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育児から学ぶ「やさしい伝え方」

この半年、生活の景色が変わると同時に、じぶんの中の価値観も変わってきました。一言でいうと「不安」と「自由」が一緒にきた感じ。でも、そもそもいつでも「自由」とは「不安」とトレードオフで得られるものなんだとも思います。

仕事においても環境が変わってきました。極度な合理設計と過去のデータの組み合わせによる未来予測は、もはや人間の仕事ではないと思いますし、そこにしか価値と可能性を見出せないビジネスは、短期的に終わってしまうと感じています。時間とお金だけを追い求めるビジネスからのシフト。そこに価値を感じています。

2020年初頭から、今年のテーマは「やさしくある」です。受け入れる。許す。見返りを求めない。全てにおいてこれらが通用しないのは100も承知ですが、できるだけやさしい心を保ち、こんがらがった、バランスを欠いたものをやさしく解決させたい。ギスギスしたものを研磨したい。そんなことを考えています。

今回から「じぶん編集の授業」第二章として、僕自身のじぶん編集も含めた、教育・ビジネスにおいての「やさしさ」をテーマにお話を進めていきます。

グループトーク②
育児から学ぶ「やさしい伝え方」

■株式会社 エレダイ2 / 自己紹介
熊野 森人 (くまの もりひと) 以下 : 熊野
代表 / クリエイティブディレクター。広告、ブランディング業と共に、京都精華大学の非常勤講師。妻と3歳の息子と3人暮らし。

柳田 義幸 (やなぎだ よしゆき) 以下 : ぎだ
ディレクター。テレビもNETFLIXも好き。妻と0歳3ヶ月の息子と3人暮らし。

左近 榮梨 (さこん えり) 以下 : 左近
プロジェクトマネージャー。1日の9割は食べ物のことを考えている。同居人と2人暮らし。


こどもに対してどう叱る?

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ぎだ:在宅勤務をし始めて、家族といる時間が増えましたね。

熊野:増えた!

ぎだ:熊野さんは、お子さんが3歳になったばっかりで、こどもがいながら仕事をするのは大変とおっしゃっていましたけど、実際どうですか?

熊野:うーん、めちゃ大変。在宅自粛が落ち着いて「その期間何してましたか?」って聞かれた時僕は迷わず「ずっと子育てしてました」って言う。

ぎだ:空いた時間はずっと子育て、、、空いた時間ではなくて、そもそも時間が空かないのか。

熊野:そう。全く時間が空かない。

ぎだ:終わりがないですもんね。

熊野:こどもって当然の事ながら大人が仕事してるって概念がなくて。zoom打ち合わせとかしてると『お仕事してる』と感じるみたいだけど、PCの前で資料を作ったり作業をしてると遊んでいると思われてしまう。

ぎだ:PCの前で何かをしているだけでは伝わらないということですね。

熊野:何も伝わらない(笑)「僕も一緒にお仕事する」って言ってピアノのおもちゃを持ってきて横で遊び始めたりね。

ぎだ:PC触ってる仕草もピアノを弾いている仕草と同じに見えるのかもしれないですね(笑)

熊野:まさに。おやすみって寝るまでそんな調子だから本を読んだりテレビを観たりする時間も全くない。

ぎだ:仕事をしている時に、こどもが遊びにきたら諭しますか?

熊野:あー、本当に集中しなきゃいけない時はヨメにお願いして書斎のドアを閉める。

ぎだ:物理的にシャットダウンするんですね。

熊野:それでも自分でドアを開けに来たりとか、打ち合わせ中に入ってくる時もあるし、そう言う時はこっちが逃げるしかないよ。

ぎだ:でも、それをしてたら泣くでしょう(笑)

熊野:泣くねー。でも最終的に大泣きしたら大泣きしたで仕事できないから難しい。

ぎだ:何にせよエネルギー使いますね。

熊野:めちゃめちゃ使うで!本当にヘトヘトになる(笑)家にいると自分のことを何かしようと思ってもできないし。それはヨメも同じ状況なわけで。だからヨメにはすごく感謝してる。

ぎだ:しかし別にこどもは悪いことをしているわけではないですもんね。

熊野:なにも悪くないよ!

