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#39 “行きたいけど行けない”について思うこと

イベントやキャンペーンの告知で「この機会を逃すと損!」「売り切れる前に急いで!」などと謳われているのを見ると正直ドキリとしてしまうのは私だけだろうか。
とりわけベリーダンス関連の告知でその手の謳い文句を見ると、イベントに足を運べないことやお金を出せないことに対してどこか申し訳なくさえ思ってしまう。踊りを愛しているゆえに(そう思い込みたい)。

実際のところ、「この機会を逃すと〜!」系の謳い文句でしょうもないイベントが誇大に宣伝されているケースは少ない。会場の規模が大きかったり、出演者に“豪華な”“錚々たる”と誰もが思うダンサーさんが名を連ねていたりすることから“きっと素晴らしいものになるから自信を持ってみんなにおすすめしたい!!”ということなんだろう。わかる。大いに理解できる。
私だって、自分が出演させていただくショーをそんな風に宣伝したことがないわけじゃない。身を置くダンスコミュニティやイベントそのものに対する思い入れが強いほど、告知にも熱が入る。わかります。
重々分かっているのだけれど、ともすればこんな風にも考えられないだろうか。
「行けないこと」「お金や時間を捻出できないこと」による機会損失をほのめかすような告知宣伝のしかたは、それを受け取るSNS上のフォロワーからすれば“本気度を証明してみせろ”と試されている印象を抱きかねなく、さらには”自分自身が焦っているから、そんな言い方でこちらを焦らせてくるのだろうか”などと勘繰ってしまうかもしれない。やはり出演するダンサーにとっても、お客様や応援してくれるファンにとっても双方に健康的ではないように思えるのだ。

ベリーダンサー(の端くれ)として、ファンとして。
「この機会を逃すと〜」系の謳い文句にこころを削られる必要はないと、気になるイベントやレッスンに“行きたいけど行けない”は悪いことじゃないと、自分と同じように感じられる方がもしいるならそう伝えたい。

確かに心が揺さぶられるような感動や、新しい出会いや、ダンススキルの向上は自分が能動的に行動することでしか得られない。
けれど同時に、私たちにはみんな果たすべき仕事があって、一緒にいるべき人がいて、その先には守るべき日常がある。それらを優先することで結果的にダンスにまつわる“機会を逃し”たからといって“損した”ことには決してならないはずだ。だって世界にはプラスかゼロしか存在しないのだから。
ダンスに限らず、自分が一生懸命になれることや、好きで追いかけたいと思っていることこそ、全部のイベントを網羅することは難しくて、そのことに焦燥感や罪悪感が募る日もあるだろう。
それでも、たとえ派手さはなくとも連綿と日々を生きることの凄まじさ、美しさをこそ私は賞賛したい。その上で意欲と余裕があればどんどん好きなことを追求すれば良いと思っている。

とまあこんな風に書けば聞こえはいいかもしれないけれど、ガンガン告知をして集客に繋げるというのも明確にプロのダンサーには必要な能力なのであり、企業広報を経験してかなり克服できたとはいえ、私は昔から集客がとても苦手である。

そんなことをエッセイに書こうと頭の片隅で考えながら、衣装を手作りするのに良さそうな生地を求めて某通販サイトを眺める。
狙っていたファブリックの商品ページを開くと「在庫残りわずか!」という赤い文字が目に飛び込んできて、結果的にお目当てのもの以外にも生地や附属品をポチポチ買い込んでしまった。
売り切れる前に!今買わなくちゃ損!!と思って・・。

情報発信は難しいね、という話でした。

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Era | 物書きダンサー
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