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2016年(平成28年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン

2016年(平成28年)の出来事

  1. 『一私小説書きの日乗 遥道の章』(2016年1月、角川書店)

  2. 「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」連載開始(『本の雑誌』2016年3月号~)

  3. 『棺に跨がる』(2016年4月、文春文庫)

  4. 『ベスト・エッセイ2016』(2016年6月、光村図書出版)

  5. 『蠕動で渉れ、汚泥の川を』(2016年7月、集英社)

  6.  東京大学で講演(2016年11月6日 /「人生に、文学を」/ 日本文学振興会主催)

  7. 『随筆集 一私小説書きの独語』(2016年11月、角川文庫)

  8. 「雨滴は続く」連載開始(『文學界』2016年12月号~)

  9.  記述なし(省略)の日が目立つようになる

一私小説書きの日乗 不屈の章(第5巻)のつづき

2016年1月

※半同棲先に滞在の可能性

2016年1月1日
藤澤淸造月資料の整理。
散歩のため外出
お雑煮を一碗食べる。
『小説現代』2016年2月号用の短篇の下書き。ノート3頁。「深更の巡礼」と名付ける。

2016年1月2日
「「深更の巡礼」下書き分を読み直し、使えそうな部分だけを紙に書き写し、他は破り捨てる」と述べている。
散歩。
(帰宅、帰室の記述なし)
高木彬光の初期短篇を4篇復読する。
「深更の巡礼」の下書き。ノート3頁。
DVD「新選組血風録」第3巻を観返す。

2016年1月3日
サウナ。
帰室。
「深更の巡礼」の清書。
「深更の巡礼」の下書き。ノート4頁。

2016年1月4日
「少々体が気だるく、寝たり起きたりで読書三昧」と述べている。
回転寿司。「大変な混みようで、ネタは殆ど品切れになっている。/やむをえず、平生は余り好まぬサーモンやらマグロのハラモ、玉子焼きなぞを11皿と、ミニうどん」と述べている。
帰室。
高木彬光を読む。
「深更の巡礼」の下書き。ノート3頁。
風邪薬を服んで寝る。

2016年1月5日
サウナ。
帰室。
「深更の巡礼」の清書。
「深更の巡礼」の下書き。ノート4頁。

2016年1月6日
「深更の巡礼」の清書。
「深更の巡礼」の下書き。ノート6頁。

2016年1月7日
サウナ。
古本屋に立ち寄る。『歴史読本』のバックナンバー2冊、高木彬光の旧角川文庫本を3冊つまむ。「この内の『波止場の捜査検事』には、昭和五十四年の「白昼の死角」映画公開時の"高木彬光"フェア帯が付いていて、何んとなくうれしくなる」と述べている。
帰室。
「深更の巡礼」の清書。
「深更の巡礼」の下書き。ノート3頁。第一工程の終了。

2016年1月8日
「深更の巡礼」の清書。合計38枚。全体的な訂正を施す。完成。『小説現代』編輯部にファクシミリで送稿。

2016年1月9日
「夜まで外をブラブラする」と述べている。※これはギックリ腰対策なのかもしれない。
帰室。
高木彬光を読む。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2016年1月10日
サウナ。「テレビで大相撲の初場所初日を眺む」と述べている。
回転寿司で13皿26貫。大海老を気に入り4皿食べる。
『本の雑誌』2016年3月号用の随筆を「原稿用紙にぶっつけで書く」と述べている。「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」としたのは、「サトウハチローの「浅草の唄」の一節をもじったもの」と述べている。
「(昭和20年代までの物故作家に限る)の肉筆物」「若年時より知り合いの古書肆で値の付かぬものを分けてもらったり、古書展等で安いのを拾ったり」したものと、連載開始にあたっての意気込みを述べている。「(略)書くのが楽しみでならない。ありがたき仕事」とも述べている。

2016年1月11日
サウナ。
終日無為。室内の整理。
散歩。散髪。
(帰宅、帰室の記述なし)
高木彬光の復読。
「髪を切ったらまた白髪が目立つので、深更の入浴時に、ワンプッシュのを使って染める」と述べている。※面倒臭さを感じてやめることを検討している。

2016年1月12日
「しょうことなしに外出」と述べている。
帰室。
「深更の巡礼」のゲラ。

2016年1月13日
「誰もいない文学館」第3回ノゲラ。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
新宿の「かに道楽」で、『すばる』の清田編輯長との新年会。昨年暮れの非礼を詫びる。
矢野編輯長を指して「例の、仮面ライダー風に云うなら「恐怖! 体も度量も小さい蟹ミソ小男!!」と「カニ糞みたいなチビ助」と称する。同年齢だと思っていた清田氏は昭和39年生まれの3つ年上だったと判明する。

2016年1月14日
サウナ。
モスバーガーでモス野菜とホットコーヒーを食べる。「美味」と述べている。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回のシノプシス作り。「やむなく過去5回分を遡って読み返」している。
高木彬光『神曲地獄篇』を復読。

2016年1月15日
雑用に手を付ける。
湯島で、『野性時代』の似田貝氏と、出版部に移った山田市(元編輯長)との新年会。似田貝氏は数日前にお子さんが誕生したことを知ったのでキモ氏と呼べないとおもいきや、似田貝氏より「いやいやいやっ。キモと呼んでくだたい(原文ママ)よおー」と舌っ足らずな声で哀願される。
「何やら、少しこちらに風向きの良い話を二、三頂く」と述べている。※不明だが、根津権現裏などの角川文庫再販のことか?