ぎだ:ね。こどもからすれば単純に遊んで欲しいだけですから。

熊野:そうそう。3歳だとまだ見守らないと危ないこともあるしね。怪我をしないようにずっと見ておかないと。ただ見ていたら見ていたで「一緒に遊ぼう」ってなるし。

ぎだ:そういうのって教えるというかしつけ?みたいなものをするんですか?こどもが言うこと聞くかどうかも含めて。

熊野:うーん、その子の性格にもよるかなぁ。例えば「あれは気をつけてね」とか「こっちの方がいいねー」とか「これはしたら危ないからダメだよ」というのは繰り返し言うけど、単純に家庭環境や親の教え方だけではない、その子本人の性格は色濃くあると思う。うちの子は穏やかな方だと思う。もっと戦場みたいなお家もあるから大変だなと思うわ。

ぎだ:厳しく怒ったりとかするんですか?

熊野:うん、最近はするよ。怒るというより叱るっていうことかな。怒るって感情的な感じがあるけど、叱るって親はかなり冷静なんよね。ただ、そこで叱っておかないとそのあと危ないとか、他の人の迷惑がかかるとか、社会性があまりないなと判断した時は叱るかな。急に叱るんじゃなくてまずは注意するけどね。

ぎだ:例えばどういう時にしますか?ごはんを落とすとか?

熊野:単純にご飯を食べてて落とす分には何も叱らないよ。ただ、ふざけてご飯を落とすとか、アクシデントではなくて、あきらかに遊びでやった場合は叱る。今のこどもの年齢で言うと「手で食べないでフォークとかスプーンで食べようね」とか。あとは大きくなってきたからマナー的なことかな。

ぎだ:マナー?

熊野:クチャクチャ咀嚼音を出して食べるのは汚いから、口開けて食べるのはやめようね、とか。ごはんを自分で食べ始めた頃は「見て!自分でごはん食べられるよ」ってアピールで親もそれ見て喜んだりするんだけど。だんだん知恵がついてくると、それが面白さに変わって、わざとクチャクチャ音を出すことが楽しくなってくるみたいで。あとは、自分でごはんを食べられるようになったことを「すごね、えらいね」って褒められるから、その行動をしたらウケるって思われてしまうんよね(笑)だから「それは良くないことだよ」って教えて、それでも改善しない場合は叱るかな。それがしつけっていうことだと思う。そのラインは、ご家庭それぞれだけど、うちは他の人に不快感を与えないというのをガイドラインとして大事にしてるかな。

ぎだ:それは、他の人に迷惑をかけるからとか、この先癖になったら良くないからとかですか?

熊野:マナーとかエチケットの問題で、例えば家でオナラをして「あ、オナラしたの?くっさ~!」って言って笑ってる状況はいいけど、それがウケて楽しいことだって認識し始めると、外でごはんを食べてる時にオナラをして「オナラでたよ~!へへ~!」って言ったら、いくら小さいこどもでも、何回もされると周りの人は嫌な気分になるやん?そういうことをどこで線引きして注意するのか。どうやって伝えていくのか、、、っていうのは今の課題かな(笑)

ぎだ:何かコツとかってあるんですか?さっき「怒る」じゃないと仰っていましたけど、感情をあまりのせすぎないってことですか?

熊野:うーん、感情は演出としてのせる。

ぎだ:言葉だけじゃないってことですか?

熊野:もちろん、「それ良くないからやめてね」っていう話をして、それで終わるなら感情の起伏はないよね。でもそんなことはほぼなく、大体「こら!」ってなるね。

ぎだ:そうですね。

熊野:ただ、暴力みたいなものはとても難しいと思う。

ぎだ:叱る時に叩くとかですか?

