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#24 グッドバイ、イチハチ

この歳でいることに”飽きている”というのは抱いたことのない感情だった。

私は1月生まれなので、年が変わってまもなく1つ年を重ねることになる。
2023年は年末までに一年分の気力も体力もほとほと使い切って、やり残したことも特になければ新たに何か始めようと奮い立つこともできずに
早く次の章のデータをロードしたいような気持ちでいた。

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2024年最初のショーの翌日、ときおり震えるiPhoneを放置して
遅くに起きて食べたいものを食べ、まどろみながら読書に耽る。本に飽きたらラジオをBGMにポケモンを育成する。

「レールから外れた人間は、圧倒的に孤独だと思う」
「音楽や映画っていうのは基本、想像の中に没入する世界。だからそれが好きだと(その世界から)覚めた瞬間に一抹の虚無感が出るっていうか」
「病んでいる人の一割くらいは文化依存症」
ピン芸人・永野の熱を帯びていく1人語り。
「俺で笑っている人は最後に泣くからね。俺の人生は絶対にバッドエンドなんだから」
レッスン業や制作や自主練習でスケジュールを埋めていた年末年始を走り切って、こうしてダラダラ過ごす休日を心待ちにしていた。

ー 俺の人生は絶対にバッドエンドなんだから。
50歳を目前にそう言い切れる永野おじさん、卑屈で尖ってるところがずっと面白い。
(ランジャタイ目当てで配信買ったマヂカルラブリーno寄席のラッセンがおもろすぎて腹ちぎれた。彼の最期に私は泣くんだろう)

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この1年、一生懸命に悩んでは考え、覚えては忘れ、
”若さは目減りする価値のひとつでしかない”と身をもって知ったように思う。誇るのも、執着するのも人生の無駄だと。

否、ずっと前から言外では気が付いていた。

だからこそ20代前半の頃は誕生日が近付くと楽しみどころか憂鬱で、
ひどい時には涙が溢れた。
年に一度の誕生日を待たずに実は日ごとに目減りしていく若さを惜しみながら、自分(たち)のダンスを”若いから”という色眼鏡で、もっと有り体に言えば”露出度の高い衣装で踊る女子大生”としてだけ消費されることが、
どれだけ努力しても「若いから動けていいねぇ」なんて鼻白らまれることが。
叫びたいほど悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて、悔しくて
学生ダンサーという肩書きなんて1日も早く脱ぎ捨ててしまいたかった。
(そもそも他ジャンルのダンス界の感覚では10代後半や二十歳は特段若くもないかもしれない)

いたずらに歳をとることに怯えながら、年齢を理由に侮られたり、ジャッジされることに疲れていた。
大学を卒業してプロの端くれとして踊るようになってからも、ほんの少し前まで微妙に形を変えながら私にのしかかっていた倒錯と矛盾だ。

一方で、年齢が若い方が学習において効率が良いというのも揺るがぬ事実だろう。
それは若い人が記憶力が高いからというよりは、”自分には若さしか取り柄がないと思っている(こう思うのは女性に多いのかもしれない)人が、自分に自信がないからこそ多くを吸収しようと貪欲になれる”という因果関係のような気がする。

そんな考え事をしているうち1月8日が暮れていった。
そういや去年も誕生日前日がショーだったな。
待ち遠しくないけど逃げられもしないイチハチ、
さよならまた来年。

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元日に起こった震災のニュースに毎日、心が押しつぶされそうになる。
東京でも揺れを感じたとき、赤く点滅するニュース速報に3.11の記憶が否応なくフラッシュバックした。
中学生だった私は、一夜明けて露わになった隣県の惨状があまりにショックで、当時気に入りすぎて使えずにしまっておいたノートのまっさらなページを開いて
”自分に何ができるんだろう” ”何もない自分に何ができるんだろう”と、不安なまま歯痒さを何度も書き連ねた。
力になりたい人達が近くにいるのに何の役にも立てない年齢であることを子供ながらに悔やみ、恥じた。

”自分に何ができるんだろう”
2024年1月、未曾有の災害や戦争が私たちの日常を引き裂いてもなお
ダンスアートを究めることの意味を改めて思う。

答えは出ない。

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