みんなと創り上げた「星の時間」
メールの履歴を振り返ってみると、発起人である伊藤くんからの第一報は3月3日。もう少し前の2月14日に伊藤くん、山本さんと三人で、『トルソー』6号完成を口実にして赤坂のやぶそばに集った。そこで伊藤くんから「立野先生の連続講演をやりたい」と聞いた。私と山本さんは「いいですね」「正式に決まったら手伝うので声を掛けてください」とこたえた。
コロナが発生して2年目、人びとが集う場をもつことが難しい情勢は相変わらずだったが、伊藤くんは守りに守った1年数ヶ月を経て、攻めの姿勢に転じることを決意したのだ。それにわたしたちが共鳴した。
会場は神保町の北沢書店2階のホールに決まった。英米文学を専門とする洋古書店であるここは、1902年創業というながい歴史をもっている。立野先生は若いころから北沢に通っている。北沢書店の思い出については近々先生が何かに書いてくださることを期待している。
なので詳しくは書かないでおくが、1年前くらいに私は初めて北沢書店1階にあるブックハウスカフェを訪れることとなり、そこで店主の今本義子さんに出会った。今本さんが絵本の読み聞かせをしてくれたことは嬉しく新鮮で、わたしは今本さんのことが一瞬で好きになった。
立野先生は、義子さんのお父さんである北澤龍太郎さんのお話をしてくださった。まるで小説のようなエピソードの数々に、思わず聞き惚れてしまうほどだった。先生と深い縁のある北沢書店なので、講演の会場に決まったときはわたしも嬉しかった。
講演会は6月から毎月連続して行い、12月を最終回にすること(9月は休み)。定員は毎回先着30名。雑誌『トルソー』の発行母体である「群島の会」を主催者とする。講演会のタイトルは「わたしの星の時間 忘れ得ぬ人々」に決まった。なんてすばらしい。まずはチラシ作りから。問い合わせ先として群島の会のグーグルアカウントも取得した。
先生も伊藤くんも人が集まるのかどうか懐疑的だったようだが、わたしは「すぐ埋まるんじゃないかな」と思っていた。なので自分の知人に声を掛けるのはいちばん最後にしよう、としばらく静観することにした。
それぞれが告知を始めて早々、あっという間に30席がいっぱいになった。やっぱり立野先生の話を聞きたい人はいたんだと、手応えを感じた。初回の6月5日をむかえるまでには何名かにはキャンセル待ちを案内することになった。みんなコロナが怖くないんだなと、それよりも「星の時間」に立ち会うために神保町まで出掛けてこようという気持ちが強いんだなと、わたしたちみんな同志なのだと嬉しかった。
第一回は立野先生の学生時代の恩師、橘忠衛先生について。第二回は先生が初めての海外への旅で訪れたソールズベリーについて。第三回は小野次郎先生について。第四回、須山静夫先生について。第五回はギリシアで出会ったきみ子さん、カザンザキスについて。最終回は小説家の大西巨人氏について。
全6回を通してまさに「星の時間」が流れた。はじめ、わたしは「星の時間」とはおのおのの胸の中に流れるものとばかり思い込んでいた。でも回を重ねるごとに、その場にいた全員が「星の時間」を共有しているのだと実感できるようになってきた。
コロナ対策、暑さ・寒さ対策など、協力的な人しかいなくて助かった。建設的な意見をくれる人、感想を寄せてくれる人。みんな立野先生という共通点があるだけで、会場には不思議な一体感があった。
講演会だけではない。その後の懇親会や打ち上げの時間も格別だった。講演と講演のあいだにも、伊藤くん、山本さん、わたしの間には無数のメールが飛び交った。もちろん直接顔を突きあわせて話をすることも多々あった。この講演会があったことでわたしの2021年がどれほど実りあるものになったかわからない。
12月4日の最終回からまだ2日しか経っていない。まだ終わっていないような気もするし、もう終わってしまってずいぶん経ったような気もする。色々と振り返りたいことはたくさんある。昨日も伊藤くん、山本さんとメールをやり取りしたところではあるが、とりあえず今この時点の気持ちをここに書き散らしておく。
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