熊野:いや、こちらから暴力を振るうことはないけど、例えば、こどもから叩いてきたり、押してきた場合ね。それが許容されると友達にするかもしれないし。この前もヨメのことをバシバシ叩いてる時があって、ヨメが「痛い」って言ってても、やめなかったから、別室に連れて行って「ママが痛いって言ってたよね。なんでそんなことするの?」って聞いたら「だってママがどうのこうの、、」って言い訳をするから、「じゃあ、こういうことされて痛くないの?」ってもちろん本気じゃないけど、パシパシって実際に痛みを感覚として伝えてから「ほら、これをされて嫌な気持ちにならない?痛いからやめてほしいって思うでしょ。ママも同じ気持ちだからやっちゃダメだよ」っていうようなフィジカルな行動は必要になってくると思う。

左近:うちの家庭もその方法でしたね。いかに「相手の立場に立って考えられるか」ということを大事にしていました。

ぎだ:人にされて嫌なことしたらダメでしょ!ってやつですね。

熊野:大人になったら視点変化って名前変えるやつね。ただ、こどもには、そんなの100言って100通るわけでもなく、何回も伝えるしかないんだけど。さっきも話したんだけど、難しいのが赤ちゃんの時はできたことに対して「すごいね」って喜びをシェアしようってなるんだけど、それができて当たり前になってくると、次のレベルって心遣いとかマナーとかになってきて。ただできただけではクリアできないのよ。今まで<できた>ってことが、それが<当たり前>にシフトしていくことがこどもにとっては難しいから、「なぜこの前まで喜ばれていたことが今日になったら喜ばれないのか、なんならちょっと怒られるのか」ってなるのを理解するレベルアップって難しいなと思う。こどもからしたら「この前まで喜んでたじゃん!なんで怒るの?」って思うだろうし。

ぎだ:こどもからしたら、こどもなりの理不尽さを感じているわけですね(笑)

熊野:こどもは別に周りの知らない人のケアまでしないし、大人の不特定多数の他人との共存は、こどもからしたら知ったこっちゃないから。どこまで他の人っていうのを意識して想像できるかっていうのは、こどもにはすごく難しいことだと思うけど、それを常態化させてしまうと、そこから修正していくのは難しい。だから「なにかわからないけど、これはよくてこれはダメ」ってことを伝える方がいいんじゃないかと思った。そこに大人的な理論は関係ないというか。こども扱いするのはよくないけど、論破できる存在でもないわけよ。

ぎだ:そうですね。

熊野:とはいえ、こどもだからって何も説明せずに「良くない・ダメ」っていうのは、これまた違うのかなぁと思うし。理解できるかわからないけど、どうしてよくないのかを説明しながら、こどもの理解できる言葉やシチュエーションでやっていくというのは、毎日実験だし挑戦だし。こどもはこどもで毎日成長するから、昨日まで理解できなかったことが今日は理解できたりするようになるから、難しいね。難しいけど、そういう説明みたいなものはするようにしてるかな。


勝ち負けを目的としたコミュニケーションはやさしくない

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ぎだ:左近は、こどもの頃に叱られた記憶とかある?

左近:いちばん覚えているのは兄弟喧嘩で叱られた時ですね。回数も多いですけど、親の叱り方の火力もすごいので。

ぎだ:それは何歳くらいの時の記憶?

左近:小学生くらいの時が、いちばん印象が強いです。兄弟がいるかいないかで叱り方も叱る内容も違うと思いますけど、兄弟喧嘩って個々の欲望のぶつけ合いというか。「私が僕が」で始まる喧嘩なので、それがいかにコミュニケーションとして健全でないということを伝えるのってすごく難しいと思うんですよね。こどもの兄弟喧嘩は、大概が相手を理解するための喧嘩(討論)ではなくて、「自分はこうしたいのに相手のせいでうまくできない」から始まる訳で。

熊野:うんうん。

左近:そういった時に母親から「今、2人で喧嘩してるけど、これは小さい戦争と一緒なんやで」って叱られたことがすごく記憶に残っていて。

熊野:すごいな(笑)

ぎだ:世界規模の例えやな。

左近:小学生くらいになると、世界で戦争が起こっていたり、日本も過去に戦争を経験していたり、「人間同士が殺し合う大規模な争い」程度の認識はあって。

ぎだ:そうやな。

左近:「それの兄弟版が兄弟喧嘩なんやで」と言われると、とんでもないことをしているんだなって感じましたね(笑)