2016年1月16日
サウナ。
帰室。
六畳の書庫の整理。
6月までの予定の立て直し。
高木彬光『大東京四谷怪談』を30年ぶりの復読。

2016年1月17日
日中、外出。
夜半に帰室。
書庫の整理。『群像』2005年9月号(「どうで死ぬ身の一踊り」掲載)の新品6冊出てくる。「商業誌所載三冊目となるこれを、当時自作が活字になることがうれしくて仕方なかった自分は、舞い上がって複数冊買い購めていた。一冊だけ保存用に残して、あとは廃棄処分とす」と述べている。

2016年1月18日
サウナ。
帰室。
ライトな方の買淫ため外出。池袋。
(帰宅、帰室の記述なし)
藤野可織の新刊文庫『爪と目』(新潮文庫)を復読。
高木彬光『女か虎か」を30年ぶりに復読。

2016年1月19日
サウナ。
帰室。
二時間うたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の下書き。ノート3ページ弱。

2016年1月20日
テレビ朝日本社の楽屋で、来週収録の日本テレビの深夜帯のバラエティー番組の打ち合わせ。
クイズ番組「Qさま!! 2時間SP」2016年2月15日放送分の収録。
帰室。
1時間うたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の下書き。ノート2ページ書いたが昨夜の3ページともども破り捨てる。「別段"作家の良心"的な意味ではなし。単に、余りにつまらな過ぎると云うだけの理由による」と述べている。

2016年1月21日
サウナ。
帰室。
届いていた『小説現代』2016年2月号(「深更の巡礼」と「誰もいない文学館」第3回所載)を開く。保存用のダンボール函に入れる。
角田喜久雄の短篇「蛇男」と「死体昇天」を復読。約20年ぶり。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の下書き。ノート3頁強。「今度はまずますの感じ」と述べている。

2016年1月22日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の清書。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。文壇よもやま話エンタメ篇。
「坪内祐三氏が美女を伴い風のように現れる」と述べている。20分ほどで去っていった。
柴崎氏と「燭台」にゆくと、読売新聞文化部の鵜飼氏がいた。角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』を読売紙上で取り上げてくれたことに礼を述べる。「自分も、もうそろそろヘンにテレることなく、何よりもの小説好きである事実を、田舎者的に公言して良いのかもしれぬ」と述べている。

2016年1月23日
発熱。37度6分。ルルアタックIBを服む。
寒気がひどいため万年床へ。
夜中に体温38度を超える。
「アイスノンをおでこに締め、枕元に置いたポータブルの再生機で、古い邦画のDVDを眺めては眠り、眺めては眠りを繰り返す」と述べている。

2016年1月24日
寝たり起きたり。体温37度4分まで下がる。
煙草と飲み物などを買うためにコンビニへ外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の下書き。ノート3頁弱。

2016年1月25日
平熱にもどる。「が、引き続きルルアタックIBは服用」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の清書。
外食。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の下書き。ノート4頁。下書き終了。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回の清書。完成。

2016年1月26日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回に全体的な訂正を施す。『すばる』編輯部にファクシミリで送稿。
外食。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
2016年4月刊行予定の文春文庫『棺に跨がる』の初校ゲラの訂正。

2016年1月27日
サウナ。
スーパーで食糧の買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
バイク便にて届いていた「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第16回のゲラ。
高木彬光『能面殺人事件』を復読。

2016年1月28日
サウナ。
買淫のため外出。
帰室。
「(略)二月からの仕事の予定の立て直しをする」と述べている。

2016年1月29日
藤澤淸造祥月命日だが、お寺の都合により日延べとなった。
室内墓地に新しき香華を手向く。
日本テレビの麹町スタジオで、テレビのバラエティー番組「ナカイの窓」2016年2月17日放送分の収録。
「夜七時前に終了後、芝公園へ。/藤澤淸造終焉の跡地付近に佇み、「一人東京淸造忌」を挙行す」と述べている。

2016年1月30日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、宝島社の酒場ムック(『大衆酒場の達人 : 酒と肴を極める!』)のインタビュー(鶯谷「信濃路」へのアンビバレンツな愛着)。取材場所として「信濃路」を指定された。『新潮』の田畑氏も同席する。
「ホッピーをご馳走になりながら、座敷で二時間程喋らして頂く」と述べている。
インタビュー終了後に田畑氏とあらためて密談ならびに文壇よもやま話をおこなう。

2016年1月31日
サウナ。
文春文庫『棺に跨がる』の初校を宅配便で文藝春秋に戻す。
「誰もいない文学館」第4回を書く。田中英光『西遊記』を採り上げたもの。「またもや田中英光について書けることが、うれしくてならない」と述べている。

2016年2月

2016年2月1日
外出。
古書店に立ち寄って『小島政二郎全集』のバラ2冊、『歴史読本』のバックナンバー3冊をつまむ。
(帰宅、帰室の記述なし)
「誰もいない文学館」第4回をファクシミリで送稿。
「一私小説書きの日乗」の整理

2016年2月2日
サウナ。
帰室。
雑用を順々に片付ける。
深更、「誰もいない文学館」第4回のゲラがファクシミリで届く。手を入れて返送する。
雑用一束。

2016年2月3日
たまっていた返信を要する手紙書き。封書4通、葉書2枚。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。予定の立て直し相談。清水氏は「熱いお蕎麦をシスターボーイ然とした風情でもってすする」と述べている。

2016年2月4日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回のシノプシス作り。
小島政二郎の全集バラをはぐる。

2016年2月5日
サウナ。
帰室。
一両日中に届いていた寄贈本ダンボールの風を開く、ランダムに取り出したものは、高橋三千綱『ありがとう肝硬変、よろしく糖尿病』(幻冬舎)、木内昇『よこまち余話』(中央公論新社)、本谷有希子氏『異類婚姻譚』(講談社)、真梨幸子『6月31日の同窓会』(実業之日本社)、湊かなえ『絶唱』(新潮社)、『母性』(新潮文庫)。

※6日から8日まで記載なし。半同棲先に滞在か?

