びかけて頼み実現させ、翌年の日本初となる「ペンライト」の発明と販売を促した。
• 日本人ミュージシャンとして、初めて、大掛かりな仕掛けと演出による野外ロック・コンサート・スペクタクルを構想し、実現させた。(実に危険なレベルの演出だった)。
複数の工事現場用の巨大なクレーンを使用し、揺れる鳥やゴンドラに乗ったり、風船から糸で吊るされたりして、高さ地上約30〜40メートルの空中で歌った。
スラスト型のステージ、動くオートバイのサイドカーやトラックの屋根を使ったステージなどでのパフォーマンスも披露。
スタジアムのグラウンドを何周も走り回り、観客に最大限近づくために、高いフェンスをよじ登ったりもした……。
ヒデキのスタジアム・コンサート製作費は、こうした大掛かりな仕掛けと、夥しい数の花火、風船、スタッフを導入したため、毎年のように、日本音楽史上最高額を更新したと報じられていた。例年、チケットやテレビ放映料の販売、企業からのスポンサードなどによる収益を超える支出の可能性をも厭わなかったと言われている。1978年に撮影された、スタジアム・ライヴのラストを飾ったナンバー「セイリング」、そして、ヒデキによる感動的なエンディング・スピーチの記録映像からもわかるように、ヒデキは、彼と観客、また観客同士の友情と連帯を信じ、ヒデキ版「ウッドストック」を実現していた。
さらには、1970年代後半以降、香港、シンガポール、フィリピン、中国などの東アジア諸国から、ハワイ、ブラジルまで、海外で大規模なコンサートを開催し、いち早く世界進出を果たした日本人ミュージシャンのパイオニアのひとりとして知られるようになった。
★
Hideki Saijo, “OPENING” & “Fool For The City”, 1978.
A Foghat Cover.
From the Fuji TV Broadcasting Recording of “BIG GAME ’78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.
https://youtu.be/hoOk5W_xb3g?si=Ig-MIxXj_RIERDZk
★
Hideki Saijo, “Sailing” & ENDING, 1978. Excerpt,
A Rod Stewart Cover.
From the Fuji TV Broadcasting Recording of “BIG GAME ’78”, Live at Kourakuen Stadium, Tokyo, 1978.
https://youtu.be/c4olj_z9t1M?si=CP8TJu5M-eDDPr_m
成熟期:少年から青年へ、そしてその先へ
1976年2月25日、シングル「君よ抱かれて熱くなれ」が発売された。これは、著名な作詞家の阿久悠と作曲家の三木たかしによる「西城秀樹を少年から青年へと成長させる」という、70年代後半の数年間に及んだプロジェクトから生まれた、最初の一曲だった。この曲は、まさに挑戦的で刺激的な曲になった。タイトルの中にも「抱かれて」という言葉が使われており、日本語では、女性が男性に「抱かれて」、男女が愛し合う可能性も示唆する表現となっていた。シングルの売り上げは好調だったが、当時のテレビやラジオの女性司会者たちは、曲のタイトルを口にするのを恥ずかしがりためらったというエピソードも報じられた。歌詞の一部を引用しよう。
君は今ぼくの胸で蝶に変るよ
蒼ざめたその羽を薔薇色に染め
これがしあわせと泣きながら飛んで行ける
唇は使えないよ ぼくがふさいだ
ためらいの言葉など無駄になるから
君は目をとじて美しく熱くなれよ
★
Hideki Saijo, “Burn Up As I Embrace You”, 1976.
「君よ抱かれて熱くなれ」1976.
Music by Takashi Miki. Lyrics by Yu Aku.
From the TBS TV Live, 1976.
With Japanese and English Lyrics.
https://youtu.be/dh9GviBi5Ac?si=Svts8ZTYi4R4oitH
https://drive.google.com/file/d/1IQ-xqLj4iB1xWHOAFzN7ffxHSCYaRqNw/view?usp=drive_link
阿久悠、三木たかし、そしてヒデキ自身による「少年から青年へ」とヒデキを移行させるこのプロジェクトは、1976年のスタジオ・アルバム『若き獅子たち』、そして、翌77年の劇団四季とのミュージカル主演作品『わが青春の北壁』において頂点を迎えた。これらの経験と、当時のヒット曲の数々――1976年の「ジャガー」「若き獅子たち」「ラスト・シーン」、77年の「ブーメラン ストリート」「セクシーロックンローラー」「ボタンを外せ」、78年の「ブーツをぬいで朝食を」「あなたと愛のために」「炎」「ブルースカイ ブルー」など――を経て、ヒデキは歌手としてより成熟し、若い青年らしい、水も滴るような強いその色気は、加速的に増していった。
★
Hideki Saijo, “Undo Your Buttons”, 1977.
