2022年10月 童話・中華街・懐石
読み始めるや次の一冊が想起され、手あたり次第に読み散らす連想読書
自分が料理下手だとついに観念したのは、けっこぉ最近のこと。
それまでは、まーまー人並み、あるいはやや小優っくらいに思っていた。どう勘違いしたらそないな自己認識ができたのか。
世間を知らぬということは、恐ろしく、時々おもしろい。
料理の本は好きで、たくさん読んだ。というか買った。
なんとのー、それらの本を買うことで自分が素敵な料理上手になったよーな錯覚をしていたのかもしれない。
夢を買った、といえば美しいが、ろくに読みもせず、ましてや一品とて作ることはなかった。
いつぞやの無闇な変化をもとめる時期(断捨離とは言わない)に突入したとき、ほとんどを売り払った。
しばらくは本の手触りすら嫌になるほどの冊数を躍起になって売り払った。否、ブックオフに捨てた。
焚書を乗り越えた、しかし決して作りはせぬ料理の本。
それらを手元に残した理由はなんだったのか。
かつての自分を推察しつつ並べてみる。
コスモス揺れる秋晴れの日に。
ジョン フィッシャー『アリスの国の不思議なお料理』
いまでこそジョン テニエルによるこの挿画でなくてはアリスじゃないと胃の腑の底から得心しているが、日本のベタベタに可愛いもんに毒された子供の目ぇには斬新に映った。
はっきりいって何かの間違いではないかと思いながら、不吉な予感を抱かせる影の強調を眺めた。
物語では、行く先々でまったく優遇されず、しかし気に病むことなく勝手知らぬ異界を奥へ奥へと進む主人公も新鮮に思った。
あんた、そないぐいぐい行ってどうもおへんか。
これまでの安心して読めるメルヘンとはちょっと違うのだなと仄暗い脳で鈍く察知した。当時、いくつだったろうか。失念。
高校に上がると電車通学になったため、鞄に本を入れておくという習慣を身に着けた。
あとは定期券と50円くらいしか入っていない小銭入れと弁当。小っちゃい櫛と鏡。ハンケチは持った?
脳みそと同様、非常に軽い鞄を携え休みなく通った。
この本の文庫版も、ともに通学したうちの一冊。
カバーの絵がまったく違うイラストであることに薄っすらとした違和感を抱きつつ、しかし追及はせぬままに持ち歩き続けた。
改めて読みなおしても、食欲をそそられる料理はない。
そら?あてには英国文化の素養もなんもあらしまへんよって?
英国を知る人には現実的なレシピなのかもしれない。
よたよたと這い寄る、バタ付きパン蝶プディングとかが。
手元に残した料理の本に共通するのは、現実的でないこと、かな。
最初の一冊で答えが出てしもた。
試合終了のホイッスルを聞いた、秋の夕方のグラウンド。
そういやアリスに限らず童話に出てくる菓子や料理を集めたあの本、今なんぼになってるのんやろうか…
城戸崎愛 他『可愛い女へ。お菓子の絵本』
古書における“をんなこども”枠の魅力は、海月書林さんで知った。
(現在は「ひるのつき」という屋号で本と編み物を扱っていらっしゃるそうで、相変わらずおしゃれです)
雑誌「Olive」1980年代バックナンバーの古書価値が高騰する寸前。
実店舗を持たないネットだけの古書店が増え始めたころだった。
可愛い女、と書いて、かわいいひと、と読ませるところが気に入っている。
どなたがどこで取り上げて話題になったのかは分からないけど、一時期は6,000円くらいになってたと思う。
ほお、と思ったけど売らなんだ。
なんでて、偏屈やしな。
菓子の本と対で、料理の本もある。
入江麻木 他『可愛い女へ。料理の絵本』
ええっ、いまはこっちゃの方が高くなってるし。
ほぉ…ま、売りはせぬ。
お金のことばっかり言うてあんたはほんまに。
可愛い女へ、の2冊で紹介されている童話は、
・不思議の国のアリス
・メアリーポピンズ
・あしながおじさん
・赤毛のアン
・白雪姫
・シンデレラ
・眠れる森の美女
・ふたりのロッテ
・アルプスの少女ハイジ
・赤ずきんちゃん
・小公女
・若草物語
・家なき子
・ピノッキオ
・ラプンツェル
などなど。
一通り読んだよーな気もするのんは、テレビアニメ等で観て内容を知ってるだけなんかもしれん。
こうして並べてみると、外国のお話ばかりなんはどうしてかしらん。
本棚にいろいろ並ぶ童話の背表紙を風景としては記憶しているが、実際に読んで好きだったのは前出のアリスと「森は生きている」のみ。
この2冊を繰り返し読んだ。
夏休みの読書感想文は、この2冊のどちらかを繰り返し書いた。
繰り返し書いても、感想はいつも同じで、思索が深まることも、文章が上達することもなかった。
