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message in a bottle/ただ生きのびて子供たち


 P-MODELの『子供たちどうも』が好きで、P-MODELも平沢進ソロにも他にも膨大に良い曲があるわけだが、度々思い出すのはこの曲だ。

 きっと、自分に向かって呼びかけられた気がしたからだろう。

 この曲を初めて聴いたのは中学生の頃だった。当時の自分は鬱屈した思いを抱えて生きており、学校で人がいじめられてるのに口出ししていじめっ子ともめたら親に頭がおかしいと思われて精神科に連れて行かれたり日常的に親に殴られたり、友達がガッツリと虐待されていたが金も知識も無くどうにもできずスクールカウンセラーが彼女を冷淡に嘘つき扱いする様を別室登校部屋で傍観したり、そのスクールカウンセラーから別室まで会いに来る友人がいるのに教室に行かないのは友人に対して不誠実だと非難されたりで精神的に本当に限界だった。他人に対する不信と嫌悪がべらぼうに強く自分を一個体として認識される事自体に恐怖感があり、そういう妖怪みたいに自分の名を知られてそれで呼ばれることを異常に恐れていた。自分の周りの人間すべてより図書館に置いてある本の著者達に親しみを持っていて、自分をけして認識できない彼らの人間性を後書きの数ページで知った気になってお喋りでもした気持ちになった。インターネットも好きだったがニコ動にコメントを残すことさえ恐ろしくてできなくて、完全なROM専だった。vipやニコ動に実際書き込んだ事など一切無いのに匿名コメントの喧噪を画面越しに眺めて、その猥雑さの中に無言で佇んでいるつもりになって、この「俺達」の中になら自分だって混ざっていいのかもしれないと思って、一言も発さないままインターネットに帰属したつもりになっていた。

 そんな毎日の中でP-MODELを知った。ニコニコ動画で初めて聴いて、「ネットで違法視聴してる奴」と言われるのが嫌で初期P-MODEL三部作の紙アルバムを買い、画面がついておらず一曲単位の早送りや巻き戻しでしか曲を選べないウォークマンにデータを入れて、親が帰る頃に家を出て、親が寝付く深夜まであてもなく外をうろつきながらずっと音楽を聴いていた。ウォークマンはインターネットの欠片だった。違法DLとかそういう話でネットを悪者にされたくなかった。俺はインターネットが教えてくれたからヒラサワやP-MODELを知ったし、知ったからこそ全く手をつけずに貯めてきたお年玉でアルバムを買った。インターネットのおかげで俺とアーティストがwin-winなんだ。そして俺は一人の夜道で、自分が「俺達」の一人なんだと信じている。いい音楽を聴いて、一人であてどなく歩き続ける事に寂しさや怖さより開放感を感じている。「ただ生き延びて」と歌ってくれた人がいるから、その人が言う子供たちに自分も入ってんのかなと思ったから、生きた方がいいのかな?っていうか、こんなダメな奴なのにまだ死んでない事を後ろめたく思わなくてもいいのかな?みたいな、そんな気持ちになっている。

 それが俺とインターネットとネット経由で知った音楽との関係だ。

 今は自分はインターネットの人間という気はあんまりしていなくて、スクリーンネームも名乗っているし、特定の誰かとコミュニケーションも取る。もう「俺達」という群体の一部ではないから、一人称も「俺」じゃなくたっていい。「俺」が「俺」だったのは、自分を個体として認識される事への恐怖からだ。ネット上の無数の「俺」に埋没して誰かの悪意から逃れたかった。今は自分で自分の発言に責任を持ちたいという気持ちが大きいし、「俺達」の一部ではいられないという気持ちもある。あの時「俺」を守ってくれた「俺達」は同時に個人や特定属性に生まれついた誰かを匿名で攻撃する悪意の塊になることもあって、自分はそれに耐えられないし決別したいと思うようになった。「俺達」には「俺」みたいな奴みんなを受け入れてくれるシステムであってほしかった。ハセカラだの女叩きだの在日叩きだの他にも色々あるけど、「俺」みたいな気持ちでいるかもしれない誰かを「俺達」が執拗に攻撃しているのが嫌だった。倫理や法で問題があるとかそんな事も当然言えるんだけど、それ以上にただただ悲しくてやりきれないという感情がダイレクトに襲ってきた。今でも「俺」を使いたい時はあるし、「俺」という一人称を自分が使っている時、そこにはあの日の喧噪への郷愁だとか、なま温い笑いで長い間へらへらを抱えて、その状態が楽しくて仕方がないんだという心地がある。けどまあ、「俺達」と「俺」の一方的な蜜月は終わったのだ。

message in a bottle.

