#23 ベリーダンスはお笑いや!(違う)
静かに喜びの息を呑んだのは5年ぶりだった。
大阪時代から好きだった霜降り明星が25歳と26歳の若さでM-1を制したのが2018年。その年に結成した魔人無骨が令和ロマンになって、今年優勝したんだなあ、と勝手に噛み締める。
劇場で目に焼き付けた少女漫画のネタを決勝1本目で見れたことにも熱い感慨が込み上げた。
予選から準決勝、敗者復活戦から決勝まで語りたいことは山ほどあるけれど、一般のお笑いファンの感想文など微塵も需要がないことを理解しているのでこのへんで切り上げて。
長い大会を戦い抜いた芸人さんから語られる言葉を待っている。
反省会ライブや後日談のラジオを楽しむまでがM-1だ。
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東京大学と吉本興業がタッグを組み、お笑いを研究して書かれた「最強の漫才」という冊子がある。
冬休みにゆっくり読もう、なんて気楽に買ったらこれがその実とんでもない本で。
特に、2008年に優勝したNON STYLE石田さんが「お笑いの構造」を紐解いた論評が秀逸だった。
(ちなみにこの年に敗者復活から準優勝したオードリーのファンをかれこれ15年やっている)
お笑いファンとして心から感心し、出役の端くれとしては目が覚めるような気付きとともに読み進めている。
石田さんも論じているお笑いにおける漫才とコントの関係性、私が学び踊っているベリーダンスでいうところのオリエンタルとフュージョンの関係性に近いところがあるなと少し前から思っている。
ダンサーが持っている表現力やセンスをもって観客を世界観に引き込むのがフュージョン(≒コント)なら、オリエンタル(≒漫才)はダンサー自身が放つエネルギーというか、血が通った”わたし”が濃縮還元100%で飛んでくる感じ。
どちらにも語り尽くせない魅力があり、だから私たちは熱狂するのだ。
お笑いにもベリーダンスにも手法(ジャンル)は2つしかないということは決してなく、もちろん全てを乱暴に大別しようとすることはできない。けれど
「”自分”でしか板に立てないからコントはできない」
「役に入っていないと小っ恥ずかしくて漫才はできない」
いずれもどこかで聞いたことがある芸人さんの言葉には不思議な親近感が漂っている気がしてならない。
令和ロマンの優勝報告生配信が始まったので見る。
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