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わたしのすきなひと 【アルルカン /The laughing man】

好きなバンドがいる。アルルカンという。2013年の10月に結成された、今年7年目の5人組のヴィジュアル系バンドだ。2015年の2月24日に好きになった。その日から、ずっとずっと一瞬も揺らぐことなく、わたしの中でいちばんに輝き続けている。あの日、10年振りにバンギャルに返り咲いて以降、遠征も含めて行けるライブには行けるだけ行ってきた。生活の中にライブがあるのは、もう当たり前だった。彼らを好きになってから6度目の夏は、そんな当たり前が失われてしまったかなしい夏になった。ただただ、つまらない。
わたしは病院で働いているので、もしライブをやってくれたとしても、しばらくは行くことはできないだろう。遠征なんてもってのほか。現在も、生活圏内から出ることすら許されていない。
自分の「好き」を、好きな人たちに伝えるために生きている私にとっては、あまりにも現実が厳しすぎる。今、完全によしもとの女になってしまっているのも、もちろんトットちゃんのことがめちゃくちゃに好きだという気持ちはすごく大きいけれど、そこから目を背けるための逃げ場所にしているというのも、大いにある(音楽でもお笑いでも、とにかく何よりもライブがいちばんだと思っていて、好きになったらまずライブに行きたいタイプのオタクなので、劇場からの有料配信はマジで本当にありがたい)
今、バンギャルだったことを思い出してしまったら。会いたい気持ちを溢れさせてしまったら。ライブに行きたいという欲求を、我慢できなくなってしまったら。ライブに行けない現実がしんどすぎて、きっと私のメンタルは死んでしまう。そんなところから、私はあんなにも大好きだったアルルカンの曲が、聴けなくなってしまった。

少しだけ距離を置いて、できるだけ自分のきもちが波立たないように、思い出してしんどくならないように、コロナ禍に突入してからのこの何ヶ月間かを過ごしてきた。だから、追いきれていない情報も多い。見ていないYouTubeも、聞いていないラジオも、聞き逃したツイキャスもたくさんある。絵本もまだ読んでいない。だから、これから書こうとしているアルバムの感想にも、足りないことや、そんなことも知らないの、と思われるようなこともたくさんあるだろう。わたし個人の勝手な解釈も入るし(むしろそれだけだし)、ただ長いだけの(もう既にここまでが長い!)駄文にしかならないとも思う。でも、きもちに余裕ができたら、置いておいてくれたものをちゃんと拾い集めて、大事に抱えて追いかけるから、今のこの、不完全な状態で書くものだけど、読んでもらえたらうれしい。

しかしわたしアルルカン聴けなくなってしまったからなぁ、と思っていたが、8月19日にリリースされた「The laughing man」は、今、エンドレスリピートで延々と聴いている(新曲のみで、まだライブと結びついていないからだと思う)ものすごく良いアルバムだ。

【イン・ザ・ミラー】
ああ、これぞアルルカン、というようなイントロから始まる。そのままSEになるような、ライブの光景がありありと目に浮かぶようなイントロ。ジャーーーンで楽器隊が音を出す瞬間、どんな顔で、どんな風に楽器を弾いてて、どんな風にフロアを見ているのかまで、易々と想像できる。そんな前奏部分の強いインパクトは、そのままイントロと、曲を通して繰り返されるフレーズとして引き継がれて、それを呼び水にあっという間にアルルカンが作り出す「道化の世界」に引きずりこまれる。ライブの冒頭であきさんがいつも言う「アルルカンですよろしくお願いします」という言葉、1曲目に相応しい曲。ああ。ライブに行きたい。

【ビロード】
ビロードで検索してみたら、英語でベルベッド、ポルトガル語でビロードと出た。ベルベッドは深い赤、赤紫に近いような色味のイメージ→見上げた夕空。和名では天鵝絨。「天鵝」は白鳥→真っ白なままの未来、真っ新なままの未来。そして「烏滸がましくも誇らしく」から連想されるクオリア→見上げた青空。言葉からの色のイメージが、きれいな空にリンクしているような歌詞で(勝手な解釈)ほぇーーと思った(偏差値2)
“烏滸がましくも誇らしく”に続く言葉が「そんな夢を抱いて生きよう」だったのに、ビロードでは「描いた夢以外笑い飛ばせ」になっているのにハッとした。あの頃よりも芯のあるつよさを手にしているんだな、と思う。