「ボタンを外せ」1977.
Music by Takashi Miki.
TV Live Performance at NHK “Kouhaku Utagassen)” on the 31st December, 1977.
https://youtu.be/JeB71KTK5V8?si=uODzy6n5nPjl-3o0
https://drive.google.com/file/d/179NL_9idnwN_P3wQ13x1nXFVjbtFxip0/view?usp=drive_link
★
Hideki Saijo & New Japan Philharmonic,
“Breakfast, After Taking Off Our Boots”, 1978.
「ブーツをぬいで朝食を」1978.
Music by Katsuo Omori.
From the Live Album "Hideki Sings Love: Valentine concert Special", 1978.
https://www.youtube.com/watch?v=JjCATqW9vZs
https://drive.google.com/file/d/1RhcXTHftKM7-cazt4_Vu8h6YgL74aaBj/view?usp=drive_link
★
Hideki Saijo, “Flame”, 1978.
「炎」1978.
Music by Koji Makaino.
From the Fuji TV Live, 1978.
https://youtu.be/kGjQTCljIpc?si=wh-fq6Pl30X2yvCl
https://drive.google.com/file/d/121Ii8LH3bR9nfPnt3wc9TQ9qdUdI1A3_/view?usp=drive_link
1970年代半ばに始まった、この加速された官能性と成熟は、ヒデキのスタジオ・アルバムのレコーディングやライヴ・コンサートでのパフォーマンスにも、顕著に現れ出ていった。実際、こうした成熟は、ある意味では、1980年代から90年代、2000年代、そして2010年代の亡くなる直前まで、ずっと持続していたと言える。ヒデキは、キャリアをとおして、つねに成長しつづけることができるタイプのミュージシャンだった。歳を重ねるごとに、少しずつ、より成熟した姿を見せていった。
彼の長いキャリアのさまざまな段階における、そうした成熟と変化の例を拾いつつ、幾つか、実際に楽曲を聴きながら、その歩みを辿ってみよう。
まず最初の曲は、1978年のスタジオ・アルバム『ファーストフライト』に収録された、ヒデキ自身の作曲による「その愛は」だ。この曲、そしてアルバム全体が、ヒデキが、事実、シティポップの先駆者のひとりであったことの証となっている。
★
Hideki Saijo,
“That Love Is”, 1978.
「「その愛は」1978.
Music by Hideki Saijo.
From the Studio Album “First Flight”, 1978.
https://youtu.be/PhM3pmVpPpI?si=Telyx6RLI_WQ5k1-
2曲目は、1979年に発売されたシングル「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」。ヒデキの長いキャリアの中で最大のミリオンセラーとなった曲だ。ヒデキはヴィレッジ・ピープルのオリジナル曲を気に入り、日本語版では、青春讃歌となるようにつくることを決めた。その選択は正しく、この曲の空前の大ヒットによって、ヒデキは、文字どおり、老若男女問わず、すべての世代の人々に愛される、国民的ヒーローになることに成功した。
★
Hideki Saijo,
“YOUNG MAN (Y. M. C. A.)”, 1979.
A Village People Cover.
Live at the Kourakuen Stadium, Tokyo.
From the Live Album “BIG GAME ‘79”, 1979.
https://www.youtube.com/watch?v=X0vbmjJjH0I
3曲目は、1982年にリリースされたスタジオ・アルバム『CRYSTAL LOVE』に収録された「涙であなたがみえない」だ。ヒデキが、こうした女性の視点から歌い上げるスローなバラードにも、その歌唱力を発揮していた様子が堪能できる。
★
Hideki Saijo,
“I Can’t See You Through My Tears”, 1982.
「涙であなたがみえない」1982.
