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2024年個人的ベストアルバムを15枚並べる記事

毎年、音楽ファンたちは今年良かったアルバムを並べる。これは単なる趣味ではなく、むしろ宿命的な儀式である。もっと正確に言えば、我々がそれを並べているのではなく、アルバムが我々の手を借りて「並びたがっている」と言えるだろう。並ぶことには何かしらの必然性が宿っている。それは、宇宙の奥底に隠された秩序の写し鏡であるかもしれないし、または私たちの知らぬどこかで奏でられる音楽の断片であるのかもしれない。

年間ベストアルバム記事を書くたびに思い出すのは、ピタゴラスが語ったというある寓話だ。それによると、全ての音楽には「至高の旋律」が隠されているという。その旋律は、人間の耳には決して聴こえないが、正しい順番で並べられた音楽の記録が作る「無音の楽章」によってのみ、宇宙を響かせることができる。そして「無音の楽章」は、音楽に触れたすべての人間が無意識的に求めるものである、と。この逸話は少しでも音楽に詳しい人なら良く知っているだろう。エリック・サティやジョン・ケージは「無音の楽章」を意識的に求めていたともいう。

作曲しなくても、すべての音楽ファンも音楽に触れた人間と言える。もしかすると「無音の楽章」を求めるため、私たちは無意識のうちにアルバムを選び、並べているのではないか。私やあなたの並べた15枚が、知らぬ間にその無音の楽章を奏でているのかもしれない。

もっと奇妙な伝承がある。古代バビロニアの図書館には「秩序を司る書」という巻物があり、それにはすべての芸術、言葉、記号を「正しく並べる方法」が記されていたと言われている。その方法によって並べられたものは、一つの宇宙の姿を現す力を持つという。その巻物は焼失したとされるが、その断片には音楽を並べる方法にも触れているという噂を私はどこかで耳にした。もしそうなら、ベストアルバムを並べるという我々の行為は、その失われた秩序の断片を再構築しようとする試みなのかもしれない。

だが、こうも考えられる。「並べる」という行為そのものが、私の存在を超えた何者かのゲームの一部ではないか。
レヴィ=ストロースが集めた神話類型の中には「並列神話」と呼ばれるものがある。宇宙を作った存在は、無数の次元と時間の間に記号を撒き散らし、それを正しく並べた者にのみ、彼らの真意を知らせる、というものである。

無音の楽章も秩序を司る書も、並列神話の類型の一つであるといえるだろう。我々人間はこの世界全体=カオスを理解するのは困難であるため、すべてを並べる。順序付けられる数である順序数については比較的容易に考察できるのに対し、必ずしも順序のつけられない基数についての研究が困難であるのに似ている。

しかし順序のつけられない事物を含めたあらゆるものを、人間は並べようとする。それはいわば世界全体=カオスを理解している神に近づこうとする試みともいえるだろう。

音楽で言えば、神に近づこうと日々音を並べる、ミクロ的観察者が音楽家であるだろう。そして神に近づくため毎年一回アルバムを並べる、マクロ的観察者が音楽ライターや音楽ファンなのである。

そして私はアルバムを並べる。音楽ファンとして、神に近づくために。



15位 OTO / COMA-CHI

日本語ラップにおいて「和」は度々取り上げられる。その例として最も優れているのは志人だろう。祝詞や説教祭文等、日本古来の語りのやり方をヒップホップに落とし込むやり方は唯一無二。彼があまりにも優れているため、和のヒップホップは逆に発展する余裕を失っているようにも見えていた。

が、このCOMA-CHIのアルバムは志人とは別サイドから和ヒップホップに取り組んでいたのが新しかった。志人はそのスピリチュアル性をアンビエント的質感で美しくまとめ上げていたが、COMA-CHIはトラップビートによるキッチュとしてスピリチュアルなものを表現している。ヒップホップにもある種の俗悪性があるが、それとスピリチュアルの嫌な空気感を接続したのは大変ユニークな試みだった。


14位 Here O.S.T. / Brecht Ameel

苔を題材にした映画のサントラ。昨年の映画のサントラはかなり良いものが多く、特にHappy Endは黄金期の坂本龍一を彷彿とさせる楽曲で(私の間のみで)話題だった。そんな2024年サントラ中でも一番に選びたいのがこの作品。

木製弦楽器が奏でる静謐なアコースティック・アンビエントは、映画の内容を知らずとも鬱蒼とした森が頭の中に思い浮かぶ。サントラは映画の空気を決定づける大切な役割を担っているが、この作品はこのアルバムだけでこの映画の世界観を作り上げている点が非常に優れていた。