 思春期の自分は病気だった。茶化しとか比喩じゃなく、マジで診断がついていた。学校で波風を立てていた時分にはまあ正気というか正常だったと思うのだが、親に精神科に月1で連れて行かれて自分の言い分なんか全く聞いてもらえず、精神科医が「特に異常はないです」と述べるのを不審がって病院を変えようとする親が理解者面して有休取得し平日に自分を長時間のドライブに連れ出して「いつでも味方だからね」とか運転席から言ってきて、その翌朝7時半ごろ「学校に行け」と言って食卓に座っていた自分の背中を呼吸が止まる強度で蹴ってきたりとか、そういう積み重ねで完全に大丈夫じゃなくなってしまった。

 高校は好きだったが過眠と不眠と対人嫌悪が激しすぎて、家族より担任教師の方がよっぽど好きだし同じ空間にいたいのに家から出られず、倦怠感から身動きできない日数が長すぎて出席不足で一年留年した。級友と人間関係ができてしまうのを極端に避けてたものだから放課後なんの予定もなく、まっすぐ家に帰って、そしたらすべての気力が萎えて眠くなり夕食もとらず朝まで寝た。朝まで寝ても日によっては倦怠感が収まらず起き上がれないまま10時とかになり、よろよろ学校に行って廊下で授業の終わりを待った。高校の先生達は遅刻の理由も聞かず「途中からでいいから、せっかく来たんだし授業を受けなよ」「別に授業中に入ってきたって邪魔じゃないしそんなので一々授業中断しないよ」みたいな事をみんなして言ってくれて、自分は残り時間15分を切った時点の出席に慣れ、黒板を見て教科書を広げ、進行度をメモする癖がついた。そしたら家を出られない時でも教室を思って教科書を一人で読む習慣がつき、なんかこう段々図々しくなって、何やってるのかさっぱりわからないという疎外感は薄くなったものだから倦怠感以上に学校に行きたいという気持ちが勝つようになった。あの時何も聞かずにただ教室に入れてくれて、俺がいないみたいに授業を続けてくれてありがとうございます。それが当然でそれが普通って空気をうちの母校の先生方みんなが作り出してくれてなかったら俺は大学に進学するなんて絶対できなかった。きっと、鬱と睡眠障害を抱えて居たくもないし逃げ出したい家で身動きとれないまま引きこもっていただろう。

 けれども高校でだいぶ状態をよくしてもらっても結局どうにも大変なままで、大学進学しても諸々の問題は残っていたし相変わらず睡眠障害と鬱は続いていて、鬱が途中でひどくなり、しかし中々休学もできず(自己判断ですりゃよかったのだがその判断力もなかった)、数年無為に過ごして卒業計画はめちゃめちゃだ。鬱は投薬でだいぶ改善したがそれとは別に内臓系の持病が発覚し、これが年1で爆発して二年連続で入院する羽目になり、どうにもならないので休学して卒業までがさらに伸びた。取りこぼした必修科目が学科再編でどんどん規模縮小され、何故か入学年度によって一授業でもらえる単位が半減される仕様となり、本来2授業受ければ良いところを4授業受けなきゃならないし、取りこぼさなければ1期に二授業取ってケリがつく話だったのに今じゃ一学期に一科目しか開講されないから全部取るのに2年かかる。休学明けたら授業そのものが消失しており仕様的に詰む可能性すらあるかもしれない。悩ましいが現在この文を書いている間も自分の肉体は病床にあり、また一授業で得られる単位数の決定に自分の意志が介在することはあり得ないため悩む事になんら意味はない。復学時にシラバスを読んでみるしかないのだ。

 どうにもならない。

 だいたいのことがどうにもならない。行われているいじめを止めるとか、虐待されている友達を福祉の窓口に繋ぐとか、そんな事は中学生の俺にはできなかった。無論、それは問題を細かく分割して一つ一つに対処を考える能力が純粋に訓練不足だったという事でもあって、今の自分には「どうにもならないと嘆く前に、とりあえずネット検索でもしてまず情報を仕入れよう」という思考があるし、どうにもならないという自分の絶望感が事実に即しているか検討することもできる。