【如何様】
イントロ部分の、また改めて幕が上がるようなフレーズが終わったあと、前奏部分のベースと來堵(敬称略)のギターがユニゾンで同じフレーズ弾いてるとことか、Aメロのリズム隊とあきさんのボーカルだけになるとことかの、
ベースのかっこよさよ!!!!!!!!!!!!
ベースの!!!!!!!!!!!!!!!!!!
かっこよさよ!!!!!!!!!!!!!!!!(大事な事だから2回)本当にもうこの曲はベースのかっこよさに尽きる。そしてわたし、たもちゃんの作る曲がめちゃくちゃ好きなので、この「如何様」もかなりすき。すき。

【空に落ちる】
サビでいきなりやさしくなるのが、the 祥平という感じ。前奏部分のベースも、AメロもBメロも、繰り返されるオルゴールの音みたいなフレーズも、どこか不穏でさわさわしちゃう展開なのに、サビで「全部大丈夫」って包み込む歌詞とメロディーになるの、本当にthe祥平。あの菩薩のような仏スマイルを思い出す。あのメロディーで「大丈夫」って言われたら本当に全部大丈夫だよ(?)

【瘡蓋】
あきさんからメンバーに向けた曲という情報は知っていて、その上で歌詞を読むとグッとくる。最初の4行はそれぞれメンバーのことを言ってるんだろうなぁと思うけど、誰がどれなんだろう(個人的には來堵、祥平、堕門、奈緒(敬称略)かな、と思っている)
物足りない、狡くて嫌、煩わしい、憎い、とまで言いながら、そのすぐあとにくる「それでも貴方じゃなきゃダメなの」がパワーワード過ぎて、アルルカンはこの5人じゃなきゃダメなんだ、と強く思う。あきさんの「傷は舐めないで もう治らないままでいい」という、ツラくもないのに息苦しい生きにくいままの自分で生きていく覚悟だとか、それをそのまま受け止めて欲しいっていう我儘だとか、血は流れるけど、お前らならこじ開けて(瘡蓋を剥がして)いいんだよ、こじ開けてみろよっていう煽りに近いような願望を感じて胸を掴まれる。こんなこと、根底に絶大な信頼がないと言えないじゃない。あきさんには、この4人じゃなきゃダメなんだ。尊い。

【とどめを刺して】
ライブに行きたい。イントロからもうライブに行きたい。イントロで折りたたみしたいし、デスボのところはWODからのぐちゃぐちゃモッシュじゃない?って思うし、あっはぁ〜んはなんか3時のヒロインが浮かんできちゃうし(そうですか)、サビでは手扇子がしたい。このテンポ感でやる手扇子だいすき。今回のアルバムの中でいちばん、ライブでのフロアの景色が思い浮かんだのがこの曲だった。そして傷跡を「生きた証」と言ってくれる歌詞が沁みる。ライブに行きたい。

【FIREWORKS】
「瘡蓋」へのお返事なんだろう。あきさん以外の4人が書いた歌詞。「それでも貴方じゃなきゃダメなの」へのお返事が「それでも守りたい者がそこに在ったから」なのエモすぎん?1番で生まれた種を、2番で胸を張り実らせて、やがてそれは空に咲く華になる。これがエモじゃないなら何がエモか。
⸜( ‵_′ )⸝おいコラお前らもっとこいや俺の心こじ開けてみろやってオラオラしてるあきさんに対して、はいはい大丈夫だから俺らいるからそのままでいいから安心してここで一緒に楽しもうってメンバーによしよしされてるようなイメージ。今まで楽曲(歌詞)の中でこういうやり取りを見ることはなかったからすごく新鮮だし、5人のお互いを想い合うきもちの強さが見えてすごく好き。

