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手術を控えて

年が明けてからほとんど
定期的な投稿ができてないなーと
反省している今日この頃。

入院生活もいよいよ折り返しに突入しました!
(術後も順調であればだけど笑)

妊娠というおめでたいイベントではあるけど
宝くじ高額当選するほどの確率といわれる
全前置胎盤という症状が見られて
少し早いけど2月末から療養に入りました。

私の人生で宝くじなんて
300円かスクラッチの500円しか
当たったことないのに
なぜ大事なイベントで引き当ててしまうかな。

ずっとお世話になってきた
こじんまりとした産婦人科の病院から
2月に紹介で総合病院に転院しました。
すごく雰囲気好きだったのに残念🥺

転院決まって、最初の検査で
「入院する?」
って聞かれたけど、断って帰った。
色々やり残したことがあるし
なにより気掛かりな事があったし
入院してる場合じゃないと思ったので🤷🏻‍♀️

通院で何かあるたびに3人の上司に
現状報告していたのだけど
他2人は「しょうがない、やむなし。」の感じだったけど
1人からは「引き継ぎ資料をつくるように」とか
「引き継ぎをしろ」としか言われず、
全く私のことを気遣う様子がなく
休職→産休まで一悶着ありました。
そもそもこの人、私に頻繁に
「産休育休はやらん」
とか冗談とも本気ともとれるテンションで
言ってきてたし、
「都合のいい人間としてしか見てないんかな」と
なんとなく疑ってはきていたけど、なんだか悲しくなった。

これ以上関わるとよくないと思い、
他2人の方々に相談して
強制的に産休に入ったような感じです。

教授になられている女性の先生方は
産休育休なんてあってないようなものだったとか
産後すぐ復帰したとか
産後でもお家でずっと仕事してたとか
噂には聞いたことあったけど
それを当たり前だと思っている人が
未だに一定数いるんだなと感じた。

制度は少しずつ準備されているけど
それをよしと思ってない人たちって
やっぱりいるんだなと。

できる人はそれができたかとしれないけど
私はその人たちじゃないし
それって何も問題なく色々迎えられた人たちじゃん。

何より産休の意味知ってる?
って思いました😇


2-3月は自宅療養をしてきたけれど
全前置胎盤は出血が怖いもので、
療養中だから本来やるべきではないけど
自宅で仕事を少しでも片付けたかったな🤷🏻‍♀️
座っていてもお腹が張るので
とてもじゃないけど出来なかった…orz
プログラムも計算も出来る状態じゃなかった…orz
自分の持分の会議用の資料を作るだけで精一杯だった。
(休職の身だから本来やるべきではないけど)


大人しくしなさいと言われても
寝てられなかった私だからか
と言うより
なんだかんだで仕事振られるので
4月から管理入院になりました😇
何より突発で起こる出血があると
私も赤ちゃんも危ないからが
大きな理由でしたが…

本当は出産直前まで
赤ちゃんのお腹の中での成長を夫と
見守りたかったな。
夫もお腹の外からだけど
この子の胎動を感じられるのは今だけだもん。

担当の医師からの説明、
過去20年の前置胎盤の報告例であったり
医療事件を見てると不安になるし
「あれ?私死ぬんかな?」
って気持ちに何度もなりました。

前置胎盤の年齢の近い妊産婦さんが
出血多量で亡くなった事例は
本当に耐えられなかった。

自分が生きられるのか不安だから
沢山調べるけれど
ブログやTwitterなどの経験談って
子宮全摘していて生きられた方や
母子ともに亡くなられた旦那さんによる
記事だったりで、明るい内容がほとんどなくて。
子宮がなくなったとしても
生きていれば明るいかな…?
でも、私は死にたくもないし、子宮も温存したい。

MRIやエコーでは癒着の所見はなかったけど
実際開腹しないとわからないのが現状らしい。


入院生活の個人的な最大のイベントは
予想される大量出血に備えて
毎週自己輸血用の貯血のための採血。

初めて知ったのだけど
貯血した血の使用期限は5週間だそうで
日常生活に支障をきたさない
一度に抜いても大丈夫な量って300mlとか
400mlとかそのへんらしい🤔
確かに昔やった献血は400mlだった気がする。
一度献血すると一定期間献血できない期間があったな…

私は毎週300ml以上を貯血。

やっぱり血が減ると体がしんどいらしく
最終回である4回目を終えた日はすごくよく寝れました😇



「出産は奇跡だ」

今なら本当にそう感じる。

普通に自然分娩か無痛分娩か
自分は選べると当然に思ってた。

実際の自分には選択肢なんてなかった。

るんるんで無痛分娩のできる産院を
探していた自分をひっぱたきたい。


この1ヶ月の間に
命にかかわる書類に夫と沢山サインした。

担当の医師から説明を受けるたびに
自分の思ってたお産とのギャップが大き過ぎて
毎度のように泣いた。

入院して食欲が落ちて
以前の半分くらいしか食べられないし
固形のお米が喉を通りにくくなり
お粥生活になったことも
体力落ち過ぎて少し歩くと息切れしたことも
後々に「あんな事もあったな」と
笑って言えればいいな。



今週いよいよ手術日を迎えます。
何かあったときは1ヶ月以上ここを更新せず
終わってしまうと思います。
どんなかたちであれ、無事に生きられたら
また1ヶ月以内に更新かけます。

3月に念願のマイホームも購入したばかりで
ローンもあるし、死んでる場合じゃないけど!
広いお家に夫1人とかシュールだし
赤ちゃんと2人でも広すぎるだろうし。

大事に備えて生命保険と医療保険は
ローンも含めてばっちり色々賄えるように
準備してあるから
夫さん、私に何かあっても大丈夫だよ!笑

証券番号や見舞金請求書類は
私の日記と通院バッグを見てね。



最後に…

妊婦健診のときに
割と早い段階から前置胎盤の疑いを
持ってくださった先生に感謝です。

あと研究室の院進する学生さん以外に
隠すには無理はあったかもだけど
妊娠を黙ってましたが
最後の方に重いもの持ってくれたり
気遣ってくれているのかなと
思う言動がありました。
ありがとう。

院進する学生さんは不安にさせたかもしれないけれど
色々とありがとう。

今回の件で相談に乗ってくださった
先生方もありがとうございました。

査読中の論文が気掛かりですが
沢山のサポートありがとうございました。

それでは!

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