だれかと話すと思考が進む
先日、COTAさんの取り計らいで初対面のsyuさんとフリートークをした。syuさんはとりわけジェンダーにまつわる問題意識をもっていて、これから自分がどうやって外に向けての発信をしようかというステージで模索中だとのことだった。
三人で話しているあいだ「社会課題にどうやって取り組むか」という言葉がsyuさんの口から何度も発せられた。あれもこれも気になるけど、手を広げすぎると中途半端に終わってしまう恐れがあるので、やっぱり何かひとつこれといったテーマを定めて取り組むのがよいのではないかとわたしは答えた。
そう、あれもこれも気になるんだよな。
読書ひとつとっても、あれもこれも気になって、どうしても乱読/濫読気味になってしまうのがつねづね悩みだ。限られた時間をどの本に割くか。しかもわたしの場合、読み終えて満足することはできず、何かしらの文章に昇華できて初めてそのテーマに取り組んだということに(一応は)できる。
さてsyuさんのおっしゃった「社会課題」。ジェンダーは人権問題なので、わたしももちろん問題意識を持っている。特に「性教育」に関するところを目下のテーマとしたいところ。
義務教育で供給される保健の教科書で扱う内容があまりにもお粗末すぎることに絶望感を抱いている。文科省(=国)が定める学習指導要領に記載がなければ「指導要領の範囲外」となってしまい、教科書に反映したい内容であっても記載することはできない仕組みになっている(教科書検定に合格できないので)。もし検定をパスしたとして、性教育に反対する勢力のキャンペーンに巻き込まれれば採択を阻まれ、潰されてしまうかもしれない。
性教育の必要性を感じている先生たちは、おそらく自前で教材を用意して授業をされているのだと思うし、民間の出前授業なんかもあるはず。だけど教科書に記載があれば必修の学習内容とみなされ、基本的にはどの学校にいようとも児童・生徒の学ぶ機会が担保されるはずだ。だから教科書のなかの性教育が充実するといいなとわたしなどは考えている。
性教育に限らず、日本に住む外国人や朝鮮人、難民の人権についても問題は山積だから、そういった点においても何かアクションできればいいなと思っている。このあたりは自分の仕事において実現したい部分。
学生の頃からずっと継続しているテーマでいくと反戦・平和だろうか。わたしの卒論のサブタイトルは「反戦の警鐘を鳴らし続けるために」だった。E.ヘミングウェイ『誰がために鐘は鳴る』を中心にしたものだ。
現在進行中のウクライナ・ロシア戦争を見ていても、西側資本主義は武器ビジネスで潤いたいばかりに停戦の「て」の字も発しない。アメリカのバイデンは日本の防衛費増額を自分が説得したとアピールした。日本側はあくまで自国の判断と異議申し立てをした。これではロシアに戦勝記念日を「軍国主義日本に対する勝利の日」と今更名称変更されても致し方ない。
あともう一つ、環境問題では海洋プラスチックの問題が気になっている。数年前、仕事でのコンテンツ制作でmymizu(マイミズ)を知ったことがきっかけで、ゴミを侮っていた自分を悔い改めたのだ。
先日もmymizuのマリコさんがラジオに出演していたので聴いた。そうか、リサイクルって微々たる力しかないんだ…。
さて、わたしはこれらについて具体的にはどんなアクションをとっていくつもりだろうか。大それたことは言えないし、多分できない。日頃の心掛けから地道にやっていくしかないのだと思う。
議論は体力を使うし、相手を疲弊させてしまい関係性がギクシャクする可能性もある。例えばわたしは実家に帰るたびに、とても尊敬してはいるものの根本的な考え方がちがう親を相手に議論を仕掛けていた。でも最近、このやり方はちょっと上手くないなと思い始めた。
ガッツリと正面衝突するのではなく、自分の考えをさりげなく差し挟んで返すやり方を試しているところだ。
母へ釘をさす意味もあるし、姪に「自分のことは自分で言える」人になってほしいオバ心である。
この人が夫婦共働きで、妻が仕事最優先のスタイルを取っている話を聞いていたのでこういう言い方をしたが、育休の期間なんて他人が口出しできないことであって、それがそもそもの前提ではある。
「何が問題?」とストレートに相手の意見を引き出してから反論する方法もありつつ、想像力ゼロ状態の自分を省みてもらいたいのでこういう言い方になった。
くだんの彼は、女性が育休を1年取ることについては何も思わないはずだ。それを男性には思うということ。一体何故なのかも考えてほしいと思う。
こんな感じで、現時点で思いつくわたしのアクションはさりげないものではある。それでもCOTAさん、syuさんのおかげで文章にまとめておく気になった。ありがとうございます!