「他人に興味がない」って誰がいった?/ERIKA JOURNAL #2
「えりかって他人にあまり興味ないないよね」って何回か言われたことがある。
相手は雰囲気的にも言い方的にも決して悪い意味では言っていなかったけど、
わたしはその言葉を「う〜ん、そうなのかな。」と、すぐには受け入れられてはいなかったように感じる。
ふと最近、この言葉を掘り下げたところにある本当の意味ってなになのか気になり、調べた。
まず「興味」とはなに?
goo辞典でこうあった。
きょう‐み【興味】の解説
1 その物事が感じさせるおもむき。おもしろみ。興。
2 ある対象に対する特別の関心。「―がわく」「―を引く」「―に満ちた表情」「―の的」
3 心理学で、ある対象を価値あるものとして、主観的に選択しようとする心的傾向。教育学では、学習の動機付けの一つ。
3こそ、興味深い。
例えば「アートに興味がある」って言えば、その時点でアートは自分にとって価値あるものとしておいている。そして、見たり買ったり作ったり(主観的に選択)しようとするよね。
であれば、わたしはたしかに、他人に「興味」はない。他人に価値をおいて、選択しようとはしない。
あ、これ多分、わたしの思考が関係あるのかも。
まずわたし、ひとはみんなが特別だし、才能をもって生まれてきていると思っていて。
要するに、人間、一人一人に価値があると思っている。いや、価値っていったらちんぴに感じちゃうくらい、みんな大事。
ましてや人を「主体的に選択しよう」とはしない。選択というような感覚もおこがましい。
ちょっと話が横にいくけど、「このひと面白いな」っていうひといるじゃない?
その感覚もわたし実はよくわからない。
魅力的なひとはもちろんいる。
心惹かれるひとはいる。
ただ、「面白い」という言葉がでるまでの段階にある人の心の動きには、ひとにある一定の評価をしているんじゃないかなと。
わたし、ひとを評価・判断するの、あまり好きじゃない
元の話に戻りますと、わたしは正しい言葉使いをしたいし、根本に人への敬う心があるから「他人に興味がない」のかも。
わたしの考え方だと「他人に興味がない」って日本語がおかしい気がする。
わたしなりにいうと、「一人一人が特別だから、みんな大事」。
・・・わたしらしくて笑っちゃう。
これを読んでくれているわたしをよく知っている友達も「えりからしいな」って笑うことでしょう(今度ぜひ感想教えてね)。
いや、いろんな考え方があっていいんですよ。
このnoteに書いている思考回路はわたしのものであって、全然違うやろってひともいていいんですよ。
(補足:ネットで調べると他人に興味をもてないことが悪いこと的に書いてあるものたちもあったけど、決してそうではないと思う。他人にひとの良し悪しは決められないからね。ネットやいろんな情報を鵜呑みにして不安になったらよくないよねっ。)
「自分の生きる軸がしっかりしていて、ブレない」ってよく友達にも言われるから、こういう意味も含めて、わたしの周りのひとは言ってくれたのかもしれないなと今更ながら思ってきた。わたしにいってくれた言い方や雰囲気や関係性も踏まえて。
最後に誰かさんのツイート。
「他人に興味がない人」って安心する。別に薄情とか性格が悪い訳ではなくて、自分には必要か不要かわかってる人。こういう人の方が感情にムラがなくて、実は思慮深い気がする。優しい人が多い。
このJOURNAL、めっちゃ考えた。夜中だったのでまとまってなかったらごめんなさい。
では、また来週😊
すてきな一週間を!
ERIKA