 けどまあ、やはりそれでもどうにもならない事はある。特に、瞬間瞬間においては。

 39度の高熱を出して眠くて朦朧としているのに炎症を起こした内臓がもたらす苦痛で一睡もできず二つの夜を越し、消灯時間が来て病室は真っ暗で、ナースコールして痛み止めを所望すると「一日に使える数には限度があるから」ともっともな理由で断られ、「そりゃ副作用とかあるもんなあ」と納得しつつ苦しんでる時とか。

 自分がそういう状態を脱した後、新たに同室になった他の患者さんが一日中ずっと苦しげで、数日前の自分と同じ理由で追加の痛み止めが無いことを知らされているのを病床を隔てるカーテン越しに聞く時とか。

 わけのわからない話だしそんな事情を与り知らぬご本人からしたら大変気持ち悪かろうが、自分はその人の苦しみにまったく無力な自分が嫌になって状況全部が悲しくて40分ぐらい泣いた。本当の本当にその状況で自分が出来ることは何もなく、なんならこの身勝手な同情自体相手が知るとそれだけで心理的負担であろうことは想像できて、やるせないとか悲しいとか情けないとかで涙腺がゆるんだ。

 やがて、泣きながら「pixivにエロ小説を投稿するしかない」と思った。

 大槻ケンヂの『ステーシー』で中原中也の「春日狂想」が引用されるシーンがあり、それを思い出したのだ。

 業が深くてなおもながらって、でも格別のこともできない。テムポ正しく握手をする代わりに、自分はpixivにR18最悪倫理公序良俗に反する描写のための描写しかない文学的深みなど一切無いオタクポルノ小説を上げよう。書ける時に書いて投稿しよう。

  痛み止めが切れている時、スマホにヘッドフォンを繋いで音楽を聴いた。なぜか無性に「ソーラ・レイ」が聴きたくなって、「バンディリア旅行団」とか「金星」とか「ハルディン・ホテル」とかあのあたりの曲で意識をいっぱいにした。平沢進は俺を知らないし、認識することはないだろう。自分自身そんなことは望んでいなくて、平沢進の無名の一聴衆でいたいだけだ。平沢進は俺を知らず、でも俺は一方的に平沢進に救われている。

 平沢進以外にも色んな人が俺の痛みを和らげてくれた。それは自分の個人的な交友関係の相手になってくれている人達との趣味に関する雑談だったりもして、そこにも深く感謝している。けどまあ昼も夜もない病人の愚痴にそれぞれ生活があるみんなを巻き込むのは気が引けて、結構厚かましく構ってもらっていつつやっぱり気は引けていた。苦痛に苛まれて余裕がない時ってまともに成立する応答もできないし。

 だから、めちゃめちゃに弱っている時にお世話になったのは人そのものというか誰かが作ったコンテンツで、不特定多数に開かれたそれが俺を慰め、今そこにある苦痛から意識を少し自由にしてくれた。ふりかえりて見ればそれはあの時の「俺」を助けてくれたものでもあって、自分は10年以上インターネットに救われているわけだ。本当はここに、具体的に誰の何に助けられたか書き連ねたい気持ちもあるが、それ以上に言いたいことがある。

 ありがとう。とにかく、ありとあらゆるネットで痕跡を残す人達に感謝を伝えたい。これを見ているあなたが書いた何かを俺はまだ見ていないかもしれないし、見てもよくわからないかもしれない。でも、あなたが残して置いておいた何かは、いつかどこかで誰かの苦痛を和らげるかもしれない。その誰かはodaibakoやマシュマロやコメント欄に感想を残す事は無いかもしれないし、viewが1増えただけであなたは無視されている気持ちになるかもしれない。でもネットって残るから、あなたがパスを忘れログインできなくなったSNSを数年後見て勝手に救われた誰かがいるかもしれないんだ。その可能性をあなたが作っておいてくれた事が俺はうれしくてありがたくて、何を代表者面してるのかって感じだけど、あなたに救われたROM専の人に代わってお礼を言っておきたいんだ。案外あなたはROM専だった時代の俺を大いに救ってくれた誰かかもしれないので、その可能性にもありがとうございますと深々と頭を下げておく。

