2022年8月 疏水・送り火・文楽
読みながら次の本が想起され片時も落ち着かぬ連想読書
森見登美彦「水神」
『きつねのはなし』所収。
先月に読んだ西東三鬼『神戸・続神戸』新潮文庫の解説が森見さんで。
このお人の名前聞ーたらきっとこの短編集が脳内に浮かびますねわ。
所収の4話(きつねのはなし、果実の中の龍、魔、水神)いずれもたまらぬ奇譚ぶりですけど、とりわけ「水神」が好み。
琵琶湖疏水開削工事に従事した高祖父。
ともすれば崩れる土留め、容赦のない出水。
土と水のあわいを人力で開いていく工程のどこかで遭遇してしまったのか、高祖父が密かに屋敷へ持ち帰ったという獣。
それはいまも生きてこの屋敷にいるの?いないの?どっちなん?ねぇ教せて。
他3話にもなんとなーく繋がるようで繋がらない、めくるたびに違う絵柄が現れる古い玩具のように。
…えっとこっちゃの話に出てくるのんが、あっちゃの話の、うん?ちゃうか。えーとこーつと…
照合しようとしても次のページ、前のページとその尻尾だけを見せて獣は身をひるがえす。
ほわほわーっとほわほわーっと絡まった糸をほどくと見せかけて糸そのものを綿状にほぐすかのようなややこしさ。
あるいは注染の染料がじわじわっと晒綿に浸透していくような怖さ。
墨一色の濃淡で。
この、触れたら指が染まるほどの闇を、もっと書いてくれはらへんかなぁ。
鹿ケ谷、屋敷、疏水、ああっしまった、この流れはもはや止めようもなく…
赤江瀑「花夜叉殺し」
著者の京都を舞台にした小説集其の壱『風幻』所収。
出だしからして、えげつないほどの耽美。
くはっ、なんたる濃厚濃密。ゲル状に凝った空気を切り裂いて歩を進める主人公が目に見えるよう。
本来は1000倍希釈で用いるなにかを原液でしかも素手で扱ってしもてるような、お腹がすーすーする怖さ。
いや、これは血。
読みながら常に、濃ぅい血ぃの匂いを感じる。
でも嫌悪はない。
ただひたすらにその血ぃの匂いに半ば溺れながら、少なからず恍惚として、薄闇を彷徨う。
南禅寺町の北端の屋敷に、関わる者をみな淫ら狂わす庭があるというお話。
その猛り咲き匂う夥しい花木の配植計画図、見しておくれやさしまへんか。
トレースしたいわー。
庭師、血、男女の相克ときたら、もうあれでしょ、あれ…
入江敦彦「修羅魂」
『テ・鉄輪』所収。
入江敦彦さん、大好きです。
日常のすぐ隣にある恐怖、混沌、深淵。
これは新たな深淵を覗いてしもたと思った箇所を引用。
うわぁ、どうしよう。ちょっとその気持ちが分かってしまいそで、怖い。
作中における“キリ”と“私”の会話が、互いにイケズの何たるかをよく知った者同士だからこそ成り立つ(主に“キリ”が)ちょっとキツイめのやりとりで、胸をハクハクさせながらも魅入られてしまう。いいわぁー。おもしろいわぁー。
こちらの短編集に所収6話の内「おばけ」だけは、著者の幼少時の記憶をもとに書かれているそうで。
子供の頃は、身の回りの出来事の吉凶だけはよく分かったように思う。それが何を意味するのか言葉にはできないけれど、存在全体で感応はしていた。
「おばけ」を読むと、そんな子供時代の幸せと哀しさをありありと思い出してしまう。
あと、昭和の京都の美しさ。
京都の、というより、美しいものを身の内に湛えた人たちが今よりもたくさんいたころの京都の風景。
入江さんの記憶にある昭和の京都を、もっと読ませてほしい。
字で残してほしい。
文庫版の著者解題を読み直したら「修羅魂」は赤江瀑「獣林寺妖変」への恋文とのこと。
な、ん、ですってぇ…
赤江瀑「獣林寺妖変」
こちらも京都を舞台にした小説集、其の弐『夢跡』所収。
くわー、濃ぅいわー、でも不思議と喉が渇いたりはしない。
むしろ瑞々しい。
もしかして血ぃで喉を潤す妖魔に、わたしもなってしまってるんと違うかしらん。
作中で獣林寺としている西賀茂のお寺は、正伝寺のことらしい。
次の京都行で訪ってみよか。
でもほれ、みうらじゅん先生いわく、
ーですよって。
お耽美方面の妄想力を阿寒湖マリモのように掌でこーろころして大っきい大っきいさしてから臨みまひょ。
物語の末尾、送り火前日に船形の火床で発見された“女”は、誰になにを訴えたかったのか?
