民衆の苦しみを認めず「それは存在しない」とする当局 貧困に沈む大国(2)
(前稿から続く)「これでは本当に悪いよ」「申し訳ないねえ」と感激しながら謝り続け、戸晨風氏に合掌してお礼を言うお婆さん。戸氏と別れて、去りゆくお婆さんの後ろ姿は、なんとも寂しげだった。
なぜ「何の政治性もない動画」を封殺するのか?
以上が、当局が全ネットで封殺した動画の一部始終である。この5分余りの動画は、動画配信プラットフォーム「Bilibili(ビリビリ)」に投稿された後、投稿者である戸氏のアカウントは突然ブロックされ、その後のライブ配信も禁じられた。
この動画のなかで、当局や政府に対する批判などは一切触れていない。
動画にはただ、成都という大都市の底辺で、懸命に生きる高齢者の姿がリアルに映し出されていただけである。もちろん、この成都の都市戸籍を持たない(つまり農村戸籍である)お婆さんは、他所(よそ)から来た出稼ぎ労働者であり、普遍的な成都市民を代表しているわけではない。しかし、それがなぜ、ブロックされるのか。
民衆の苦しみを「存在しないこと」にする当局
「民衆の苦しみは、カメラに撮影されなければ存在しない、ということか?」。このエピソードを取り上げたラジオ・フリー・アジア(RFA)は…………
●続きはこちら:
●大紀元エポックタイムズ