13位 Sparrow's Arrows fly so high / 雀のティアーズ

昨今、民謡再解釈系の音楽が増えている。俚謡山脈や民謡クルセイダーズに始まり、帯化やCHO CO PAなど新世代の音楽家もその傾向にあると言えるだろう。その中でも雀のティアーズはブルガリア民謡とのクロスオーバーに目を向けたユニットだ。

非常にマニアックなコンセプトだが、バルカン半島的コーラスで歌われる日本民謡には必然性さえ感じるから不思議である。中にはそれらに加えてウクライナ民謡まで取り入れている曲まで存在しているが、全くかさばっていない。民謡の掛け合わせという比較的シンプルな切り口で、ここまで新しい試みができるのか!と驚いた作品だった。


12位 Cycle / H TO O

最近私が発祥の「良ンビエント」というワードを使う人が増えてきた。一切かかわりのない方も使っており、それを見つけたときには言葉が巣立っていくような感覚を覚えた。では「良ンビエント」の提唱者として今年一枚、と言われたらこの作品を挙げたい。

アンビエント好きで知らぬものはいないKankyo Recordsの店主とアンビエント作家による共作アルバムである。アンビエントは展開が少ない(あっても展開の間が長すぎる)ので苦手意識のある人も少なくないと思うが、この作品はかなり動きがある。音像は日本の環境音楽の伝統に則ったFM音源的質感でありつつも、トランスのようなリズム感溢れる楽曲がそろっている。最近のアンビエントを知りたいアンビエント初心者の皆さんには、真っ先にこれをおススメしたい。


11位 Dos Atomos / Dos Monos

boredoms近辺(所謂関西ノイズ/スカム)にはあまりヒップホップらしいヒップホップアーティストがいない、という印象だったが、これを聴いて彼らがいたことを思い出した。boredomsの歌詞の引用や大友良英の起用など、90年代boredomsの数々の名盤の哲学をバックに、現代を表現したような作品だった。

boredomsに太陽礼拝からの影響が見られるように、この作品にも日本土着の信仰を咀嚼した要素が見られる。この記事でもすでに触れたような民謡再解釈のロックや和ヒップホップの一種とも言えそうな作品ではある。だが、ヒップホップの枠にもロックの枠にもとどまっていない。これはヒップホップクルーから始まり、現在バンドセットである彼らだけにしか表現しえない世界かもしれない。今後も期待大です。


10位 永遠 / effe 

ロリコア(再び死語になった)が跳梁跋扈していた2020年代初頭、最終的に彼らはここに行きついたともいうべき、アニメジャケのネット音楽最果ての作品。猫街まろん氏の提唱する「遠泳音楽」をきっぱりと表わした音楽であるともいえる。打ち込みならではのシンセサイザーの細かい音色と、柔らかなピアノが絡み合うエレクトロニカ。どこかで聴いたことあるような、不思議なノスタルジーを感じさせる。

個人的には、この作品はネット音楽とともに冥丁の進化系であるともいえると考えている。霞がかかったようなピアノ、人々の声のサンプリング、言い表しようのない懐かしさ……100年後の人たちはeffeに冥丁と似たようなものを感じるかもしれない。


9位 High Tide / Able Noise

black midiに始まるポストロックブームが続いている。そんな中、この作品はポストロック的感性とフォークのサイケデリックな感性を組み合わせたともいうべき作品。

楽曲自体は普遍的なアシッドフォークでありながら、各曲にユニークなギミックが仕込まれている。テープの回転速度をいじったり、敢えてチューニングのずれたギターで合奏してみたり……毛色は違うが、Trout Mask Replicaに通じる感性を感じた。難しいこと抜きで、ただひたすらに楽しませようとしてくれるアルバムである。


8位 ひかりのないまち / Zōka To Soragoto

2024年にはネットレーベルKAOMOZIのZINEの編集をさせていただいた。その中でKAOMOZI全作品をレビューするコーナーがあり、その執筆のためにこの作品を先んじて聴かせていただいた。聴いた刹那、「これはKAOMOZI最高傑作だ!!」と衝撃を受けた。

所謂フォークトロニカであり、先に上げたeffe「永遠」と通じる空気感がある。この作品はeffeのノスタルジー的着眼をさらに深化させ、関東の郊外の空気感を醸し出している。聴くたびに暮らしたことのない町の記憶が次々と出てくる。惜しいのはEPサイズである点。フルアルバムを期待している。


