鎌倉 男ひとり ②ぶらり大町寺巡り
私の借りたマンションは大町二丁目。「大町の四つ角」の近くである。滑川を渡れば駅前の若宮大路はすぐそこだが、時あたかも例年よりかなり早い桜の季節。観光客でごった返しているところへ、観光はしないと誓った身がのこのこ出向くわけにはいかない、というのは冗談にしても、自然私のぶらぶら散歩は大町の「奥」を目指すこととなった。
部屋には「鎌倉案内図」という手書きの地図をコピーしたものがある。入居した際、ゴミの出し方など注意事項を書いた書類と一緒に置かれていたものだ。「鎌倉警察署」と記されているところを見ると、地元のお巡りさんの手作りなのだろうか。
私の住むエリアはこの地図の右下あたりになるのだが、見れば横須賀線の線路を挟んで卍のマークばかり。いずれも知らない寺である。もともと馴染みがなかった大町を知るよい機会にもなる。(ふつう鎌倉といえば「小町」。ニュースやワイドショーに何かといえば出てくるのは小町通りの風景である。大町に馴染みがないのは私ばかりではあるまい)
かくて地図一枚を片手に、わが気ままな大町の寺巡りが始まった。
もっとも、地図などなくともバス通りを行けばそこかしこに寺は並んでいる。おまけにさすがは観光地、近くの寺(神社も)の名前とそこまでの大体の距離が書かれた案内板があちこちに立っているから、辿っていけばいわば「芋づる式」にいくつもの寺をまわることが可能なのだ。
まずは一番近かったところで安養院。先に「知らない寺」ばかり、と書いたのは、もちろん私の無知と不勉強のせいで、ここは北条政子が夫頼朝の菩提を弔うために創建したとされる長楽寺をルーツに持つ由緒正しい寺である。安養院という名前も政子の法号からとられたものといわれ、政子の墓もここにある。(墓は同じ鎌倉の寿福寺にもあって、ここ安養院のものは「伝」とされていて、真偽のほどはわからない)市の指定天然記念物になっている槇の木もあって、これも見事なもの。ツツジの名所としても知られているようだ。
もう一つ恥かきついでにつけ加えればここには黒澤明の墓もあるのだが、私がそれを知ったのはずっと後のこと。イヤハヤなんともなのだが、数か月後に再訪してみると、墓地の入り口には観光客立ち入り禁止の札。ネット上には写真もアップされているが、お参りすることはオフィシャルには許されていないようである。
安養院の少し先にあるのが安国論寺。日蓮が「立正安国論」を執筆したという名刹だが、たまたま私が訪れた時が閉門中(美術館風にいうなら「月曜休館」)で、山門脇の、先に紹介したような案内板に導かれるまま訪れたのが妙法寺。ここはとりわけ強く記憶に残っている寺である。
拝観料は金300円也。このあたりの寺には珍しい美麗なパンフレットを手渡される。さして広くない境内は本堂の横に一本、道が奥に続いているだけだから、ともかく歩き始めたが、途中苔むした石段を上るあたりから嫌な予感がしてきた。
子どもの頃から痩せて運動神経も鈍く、およそスポーツとは縁のない生活をしてきたが、歩くのだけは苦にならず、軽いハイキングコース程度ならどうということはなかった。それがここ数年加齢というのか、不整脈に悩まされている。坂道が辛くなってきているのだ。
石段自体の傾斜はさほどきつくはないもののいたって歩きにくく、一つ過ぎてもまた石段、どうやら手元のパンフレットを見ると、この先はひたすら山を上っていくしかないようなのだ。
山頂にあるのは大塔宮供養塔。中興開山とされる日叡上人の父であり後醍醐天皇の第三皇子護良親王の墓である。せっかくの機会、これは見たいではないか。
いやいや、見たいも何も、横に逃れる道はない。このまま上り続けるか、あきらめて戻るか──頑張って目指したはいいが途中で動けなくなってしまったらどうしよう……一緒に上る人の姿もなく、私はそんな情けないことを考えながら、ただただわが身の無事のみを祈りつつ上り続けた。
その甲斐はあった。七、八分咲きの桜の木の向こうに相模湾が一望のもと。絶景である。
いやあきつかったですねえ、一人だけいた女性に思わず声をかけ、ふらふらしながらも私はしばしその風景に見とれた。
予想も期待もしなかったものに出合うのは「ぶらぶら散歩」ならでは、といってもいいのだろうが、後日この話を地元の友人にすると、ああ、苔寺ね、とあっさり一言。やはり知らぬは私ばかり、ということだったのかもしれない。
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