2016年2月9日
家電量販店にてポータブルのDVD再生機を購める。「入院中の知人の見舞品にしたものだったが(以下略)」と述べている。※「病院からの帰途」とあるので実際に足を運んだようだ。
帰室。
読書三昧。

2016年2月10日
サウナ。
「夜、また昨日の家電量販店に赴き、買い忘れていた自家用の空気清浄機のフィルターを購める」と述べている。
「室に戻って」と述べている。
「一私小説書きの日乗」10日分の整理。
一時間半ほどのうたた寝。のち頭痛。
読書。

※11日から15日まで記載なし

2016年2月16日
やむなく外出。
帰室。
雑用片し。
新宿「かに道楽」で、『すばる』の清田編輯長と集英社出版部の佐藤氏と打ち合わせ。「三日前にやった軽いぎっくり腰が気になって、余り道楽ができず」と述べている。毛蟹の甲羅味噌は品切れ。※矢野編輯長の記述すこしだけ。

2016年2月17日
腰、まだ痛い。
午後2時半に室を出て、鶯谷「信濃路」カウンター席にて『散歩の達人』2016年4月号のインタビューを受ける。
帰室。
雑用片し。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
1時間うたた寝。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」第2回を書く。<藤澤淸造>篇。
確定申告の準備。
晩酌に、『すばる』の清田編輯長からもらった「ヘンに高級な豆腐と、ハタハタの缶詰」をつまむ。

2016年2月18日
「確定申告用の書類一式を揃え、ここ五年程手続き代行してもらっている税理士事務所へ発送」と述べている。国保は最高額、特別区民税・都民税は少し安くなる。
サウナ。
コンビニ漫画の『金田一耕助ミステリーSP』(ぶんか社)を購める。未読だった長尾文子作画の「不死蝶」「迷路荘の怪人」を目当てに。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の下書き。ノート5頁。

2016年2月19日
サウナ。
池袋の東武デパートの地下で食糧の買い出し。
帰室。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」のゲラ。
『大衆酒場の達人 : 酒と肴を極める!』のインタビューゲラを確認。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の下書き。ノート4頁。最終機嫌は2月23日の夜まで。

2016年2月20日
サウナ。
帰室。
「夜九時頃に、一寸うたた寝するつもりで布団に入ったら、そのまま深更一時過ぎまで眠ってしまう」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の清書。

2016年2月21日
「一私小説書きの日乗」の整理。「今回は二十二枚になったのを、『野性時代』編輯部に送稿」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の下書き。ノート5頁。

2016年2月22日
外出。
夜中に帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の下書き。ノート3頁弱。ひとまず終了。

2016年2月23日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回の清書。全体的な訂正を施す。
「夜、些か浮足立たせられる事態の出来。また作戦を練って、奔走せねばなるまい」※おそらく清造資料の関連。

2016年2月24日
サウナ。
「夜半、またぞろ軽く腰をひねる。湿布を貼るも、段々に痛みが増してゆく」と述べている。
『藤澤清造短篇集』を読み返す。「集中の「刈入れ時」は本当に面白い。これまでに百数十回読み返していても面白い。この味は、自分には到底出せない」と述べている。

2016年2月25日
腰痛やや軽減。
直木賞・芥川賞の授賞式にゆく予定だったが、ゲラの戻しと重なったため中止。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第17回のゲラ。次が最終回。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
鶯谷「信濃路」で、授賞式帰りの『小説現代』の柴崎氏と落ち合う。
「文庫出版部に異動となる柴崎氏、元来は埴谷雄高に熱く傾倒する純文学青年(略)」と述べている。

2016年2月26日
サウナ。
帰室。
寝室に散乱している小説本やエロ本の整理整頓。「何年か前に六畳の書庫を探して見つからなかった、中公文庫版の青山光二『青春の賭け 小説織田作之助』が出来てくる」と述べている。
中公文庫版の青山光二『青春の賭け 小説織田作之助』を読み返す。
青林工藝舎から送られてきた「女ヒエラルキー底辺少女」のサンプル盤DVDを眺める。これは近日劇場公開されるもの。

※今月はここまでの記述で終わっている

2016年3月

2016年3月1日
外出。
帰室。
『散歩の達人』2016年4月号のインタビューゲラを確認。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と密談、文壇よもやま話。

2016年3月2日
サウナ。
帰室。
石原慎太郎の最新刊『天才』(幻冬舎)を読む。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏と文春出版局の田中光子氏との打ち合わせ。
「清水氏、今宵のジャケットは目映いスパンコールこそ付いているものの、トータル的にはやや控え目な感じ。こちらの感覚が麻痺してきた為か。奇異」と述べている。
※『週刊文春』編輯部に在籍している豊田氏は29歳にして痛風デビューを飾る。
「自分の発症は二十七歳時だったが」「今日(こんにち)まで差ロベール(尿酸を抑える処方薬)を一日も欠かすことができない。欠かすと覿面に足が腫れ上がる。が、服用していても、腫れるときは容赦なく腫れる」と述べている。

