お誕生日おめでとう生まれてくれてありがとう及川さんに愛をこめて
ハイキューが完結する。私はこの文章を7月13日に書いている。ハイキューは2020年7月20日に完結する。私のハイキューで最も愛するキャラクター、及川徹の誕生日に、私がこの二十数年で最も愛した漫画が終わる。ハイキューは、私が現役の高校生だった頃からずっと愛読していた漫画であり、人生ではじめて本誌を追った漫画でもあり、人生ではじめて連載が終わることに、涙を流した漫画である。及川徹の人生を、もっともっと見たかった。及川徹のこれからをもっともっと知りたかった。及川徹と、ハイキューと、私はもっともっと生きたかった。完結が悲しいのでも不満なのでもない。ただ、たださみしい。だって、及川徹がいたから、ハイキューがあったから、生きられた人生なのだ。そんな大げさな、と思われるにちがいない。確かに、365日24時間考えていた訳でもないし、単行本を買っても2〜3日読まないなんてことも多々あった。それでも、やはり、私は及川徹がいたから、ハイキューがあったから頑張れた、生きられたのだと思う。とりたてて語ることのない平凡な人生だけど、たしかに、ハイキューに出てくる少年たちに、青年へと成長した彼らに、私は励まされると同時に彼らを応援し、生きていた。
高校二年生の頃、私は当時まだ黒子のバスケにドはまりしており、ハイキューの存在を知らなかった。しかし、当時のツイッターでちらほら「影山」「日向」「菅さん」等の名前を見るようになり、次第にその存在が私の中で膨らんでいった。制服姿の私が、「影山くんって誰だろう」とツイッター検索したあの日をいまだに覚えている。そして、その後、たしかそのころ三巻あたりまで単行本化されていて、友人に貸してもらったのだ。少年漫画にしては、みずみずしい絵のタッチ、一人ひとりの感情が丁寧に描かれた、めずらしい漫画だなと思った。少女漫画を少年漫画にしたみたい。それが私のハイキューに抱いたはじめての感想だった。現在は、少女漫画とは感じていないが「感情が丁寧に描かれた」漫画だと感じ取った私の目の付け所は悪くなかった。
及川さんへの初見の印象は「少年漫画によくいるライバル校の先輩」。それ以上のものは無かった。しかし、及川徹の過去が明らかになった瞬間、私の中での及川徹像は一新した。及川徹は天才ではない。天才に挟まれた凡人、苦悩する努力の人。私は及川さんに自分を重ねてしまった。及川さんほどの焦燥感も必死さも、きっと無かったのに。それでも私は自分を及川徹と重ねた。理由は非常に簡単で、どうしても勝てない相手がいたからだ。私は、昔から真面目で優等生な子供だった。自分の「頭が良い」ことに気づいたのは小学生のときだった。中学生の頃は、数学が苦手だったけど、地元でいちばん進学率の良い高校へと進学し、高校一年生の終わりにはその進学校で常に10番以内に入る、という成績優秀な子供だった。しかし、それは地頭がよかったというよりも、強迫観念的に勉強していたに過ぎない。小中と「自分は優秀である」であると思っていた私は「優秀ではない私」を認めたくなかったのだ。しかし、周りの頭がよければ、相対的に順位は下がる。今から思えばくだらないが、当時は必死だった。私は、優秀でありたかったのだ。親は私の成績が上がるたびに喜んだ。しかし、ついに、1番にはなれなかった。なぜなら、まさに天才と呼ばれる男がいたからだ。それは私のいとこであり、一番はずっと彼だった。そして、ついに卒業するまでその順位がひっくり返ることはなく、私が最も迫ったときでさえ、彼が一番で私は二番だったのだ。郊外の、さして大きくもない学校の、一番も二番もそう変わらない。しかし、一番になれない、どうしても勝てない悔しさが、たしかにあのときあった。一番になれない。勝てない。その悔しさと、毎日異様に勉強していた自分が、及川さんと似ているかもしれないと錯覚したのだ。ほんとうは及川さんとは全然違うと思う。当時の私は、最終章に入って明らかになったように、及川徹程の「人生への解像度」を備えていたなかった。自分の人生をかけて、何かを成し遂げようとしていた訳ではない。ただ現在に必死だっただけだった。だから、きっと全然ちがう。それでもあの時の私は、スポーツと勉強、力を入れた場所が違うだけで、彼は私と同じだと思ったのだ。今から思えば、勉強は、スポーツと違って勝つためにやるものでは決してないのに、何を言ってるんだろう。それでも、当時の私が必死で勉強したおかげで、私は学ぶことの楽しさを知ったし、大学進学後は更に大学院で学ぶことを選び取り、結果、一生学び続けたいと思うようになった。だから、今はほんの少しだけ、一生をかけて学びたいと思っている自分を、人生をかけてバレーボールを愛する及川徹と重ねても、ばちは当たらないのではないかと思う。
