一筆箋を持ち歩く奴になる
持病が爆発して入院していた。一年ぶり二回目の入院であった。40度に届かんという高熱が出たり、臓器の炎症が痛くてまったく眠れない日々があったり、半月ほど絶食したりと色々あった。これらはとりわけ苦痛であった出来事で、二週間ぐらいは意識がこうした刺激に塗りつぶされていた。
上述の出来事に比べれば別段苦痛でも何でもないのだが、こんな風に入院した時しか体験できないことが色々あったので、記録のために書き出してみる。
・血管が細い人間は点滴の針の位置が全然定まらないし、運良く刺さっても一日もすれば液が漏れてくるのでまた針を差し替えねばならず、両腕が点滴針の痕で内出血だらけになる。
・肘と手首の間を刺されるのはなんということもないが、いよいよ刺し場がなくなって針が上腕に及ぶと、刺されるのはびっくりするぐらい痛い。
・もはやそこしか刺し場がないという理由で変な位置の血管に点滴を落とした結果、肘を曲げると点滴に差し障りがあるため常に腕をまっすぐにしていなければならず、10日程両腕を交互にまっすぐにしていて絵の描き方を忘れる。
・最近の病院は暖色と木目調を多用した設えで、夜も怖くない。廊下まで出ると夜勤の看護師さんがなにやら忙しそうに立ち働いているのも見えるし、眠れない夜に廊下を足音をひそめて散歩するのは何か愉快だ。
・点滴台は当初は拘束具と思えるが、体が弱ると杖になるし、なんとなく自分は病人でございと言う免許のように思えるものだから、いざ点滴から解放されると手ぶらの自分が部外者だと思われても仕方のない気がしてきて廊下の徘徊が遠慮がちになる。
・エレンタールはオレンジ味とコーヒー味がとんでもなくまずかった。青リンゴ味は酸味が爽やかで結局これが一番飲みやすかった(個人の感想であり諸君にとってそうとは限らない)。
・栄養食はたいてい甘い味付けで、少量で高カロリーを取らせる目的上そうならざるを得ないのだろう。しかし締まりのない甘さの連続にうんざりする。
・絶食はかなり精神を不安定にさせる。有効な拷問法だ。
・体調や疲労度は姿勢や歩き方に露骨に出る。無理に元気なふりをしたい時は言葉や表情よりも背中の角度や足の上がり方で演技すべし。逆もしかり。
・風呂は非常に体力を使う。絶食が10日も続けば尋常の入浴温度の湯すらかなりの刺激物と化し、また自分の体を洗うのにもばててしまって、休み休みで一時間もかかった。
・日の出が遅くなるのを病棟の窓から眺め、だんだん長袖じゃなくちゃ暮らせなくなるのを病室で感じて、夏から秋への一月を失ったのを自覚するとしみじみ悲しくなる。
さてまあ、ここからが本題なのだが。退院日に一筆箋を買う気でいる。
絶食がとけて流動食の食事が出るようになった時、一食めに食べた人参のポタージュがあんまりにおいしくて、「odaibakoに長文感想入れなきゃ」などと思った。思ってから、冗談じゃなく本当に自分の情動を伝えたくなって、持ち込んでいたスケッチブックの端を千切り感謝の手紙を書いた。病院の厨房はodaibakoもマシュマロも開設していないからだ。きっと迷惑だという気がしたが、厨房の人々の日常的な仕事にこんなに助かってしまった奴がいるのだという事を伝えたくなってしまったのだった。
この先も、そういう事を伝えたくなる日が突然やってくるかもしれない。そんな時に、スケッチブックの端を毎回千切るのも不格好だ。だから一筆箋でも買おう。買って持ち歩いてなにやら書き付けて、その紙の行方は知らない。読まれるかもしれないし、捨てられるかもしれない。送り手が言いたがるのは送り手の勝手だが、受け手がそれを受け取るかは受け手の話だ。もっとも紙を捨てるのも労だから、そういう意味では申し訳なくはあるのだが。
自分が一筆箋なんか持ち歩きたがる奴になるとは思っていなかった。今は鉢植えのローズマリーを部屋に置きたがっているし、数年片付いてなかった部屋を片付けて、オーブンレンジなんか買って自分で簡単なお茶菓子を拵えて冬の日に紅茶を飲む気でいる。面倒だという理由で何かをしないという事をやめたくなってしまったのだ。そういうことをして、不満足な日々を暮らしているうちに案外死んでしまうかもしれないという気がしてきたので。
今年の冬は働いて、お金を稼ごう。あんまり妥協のない手料理を拵えておいしいものを食べ、本を読んで字を書こう。そして、何か良いことがあればそれをもたらしてくれた誰かに躊躇なく手紙を書こう。そんな風に暮らしていきたい。
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