私のソ連・ロシア映画に対する思い
前の投稿でも書いたように、私はソ連・ロシア映画を見ることが好きだ。
なぜか。彼らの作る映画には、アジアや他の欧米諸国の作る映画にあるような雰囲気とはまた違った雰囲気があるからだ。
あの国の映画では、誰一人、救われないリアルを描いている。
中1の時に初めてyoutubeで、アレクセイ・バラバーノフ監督のロシアン・ブラザーをみた時は、とても感動した。
セルゲイ・ボドロフJr.が、いろんなギャング相手に銃を持って戦い、兄のヴィクトルを助けにいく話は、とてもスリル満点でよかった。
その後、私はソ連のプロパガンダアニメーションを見たりと、いろいろソ連ロシア関係のメディアに触れてきたわけだが、さらに、あることに気づいた。
あの国の映画は、どこかに西洋諸国に対する憧れが滲み出ている。
いつの時代のソ連映画かにもよるが、だんだんソ連崩壊の九十年代に近づくにつれ、アニメであれ、映画であれ、ところどころにアメリカっぽい要素が登場するのだ。
例えば、カメラアングルがアメリカのスパイ映画っぽかったりとか、曲がジャズ調になってたり(アニメだと”射撃場”1979))とか。。。
それでも、彼らは、ぜったいに、アメリカ西洋諸国の美学と同等のものは作り出さない。
ソ連は、いい
ああ、やっぱ、西洋ってかっこいいな
みたいな、ツンデレという表現はおかしいだろうが、
滲み出る、感が私はすごく好きだ。
むしろ、その方が、ずっと憧れを追いかけている、みたいな感じが伝わってくる。
ソ連映画に関しては、割と戦後ものが好きなのはそういう理由もありますね。
次回はサイレント映画への愛について語ろうと思います。
てことで私は一度シャワーを浴びてきます。
だすびたーにゃ