日記(2022/07/22)

4日ぶりの日記.しばしば忘れる.

前回の日記以降はYouTubeを見たりバイトと睡眠を貪るのみであった.あと髪を切った.涼しい.

最近はYouTubeでゆる言語学ラジオを聴いている.勉強になるがすべて忘れる.日々感じていることに説明をつける形の議論が多いので,「あ〜しってるしってる」とか「まあそうだよね」「たしかにね」というような感想が多くて記憶に残りにくいのかもしれない.あとはインプット一方向なので通り過ぎていってるというのもあるかも.アウトプットしよう.

アウトプットする.

最近特に面白かったのは,ハーバート・サイモンの「情報の獲得は好奇心(関心)を消費している(意訳が入っているっぽい)」というもの.人は有限資源である好奇心を戦略的に振り分けて情報を獲得している.
例としてわかりやすかったのは,今どき価格.comとかで見れば家電製品などの価格はわかるのに,みんなそれを見て安いところで買わずに近場で買ったりしている.意思決定の合理性という観点から見ると明らかにおかしいが,価格を比較しやすいところで購入するというプロセスには価格に関する情報の獲得が含まれる.この操作は好奇心を消費するため,誰しも価格の比較をした上で物品の購入をするわけではないというものだ.これには誰でも思い当たる節があると思う.
こういう意味で,好奇心は資本的であり,体力でもあると考えられる.そう考えると,ブルデューの標榜する文化資本と対応付けがなされる.
好奇心が資本,体力であるならば,その運用を考えることもできる.
運用方法として,消費量を減らすことと最大量を増やすことが考えられる.
消費量を減らすことについて考えてみる.単純に情報の獲得量を減らすのは無意識に誰もが行っているが,単位情報あたりの好奇心の消費量を減らすこともできそうである.これは言い換えれば認知負荷を下げるということであり,シンプルなものを好んだり,同じ服を何着も買ってそれを着るのがこれに該当する.他にも,ある分野の基礎的内容を知っていればその分野,あるいはそれに関連する分野における知識獲得時の好奇心の消費量を減らす事ができるというのもありそうだ.これは数学をある程度知っていれば物理やコンピュータ・サイエンスの知識を獲得しやすいことなどが例として挙げられる.
最大量を増やすことについても考えてみる.好奇心が体力であるならば,情報の獲得動作を毎日少しずつ増やしてゆくことで,トレーニングと同様に増やすことができるだろうと推論ができる.これが割と顕著だと思うのは論文を読んだり書いたりすることで知的体力をつける,というような状況だ.確かに博士課程の人とか,大学教員とかは情報の獲得量は尋常じゃない.もちろん過去の知見の蓄積から単位情報あたりの好奇心の消費量が減っているとも考えられるが,それだけで説明がつくとは考え難い.
このように運用することで,リソース分配の最適化だけでなくリソースを増やすことができればかなり楽しいのではないかと思った.
また情報源も重要で,例えば数学のようなマクロで基礎的な概念の獲得と時事などのようなミクロで一時的な情報の獲得と分けることができる.この情報源の配分・組み合わせによってオリジナルの知見や世界観が生まれるのではなかろうか.

アウトプットおわり.


水金のバイトでは仕事が沢山降ってきて,やることがあるのはいいなと思った.

木曜3限にはORの授業を受けた.待ち行列理論をある程度触って,来週試験.がんばろう.

明日(流石にもう今日扱いか)は後輩に統計を教えてほしいと言われたので研究室に教えに行きつつ,月曜は研究室のゼミがあるので,文献調査,データのアテの調査,スライド作成など諸々を進めてゆく.また木曜の試験勉強と院試の勉強も進める.あと院試のときの宿とか移動手段の確保をしなければ…

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