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cocoon|マームとジプシー

9月3日(土)彩の国さいたま芸術劇場にて、ソワレを観劇。2015年の再演時に神奈川で観たのがわたしにとっての舞台版『cocoon』との出会いだった。観るのに体力の要る作品ではあるが、やっぱり観てよかった。


『cocoon』は漫画家・今日マチ子がひめゆり学徒隊に想を得て描いた作品であり、藤田貴大(マームとジプシー主宰)が劇にするのは2013年、2015年につづいて今年が三度目。7月から9月にかけて、東京を皮切りに南は沖縄、北は北海道まで旅をする。
2022年は沖縄の本土復帰50年にあたる年だが、本作の再々演は2020年のはずだった。コロナウイルスの感染拡大で延期されたのであって、意図してメモリアルイヤーにぶつけたと見るのは正しくない。
残るは北海道の2公演だけだから、行ける人は行ってほしい。わたしももう一度観たいくらいです。

主人公サン(青柳いづみ)は沖縄の女学校に通っている。看護要員として病院壕に動員され、やがて解散を命じられ、砲弾が飛び交う南部の戦場を海まで走る。友人たちの死や日本兵からの暴力を経験しながらも生きのびるストーリーには、耳を塞ぎ目を覆いたくなるような悲惨なことが次々に起こる。

ただし『cocoon』はひめゆり学徒隊の「悲劇」を描いてはいるものの、悲劇そのものがメインテーマではない。戦争に巻き込まれた生徒たちが「かわいそう」とされてしまうことへの強烈な抵抗がこの作品にはある。

序盤から中盤にかけての長い時間、舞台の上で繰り広げられるのはなんの変哲もない日々の営みで、個性があったり目立たなかったりする生徒たちが、名前を呼び合い、リップクリームをポケットにしのばせ、ボーイッシュな雰囲気の転校生に色めき立ったり、騎馬戦をしたり、長縄で遊んだりして、たわいない日常を過ごしている。
わたしの過ごした十代となんら変わったところがないために、戦争という非日常の渦へ引きずり込まれるさまを見ていると、子供はもちろん、大人でさえもなす術がないのだとわかってしまう。

壕は暗く、水の滴る音と心臓の音、「学生さーん」と呼ぶ負傷兵の声が反響して、役者の発するせりふがうまく聞き取れないほどだ。
生徒たちは何種類もの砲弾の音をしだいに聞き分けられるようになり、どんな音なら危険度が低く、どんな音なら伏せの姿勢を取らなければならないか、その非日常に「慣れて」いく。
「運悪く」砲弾の犠牲になる子がいる。壕のなかで衰弱死する子がいる。兵隊に後ろから襲われそうになる子がいる。
血と膿の臭い。それでもそこは、外よりは安全だった。

戦況が悪化すると生徒たちは解散命令を受けて、壕の外へと追い出される。こんな砲弾の飛んでくるなかを逃げられっこない、今ここで自決すると言い出す子が出てくる。
あまりにも残酷な「自由」を与えられた彼女たちは、6月の沖縄の気温、湿度のなかを、岩のゴツゴツする南部の海まで走り抜けなければならなくなった。途中逃げ込んだガマには「半島から連れてこられた女の人たち」がいた。役者たちは舞台の上を、いや、火炎放射器で焼き払われて隠れる物陰もない沖縄の大地を、散り散りになったり、合流したりを繰り返しながら、走り続けている。脚を負傷して弱気になっている親友に呼びかけるサンの「生きるよ!」と叫ぶ声が、今も耳の奥で響いている。

初演、再演では原作に登場しない舞台だけのオリジナルキャラクター「聡子」がいた。聡子は過去と現代をつなぐメタ的な役割を担っていて、観客は彼女の存在を通して時間的・経験的に距離のある戦時下にうまく接続されることができたが、今回は聡子がいない。2022年の『cocoon』はサンの記憶を頼りに語られるのだ。

彼女が「生きていくことにした」と宣言し、幕がおりる。友人は全員死んだ。それでも彼女は生きていくことにしたのだし、語ることにもなった。語ることを止めた途端、記憶は人から離れていく。だからわたしにできる精一杯のことは、その場一回かぎりのあの舞台を記憶に刻みつけること、書き残すこと、語ることなのだろうということを思っている。

男性の存在感やジェンダーにまつわること。天皇という言葉が発語されたり、「慰安婦」の描写もこれまでにはなかった。三度目の『cocoon』は洗練の度合いがこれまで以上に増している。それはたんに先鋭化したという印象とはちがい、政治的な主張を強めたということともちがう。
10年という時間、沖縄と関わり続けてきたマームとジプシーが行き着いた先に、この舞台がある。そして多分、北海道の2公演でもさらなる前進があるはずで、もし4度目のcocoonがないにせよ、あるにせよ、彼らの沖縄との関係が終わることはないはずだ。

『Light house』で印象的だった「おーい、ここだよ」のせりふが聞けたこと。すべてが繋がってい、すべてが過程であるのだということを受け取った。
一度できた関係を大切にすること。沖縄で生まれたり、育ったり、暮らしたりしていなくても、考え続けることができる。マームとジプシーはいつもそのことを教えてくれる。終わりのないことに取り組み続ける覚悟のようなものにも思いが至った。

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エリンギ
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