モネが描く"一瞬の光"に酔いしれたい。
お疲れ様です。eponaです。
前回投稿した「夏を描いた絵画集」で私がひいきしまくったモネ。
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多くの方にご覧いただいて嬉しい限りです。
今回はそんなモネを深掘りしてみようと思います。素人の素人による素人のための解説です。美術を専門にされている方々はどうかどうか生温かい目で見守ってください。
クロード・モネは1840年パリに生まれ、1874年に開かれた「第1回印象派展」というサロン(展覧会みたいなもの)に作品を出展します。その絵が下の「印象、日の出」です。当時の評判は芳しくなく、批評家からは「印象でしかない」と皮肉たっぷりに酷評されてしまいます。これが後の「印象派」という呼称の語源です。
当時絵画といえば宗教画や貴族たちの肖像画が主流であり、写実的でいわば優等生な絵が多かったようです。その中でこのように抽象的でまさに「印象」を描いている作品は、批評家の目には異様に見えたのかもしれませんね。ラフに筆のタッチを残す手法もこれまでの作品とは大きく異なりました。
モネを含む印象派と呼ばれる画家たちは、自分の足で歩いて美しい景色を探し、その一瞬の光と影を肉眼で捉え、そのまま戸外で製作することに拘っていたようです。分かりやすく説明するために、モネの最大の特徴である連作について紹介します。
モネは同じ題材を異なる季節やアングルで繰り返し描く、連作という手法をとり入れました。対象は積みわら(収穫した麦の穂を積み上げたもの)やルーアン大聖堂、そして有名な睡蓮などがあります。
積みわらの連作の一部を見てみましょう。
いかがでしょうか…めちゃくちゃすごくないですか??(小並感)
同じ積みわらという題材でも日の当たり方は365日違いますし、全く同じ瞬間というのは二度とやってこないんですよね。モネはそのことを理解していたのだと思います。その一瞬の美しさをキャンバスに閉じ込めようとしていたのかもしれませんね。
余談になりますが、ついこの間、夕方5時半頃だったと思います。まだ夕焼けではない、だけれども少し陽が傾き始めた頃です。ふと車の窓から外に目をやると、斜め上から光を浴びた草木の輪郭がいつもよりくっきりと、そして燦々と輝いて見えました。それは何故か涙が出るほど美しかったんです。私はその瞬間に「モネはきっとこれを描きたかったんだ」と直感的に感じました。
モネはその晩年を「睡蓮の連作」を描きあげることに費やしました。睡蓮の浮かぶ池はモネ自身が日本庭園をイメージして私有地内に作り上げたものです。
手紙内にて「水と反映の風景にとりつかれた」と述べたモネは、残りの人生をかけてフランスのオランジュリー美術館に展示されている大作へと挑みます。亡くなる直前まで加筆修正を続けたというモネ。この大作を国家に寄贈したいという夢も実現しています。実際の画像を調べてみたらあまりの迫力に胸が熱くなりました。いつかこの目で見てみたいな。
そして何とこの秋、上野の西洋美術館でモネの企画展が開催されます。過去最大規模の「睡蓮」が鑑賞できるとのことでもう行くしかありません。
最後に上野の森美術館で開催されていたモネ展に行った時の写真をご紹介します。(全て撮影OKゾーンで撮ったものです)
想像以上に混んでいたことと、10代であろう若者からご年配の方まで幅広い世代の方々が来ているのが印象的でした。
以上、素人によるモネの解説になります。
彼の作品が世界中の人々を魅了する理由が何となく分かるような気がしませんか?モネのような絵心はありませんが、何気ない日常こそ”絶景”であること、そして今は今でしかなく、二度と同じ瞬間は訪れないことを忘れてはいけないと私は強く思うのです。移ろいゆく季節や時間を味わえる心の余裕は人生も豊かにしてくれるような気がします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。