2016年3月3日
午後3時半に室を出て、池袋の喫茶店で、明後日収録のあるテレビ番組スタッフと打ち合わせ。石原慎太郎がメインゲスト。
帰室。
鈴木詩子の漫画『女ヒエラルキー底辺少女』(青林工藝舎)を復読。
石原慎太郎『天才』を拾い読みで再読。
藤澤淸造資料の整理。
DVDの「レインボーマン」第1巻。廉価版で新しく発売されたセル版。「レインボーマンは、イナズマンと共に自分の幼稚園児時代の二大ヒーローだが、今眺めても大層に面白い」と述べている。

2016年3月4日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長との打ち合わせ。
帰り道に、日暮里方面のラーメンの新店に立ち寄る。
帰室。

2016年3月5日
サウナ。
いったん帰室したあと、TBSでバラエティー番組の3時間SP版「金曜日のスマたちへ 3時間SP」2016年4月1日放送分の収録。石原慎太郎『天才』を通しての田中角栄特集。「衣裳として、サイズの合わない妙なジャケットを着せられる。やむなし」と述べている。
収録後、石原慎太郎に誘われて、幻冬舎の森下氏、早稲田大学教授の森元孝が同席している夕食に同席する。「赤坂の路地を一本入った、何んだか政府高官が密談時に利用しそうな、いわゆる隠れ家的中国料理店」と述べている。※脳梗塞を患ったあとの石原慎太郎がグラスの生ビールをチェイサーにウォッカを飲んでいたこと、TSUTAYAに自分の足で古い洋画を借りて観ていることを報告している。
『太陽の季節』(昭31 新潮社)の初版帯付本を持参すると、利き腕ではない右手で宛名入りのサインを書き、花押を添えてもらう。
鶯谷「信濃路」で、鈴木詩子と青林工藝舎の編輯者2名と合流。『アックス』110号掲載の対談(「オレ、はせぴょんとやりテェよ」)。『女ヒエラルキー底辺少女』映画化記念として。「すでにウオッカで下地が充分にできていた自分は、最早単なる酔っ払いとして、ひどく勝手で適当なお喋りに終始してしまう」と述べている。

2016年3月6日
サウナ。
帰室。
湊かなえの最新文庫『望郷』(文春文庫)を読む。
藤澤淸造資料の整理。

2016年3月7日
サウナ。
帰室。
町田康の最新刊『人生パンク道場』(KADOKAWA)を読む。
清造資料と自分資料の仕分けと整理。

2016年3月8日
浅草園芸ホール。
淸造スポットの久保田万太郎旧居(生誕地)跡に廻ってから安寿司屋。
帰室。

2016年3月9日
サウナ。
帰室。
酒井順子の最新刊『子の無い人生』(KADOKAWA)を読む。「性別は違えど相身互い。身につまされる」と述べている。
「誰もいない文学館」第5回をぶっつけで書く(※下書きノートを使わず原稿用紙に直書き)。<朝山蜻一『キャバレー殺人事件』(昭33 同光社刊)>篇。
”「レインボーマン」のDVD、第三巻までを眺め終える。「"死ね死ね団"の歌が、妙に脳中にこびり付く。このレコード(ソノシートだったか)は四十四年前に、三つ上の姉が持っていたことを思い出す。”と述べている。

2016年3月10日
サウナ。
帰室。
「悪魔が来たりて笛を吹く」のDVDを眺め返す。
二時間うたた寝。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」第3回。今回も<藤澤淸造>篇その2。

2016年3月11日
「やや、腰痛し」と述べている。
「誰もいない文学館」第5回のゲラ。
食糧の買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)のシノプシス作り。

2016年3月12日
サウナ。
6畳の書庫内の不要になった初版本と全集類を知人の古書店(※朝日書林?)に送る。ダンボール5箱分。「かれこれ20年近く、ただの一度も開く必要に迫られなかった書物は、最早処分しても差し支えなかろう」と述べている。
戦前の『久米正雄全集』の揃いをあれこれ拾い読み。
大藪春彦の文庫を復読。

2016年3月13日
買淫のため外出。
帰室。
藤澤淸造の随筆を数篇復読する。
二時間ほどうたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)の下書き。ノート3頁。

2016年3月14日
サウナ。
「雨、冷たし。帰途、魚屋に寄って真鯛のお造りを購める」と述べている。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の清書。

2016年3月15日
散歩。
(帰宅、帰室の記述なし)
届いていた『大衆酒場の達人 酒と肴を極める!』(宝島社)を開く。インタビュー所収。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)の下書き。
「一私小説書きの日乗」の整理。提出期日が近づいているため。

2016年3月16日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」第3回のゲラ訂正。
鈴木詩子との対談ゲラ。「(略)この方は案の定、自分は酔っ払って支離滅裂なことを述べ立てている。なので少しくお直しを入れるつもりが、何んだかえらく手間を食ってしまう」と述べている。

2016年3月17日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
赤羽方面を小一時間散歩する。「入ってみたい赤提灯多し」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)の下書きをしようとするが興が乗らず。
『歴史読本』のバックナンバーをはぐる。
無為の一日。

2016年3月18日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)。ノート2頁弱。

2016年3月19日
スーパーとドラッグストアい買い出し。「鬱陶しいが、致し方なし」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)の清書。

2016年3月20日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の下書き。ノート6頁。

2016年3月21日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の下書き。ノート6頁。

2016年3月22日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の下書き。ノート7頁。

2016年3月22日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の清書。
食事のあと、2時間ほど布団に入って寝る。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の下書き。合計25頁となる。
連絡事のファクシミリを二箇所に送る。