実を言うと及川さんを偏愛するようになったのは、高校生の頃からと言うよりは、高校を卒業して一年〜二年程度経ってからだった。つまり、大学二年生になる頃だ。ちょうどその頃本誌では、春高予選烏野対青城が連載されており、それは多分、学ぶことの楽しさを私が真の意味で知り始めた時期だった。私は文学部に進学し、「テクスト理論」を学び始めた(それが後に大学院進学へと繋がったことを当時の私はまだ知らない)。もちろん先に長々書いたとおり、どうしても勝てないことが、同じく当時高校生だった自分と重なったのもある。しかし、春高予選の烏野対青城で見せた及川徹の勇姿が、私にはほんとうに心に響いた。「才能は開花させるもの、センスは磨くもの」。努力を重ね続けること、それでもやはり勝てなかったこと、それでもなお「取るに足らないプライドを覚えておけ」と宣言できること。だが、当時の私は心が弱かった。及川さんは、高校生の間に全国へと進めなかった。だから、及川徹の「物語」はここで、終わりなのかと思ってしまった。それからしばらく、私にとってのハイキューはある意味で終わりを迎えたかのように静かに進んでいった。もちろん単行本は買う。読む。読めば面白く、ハラハラし、ときには涙を流す。だけど、及川さんがいない。日向くんも影山くんも、努力の人だ。というか、努力しない人物は、この物語には登場しない。だけど、私が知ってる「努力」と彼らのやってる「努力」は何か違う気がしてしまう。そんなに夢中になれるもの、私には無いと思ってしまう。学ぶことは好きだけど、私はその苦しさを無視できるほど強くない。それ以外の何もかもを「選ばない」強さもない。選べるものは選びたいし、楽しく過ごしたい。大学三年生の夏。つまり、大学院への進学を考えていた頃、私は研究職に就きたいと思っていた。しかし、とうてい生きていける気がしないから(文系の研究職はいま本当に厳しい状況にある)、代替案を考えなくては、とも思っていた。一生学びたいのも、研究職につきたかったのも、本音だった。でも、ほんとうに不安定な、もしかすると一生非常勤のアルバイトで、たいした収入もなく野垂れ死ぬかもしれない。そう思うと、足がすくんだ。院進学を決めたのに、最初から私は、諦めていた。研究は大好きだけど、この進学は、モラトリアムと言われても仕方ないと心のどこかで思っていた。そして、私は日向くんのようなチャレンジ精神もなく、影山くんのように天才でもないと、「物語」から自分を一歩外側へと追い出してしまった。その頃から、ほとんど作中に姿を現さなかった及川さんを思って、及川さんも「諦めて」しまったのかな、とたまに思ったことを思い出す。
だが、その予想は素晴らしい夢にも思わなかった形でくつがえされた。大学院二年生の秋。その日、私は京都大学の図書館で修士論文の調べ物をしていた。休憩しようと、ツイッターを開いてみたら、なんだかトレンドがさわがしい。スメシ?スメシってなに?そう思いながら、タイムラインを薄目で眺めて気がついた。及川徹の、再登場。その頃はまだアプリで購読していなかったから、何がなんだか分からなかった。急いでアプリをインストールして、すぐに電子版を購入した。たしか土曜日だった。京都大学の人のほとんどいない図書館で、たった一コマ、及川徹の登場を確かめて涙を流した。及川さんが、バレーボールを続けている!彼は諦めていなかった!!私の愛する及川さんがバレーボールをしていた!!そのことが本当にうれしかった。そして次の週、次の次の週と、及川さんの幼少期が明らかになり、日向君と共にプレイしたことで「初心」を思い出す回。及川さんの「”上”を目指す以上、苦しい事の方が多い。苦しくなくちゃがんばった事にならないって思い込んでるみたいなとこもある。でもそんな事はお構い無しに 時々 楽しい は来てしまう。楽しい が俺を引っ張ってしまう」に、どれだけ胸が熱くなったか。及川さんが再登場したあの日、私は本当にうれしかった。及川さんがバレーボールをつづけていた。及川さんは諦めていなかった。むしろ、なぜあれほど「覚えておけ」と強く言われたのに、私は「信じてるよ」と及川さんにいえなかったのだろう。青城のみんなのように、「信じてるよ、キャプテン」と声をかけるべきだったのだ。ごめんね、及川さん、ごめんね信じてあげられなくて。「一勝一敗」だったのに、君の「物語」を勝手に終わらせてしまった弱い私をどうか許してほしい。だから、私はいま信じてる。来週の月曜日、君の誕生日。君は最高の形で、全員倒しに、読者の私さえも倒しにきてくれるんだろう。コートを制す。コートの外にいる読者だって、君なら倒せる!
こうして、及川さんが再登場を果たしたことで、私は新しいツイッターアカウントを作った。そして、今同じくこの物語を愛するたくさんの読者と「物語」の結末を目撃しようとしている。それが、なんとうれしいことか。今年の1月。私は修士論文を提出し、大学院を修了した。修士論文は自分でも納得のいくものだった。学生生活を締めくくるにふさわしいと自分で胸をはって言える。及川さん、ありがとう。君がのおかげで、たくさんの友達ができました。及川さん、君が頑張っている姿を見て、私もがんばろうって何度だって思うことができました。私は、君の人生になにひとつ干渉できないけれど、君がいたから頑張れた人間は、ここに一人います。お誕生日、おめでとう。生まれて来てくれて、ありがとう。どうか、君の歩むこの先の人生が、幸福なものでありますように。
私はいま、君もかつてそうだった高校一年生の、担任の先生をしています。