Music by Kisaburo Suzuki.
From the Studio Album “Crystal Love”, 1982.
https://www.youtube.com/watch?v=S-ja1Qscl7o
次は、同じアルバムからもう一曲「CRYSTAL LOVE」。成熟しつづけたヒデキ一流の官能性が、よく伝わるナンバーだ。
★
Hideki Saijo,
“Crystal Love”, 1982.
「クリスタル・ラヴ」1982.
Music by Casey Rankin.
From the Studio Album “Crystal Love”, 1982。
https://www.youtube.com/watch?v=0ZRco0QOVfc
次は、1982年の武道館でのライヴ・コンサートを収録したアルバムからの一曲、「時代」。フォーク/ニューミュージックのシンガー・ソングライター、中島みゆきによる楽曲のカバーで、非常にドラマチックな味わい。
★
Hideki Saijo,
“Wheels of Time (Jidai)”, 1982.
「時代」1982.
A Miyuki Nakajima Cover.
From the Live Album “Hideki Recital: Autumn Dramatic”, 1982.
https://youtu.be/idCkkqdplDI?si=2EVFklHnUshWv6VH
続いては、1983年のスタジアム・ライヴからのカバー2曲。1曲目は、元レインボーのグラハム・ボネットの曲をスピード・アップさせたもので、シングルとしてもリリースされた。ヒデキは、この曲の日本語版の歌詞を百回以上も書き直させ、ハードロックの曲らしい響きで聴こえるようにと練り込んだ。2曲目は、ラテン・ポップスとダンス・ミュージックの要素を取り入れ、当時、人気を博していた、イギリスのニューウェーヴ系のバンド、モダン・ロマンスのヒット曲のカバー。
★
Hideki Saijo, “Night Games”, 1983.
A Graham Bonnet Cover.
Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.
From the Live Album “BIG GAME FINAL”, 1983.
https://youtu.be/NB0VKdDtTVY?si=iliizk-RXPvVi5ZD
★
Hideki Saijo, “Don’t Stop That Crazy Rhythm”, 1983.
A Modern Romance Cover.
Live at Osaka Stadium, Osaka, 1983.
From the Live Album “BIG GAME FINAL”, 1983.
https://www.youtube.com/watch?v=6OysyAkfHkk
次は、1984年のシングル曲。作曲は角松敏生。78年頃以降、80年代をとおして、ヒデキのスタジオ・アルバムには、「シティポップの金字塔」とも言うべき古典的名曲が多数連なるが、その代表的な一曲だ。
★
Hideki Saijo, “THROUGH THE NIGHT”, 1984.
Music by Toshiki Kadomatsu.
From the Live Album “JUST RUN ’84”, 1984.
https://www.youtube.com/watch?v=7hJj1tMWsjw
同じ1984年のライヴから、ジョー・コッカーの不朽の名曲のカバー。ゴージャスだ。
★
Hideki Saijo, “You Are So Beautiful”, 1984.
A Joe Cocker Cover.
From the Live Album “JUST RUN ’84”, 1984.
https://www.youtube.com/watch?v=pCT9BTIsgVs
1989年の曲。こちらもシティポップの名曲で、作曲は濱田金吾。
★
Hideki Saijo, “Passing Each Other By”, 1989.
「すれ違い」1989.
Music by Kingo Hamada.
From the Studio Album “Goolden Earrings”, 1989.
そして、1998年にリリースされた、松任谷由実によるクラシック・タイトルのカバー。クールな仕上がりだ。
★
Hideki Saijo, “Refrains Are Shouting”, 1998.
「リフレインが叫んでる」1998.
A Yumi Matsutoya Cover.
From “35th Anniversary Memorial Box HIDEKI Complete Singles 1972-1999”, 2007.
最後に、ヒデキの長いキャリアのなかでもとりわけ重要な曲を、もう2曲、紹介して結びたい。
1曲目は、2000年にリリースされた「時のきざはし」。
作曲は、LUNA SEAのヴォーカル、河村隆一。
ヒデキにふさわしいバラード曲をつくることを目指して実現された一曲だ。
河村は、幼い頃に聴いたヒデキの1978年のバラード曲をとても気に入っていたが、それを超える曲をつくりだそうと試みた。45歳を迎えた円熟期のヒデキにぴったりな、まさに壮麗で芸術的な作品となった。
★
Hideki Saijo, “Stairs of Time”, 2000.