2016年3月23日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の清書。
雑用を片付ける。
1時間強うたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回の清書原稿の訂正。「駄目な書き手の常で、削る部分は殆どなし。滅多矢鱈の加筆につぐ加筆」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第18回(最終回)、37枚が仕上がる。合計470枚。

2016年3月24日
サウナ。
外食。
帰室。
雑用片し。
「夜、ゲラが届くも些か不快なことあり。抗議す」と述べている。
藤澤淸造の短篇と随筆を読み返す。

2016年3月25日
「「蠕動~」最終回のゲラにつき、先方より謝罪があったので訂正工程に入る」と述べている。
目一杯修正を施したものをファクシミリで戻す。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。字句の訂正のみ。
届いていた『俳句界』2016年4月号(虚室のうち外 俳句十句)を開く。「(略)詠句自体のそれは初めてのことだったので、何かうれしい。保存用のダンボールの中にしまう)と述べている。
「レインボーマン」DVDの第4巻を眺めながら晩酌。

2016年3月26日
サウナ。
帰室。
藤沢周の最新刊『武蔵無常』(河出書房新社)を読む。
手をつけられず放置してあった、2016年5月刊行予定の『一私小説書きの日乗 遥道の章』の初校ゲラを見始める。

2016年3月27日
先日収録のあったTBSの番組「金曜日のスマたちへ 3時間SP」より、急遽『天才』についてのコメント原稿を求められたので「きっかり四百字を書いて」ファクシミリで送稿する。夜、外出。
深更、帰宅。
『一私小説書きの日乗 遥道の章』の初校ゲラ。

2016年3月28日~31日までの記述なし

2016年4月

2016年4月1日
サウナ。
回転寿司で11皿22貫と揚げたて天ぷら。
帰室。
『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラ。

2016年4月2日
届いていた『散歩の達人』2022年4月号(<酒場100軒>の信濃路インタビュー)を開く。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラ。

※半同棲先に滞在?

2016年4月3日
所要で広島へ。
夜、帰宅。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラ。
広島で購めた餃子で晩酌。

2016年4月4日
サウナ。
帰室。
『すばる』の次号用短篇のネタ繰り。シノプシス作りも。
二時間弱うたた寝。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラ。
「飲み終えて、さて寝ようかと云う頃合いに、知人の姪っ子(保育園児)から突然に電話がくる。バカな話だが、うれしくて目頭が熱くなる」と述べている。

2016年4月5日
スーパーに買い出しにいったときに近所の桜祭りに立ち寄る。「屋台で焼鳥や貝焼きを食べ、四十数年ぶりに綿アメと林檎アメも口にしてみる。ともに歯には悪そうだが、なかなかの美味」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラ。全部の確認を終える。

2016年4月6日
サウナ。
その帰り道に、単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』のゲラをKADOKAWAに返送する。
「夜、散髪。サッパリする」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
腰をひねり、痛みが拡がる。風邪の兆候あらわれる。
※腰痛にもかかわらず手製の天ぷら(ブラックタイガー、紋甲イカ、焼豚、茄子、タラの芽、玉ネギ、椎茸)をつくる。※半同棲先では?

2016年4月7日
やむなく外出。
帰室。
腰痛ひどくなり、風邪が悪化する。寝込む。

2016年4月8日
体調悪し。
「夜九時に、仕方なく池袋に行き所用をこなすも、これは結句の無駄足となる」と述べている。
帰室。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」第4回を書く。<永瀬三吾>篇。

2016年4月9日
38度超えの発熱。寝たり起きたり。

2016年4月10日
体温は高めだが、頭はハッキリしている。
うたた寝。
「誰もいない文学館」第6回を書く。<大木雄二『童話を書いて四十年』昭39 私家版>篇。
少しく体調もラクになる。

2016年4月11日
発熱おさまらず。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と密談、文壇よもやま話。
「最後に、自分はオムライスと味噌汁、田畑氏はスパゲッティーナポリタンと味噌汁を、各々欠食児童のような勢いでかき込み、すすり飲む」と述べている。
※このあと、さらに根岸小学校のはす向かいの豚骨ラーメン屋で仕上げる。
帰室。

2016年4月12日
サウナ。体調復した感じ。
帰室。
坪内祐三の最新刊『昭和にサヨウナラ』(扶桑社)を読む。
「誰もいない文学館」第6回のゲラ訂正。
『すばる』の次号用短篇(「十二月に泣く」とは別のもの? 後述を参照)の下書き。ノート2頁半。GW進行のため提出期日は4月18日まで。

2016年4月13日
『すばる』の次号用短篇の清書。
「先々週に別途消費税を納入したと思ったら、ふいに昨年の特別区民税・都民税の、第四期分未納督促の電話がかかってくる。憂鬱」と述べている。
銀行や外食のため外出。
「改めて室を出て」と述べ、四谷三丁目で『文學界』の清水氏と打ち合わせ。「本日の清水氏のいでたちは、森の妖精がコンセプトか。奇観」と述べている。

2016年4月14日
「種々予定が変わる。取りあえず、今書きかけの『すばる』誌用の短篇は、別の作を一から書き直す必要に迫られる。『すばる』の清田編輯長に締め切りの延長を電話で依頼する。
サウナ。
(※こんなときに)買淫。
帰室。
「十二月に泣く」と題を定めた短篇の下書き。ノート5頁強。

2016年4月15日
下書きを進めるつもりが雑用が次々とやってくる。
(GW進行の)一私小説書きの日乗の整理。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』の装幀周りの件、連絡事項の返信書き、などをファクシミリ。
ダイアモンド✡ユカイから、最新カバーアルバム「RespectⅢ」が届く。
「RespectⅢ」をかけながら、雑用一束を片付ける。
「十二月に泣く」の下書き。(※「芝公園六角堂跡」につづくシリーズの第4作目であることや意味合いなどを述べている)。「これは、このシリーズだけで自分の為に、いずれ私家本ででも一本にまとめたい」と述べている。
携帯メールでKADOKAWA出版部の山田氏に『一私小説書きの日乗 遥道の章』の装幀に関する質問への返信をおこなうが、結局は電話することに。
「十二月に泣く」の下書きの続き。
「迷惑なる大中断ののち(中略)不快なり」と述べている。※気になる記述。半同棲相手か?

