コロナ禍の救世主・・・寺子屋
マスクや消毒液を求めてドラッグストアに長蛇の列。緊急事態宣言という初めて聞く言葉がニュースに飛び交った、生まれて初めてのパンデミック。
こんな経験二度とないのでは、とマスク姿を記念写真に収めたのも今や昔。
今年6歳と3歳の子供たち。
特に下の子供は人生の半分がコロナ禍だ。
今年春まで通っていた都内の保育園での行事は軒並み中止。
田舎の保育園はもう少し緩いのかと思いきや、こちらはより厳しく、子供も全員マスク。
給食もおやつも一人ずつ黙食(変換できない新ワード!)。
体操のクラスも、遠足も中止、運動会は学年ごとにたった30分で終了。
先生たちは消毒や子供の密回避など以前にはなかった業務が増え、神経を使っていることだろう。
子供たちは学びや遊びの機会を失うだけでなく、守らなければならないルールに縛られる園生活。長女にとってはこれらのコロナ保育園生活が、友達関係が出来上がっていた年長での転園に追い討ちをかけたのか、園に行きたくないと泣き叫ぶ日が続いた。
ふと頭によぎった「寺子屋」
知り合いから聞いていた寺子屋。いつものように娘がぐずる5月の朝、その存在がふと頭によぎった。
私は当時有休消化中で時間にも余裕があり、ここまで嫌がる保育園に無理矢理行かせるべきか、悩んでいた。
ちょうどその日は親の付き添いが可能な日だったので、娘の気分転換のためにも行って見ることにした。
事前の連絡もしていないが大丈夫か。場所もよくわからぬまま車を走らせた。
東京では見たことない光景が・・・
なんとか辿り着くと、200平米ほどの庭に木が生い茂り、築100年近いであろう古民家。
開け放たれた縁側のそばで、7〜8人の子供達が裸足で走り回っている。
私が事情を話すと、先生だという男性が何事でもないかのように受け入れてくれた。
2人の子供も様子を伺いながら中へ入り、心配そうにこちらを振り返りながら輪に入っていった。
斬新すぎたランチタイム
私たちが到着して間もなくすると、先生が叫ぶ(先生はおじさん1人)。
「ランチタ〜〜〜イム!!」
それまで遊びに夢中だった子供達が台所に集まり、お皿や箸、多数のタッパーを食卓へ運ぶと、行儀良く整列し始めた。
よく見ると小さい子から歳の順に並んでいる。
小さい子から順に、食べたいものを先生に伝えてとってもらう、言ってしまえばビュッフェ方式。
後から聞けば、各自、おかずを一品ずつ持ち寄りみんなでシェアし、ご飯は毎回、先生がまとめて炊いてくれる。
私たちはそういう事情も知らずに来てしまったのだが、今日は十分おかずがあるから大丈夫、とのこと。なんとも親切だ。
子供に人気のハンバーグや唐揚げなどは一切なく、きゅうりの漬物など渋いメニューも並んでいるのだが、誰一人嫌な顔せず、淡々と食べたいものを選んでいく。
おかずとご飯の載ったワンプレートを受け取ると、各自、机の好きな場所に着き、正座で待機。
みんなが揃ったところで「いただきます」の代わりに将来、あるいは今なりたいものを口々に叫んで食べ始める。
もちろん、黙食ではない。
ご飯とソーセージ1本しか選ばない子もいるが先生は何も言わない。
ただし、選んだものは最後まで食べる、のが暗黙のルールのようだ。
食べ終わると、それぞれ大きな声でご馳走様を言い、台所まで食器を運ぶ。
家では食べ残したり、食器の片付けなどしたことのないうちの子供まで、何も言わなくとも皆を見習っていた。
寺子屋の環境
この寺子屋には、今日は◯◯をする、といった事前の予定はない。
ただ銘々が好きな遊びをする。ルールもない。もちろん喧嘩もするが先生がすぐに仲裁に入ることもなく、もっとやれやれ〜と言いながら見守っている。
おやつタイム。
最初は圧倒されていたうちの子供もすぐに負けじと参戦するように・・・
そんな自由保育の中で、小さい子も大きい子に混ざって戦いごっこをし、時には負けて大泣きすることも。その一方で、年の大きい子は片付けを率先したり、小さい子の面倒を見たりと、まさに遊びながら人間関係を習得している。
庭には木々が生い茂り、初夏には梅やプラムが山ほど実った。
海もすぐそばで、夏の間はランチの後は海水浴がお決まりだ。
秋が近づけば庭で焚き火をしたり木登りをしたり、いつもここには季節ごとの遊びがある。
子にとっても、母にとってもなくてはならない存在に
子供達は毎週、この寺子屋に来る日をとても楽しみにしている。
そのおかげもあって、それ以外の4日間は保育園にすんなり行けるようになった。
同時に、人生経験豊富な先生や、他のママ達と半日を過ごせるこの日は私にとっても楽しみだ。東京では出会えなかった彼彼女達から様々な刺激をもらっている。
自分と子供の将来のためにお金を稼ぐのは大切、子供がいても全力で仕事するのが当たり前、と思って疑わなかった過去の自分。
決まり事によって成り立つことの多い、学校という組織とは真逆の寺子屋。
揺るぎなかった価値観が、いすみでの生活、そして寺子屋との出会いによって、少しずつ変化してきている。
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