【向日葵】
もしかしてこれは「FIREWORKS」の歌詞を受けての、あきさんからの更なるお返事なんだろうか。その想いをどう受け取ればいいって、メンバーからもらった言葉に喜びつつも照れて、これどうしたらええねん🤦って言葉を失っているあきさんが見えた(違うやろけどー!)「待ち焦がれたアナタの言葉は窓越しに観る遠花火」のあたりとか、ちょっとFIREWORKSから繋がっているというか、瘡蓋からのFIREWORKSが「アルルカン 暁」という、いわば「演者/道化」に成りきっている時のことだとしたら、向日葵はそこから少し離れて、演者としてステージに立つ自分をどこかから俯瞰で見ているような目線で書かれているというか。知らんけど!!勝手に私が思っただけだけど!!!!違うな!違うか!違うよ!
季節を感じられる曲がこれまでほぼなかったアルルカンが、「FIREWORKS」と「向日葵」とバリバリ夏を感じさせる曲を出してくれたのもとてもうれしい。何年経っても、きっと私はこの曲を聴いたら、さみしくてつまらなかった今年の夏を思い出すのだろう。

【君とのあいだに】
なんとやさしい歌詞か。初めて聞いた時はめちゃくちゃに涙腺が緩んだ。私は、アルルカンのライブや曲を通して思ったこと、感じたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、は、ぜんぶ伝えたくて、言わなきゃ気が済まない本当にいやな女なので、これまで幾度となくあきさんにいやな思いをさせて来たと思う。だから、本当にこんなのは自分に都合のいい勝手な解釈なのは百も承知だが、それでも、それさえもちゃんとあきさんは受け止めてくれるんだな、と改めて思ったら、涙が出た。
僕は僕らしくいるから、君も君らしく。それぞれの“今の在り方”を、否定しない。どんな距離感であれ、ただ、ここにいることを認めてくれる。この居心地の良さと安心感、好きになって良かったと心から思えるあたたかさをくれるのは、私にはアルルカンしかいない。今回のアルバムではこの曲がいちばんすき。総合優勝です。おめでとうございます。

【The laughing man】
華やかなサビが本当にだいすき。アルルカンには、希望しかないことを感じられるというか、それを体現しているようなメロディーと歌詞。まっすぐに上に昇っていく光を連想させる、キラキラした曲だなぁと思う。アルバムのタイトルとして掲げられた曲がラストを飾ることに、どれだけの意味を持たせているのかは私にはわからない。でも、この曲でこのアルバムは終わるけど、これは終わりの歌ではなく始まりの歌なんだと思う。夢を繋ぐ物語が、この曲からまた始まっていく。そんな、まっすぐな、前向きなエネルギーを強く感じた。


エンドレスリピートで聴いている。アルバムは、また1曲目のイン・ザ・ミラーに戻った。はじまりとおわりで、ここまで明暗に振り幅のあるアルバムはなかなかないのではなかろうか。イン・ザ・ミラーが排水溝のペニーワイズなら、The laughing manは傘で飛んで行くメリーポピンズだ(伝われ)(どっちも見たことないけど)(完全にイメージで書いている)

しかしこのnote、誰に向けて書いているのか、もはや自分でもわからない。
アルルカンを知らないけどここまで読んでくれた人がいたなら。ぜひアルバムを聴いてみて欲しいな、と思う。曲のタイトルにリンクを貼っているし、過去作品も含めて、ほぼ全曲サブスクで聴けます。
アルルカンを好きな人が読んでくれていたら。「私はこんな風に感じました」というnoteなので「そうですか」とだけ思ってください。そして、あなたが感じたことも、機会があれば聞かせてください。
烏滸がましくも、アルルカンのメンバーのみなさんが、もしここまで読んでくれていたとしたら。本当にありがとうございます。1曲ずつ、何回も繰り返し聴きながらこれを書いていたら、どうしようもなく会いたくなりました。早く、ライブに行きたいです。いつになるかわからないけど。それまでなんとか我慢して、しっかりがんばって、堂々と会いに行ける時が来たら、胸を張って“その日までちゃんとがんばったわたし”で会いに行きます。それまでどうか健やかにお過ごしください(わたしも気をつけます)読んでくれて本当にありがとう。


好きなバンドがいる。アルルカンという。誰がなんと言おうと、この世でいちばんかっこいい音楽をやっている、5人組のヴィジュアル系バンドだ。好きになったあの日から、ずっとずっと一瞬も揺らぐことなく、私の中でいちばんに輝き続けている。彼らが作り上げたこの最高のアルバムが、ひとりでも多くの人の耳に届きますように。


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