2016年4月16日
サウナ。
帰室。
「十二月に泣く」の清書。
「十二月に泣く」の下書き。ノート8頁。

2016年4月17日
「十二月に泣く」の清書。
「十二月に泣く」の下書き。ノート9頁。下書きは全終了。

2016年4月18日
「十二月に泣く」の清書。それから全体の直し。
本日夜9時が提出期限のため、清書できたものから「五月雨式」に『すばる』編輯部にファクシミリで送稿していく。
夜7時半に、第1便13枚。
夜9時すぎに、第2便11枚。
夜10時半に、第3便10枚。
夜11時過ぎに、第4便6枚。
これにて「十二月に泣く」40枚が完成する。
鶯谷「信濃路」でひとり飲み。

2016年4月19日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。連載はあと2回。
バイク便で「十二月に泣く」のゲラが届く。疲れているので訂正は明日に。
雑用一束。

2016年4月20日
サウナ。
帰室。
「十二月に泣く」のゲラ訂正。
バイク便でKADOKAWAから届いていた、単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』装幀一式の確認。

2016年4月21日
サウナ。
帰室。
藤沢周の最新刊短篇集『サラバンド・サラバンダ』(新潮社)のうち2篇読む。
買淫のため外出。
帰室。
『サラバンド・サラバンダ』の他の収録作を読む。「いずれもコク深し」と述べている。

2016年4月22日
鶯谷「信濃路」で、『朝日新聞』の社会部記者からのインタビュー取材。「吉原、鶯谷の特集記事内で使用するものらしい」と述べている。

※朝日新聞デジタル:東京)吉原・鶯谷…本音で生きる街(2) - 東京 - 地域
http://www.asahi.com/area/tokyo/articles/MTW20160519131190001.html

そののち同店にて、文藝春秋出版局の田中光子氏と1時間程打ち合わせ。
帰室。
いったん寝る。
外食のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
雑用片し一束。

2016年4月23日
サウナ。
帰室。
手紙の返信書き一通。
投函のため外出。
帰室。
日用品の買い出し。「うっかりポイントカードを作ってしまう」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
届いていた『アックス』110号(鈴木詩子対談)を読む。
1週間程前に文藝春秋より届いていて開封していなかった、新刊の文春文庫『棺に跨がる』の見本をようやく開く。42冊目となる単著。「が、手にとった瞬間に、カバーの背色が違っている。/自分の同文庫での背色は紺に近い青色なのだが、今回のは緑色っぽい青と云うか、青っぽい緑色みたいなのになっている。明らかに異なるカラーである」と述べている。
※このあと、午前4時半にもかかわらず田中光子氏に抗議の携帯メールを送る。このあとも延々とくだをまいているが、「日拓ホームフライヤーズの、七色のユニフォームみたいで」云々、なぜか自分の趣向を考え直して独り合点している。
※賢太いわく「緑っぽい青の背」のほうが多く出回っているとのこと。通常の青背は少ない。

2016年4月24日
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、『アックス』110号で対談した鈴木詩子と一献かたむける。
日暮里のラーメン屋で〆る。

2016年4月25日
サウナ。
「文芸出版局の田中光子氏から、カバーのみ刷り直して、順次かけ替えてゆく旨の連絡がくる。/まさかに刷り直しまでをしてくれるとは思わなかったので、この処置には大いに感謝す」と述べている。
※つまり、文春文庫『棺に跨がる』は、ミスプリント版と刷り直し版の二種類の背色が存在することになる。

2016年4月26日
サウナ。
「夕方、富士見方面から少々不快な連絡あり。軽く一喝しておく。編輯長なぞと云っても礼儀を知らず、エチケットもわきまえぬ馬鹿はいるものだが(略)」と述べている。そのほか『新潮』の矢野編輯長の悪口もついでに述べている。
帰室。
藤澤淸造の随筆を初出にて復読。

2016年4月27日
神保町の古書店をパトロール。「収穫も昔日の楽しさも、共に無し。/四、五年ぶりかで「ランチョン」にも入って、カレーなぞ食べてみる」と述べている。
帰室。つまんできた古い邦画のパンフレットを眺める。
録画しておいたチバテレ「浅草お茶の間寄席」二週分を観る。

2016年4月28日
サウナ。
帰室。
神保町の「げんぱち」で、『本の雑誌』の杉江氏と打ち合わせ。
「本屋大賞批判者の一人と目されている自分と、該賞実行者の一人の杉江氏が仲良く呑んでる姿と云うのは、なかなかに乙な図か」と述べている。
帰室。
ひと眠りしたのち雑用一束。

2016年4月29日
藤澤淸造月命日。新しき香華を室内墓地に手向ける。
サウナ。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。「今宵の清水氏、白地のフリル付きシャツの胸のところで、二匹のプリント怪猫が爛々たる眼光で向き合っている。耽奇」と述べている。再度、予定の立て直し。

※半同棲先に滞在?