 SSとかイラストとか漫画とかブログとかフリゲとか作業用BGM動画とか、そんなわかりやすいものだけじゃなくて、ニコ動のコメとか掲示板のレスとかTwitterの感想実況とか。とにかく、あなたが生きて存在してて、その痕跡がなんらか見える形であることが、どっかの誰かをいつか救うかもしれない。それを覚えていてほしい。だから、気が向いたらなんか投げてくれ。自分が人を救う人なんだってことを自覚して、色々あると思うし本当にきつい時俺はあなたをどうにも助けてあげられないんだけど、それでもあなたはあなたの価値を疑わずにいてほしい。いままでに何もしてないと自分では思っても、未来のあなたが助けるかもしれない人のためにも、今歌わなくても、今叫ばなくても、ただ生きのびてほしい。そう、心から思う。

 ボリスの「孤独なメッセージ」は誰もがSOSを発しているという歌詞だ。インターネットの投稿って、大袈裟なようだけどSOSでもあると思ってて、少なくとも対面の人間関係の中で満足できる話題ならネットには出さない。見つけてくれとか、誰かこの話したい人いない?とか、程度の軽重はあっても孤独は内在している。言うなればみんなメッセージが入ったボトルを流していて、誰か受け取ってくれないかなと期待している。

 でもそれって、流した人のSOSでもあるけど、受け取った人を救うかもしれない救命具でもあるんだよな。俺はそこに何かすごい救いというか、その現象が存在すると考えを馳せただけで感動するものを感じている。素人の最悪一次創作猥褻文書とか一般的に言って害悪で、自分はツイッターのオープンアカで自分の創作周りの話はすまいという誓いを立てているんだけど、でもpixivでタグを哨戒してる誰かがいつかどうにもならない現実から少し心を逃がすのに拙作を使うかもしれないねと思ってずっと恥をさらしている。

 実を言うとこのnoteもメッセージの入ったボトルだ。つらつら自分語りをしてきたけど、これをいつか読む誰かが「この人と俺似てるな」みたいなのでちょっと安心してくれたり、そういう事が起きればいいなと思ってる。自分はほんとに色々あって、こうして長文書いてるのも入院中に親とやりとりして精神が限界になったのを落ち着けるためってところがあるんだけど、ひとしきり書いてたら前向きな気持ちだ。簡単ではないと思うけど、自分はいつか大丈夫になりたい。そこそこ楽しい毎日を送って、昔の自分みたいな最悪な日々を送ってる子供に「今は最悪だけど、生きてたら大丈夫になる日が来るよ」って言えるようになりたい。言うだけじゃなく、具体的に支援の窓口につなぐとかそういうこともできるようになりたい。

 瞬間瞬間でどうにもならないことが本当にどうにもならないかというとそうではなくて、まあどうにかなるかもっていうのもある。法改正がしたい。子側が親と絶縁できる法制度があって然るべきだと思う。生まれという自分の意志に関係ないものに人生を束縛されまくるのはおかしいし、親は子を自分の選択の結果として発生させたんだからそりゃ義務もあろうが、その逆が強要されるのはおかしい。

 だいたい、哺乳類の生物学的仕様にしても人間の社会規範にしても、そういう基本的な諸々は子供が親を好きになるように強力な圧をかけているわけで。衣食住という快を満たし、一般的な社会道徳でその恩を感じさせ、その圧倒的優位性を持ちつつも子供に嫌われてる親は、相性とか不運もあるにせよ自分が失策を重ね続けた事を自覚してほしいしその行動の結果を自分で引き受けてほしい。大人なんだから。客観的に見て、定期的に子供を殴る仕掛けがついた針金製のアカゲザルの母より子供との関係性構築に失敗してるんだから子供の側が罪悪感を抱くことはないよ。自分自身身体的暴力を受けつつ「親が嫌いな自分は道義的によくないのではないか」と不安になることがあるけど、他人事として聞けば全然嫌いになって当然だと思う。親にも事情はあるし人間の認知は常に自己中心的ではあるけど、あなたが誰をどう嫌いになるかはそもそもあなたの自由であるべきなので、これを見ている人で葛藤がある人いたら、少なくともこの文を書いた奴はあなたの親が嫌いって気持ちを否定しないって事をなにかの足しにしてくれたらうれしいな。

 議員立法とか署名提出とか、法律を一本作るってのがどういう事なのか全然わかってないんだけどおいおい調べていきます。児童虐待防止や子の人権尊重の観点から親権を制限する方向での政治活動を行っている人、その関係者がこれを見ていたらぜひご連絡をお願いします。支持するかどうかは詳細を見てからになるけど一票持った潜在的支持者です。よろしくおねがいします。

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