ぎだ:理解するんや(笑)ちなみに喧嘩のきっかけは些細なこと?ものの取り合いとか。

左近:そうですね、ゲームとかおもちゃとか。あとはテレビの取り合いとか。

ぎだ:なるほど。

左近:「自分の欲や意見を一方的にぶつけ合う争いは何も良いことが生まれない」ってことを教わりました。小学生の時にそのエピソードを元に作文を書いて日本ユニセフ協会関連のコンテストに出したら小さな賞を頂きましたね(笑)

熊野:あはは(笑)

ぎだ:なんなんそれ(笑)

熊野:世界平和のオチがちゃんとついてる。

ぎだ:兄弟喧嘩をした時に両親から言われた戦争の話で賞とったの?

左近:そうです。

熊野:こういうことから戦争は起きるって話だね。

左近:はい。

熊野:すごい話やな(笑)でも、すごくいい話。

ぎだ:そうやな、戦争も元を辿ったら意外とシンプルな争いからやもんな

左近:相手を尊重せず、優位に立つために力でねじ伏せるというのは良くないですから。

ぎだ:それを理解できる小学生時代の左近もなかなかやけど。

左近:(笑)

熊野:相手を貶したり、相手を騙すことが勝ちパターンとして語られるのはすごく悲しいからね。

左近:そうですね。

謝ること、許すこと

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熊野:あとは、言い訳とか口答え的なものって、主張するってことはとても大事なんだけど、吉とでることはないね。

ぎだ:あはは(笑)

左近:そうですね(笑)

熊野:言いたい気持ちはすごくわかるんだけどね。「だって〇〇〇が△△△だったんだから、叱るなよ!」っていうこどもの言い分があることはわかるけど。

ぎだ:うんうん。

熊野:これ結構大人も一緒じゃないかなと思って。事実と違う部分は主張しないといけない部分だけど、そうじゃない部分っていうのは言ったらより油を注ぐから。誠意がある「ごめんなさい」を言えたら言われた方も、引きずらずに水に流して、次の瞬間から切り替えられるのが一番健康的なのかなと思ってる。

左近:わかります。

熊野:それは、こどもからすごく学ぶことというか。大人って注意する、される関係性が面倒だから「あの人はこう」ってレッテルを貼って諦めちゃうよね。でも、そのコミュニケーションはこどもにはなくて。意図的に意地悪するとか、悪巧みする大人は論外だけど、大人もこどもも、誰かが何かを言った時に「ごめんなさい!」って言える人と「いや、私は〇〇で△△が□□だから相手が悪い」みたいな言い訳をする人だとどっちの方がいいイメージかってことよね。

ぎだ:うんうん。

熊野:溜め込まずに「ごめなさい」と許しの繰り返しが案外健全な関係なのかな。それを溜め込んでしまって一気に爆発させて、かなり大きな爆撃の跡が残ってしまうんだったら「小さな衝突ですぐに修復するコミュニケーションの方がいいなぁ」と思うようになったのはこどもができてから学んだね。いかに「ごめんなさい」と謝るシチュエーションを無くすか、もしくはそういう関係性に蓋をするというか、隠すことを美徳としている大人の世界はあるんだけど、それは良くないかな。もちろん、みんな叱らないに越したことはないんだけど、いろんな立場のいろんな人が叱って「ごめんなさい」で終わるのがいいじゃないのって思ってきた。

