憧れの助手席
高校の時かなり年齢の離れた先生を異性として好きになった。
親に甘えたい欲求を家で発散できず、親に言ってほしい優しい言葉をいつもくれたから好きになったという甘ったれた理由だが、心の底から好きだった。
せめて真剣な気持ちであることを知ってほしい。1年生の頃から伝えたくてはち切れそうな気持ちを卒業するまで押し込んで、卒業式の一週間後、先生含めみんなで集まるクラス会の前に先生を呼び出して告白をした。
私の勘違い
呼び出した時点で先生はたぶん何の用事か分かっていたと思う。進路相談室で世間話をして、とうとう告白を切り出せずに先生も「そろそろ出ようか」と言ったときに携帯に「好きです」と打ち出し画面を相手に見せてなんとか伝えられた。
その後物凄く難しそうな顔をして黙ってしまった先生とクラス会に向かい、帰宅して深夜に返事のメールが来た。
すごく丁寧な内容でお断りのメールだったが、煮え切れない内容で背中を押されることを期待しているようにも受け取れてしまい「今までは好きと言えない立場だったけれどこれからは何度も言える」と諦めない決心をした。
決心と同時に失恋に変わりはないので春休み中ほぼ泣き通していたような記憶がある。
偶然にも進路が先生と同じ大学だったので、失恋の喪失感を埋めるために資格をとり授業を詰め込み課外活動に励んだ。先生と同じ大学で優秀な成績をとったらあわよくば褒めてもらえると下心があった。
ちょくちょく先生に2人で会えるかアポをとろうとしては断られまくって、友達を誘って体育祭や文化祭で年に1、2度会うのを楽しみにしていた。今思うと鋼のメンタルだなと感じる。
憧れの助手席
4年生の春、教職をとっていたので母校で教育実習生としてお世話になった。
指導員は先生だったが貴重な先生の仕事の時間を貰い、先生の大事な生徒の時間も貰って私の勉強に付き合わせるのでメロメロな態度は絶対にとらないように心掛けた。
実習自体は大変だったが充実していた。生徒も世界一かわいかった。
実習の最終日、特にお世話になった先生数人でサイゼへご飯に行くことになり、なんと先生の車の助手席に乗せてもらった。
高校生の頃、先生の部活の子が大会へいくのに乗せてもらっていた先生の車。休日も先生と一緒にいられること、車というプライベートな空間にいられることがとても羨ましくて、一生乗れることはないと諦めていた私にとって格別なご褒美だった。
車内でサイゼにつくまで、またはサイゼから学校まで帰るまでやたら緊張して先生の学生時代のことをやたら質問していた。普段から無口だし自分のことを話さない人だったが、先生の態度に既視感があった。
大学に入って何度か恋愛をすれば押せるか押せないか、気があるか気がないかくらいなんとなく分かる。私が恋愛対象として気のない人に対する「これ以上は踏み込ませない」態度にその時の先生の態度はそっくりだった。
告白した時は何度も好きって伝えられる、卒業さえすれば気持ちを我慢しなくていいと思っていたけれど、それは勘違いだった。ああこれはダメだと感じた。ここでまだ好きだと伝えたら信頼まで失いかねないような恐怖と、私さえ距離を保っていればなんとなくふんわりと「よく頑張っていた生徒だったひと」として繋がっていられると完全にヒヨってしまった。
今の20も半ばになったわたしなら、その時だって好きだと伝え、女として私を見られるのか見られないのかどっちだと聞くことはできるが当時のわたしはできなかった。
高校卒業時のえぐるような痛みもなかったし泣くこともなかったけれど、何年もくすぶって熱を帯びている気持ちが落ち着かないまま帰宅した。
その次の日、実習も終わったし土曜日だったけれど日報をとりに学校に行ったわたしをみて先生は「やっと前髪おろせたね」と笑っていた。
実習中は前髪をピンでとめて一つ結びにしていて内心嫌だった。なんでこのひとはここまで人の心の機微に敏感なのか。そういうところが好きだと胸が締め付けられて、ほんとうに忘れられるのか、諦められるのか。途方に暮れたような気持ちになった。
要するに
恋愛の思い出となったら高校から大学にかけての先生のことしか思い浮かばないけれど、好きな人とデートすらしていなかった。先生とのはじめてのデートをしてみたかった人生だった。