【感想】ショック・トゥ・ザ・システム
「ニンジャスレイヤー」第3部エピソード『ショック・トゥ・ザ・システム』の感想文です。連作「ロンゲスト・デイ・オブ・アマクダリ」のなかの一篇ですね。このテキストはブログからの再掲&加筆版で、2016年1月にTwitter連載版を読み直したときのものです。
◆ ◆ ◆
フジキド&ナンシーの連戦のクライマックス
このエピソード、おおよそ10月10日の昼前から午後にかけての出来事なのは明らかであったにせよ、連載時点では「ロンゲスト~」全体のどのあたりに位置していて、結末にどう絡んでくるかを知らなかったので、こうして完結したあとに読み直してみると色々と新しい発見があります。
まず、フジキドの戦いは本来がここが最終戦だったのだということ。フェアウェル&ニチョームはもはやフジキド(とナンシー)だけの戦いではないので、キュア様の一件は言ってみればオマケですよね。でなんか、その意味では最終戦に相応しい壮絶な戦いだったと思うんです、マスターマインド戦。
確かに、過去に苦戦したラスボス級のニンジャに比べると純粋なカラテ強者ではなかったし、そもそもマスターマインド本人に関する描写が今までのエピソードにほとんどなかったので、比較的印象が薄いのがもったいなかったかもしれません。
それにしても、ここに至るシチュエーションがハードだった。ナンシー艦が一方的にバカスカ攻撃を受けているという時間制限付きの状況下、連戦で満身創痍のフジキドの前に次々と立ちはだかる湾岸警備隊ニンジャ。そして、決着がつく直前のハーヴェスターの乱入。白髪&赤目のナラク化描写。ここは普段のナラクとの対話シーンなしに淡々と描かれたので、なおさら鬼気迫るものがありました。眼前で映像が動いているかのようなカラテ描写!
ゴウトが起こしたショック
ゴウトのキャラクターも良かった。一見、なにごとも無難にソツなくこなしているようで、何事も成しえない自分自身に全然納得していなくて、いつか世界を変えてやろうと思っている。彼が初めに計画していたのは、単に高官から機密情報を抜いて売ろうというコソ泥めいたケチな情報屋としての仕事にすぎなかったわけですが、「ニンジャスレイヤーの戦いを目撃すること」がトリガーとなって、ニューロンが連鎖爆発を起こす。
このゴウトの取った行動をメタ的に拡大解釈して、ニンジャスレイヤー読者にも重ねていいような気もします。ニンジャスレイヤー…に限らなくてもいいわけですが、なにか別の、誰かが本気で戦っている姿の一端を目撃することによって、自分のなかの衝動が湧き上がり、具体的なアクションを起こさせるきっかけになる。一般に、物語が持っている力ってそういうことかなと思います。
ニンジャスレイヤーWikiで知ったのですが、以前翻訳チームが紹介していたこの曲、Billy Idol "Shock To The System"。
囲んで警棒で叩かれるようなはみ出し者が、テックの力を肉体に取り込んでこれを撃退し、抑圧された人々を解放してケオスを生み出すって、まさしくサイバーパンクだ。というか、この曲が収録されているアルバムが"Cyberpunk"なのだそうです。この曲やバンドの文脈をまったく知らないのですが、ボンド&モーゼズ氏がこのエピソードに投影しているメッセージと重なる部分は大きそう。
ナンシー=サンの戦い
読み返してみて、ナンシー=サンもこの回けっこうヤバかったんだなと。そもそも、キョウリョク・カンケイに"生身"で乗り込むということ自体が無謀のうえに無謀な作戦だったし(タダオ大僧正のとこに乗り込んだのも正気を疑うほどの無茶だったけど)、フジキドがマスターマインドを仕留めるのが間に合わず、時間をオーバーしてアルゴスに見咎められて…のあたりは完全に失敗だったし、全ての計画が台無しになっていてもおかしくなかった。
エシオとネコチャンの登場は意外でした。アマクダリが目指していること、対してピグマリオン・コシモト兄弟カンパニーがやろうとしていることが、ここでほとんど初めて、具体的に明かされるという重要なパートでした。
コルセア登場シーンからこのあたりまでの、まるでファンタジー映画のようなミステリアスな描写は印象的でした。マッドマックスの沼地のシーンみたいな。3人でアルゴスにアタックを仕掛ける直前の焦らすシーンもカッコ良かった。
「リアクション」が生む連鎖的効果
で、ゴウトじゃないけど、自分が目撃したヤバいことは語れるうちに積極的に語っていかないといけないなと思いました。それがいずれ、連鎖的に別の「ショック」を生み出すかもしれない。たとえそのことによる結果を予見できなかったとしても、可能性を信じて表現する、アウトプットし続けること自体が大事だなと思うのです。何事につけても。
第3部のフジキドがやろうとしていることも、要するにそういうことなのかもしれません。彼はアマクダリ…マスターマインドのように結末を予見して何かの行動をしているわけではないし、そのことから逆算して自己の可能性を矮小化するようなこともしていない。でもそれは、決して意味のないことではないんだ、というメッセージのように受け取れました。
結果として、このときゴウトの起こした「ショック」がニチョーム戦の勝敗を決するほどの一撃になった、ということを踏まえて読み返してみると、改めて別の感慨が沸き起こってくるエピソードです。一度『ネオサイタマ・プライド』まで通読した方も、読み返してみると意外な発見があるかもしれません。
◆ ◆ ◆
ここからは追記です。
上記の感想文を書いたのは『デイドリーム・ネイション』連載時で、まだ第3部が完結する前でした。改めて第3部全体を俯瞰すると、この『ショック・トゥ~』で示されたモチーフの一部、つまりニンジャスレイヤーとの遭遇を契機とした「ふつうのネオサイタマ市民」の蜂起、ストレートなまでにパンク的なアティチュードというのは、最終章「ニンジャスレイヤー・ネヴァーダイズ」にもそのまま通じるものがありましたね。
本エピソードは6月発売予定のニンジャスレイヤー物理書籍新刊に収録予定とのことですので、そちらのバージョンも楽しみです。
「ショック・トゥ・ザ・システム」 - ニンジャスレイヤー Wiki*
http://wikiwiki.jp/njslyr/?%A1%D6%A5%B7%A5%E7%A5%C3%A5%AF%A1%A6%A5%C8%A5%A5%A1%A6%A5%B6%A1%A6%A5%B7%A5%B9%A5%C6%A5%E0%A1%D7
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?