【社会人一年目の私へ】カスタマーが誰かに気づけば仕事のやりがいが出る
私は1991年のバブル経済ピークの年に社会人になった。大学院進学を諦め就職に舵を切ったのが12月だった。化学系ならばどこでもよかった。農学部でDNAと他の化合物の相互作用などを研究していたのだが、プラスチック樹脂開発製造会社に就職した。
R&Dなので当然研究ができるものと思っていたのだが、これが大違い。ペレットや粉やオイルなど、様々なプラスチック原料を混ぜ、押出機でコンパウンドを作る。それをオーブンで乾燥させ、射出成型機でテストピースを成型する。それらを使って、衝撃強度や熱変形度、引っ張り強度や曲げ強度などを測定する。ひたすらこれの繰り返しだ。ほとんどが手作業の重労働で、冷房も暖房もないプレハブの加工ラボの、粉体や溶剤やプラスチックの焼けた臭気が漂う中で、200℃以上に設定した巨大な機械を操作する、劣悪な環境であった。
「俺はどうしてこんな仕事をしているのだろうか。」
五月にはそう思っていた。そもそも、何のための開発案件なのか、よくわからないまま仕事をしていた。私は「物」つまり化合物としての樹脂やそのブレンド現象、熱をかけた時の現象などには興味を持ってはいた。
もちろんこれがR&Dの王道なのだ。しかし今から考えれば、「誰のため、何のための仕事なのか」を気にしていなかった。
確かに上司はカスタマーの要望や問題点を説明していてくれてはいた。これはT社の新車のテールランプのためで、大型で成型特性を変えないといけないだとか、これはM社のビデオデッキのギア部品で、耐摩耗性がいるのだとか。しかし私は相手の要望に興味がなかったのだ。
しかし営業さんから、カスタマー(部品成型メーカー)からの苦情や開発要望を直接聞くようになると、自分の中での責任感が変わってきたのを覚えている。実際に営業の方に連れられてカスタマー訪問もした。そうすると彼らが抱えている問題を目の前に見せられるのだから、よく理解できる。「なんとかしてあげなければならない」と思うようになった。そうすると自分の仕事の取り組みが全く変わってきた。
結局仕事というのは、何かを生み出し、それを受け取る人がいるということだ。それを受け取る人の要望に応える。だからお金として返ってくる。時には期待以上の物を見せ驚かせる。それがその次のプロジェクトにつながる。相手は実際のカスタマーでもあるし、見方を変えれば、営業担当者の方も開発者である私にとってはカスタマーなのだ。
下に人を持つようになっても同じだ。結局は「人が生き生きと仕事をして活躍してくれるにはどうすればいいのか」が人の上に立つ者の最も重要な役割なのだ。上司にも部下にもカスタマーと同じつもりで接すれば、チームとして必ず良い方向へ行く。これが私の長年の経験則だ。こういう組織に入ってくる社会人一年生は一人の例外もなく生き生きと活躍してくれるものだ。
仕事というものは「人に喜んでもらえる価値を生み出すことに一生懸命に取り組むこと」なのだ。そして社会とは、誰もがそれをすることで成り立っている。社会人とは「仕事」をすることによって社会を形作っているのだ。「自分の仕事は誰をどうやったら喜ばせることができるのか」自問してみてください。