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眩しくて、寄り添い救ってくれる甲斐田晴が好きだという話。
「才能が無いから何だ」という歌に感激した4月から5ヶ月。ROF-MAOのライブは開催され、VΔLZのアルバムがリリースされツアーが決定し、ROF-MAOのシングルが出て、その間にも新曲のnoteをどうやって書こうと悩み続けていたところでMVが公開されました。
ほんとうにありがとう。
私が「甲斐田晴」のいる世界線に生まれてよかったと、Dolceあたりからかなり感じています。
日々辛いことはあるけど、甲斐田がいるおかげで辛いことがあっても人生トータルでみたら楽しめてる日々です。
そんなこんな彼への想いが募りすぎて、もう新曲じゃなくって、甲斐田のなにが好きかをnoteに綴りたい!と思ったのが先週。
ツアーを見たらさらなる好きが募ってしまいそうなので、その前に大慌てでまとめています。
私の好きな「眩しくて、寄り添い救ってくれる甲斐田晴という存在」について語ります。
どうか誰かの時間つぶしになれば。
※当たり前だけど全部個人の見解です。分かり合えなくても温かい目で見ててください。
甲斐田晴だからこその眩しさ
甲斐田くんを見ていると「眩しい」と思う瞬間がいくつもある。それは「才能が無いから何だ」を聞いたときもそうだった。
最近の「年長組恋愛相談」でも言ってた通り、彼はポジティブな生き方をしていて、そんな生き様に触れたとき、すごく眩しいなと思う。
相応しくないとか 誰と比べてとか それ以前の話がしたいんだ
「才能が無いから何だ」の楽曲単体でも、MVを見ても、強く印象に残るこのフレーズがあまりにもポジティブで、あまりにも煌めいてる。
ただ「人と比べるな」なんて正直再三聞いた主張。
だけど、なぜか刺さる。
それは「"甲斐田晴"が紡いだ言葉だから」ものすごく輝いて眩しく見えて、刺さるんだと思う。
こう思ったときに思い出すのは、配信の何気ないけど、心に残ってる言葉たち。
「ある時、秀でた才能があるわけじゃないなって気付いた瞬間があったんだよね。だから、あらゆる分野をたくさん伸ばして、総合値で戦う人間になろうと思った。六角形を大きくしようみたいな」
「自分のことは凡人だと思う。ライバーで天才だなって思う人を見てると自分がすごいとは思えない」
自分のことを決して才能があるとは評していない人。
実際に才能があるかどうかは置いといて、「彼が最初なりたかった、憧れてたものになるための才能は持ち合わせていなかった」ことはきっと事実なわけで。
そこから、リスナーが「甲斐田は才能があるだろ」と思うくらいまで、最初に持っていたものを磨いて、色々なものを身に着けて、目指すもののために計算して考えて努力してきた人。
挫ける苦労も怖さも果てしなさもきっとたくさん経験してきただろう人が紡ぐ「才能が無いから何だ」って眩しくてたまらなかった。
甲斐田晴と才能の話
何回 諦めても 悔しいままか
恥ずかしいものさ 本気で生きるってことは
1サビ前のこのフレーズ。
生活のほぼ全てをライバーとしての時間に費やして、たくさんの夢を叶えて、新しい夢を見つけてる、そんな本気で生きてる人が「本気で生きるってことは恥ずかしい」と言うのってすごく生々しくて好きな箇所。
変な話、天才だったらこんなこと言わないと思ってる。
本気で生きるもどかしさを感じた上でそれを表現できる人って、そこで相当苦労した人だと思う。
周りとのギャップや時間・年齢的なことも考えて「このまま頑張って生きてていいのか」苦悩した人じゃないと、乗り越える壁として設定しないと思うから。
たぶん一般人の私が感じる苦労も辛さもとっくに抱えてたんだなってわかる。その上で、才能が無くても前に進むことを体現してくれてるからすごく好きなフレーズ。
譲ったはずの空席に 空っぽが座っていた