学校での評価は覚えていない。
扨、気を取り直して次に挙げるのんは、作らないっつうか作れないのは無理もおへんと賛同(誰の…)を得られそうなあれ出したろ…
謝 華顕『香港甜品』
聘珍楼と聞いて、おおと思うのはなぜか。
ここで飲食したことはない、たぶん。
土産の類も買ったことはない、たぶん。
横浜に住んでいたころ中華街は身近な存在だったのか、度々行った。
しかし店名と場所、頼んだものを覚えることがなかなかできなかった。
これは頭の中の方位磁石が行った先の磁場の影響を受けやすい、つまり方向音痴であることの他にも原因がありそうだがここでは解明しない。
それでも聘珍楼のドォーンと音がしそうな店構えにはいつも感心した。
感心しながら通過した。
閉店したと聞き、少なからず驚いた。
ひとつだけ覚えているお店は、華勝楼。
西遊記に出てきそうな建物、小ざっぱりした料理が好きだった。
ここも閉店した。
横浜市民だった当時、帰りしなに毎日横切っていた有隣堂横浜西口店にて、お腹をほのぼのと温められるような褪せたサーモンピンク色のなんとも言えぬ表紙が目にとまり立ち読みしてみたのが、この聘珍楼総料理長(当時)謝華顕氏による香港式中華料理の本だった。
優し気な表紙とは裏腹に、内容は本気のそれだった。
あまりに真剣な、いっそシリアスとでも言いたいようなレシピの数々に、店先でちょっと笑ったことを覚えている。
同じ著者の炭水化物系も平台に並んであった。
謝 華顕『香港粉麺飯』
これまた心なぐさめられるようなサックスブルー色の表紙が深く印象した。
内容は無論、プロフェッショナルのそれどっせ。
むちゃくちゃに美味しそやんかいさ、と見るたびに悶える。
が、何遍読んでも作れる気はしない。
立ち読みしたのは最初だけで、あとは通過するたび視界の端でまだあることを視認するに終始した。
尻目に睨むうち平台から棚差しになり、在庫が複数冊から一冊づつになり、いつしか店頭から消えた。
あの2冊だけは買わんならんと思いながら10年くらい経ったころ、ようやく検索して既に新刊は売っていないこと、さらにもう一冊、同シリーズがあることを知った。
謝 華顕『香港菜単』
ああ、このサンドベージュ色を加えた3色で、香港~の世界観が構成されていたのだなぁ。
アートディレクションのクレジットにはアリヤマデザインストアとある。
さすがの、というところか。ってなにが。
料理の写真は全体にピントを合わせると、昔っぽい雰囲気が出るとなにかで読んだ。
アートもデザインもまったくもって興味おへんけど、好きなものはあるんだな。ふーん。
プロの料理人がプロの料理人に向けて書いたとしか思えない料理本の極め付きを持っているので自慢したろ…
辻嘉一『懐石傳書』
一冊でも重たくて腹が立つので、全7巻を並べることはあきらめた。
手元に置いて度々眺めている「八寸・口取」の函なしの方(だぶって買った)を今回は載せとこ。
一番好きなページは、口取「聖夜」
クリスマスツリーのオーナメントに見立て、糸で吊り下げられたからすみや鰈、昆布たちがたのし気。
(あわれ気、とも言えるが)
土台にしているのんは聖護院大根だろうか。
その稚気に、乾杯。
京料理の開祖・嘉一っちゃんの名誉のため、ちゃんとした?ものも載せとこ。
八寸、10月のページから。
簡素であることの美。
写真の風情が、前出の『香港~』と共通することに今、気付いた。
嘉一っちゃんのんは初版が昭和43年なので、昔っぽく撮っているわけではなく、そのまま昔の写真ということなんだけど。
好きなものは決まっているのだなぁ。
全7巻を手に入れて浮かれていたときのインスタグラム投稿を以下に。
過去の自分が楽しそうでなにより。
そやけど次に引っ越す時、木箱入りの重たいこれらを自分はどないするつもりなんか考えると肺のあたりで小っちゃい烏賊だか蛸だかがしゅーっと墨を吐いてあての心を暗ぁくすんねゃわ、どないしょ。
10月はこんな体たらく。
眼に輻射(©中原中也)する文字少ないめだったゆえ、目玉の鮮度はまーまー保たれました。
ブルーベリーガム味のラムネ菓子を息継ぐ間もなく口に入れながら、報告は以上です。
そらそーと、朝からなんも食べてぇへんのんにお腹いっぱいやわ。
お料理の写真ぎょーさん見たし、やろか。
ってあんたさっき、ラムネ菓子鯨飲してはったぇ?
いや、なんも食べてぇへん。
今日はもー白粥だけでよろしな。
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