ぎだ:そうですよね、怒らせたことや相手がそう感じたことは事実で仕方がないですから。その事実はちゃんとしかと受け止めて反応するのが大事ってことですね。

熊野:そう。

ぎだ:それに謝られたら、相当な内容じゃないとそれ以上怒れないですよね。

熊野:ただ、一番はじめの話に戻るけど、なぜにそういうことを言っているのか説明がないと単純に感情的に怒ってると思われると、それはそれで真意が伝わらないし、単純にプンプンしてる人になっちゃうから。そうではなくて、理由とセットにしてあるなら視点を広く持って受け入れられる部分もあるかもしれないし、いいなぁと思うね。それがうまく噛み合わなくてリアルな感情が乗ってきたりすると「叱る」じゃなくて「怒る」だったり「喧嘩」になるって話なんだけど。さっきの左近ちゃんの自己主張の話もそうなんだけど、本当に感情的なものとか、欲のぶつかり合いはよろしくないよね。ただ何か小さな火種みたいなものが生まれたな、と認識したら、それを大きくせずに小さい時に消してしていった方が関係性は健全だなって子育てしてて思う。大人になるとそういった火種はできるだけ無かったことにしたいかもしれないけど、そういったことが多発している人って怖いというより面倒だと感じてしまうなぁ。できるだけフラットな状態を保とうとしてることなんだろうけど。SNSで変に人を叩く人とかって、そういったストレスが溜まって、はけ口がなくて、匿名のメディアでそのストレスを発散しているのかもしれないね。

ぎだ:そうですね、炎上が長引く人も変に言い訳をしてしまったことが原因だったりしますよね。

熊野:うん。

ぎだ:早々に謝罪した人はそれ以上追い詰められないですからね。難しいのは、だからって全てに謝罪を求める風潮もどうかと思いますけどね。認めて謝ることは大切ですけど、外から強要されて謝罪をするのは違うかなと。

熊野:それは違うで。

左近:違いますね。

熊野:叱る叱られる関係性もあるし、全然関係のないところから意味のわからない怒られ方をするのは、ブロックすればいいだけ。急に知らない人に「お前のこと気に入らん!謝れ!」って言われても「出て行け!」ってなるだけやん(笑)

ぎだ:完全に外野ですよね。

熊野:そう。外野だから(笑)外野と身近な人の線引きっていうのも難しいけど、本当に意味のわからない外野には謝罪はしなくていいと思うし、エネルギーを使う必要は全くない。

ぎだ:あとは、<謝ること = 非を認めること>と認識している人が多いから謝れない人もいますよね。でもそういった考えではなく、真意どうあれ自分が行った行動に対して相手がそう感じたことを理解した上で謝るって考え方になれば、謝りやすくなると思います。

熊野:アクシデントの謝り方に近いかな。例えば街で歩いてて人とぶつかった時に咄嗟に「ごめんなさい」っていうのと近いかもしれない。

ぎだ:そうですね、その場合お互いがスムーズに角を曲がりたかっただけですから(笑)

熊野:そうそう(笑)悪意あってぶつかってきた場合は違うけど、こういったトラブルと近い気がする。

ぎだ:まず、ぶつかったことに対して謝ることが大事ですね。

熊野:だって面倒じゃない?ぶつかった原因や事実を探るために検証をしたりとか、どっちが悪いとか。それだったら「ごめんなさい!」って謝って小さい火種を消す方が全然いいやん。どちらに何%の非があるとかの話をしているとズブズブに面倒なことになると思う。そういったシチュエーションもあるにはあるけど、全部そういった方向に持っていくと時間もかかるし、心が病んでいくよ。

左近:そうですよね。

熊野:これからは仕事でもプライベートでも小さなコミュニティがどんどん増えていくと思うし、そこではより密なコミュニケーションになると思うから、その密な場所で健康的に過ごせるかが大切だね。その「健康的」が腹を割った感じにならないといけないと思っていて。腹を割った感じというのは「許せる」ことだと思うし、許せない人とは腹割れないし、なんならゆるやかに関係を切ってしまった方がいい。その小さなコミュニティでの健康性についても、こどもから学んだかな。

ぎだ:こどもの方が感情が正直ですからね。

熊野:そう、余計なフィルターないからね。損得勘定もないし。ちょっとでも得してやろうって考えが出てくるとまた変わってくる。

ぎだ:大人はね、叱る側も変なプライドとかあって叱った理由の本音を言えなかったりしますもんね。

熊野:肩書きとか組織の仕組みとかバックグラウンドがついてくるとね。でも、うだうだコミュニケーションをとる関係性よりもシンプルなコミュニケーションの方がお互いラクチンかなって思うな。

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