7位 Contact / 角銅真実

日本現代ジャズの快作として各所で話題だった作品。昨年のceroの作品のような、音楽界から一歩引いたような視線から作られたような音楽である。フリージャズ色が強い現代フォークが軸でありつつもいきなり水の中に首を突っ込んだり奇妙な楽音が聞こえてきたりと、不可思議なことが当たり前に起こる。音場もフィールドレコーディングのような質感を持っている。

百年の孤独が流行った2024年の頭にこの作品が発表されたのは、一種のシンクロニシティなのかもしれない。アルゼンチンで制作されたという逸話も相まって、音楽のマジックリアリズムをこれ以上なく表現していると言えるだろう。


6位 What Is My Porpoise / Dolphin Hyperspace

これも不思議なイルカジャケを含めて大変話題になった作品。昨今はゲーム音楽に影響を受けた音楽家も多い。先日もとあるライブである人物がとたけけをカバーしていたのが強く記憶に残っている。このアルバムはその風潮を象徴するような一枚だった。

単純にゲーム音楽に影響を受けたジャズで~というのが最初の印象だったが、何度も聴いているうちにそれ以上、「ゲームの登場人物が作ったジャズ」とでもいうべき雰囲気さえ漂わせているように感じた。Dolphin Hyperspaceはこの世の人物とは思えないのである。彼らはWii Sports Resortの世界でジャズを奏でている、モブA~Eによるグループなのではないか?そう思わせてしまうほど、現実感のないジャズ作品である。


5位 GRAND POP / PAS TASTA

Dos Monosがロックに回帰したように、PAS TASTAもロックへと向かったらしい。客演も電子音楽というよりかはポップス・ロックよりだったのもそのせいかもしれない。

正直に言えば、前作の方が完成度は高い。しかし前作は年間ベストに選ばず今作を選んだ大きな理由は「客演させられている」という印象がなかったところである。個人的には、前作の客演には「何故その人を選んだんだろう」という必然性をそこまで強く感じなかった。今作はアルバム全体の統一感はもとより、客演のキャラクターが際立ている点を特に評価したかった。プロデューサーユニットとしてのPAS TASTAを垣間見れた気がした。


4位 Absence / Kimbanourke

韓国はフォークが強い。そして昨今は宅録も。今作はそれぞれをハイレベルに組み合わせた凄まじい作品である。

純粋なフォーク音楽としてのレベルが高い上、Sufjan Stevens的なフォークトロニカ的前衛性を併せ持つこのアルバムには一切の隙が無い。韓国のフォークトロニカと言えば空中泥棒という空気さえあったが、彼が登場したことにより双璧となった形である。瑞々しく、繊細な空気が漂う韓国音楽史に残るであろう傑作を制作した彼はまだ25歳というから驚きである。今後も目が離せない。


3位 Think of Mist / Dorothea Paas

アンビエント色の強いカナダのSSW。日本の環境音楽に影響を受けているそうであり、洋楽でありながら邦楽ともいえる作品であろう。このような作品が増えている昨今、もはや洋楽邦楽で分けるのにあまり意味がないようにも思える。

環境音楽の雰囲気にトラッドフォークが絡み合い、イギリスの湖畔地帯のような空気を醸し出している。Nick Drakeがアンビエントに傾倒していたらこのような作品になるだろうか。またアンビエントのみならず、ビート入りのフォークロックもレベルが高い。アンビエントはあくまで前衛音楽であり、その応用をすることは必須だと思うのだがこの作品はアンビエントの応用の一つの形を見せてくれた。


2位 Inter​-​Others / Reishu Fukushima + Satoshi Fukushima

尺八とは不思議な楽器である。西洋の楽器では不快とされる音もメリなどと言って積極的に演奏に活用し、微分音を積極的に奏でる。五線譜に囚われないこの楽器をコンピューターと共に演奏したのがこのアルバムである。

現代版「銀界」というのが早いだろう。尺八の伝統に基づく即興とコンピューターによるデータ処理が同時に進行していき、サイバーパンクの世界観を覗いているような気分にしてくれる。何よりも、この前衛的な試みは全く破綻していないのが素晴らしい。未来と過去とがここまで完璧に溶け合った世界観は今後もなかなかお目にかかれないだろう。


1位 A Lonely Sinner / samlrc

フォークトロニカを主軸にアンビエントやシューゲイザー、ノイズなど様々なジャンルへと越境していく作品。それでいてアルバムの軸は見失わない。

これについては長々と書くよりも実際に聴いてもらった方が早いだろう。聴いてください。素晴らしい作品です。




15位以降はこちらをご覧ください。


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