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世界の中心でカッコ悪くて泣いた。

もしも自分を釈せなかったとしたら、どうする?

「君は、私は、何者か?」


___________降り立ったキングスクロスの街は、木々が色づき始めている。

空港で予約した安いドミトリーは12人部屋だ。チェックインを済まし案内された男女共同部屋からは微かに異臭が漂う。

オーストラリアに来てもうすぐ4ヶ月。1年間の滞在と決めていたから、残りはもう数ヶ月だ。

焦燥感が胸を襲う。

あと数ヶ月で、何が出来るだろうか。何を持って日本に帰れるだろうか。

ワーキングホリデーで来る外国人の多くはサービス業に就くこと、特に日本人は、アジア人が展開している料理店で最低賃金で働いてることなどは聞いていた。

....それだけは嫌だ。そんなの、ただの遊びみたいだ。英語力が低くて、アジア人の店でしか雇ってもらえないなんて、悲しすぎる。

大学で服飾の勉強をしていた私は、異国でファッションの現場を経験したくて、自分を試すためにそこにいた。

住所不定無職知り合いゼロ

そんな意気込みとは裏腹に、私には何もなかった。家もない。軍資金を送ってくれようとする母の申し出も丁重に断った。毎日家族のように暮らしていたメルボルンの友達もここにはいない。


レストランで働きながら仕事を探す。徐々に友達は出来るも、宿には寝るだけのために帰る日々。

少なからず差別が残る国。ことファッション業界において、お金を落とす中国人を別としても、白人優遇の温度は、肌で感じることが出来てしまう。

焦る。

焦る。

そして日本以上に、「業務経験」の壁が高い。大学を出たばかりの私に経験と呼べるものなんかない。webの応募と併せて、レジュメを持って街のブティックを回る。回数を重ねるごと、足は重くなる。

_______そんなさ中ようやく引っ越しを決めたのはボンダイジャンクションという海の近くの街。

運良くここでも家族みたいな友人に出会う。色んな話をして、週末にはみんなが集った。

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なんとか「家」と呼べる場所を見つけて、少しホッとしたが、目標はまだ達成していない。見つかる気配もない。このままなんて事もなく帰国の日を迎えてしまうのだろうか......やはり私の英語力と経験のなさでは、無理なんだろうか。(写真が陽気すぎて緊迫感がない。ミス)

焦る。

焦る。

帰国に向けてのカウントダウンは、チクタクと進む。

________「....okay, thank you for your time. Have a good day.」

また駄目だ。ヒールのつま先にかすり傷を見つけて溜息が出る。すっかり秋が深まって、肌寒くなってきた。

目標はまだ、見えてこない。

焦る。

焦る。

不安と弱音が交差する度に、一つの感情が私を叩き起こす。

「このままじゃ、カッコ悪くて無理」

そんなの、ただのよくいるワーホリの人だ。大学の同期はもう立派な社会人だ。いつまでも海外を放浪している自分に焦らないわけはない。このまま帰国した自分を想像すると、その先の未来に光は見えなかった。過去の思い出を語るだけほど悲しいことはない。

想いを、思い出にしないために。ちゃんと未来へ持っていけるように。

可能性を知りたくて飛び出した自分に、失望したくなかった。

_____________神聖な「作品」に触れてパワーチャージしよう。そう思った私は、シドニーのシティ中心にあるSTRAND ARCADE(ストランド・アーケード)にいた。

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1892年にオープンしたシドニー最古のショッピング・アーケード。美しい建物に、手に触れるのも恐縮するハイエンドな洋服が並ぶ。
その中にAkira というブランドがある。パリコレの常連のモードなブランドだ。

美しい素材にうっとりしていると、カウンターの奥から綺麗なオーストラリア人女性が話しかけてきた。

「素敵でしょう?アキラを知っている?」

プレスをやっているペニーさんという方がたまたま在廊していたようだ。

「いえ、雑誌やインタビュー記事で知っているだけです。ファッションの勉強をしていて、働き先を探しているんです」

そんな会話をしている内に意気投合して、なんと、彼女からスタジオのインターンの面接を手配して貰えることになったのだ。思ってもなかった展開に、心臓が飛び出そうなほど鼓動する。


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絶対に負けられない戦い

____そこからは急展開で、急いでポートフォリオを更新する。面接用の気合の入ったレジュメとカバーレターを書き直す。英語力にもデザインにも限界があって、アメリカの友人、ロンドンにいる友達に手直ししてもらう。日本の母に大学時代の作品を送ってもらう。

バタバタと準備をしているうちに、トライアル(実技面接)の日になった。

スタジオにつくと、デザイナーアシスタントのキャリーとエレナが迎えてくれた。地元の服飾学生インターンの姿もあった。

震える手で、試験課題の縫製と、パターンを引いていく。

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こんなチャンスはもう二度とないだろう。絶対に受かりたい......!

こんなにも長い時間、ずっと緊張しっぱなしだった事はない。ランチに食べたサンドイッチは味がしなかった。

一日の終わりにキャリーから、「じゃあ、いつから働ける?」と言われた時には、どこかからBGMが流れてくるかと思った。

そこからは本当に、死にものぐるいで働いて、1タームの契約を延長してもらい、ランウェイの同伴に指名してもらったりと、水を獲た魚のようにのめり込んでいった。憧れのデザイナーの隣で働ける、手をつけた作品がパリのランウェイを歩く。毎日が程よい緊張と鮮度を持って進んでいった。

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私を拾ってくれたスタジオで出会った人たちから、本当にたくさんの熱とこだわりを教えてもらった。この業界が愛おしてくてやまないのは、強い想いや世界観、こだわりが国境を、文化を超えるから。

私はデザイナーではないけれど、想いをもった人が生み出したものをシームレスに届けられる人になりたい。そう思って今私は国境のないデジタルの仕事をしている。

服飾業界からデジタルマーケティングの会社へ。業界を離れたようにも見えるけど、ずっと根っこは変わらない。恩返しが出来るように。

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________打たれ弱い自分が、こんなにも線を曲げれないと思ったことも、ボロ雑巾のような気分になったことも、心臓が破け出そうな程緊張したのも初めてのことだった。

ただひたすらに、とてもとてもラッキーだっただけの事なのだけど。支えてくれる友達がいたこと、励ましてくれる人がいたこと、たくさんの親切な人に恵まれたこと。

そして気付いたのは、出来ないと線を決めてしまうのも、越えていけるのもいつだって自分だということ。誰も、あなたさえも、あなたの可能性を否定することは出来ない。

「何者かになりたくて」

そんな価値観を植え付けられた世代だった。自分に名前はあるだろうか?今も不安を覚える日だってたくさんある。だけど、点を繋げた先に何があるかは、まだ旅の途中ということにしよう。

結論を正解に出来るのは、自分しかいないのだから。


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