2016年4月30日
午後一時に起床して、「夕方、外出。/深更、帰宅」と述べている。
雑用片し。

2016年5月

2016年5月1日
日中、無為。
回転寿司で11皿22貫と冷やしうどん。
7月刊行の『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の初校ゲラ。「が、一節ずつ読み返してゆくと、どうも文章に気になるところが多く、約四時間もかけて僅々十二ページのみの訂正ペース。何やら手こずりそうな感じ」と述べている。

2016年5月2日
サウナ。
家電量販店にゆく。壊れた掃除機を買い替えるため。紙パック式の2万4千円程のもの。
帰室。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。第2章まで終える。

2016年5月3日
「すぐと寝床に戻り、腹這いの姿勢で『蠕動~』ゲラの続き。
※下書きだけでなくゲラ訂正も腹這いでやっている。
外食。
帰室。
ひと眠り。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。

2016年5月4日
サウナ。
「帰途、知人の二人の姪っ子用の、こどもの日のプレゼントを購める。アンパンマン系と妖怪ウォッチ系。何やら楽し」と述べている。
回転寿司で12皿24貫とアラ汁。
帰室。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。第8章を終える。

2016年5月5日
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。第11章にようやく進む。

2016年5月6日
サウナ。
帰室。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。

2016年5月7日
「夕方、魚屋に行って中トロと縞アジのお刺身を購める」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』のゲラ。あともう一息。

2016年5月8日
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の初校ゲラをどうにか終える。

2016年5月9日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』初校ゲラを、宅配便で集英社に戻す。
回転寿司で11皿22貫とアラ汁。「思い切って、かねて気になっていた"ウインナーの握り"(ツメがわりにケチャップがかかっている)と云うのを一皿オーダーす。案外なる美味。
(帰宅、帰室の記述なし)
「誰もいない文学館」第7回を描く。<村山槐多『槐多画集』(大10 アルス)>篇。

2016年5月10日
サウナ。
床屋で散髪。※白髪が目立つことを気にしている。「なので夜半の再入浴時に、またぞろ"ワンプッシュ"で染めてしまう」と述べている。
辻潤の著作をあれこれ復読。

2016年5月11日
「日中、やむなく外出。/夕方前に帰室」と述べている。
届いていたがまだ開けていなかった各種文芸誌のうち『すばる』2016年6月号のみを見る。「十二月に泣く」所載号のため。「これは保存用の段ボール箱へ収納」と述べている。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏、文藝春秋出版局の田中光子氏と打ち合わせ。
田中氏より文春文庫『棺に跨がる』のカバー刷り直し見本を受け取る。「刷り直しと云ってもこちらの方が、向後現存数は少ないことになろう」と述べている。
清水氏のファッションについて「裾を改造した女性物の黒onepieceをゾロリと着流したその下に、オレンジ色のパンタロン。ハンドバッグには金髪のウイッグを装着させている。奇骨」と述べている。

2016年5月12日
たまっていた雑用一束の片付け。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。

※2016年5月12日の記述なし。

2016年5月14日
サウナ。
帰室。
町田康の最新刊『ギケイキ 千年の流転』(河出書房新社)を読む。
ライトな方の買淫のため外出。
帰室。
町田康『ギケイキ 千年の流転』の続きを読む。
湊かなえ『ユートピア』(集英社、山本周五郎賞受賞作)も読み始める。

2016年5月15日
湊かなえ『ユートピア』を読了。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
二時間程うたた寝。
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」の第5回を書く。<大河内常平>篇。

2016年5月16日
サウナ。
『朝日新聞』社会部の"吉原、鶯谷"特集記事のゲラを確認する。
「一私小説書きの日乗」の半月分の整理。
明日に備えた予習読書(※湊かなえ対談のため)。

2016年5月17日
「結句眠らず、午前中のうちに二時間弱サウナ」と述べている。
集英社の同社会議室で、湊かなえと対談。『すばる』2016年8月号掲載。
※湊かなえは『ユートピア』で山本周五郎賞を受賞したばかり。
対談終了後、湊かなえは別用のため抜ける。『すばる』の清田編輯長と出版部の佐藤氏集英社近くのうなぎ屋に。
(※賢太のみ?)鶯谷「信濃路」に寄る。
帰室。

2016年5月18日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長、出版部佐藤氏と打ち合わせ。
「最後に、安定の不美味さの冷やしたぬきそばをすすって、午前二時前に解散」と述べている。※普段もうまいと思って食べていなかったことがわかる。しかも、このあと「すき家」で豚丼の並盛&味噌汁を食べている。

2016年5月19日
「甚だ体調悪し。気分もすぐれず」と述べている。
リビングでテレビの大相撲を眺める。
体調復さないので、予定していた『小説現代』の柴崎氏との打ち合わせは日延べとなる。
「一私小説書きの日乗」の残り半月分の整理。
『文學界』2016年8月号用短篇のネタ繰り。
「何やら藤澤淸造の墓前にぬかずきたくて、たまらぬ思い」と述べている。

※半同棲先に滞在している可能性

2016年5月20日
『朝日新聞』2016年5月20日朝刊?を入手する。吉原、鶯谷の特集記事所載。
集英社からバイク便で、7月刊行の長篇『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラが届く。
「夜、外出。/深更零時過ぎに帰宅」と述べている。
数日分の「一私小説書きの日乗」第37回分の日乗。
「最後に手製のカレーライス二皿と、中華スープ」と述べている。

2016年5月21日
食糧の買い出し。
帰宅。
改めて外出。煮干しラーメン屋。
帰室。
届いていた『小説現代』2016年6月号の「誰もいない文学館」<村山槐多>篇を確認する。
「今回の<村山槐多>篇では『槐多画集』(大10 アルス刊)の書影を載せているが、画素数の少ない、安物のデジカメによる自分のヘタな撮影ではひどく写りが悪く、殆ど書影の態をなしていない。甚だ申し訳なし」と述べている。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』再校ゲラ。
「最後に、昨日の残りのカレー二皿と、ほうれん草とお揚げの味噌汁」と述べている。
※半同棲(帰宅)先で手製したカレーを、帰室後にも食べている。まさかタッパーで持ち帰ったとも思いにくいが??