それでいうとここもすごくキラーフレーズで。
たぶんここ刺さる人多そうだし、わたしも刺さりまくりました。
挫折した人たちはきっと過去のナニカを思い浮かべてしまうと思う。そんな歌詞を説得力を持って歌えることが、そんなわけないのに、同じ人だったのかなって思っちゃう。
そんな背景があるから、眩しい人なのに、少しだけ近く感じる。眩しいけど、リアルさのある凄さを持ってる人だなと思う。
甲斐田の寄り添い力
説得力のある眩しさがある、とだけ表現すると、あこがれの人みたいになっちゃう。
もちろん憧れも尊敬もあるけれど、もっとリスナーの近くにいてくれる感覚があったりする。
そりゃ、アイドルとかと比べると配信者そのものがリスナーとの距離が近いのはある。
だけど、私が甲斐田くんに感じているのはたぶん目線の近さ。
「彼がこちらと同じ目線に立ってる」そんな感覚を抱くことがたくさんある。
「『実際はそう思われていないのに気にしすぎてしまうことがあります』というのはたぶん実証もされてるんだと思うのね。聞いたことがあるんじゃないかって思う。
でもそれ聞いたことによって『この人デリケートなんだ』って壁を取られちゃったりするからもったいないと思う」
お悩み相談での、この回答。
数行のお便りからその人にあった回答をしようと心がけてるのがすごく見えて感動した。
上のように不用意に気にしすぎてしまう人には「どうすれば気にしなくなるか」を、片思いが終わってしまった人には「前向きに諦められる言葉」をかけていた。
同じ質問内容でも、バックボーンが違えば回答も変わってくる。そんな答え方をしている。
リスナーとの対話を大事にする配信スタイルが大好きだけど、特に相談や雑談のときは同じ目線に立って話してくれてるんだなぁと感じることが多い。
良い意味で上下関係がなくて友達みたいな感覚。
直接、話せるわけじゃない私たちリスナーに向けて、ずっと同じ目線で話してくれるそんな寄り添い力に何度も救われてる気がする。
「でも君は最後救うでしょ?音楽できっと」
緑仙が音楽対談いったこの言葉。
表現を通して救ってくれる、これって本当に甲斐田晴を表してる。
狂いそうになるくらい好きな解釈
同じ目線で寄り添ってくれつつ、誰よりも努力と前向きさを抱えて夢を叶える様子を見せてくれてて、それを歌としてでも表現してくれてる彼を推してて幸せだな。とよく思う。
あー好きだなー、そうやってぼーっとしながらふと思い出したのは堀江晶太さんとの対談での、堀江さんによる甲斐田晴の解釈。
「初めて会った頃はめちゃくちゃ音楽が好きでむちゃくちゃ人が好きで無邪気なイメージがあった」
「話していくうちに、この明るさとか真っ直ぐな感じとか無邪気なところって、最初から持ってたものじゃなくて、この人なりに挫折とかネガティブなことを受け止めて苦悩した結果、研ぎ澄まされて残っていった、この人なりのアイデンティティなんだなと思った瞬間があった」
この話を思い出した瞬間、「私、甲斐田くんが好きだ!!!!!!」とありえないくらい好きが溢れてしまった。
この話がどこから何まで真実かはわからないけど、
私の好きだと思ってる甲斐田くんの要素が、本人も大切にして残してきた要素かもしれない。
ポジティブなところも、
寄り添ってくれるところも、
背中を押してくれるところも、
音楽で救ってくれるところも、
眩しいところも、
優しいところも、
本人が大切にしていきたくて残して育ててきた価値観だったらなんかもう好きが溢れてくる。
こうして、約3000字をかけて、「私は甲斐田晴という人物が本当に好きだ」というところに着地しました。原点回帰すぎる。
遠くて近い眩しさを持ちながら、寄り添い救ってくれてありがとう。ほんとうに「生き甲斐」なんだよなぁ。
末永くライバー人生を楽しんでほしい。それをいつまでも見守れたら嬉しい。と、いちオタクの願いです。