「時のきざはし」2000.
Music by Ryuichi Kawamura.
From the Best Album “Future Songbook 1999-2007”, 2007.
そして最後の曲は、2007年の「傷だらけのローラ」、アコースティック・ライヴ・バージョンだ。
ヒデキは、2003年、48歳の時に、最初の脳梗塞の発作に見舞われた。その後、リハビリに励み、後遺症と闘いつづけていたが、2011年には、さらに深刻な脳梗塞を発症し、その後のリハビリの戦いは、より厳しいものとなっていった。2014年には、「多系統萎縮症」の診断も受ける。これらの病いのせいで、話したり身体を動かしたりすることに大きな困難が伴うようになっていったが、それでもヒデキは、亡くなる直前までステージに立ち、歌いつづけた。2018年5月16日、63歳で、急性心不全のため、横浜にて逝去した。
西城秀樹は、繊細で美しいものへの愛着で知られ、つねに快活で爽やか、心優しく謙虚な人柄と寛容な心の持ち主として、広く知られていた。この「ローラ」のアコースティック・ライヴ・バージョンは、人生の中で出逢う、繊細で美しいものを愛した彼にとてもふさわしい、美の結晶のような一曲となっている。
大阪在住のライター、田中稲は、2024年春に、日本のメディアでヒデキについて執筆したさいに、「炎の具現化」「色気の大火事」といった比喩を用いて、ヒデキを表現していた。ウィットに富み、まさにそのとおりの名言だ。最後に、私からも、ひとこと付け加えたい。
このアコースティック・ライヴで、ヒデキは、懐かしく愛おしい「ローラ」を新たな形に昇華させ、音楽における純粋かつ至高の美をつくりだすことに成功している。このライヴ・バージョンは、ひとりのヴォーカリストとして、また、ミュージシャンとして、彼が生涯にわたって追求した音楽の美しさと成熟、そしてさらなる豊かさを求めて、それまでの自身を超えてつねに挑戦しつづけたその営為の、もっとも意義深い成果のひとつとなったと言えるだろう。
★
Hideki Saijo, “Lola”, 2007.
「傷だらけのローラ」2007.
From Acoustic Live Concert Recording, 2007.
Recording: Courtesy of Ether.
ソニー・ミュージックによる、西城秀樹のCDやDVDの復刻と新譜発売が現在進行形で続いているおかげで、私たちは、彼の歌声とライヴ・パフォーマンスの数々を、今も楽しむことができ、そして、これからも、彼の歌は、世界中の未来のリスナーのもとへと、届いていくだろう。願わくば、永遠に、限りなく。
◆本稿で紹介した楽曲をとおしで聴くには、以下の再生リストを活用ください。
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WHY HIDEKI SAIJO NOW? ★ LEMONADE 888'S PLAYLIST 01
https://www.youtube.com/playlist?list=PLfbE_PhBsZUFPHdGwUVR5Hzd0BghLQUEu
◆もっと聴きたい読者のためのボーナストラック集はこちら。
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WHY HIDEKI SAIJO NOW? - BONUS TRACKS 01 ★ LEMONADE 888'S PLAYLIST 02
https://www.youtube.com/playlist?list=PLfbE_PhBsZUGNQdbsN-M_auNU5CEFp--r
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WHY HIDEKI SAIJO NOW? - BONUS TRACKS 02 ★ LEMONADE 888'S PLAYLIST 03
https://www.youtube.com/playlist?list=PLfbE_PhBsZUEOithqfIWmFq8RO0Uq9hib
◆西城秀樹についての情報と、CD・DVDの購入についての詳細は、以下のリンクを参照。
https://www.110107.com/s/oto/artist/80007275?ima=5245
ERI MAENAMI is a writer, editor, translator (English to Japanese) based in Chiba, Japan. Her areas of interest include modern and contemporary art, music, culture, sexuality and creative writing.
https://www.sensibilities-eri-maenami.com
2024年6月執筆。
sensibilities:
LIFE / WORKS
BY
ERI MAENAMI
© 2022-2024 sensibilities / Eri MAENAMI