…情緒浅薄なあてにはいまひとつ分からしまへん。
情念燃やすことができるお人らの心の機微ってどんなんなん?
そして送り火の季節にはきっと読み返すマンガがありますのんぇ。
スケラッコ『盆の国』
舞台とされる“六堂町”は、素敵に地元なスーパーマーケット・ハッピー六原がある松原通を中心とした一帯がモデルだろうか。
町名としては轆轤町のあたり?
憧れるわー、自分が知りうる中で最高の御菓子司もあるこの界隈に住めたらなあ、そんで“おしょらいさん”が見えたら…ま、おしょらいさんは見えんくてええか。
盂蘭盆会のころの京都は、どないなレイヤーをまとっているのだろう。
六波羅、あの世、変化、にこじつけることもできひんこともないけど…
鈴木創士『文楽徘徊』
鈴木創士遡り2冊目。
赤江瀑から始まる、1200年のミヤコの土中を滔々と流れる銀紫色の川をどうにか渡り切り、ようよう岸辺に泳ぎ着いた思いで、手にとる。
…ずぶ濡れで本いろたらあかん…
どうしていつも鈴木創士さんを此岸と思うのだろう。
ここを目印に濁流を渡るような。
おお、自分をその位置に据えるのん、おもしろそ。
一度だけ観た文楽は国立劇場にて「芦屋道満大内鑑 葛の葉子別れの段」
むっちゃ楽しみにして臨んだのに、始まってまもなくぐっすり眠ってしまった自分に心底がっかりして、それぎりですわ。かっ。
“江戸時代のひとりの大坂の庶民”という半分あの世に行ったつもりの立ち位置で、文楽を観てみたい。
その時はもちろん、文楽劇場行かんならん。
ほしてこんなん読んだらあーたもう、人形遣いの話、あれ読まな…
織田作之助「文楽の人」
『驟雨』所収
ああー好きっ。
織田作之助の作品は、どれをとってもまずは疾走感。
薙ぎ払い、清め祓う、その速度に惚れる。
あっ、これ冒頭の集合写真に入れるのん忘れたー。
なんですのん、言うたら一番好きなん忘れるて。もうほんとカニしとくりゃす。
以前、インスタグラムに投稿したん↓
あら?文楽の人形遣いの話といえば、もう一冊持ってるやんか、ほれ、母親の本棚から勝手に持ち出して読み止しのまんまのん…
瀬戸内晴美『恋川』
うう、ついに出てもーた、ここから瀬戸内晴美が高笑いする魔界へ分け入ってしまうのだろうか。
今月はもう打ち止め。
瀬戸内、特に寂聴にならはる前の晴美、を読んでいると、ええっ女ってそんな濃やかで熱い機能備わってたん?と驚くこと多々。
そんなんやったらわたしは身の内にありながら一度も作動したことないのんものすごいあるわ、3%も使こてえへんわ。
なんだか自分の体内が忘れられた廃墟の庭園のように思えてくる。
『京まんだら』とかも嫌いじゃない。
分け入つても分け入つても押し寄せてくる肉襞。山頭火かっ。
解説の戸板康二って折口信夫の門弟のお人さん。
『折口信夫坐談』むっちゃおもしろかったなぁ、なにより折口信夫そのものが。
折口先生に心が向くと、なかなか此岸に帰れへんよって再読しんとこ。
8月はこんな体たらく。
夏休み最終日の夜、未着手の宿題を前に何度も流した涙と同量の目薬さしつつ、報告は以上です。
目玉の鮮度回復祈願に目やみ地蔵さん行かんならんし、ほなまた…
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