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映画レビュー「私をくいとめて」

ポップな映画なのかと思いきや、だいぶ重いテーマを扱っているなというのが本作品を観た率直な感想です。綿谷りさの小説が原作の「私をくいとめて」。主演はのん。



主人公みつ子(のん)は31歳。映画の公開当時(2020年12月)は私も31歳だったのでドンピシャ同世代、というか同い年だ。彼女は会社員として働いている。恋人はおらず、休日は自分の趣味を探しに出かけたり、好きな絵を描きに出かけたりと充実した時間を過ごしている。一人暮らしっていいよね、楽しいよねと、見ているこちらが羨ましくなるほどだ。

ある日取引先の営業マン多田くん(林遣都)を商店街で見かけたみつ子。近所に住んでいることがわかり、プライベートの交流が始まる。家に上がるのは恐れ多いと言って彼は玄関まではやってくるものの靴を脱ぐことはない。みつ子は多田くんに手料理をお裾分けし、多田くんはみつ子にお菓子などを手渡す関係。

そんなみつ子に「あなたは多田くんのことが好きなんですよ」と教えてくれる存在がいる。「A」といい、通常、声だけの存在である。人の形をしているわけではない。いわばみつ子の分身のようなものだ。そしてこの映画の重要な鍵の一つだ。

みつ子が「ミニお局」になるまで

彼女の日常を中心としたストーリーの中盤あたりで、会社の先輩であるノゾミさん(臼田あさ美)から譲られた日帰り旅行券を使いみつ子は温泉に出かける。そこでやっていたお笑いライブで、女性芸人が、悪ノリをした若い男性客のグループに絡まれてしまう。ステージと観客席を隔てる柵をいとも簡単に乗り越えてきた男たちに気安く声をかけられ、抱きつかれた彼女は、必死にその場をやり過ごそうとしている。(怖い、怖すぎる)
それを見たみつ子はいてもたってもいられず「やめなさいよ!」と大声で叫ぶ。いや、叫ぶことができたらよかった。実際には何も言えなかった。

これがきっかけとなり、みつ子が入社する前後〜31歳になるまで彼女がどんなふうにして人生を送ってきたか、何を感じてきたかを吐露する場面が続く。自分は初めからこうじゃなかった。「呑気なミニお局」として安定した地位を手に入れるまでには嫌なことが山ほどあった。
上司に性的なニュアンスで手首を握られたことや、それを見ていた女の先輩にチクチク言われたこと。その他諸々を「A」に向かって吐き出していく。「A」はその度に「そうでしたね」「わかってますよ」と静かに答える。「A」はみつ子自身だから、これまであったことは全て知っているのだ。

ここののんの演技は怖いくらいだった。ドスを効かせた声で、封印していた記憶を垂れ流していく。自分が「優秀じゃない」こと、優秀な人を妬む自分の嫌なところまでも。

皐月の涙

大学時代の親友、皐月(橋本愛)。彼女は2年前イタリア人と結婚し、ローマに住んでいる。クリスマス休暇の時期にローマに来ないかと誘われて、死ぬほど苦手な飛行機で死ぬ思いをしながらみつ子は皐月のアパートを訪ねる。出迎えにきてくれたのは皐月ではなく皐月の夫。見ているこちらも「おや?」と思う。
アパートの階段を上り、みつ子の目に飛び込んできたのは皐月の大きくなったお腹だった。妊娠のことを聞かされていなかったみつ子は目を丸くするが、そのことにお互いが触れることはない。

皐月のアパートに家族揃ってのクリスマスパーティーや、皐月の夫を交えて3人でするローマ観光はみつ子にとって相当居心地悪かったにちがいない。ローマに来るまでこんな状況が待っているということは想像だにしなかったにちがいない。学生時代のように、皐月との時間を久しぶりに楽しめるはずだった。だから、苦手な飛行機も我慢したのに。

ある日みつ子は観光を休んでアパートの部屋にいた。大学時代は二人とも美術サークルに属していた。みつ子をモデルに描こうとスケッチブックと鉛筆を取り出した皐月は、やがて「心細かった」と呟き涙を流す。「このアパートから外に出られなくなって、心細くて、みつ子をしつこく誘ってしまった」と。
みつ子から見たら皐月は勝手に恋人を作り、勝手に結婚し、勝手にローマへ行ってしまった親友だ。好きなように人生を謳歌しているはずの皐月が目の前で泣いている。
「妊娠のこと報告しなくてごめんね」
「すぐにお祝いを言えなくてごめんね」
と互いに言い合って、みつ子のローマ滞在は終わる。

多田くんの懐深さ

「多田くんと付き合ったら、私の生活、何が変わるんだろう」
「何も変わらないよ。おれが隣にいるだけ」
「それなら私にもできそう」

これは多田くんからの告白の後のセリフだ。多田くんはこれまでに一度だけみつ子の部屋に足を踏み入れたことがある。その時にみつ子はうっかり下着のぶら下がった洗濯ハンガーを片し忘れたり、ある休日に作った食品サンプルの天ぷらを見つけられてしまったりするのだが、こういった時の反応から多田くんはみつ子のセンシティブさを感じ取り、彼女のテリトリーに自分が踏み込むことを意識的に制御していたのだろうと思う。

告白の後、いつもの商店街を歩いていた二人は旅行代理店の前で沖縄旅行のポスターを見つける。みつ子を遠慮がちに誘う多田くん。みつ子は、自分が病的なまでに飛行機が苦手なことを打ち明ける。多田くんはこう返す。

「大丈夫。ずっと話をして、気を逸らせてあげるから」

このセリフがこの前ローマ行きの飛行機の中で「A」が自分にかけてくれた言葉とぴったり重なり、みつ子はさらに多田くんに心を許していく。

「A」との別れ、そして

沖縄旅行のための水着を買いにレンタカーでアウトレットを訪れた帰り、吹雪に見舞われる。急遽泊まることになったホテルの部屋で、みつ子は多田くんと二人きりの空間に耐えきれなくなり部屋を飛び出してしまう。ここからラストシーンにかけての展開でみつ子と「A」との別れが示唆される。

「A」がみつ子自身であるのであれば、その「A」との決別はみつ子が多田くんという他人を受け入れるための儀式だ。
一人でいる気楽さ、自分のことを自分で決める喜びは尊い。そこに他人を受け入れたら壊れるもの、失われるものは少なからずある。これは避けられない。でも、「黒田さん(みつ子)とはゆっくりでいいと思ってる」と言った多田くんの言葉に今は甘えていいと思う。彼は優しくて懐深い人だ。

もしみつ子が多田くんといても一切自分を変容させることができないとすれば、この恋は破局する。多田くんとみつ子の未来が明るいものかどうかまではこの映画では描かれていない。だからこそ、多様な形が肯定されているというメッセージを受け取ることができるのだと思う。

「A」との別れを決意したのはみつ子自身であるということに、いつか気づけたら彼女はひとつ成長できるはずだ。

私は夫と二人の生活を選び営んでいるところだけれど、今の自分や生活を愛せているか?と改めて自問自答するきっかけにもなった。なので、特に同世代の人には見てみてほしい映画だなと思います。

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