2016年5月22日
日中、ほぼ無為。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラ。

2016年5月23日
サウナ。
スーパーに寄って帰宅。
回転寿司で13皿26貫と熱い方のうどん。
「リビングで横になって「吉田類の酒場放浪記」を眺めているうちに、うたた寝する」と述べている。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラ。

2016年5月24日
日中、無為。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラ。

2016年5月25日
「日中、所用で神戸へ。/夜十時に帰宅」と述べている。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラ。

2016年5月26日
サウナ。
帰室。
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラ。全ページの終了。

2016年5月27日
「日中、やむなく外出。/夕方に戻る予定が、空港で何か問題が起こったとかで、帰路は在来線と新幹線を乗り継ぐ手段を取った為に、夜十時過ぎになって、ようよう帰室」と述べている。
バイク便をつかって、単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の再校ゲラを集英社に戻す。
たまっていた雑用を片し。

2016年5月28日
サウナ。
池袋のメトロポリタンホテルの一室で、日本テレビのバラエティー番組「行列のできる法律相談所」2016年6月12日放送分で使うVTR撮影。ゲスト出演する湊かなえの「お手伝い的役割」を果たすため。
東武デパートに立ち寄り、文房具(ファイル、チケットケース、鳩居堂のお布施袋、伊東屋の便箋と封筒)を購める。
気質。
雑用片し。

2016年5月29日
藤澤淸造月命日。
「室内墓地に線香のみを手向けたのちに外出。/泊まらずに夜九時に帰室」と述べている。※七尾に行った?
藤澤淸造の短篇を初出誌であれこれ復読する。

2016年5月30日
サウナ。
KADOKAWAから届いていた、単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』の見本を開く。43冊目となる単著。「江國香織氏の帯文に感謝。本当に有難し」と述べている。
雑用一束を片す。
単行本『一私小説書きの日乗 遥道の章』をひねくりながら晩酌。

2016年5月31日
終日無為。
「一私小説書きの日乗」10日分の整理。
藤澤淸造作品の復読。

2016年6月

2016年6月1日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』関連の雑用。
藤澤淸造月資料の整理。

2016年6月2日
サウナ。
帰室。
市川崑「股旅」、大林宣彦「異人たちとの夏」のDVDを眺めて過ごす。
本日は休肝日とする。

2016年6月3日
胃の辺りが重い。
神保町の古書店をひと廻り。
浅草の演芸ホール、"淸造スポット"たる久保田万太郎旧居地(生誕地)跡へ。
安寿司を軽くつまむ。
帰室。
「我知らずのうちに何んとはなし、永井荷風気取りの散歩となる」と述べている。
藤澤淸造資料の整理。「改めて驚くようなものも出てくる。/こうしたものを未整理のまま、五年程も放置していた己れの不心得を、しみじみと慊(あきたりな)く思う」と述べている。

※半同棲先に滞在の可能性あり。

2016年6月4日
「胃の不快感、昨日よりも尚も酷し」と述べている。
「夕方、外出。/深更、帰宅」と述べている。
倉田潔名義(倉田啓明)『地獄へ堕ちし人々』(大11 春江堂)を復読。
「但、これは以前架蔵していた原本からのコピーの束也。現物はもう十数年以前に、或る古書コレクターのかたと、そのかたが所蔵していた藤澤淸造『根津権現裏』の、大正十五年聚芳閣版の特製本とトレードしている。この版は当時の自分は一冊しか架蔵しておらず、また現在に至るも、その折の一冊を加えた二冊しか所持していない」
と述べているが……これは『根津権現裏』元版(日本図書出版)の献呈署名入り無削除函付き本(淸造自身の書き込み本)の勘違いだったことを2016年6月5日の日乗に記している。

※西村賢太と倉田啓明資料の関わりについては、ほかの古書蒐集家による噂話がインターネット上(2003年9月の過去ログ)に存在する。
http://kikoubon.com/kako15.html (西村賢太で検索)

※『根津権現裏』聚芳閣版には「仮綴本の普及版」と「函付きの特製本」の2種がある。現時点で2冊しか所有しておらず、後者が『根津権現裏』のうち最も入手が困難である、と述べている。

2016年6月5日
「胃の重さ変わらず」と述べている。
『幻影城』のバックナンバーから山本禾太郎「小笛事件」の復読。「三十年前の初読時よりも面白し」と述べている。
ムコスタと漢方薬を服む。
2時間程うたた寝。
「小笛事件」のつづきを読む。
【以下引用】
"昨日記した『地獄へ堕ちし人々』のトレード本は、『根津権現裏』元版の、献呈署名入り無削除函付き本(淸造自身の書き込み本)の誤まりであったことに気が付く"
【引用ここまで】

2016年6月6日
「胃部の不快、変わらず。体も少々熱っぽく、ダルし」と述べている。
サウナ。体調改善せず。
回転寿司で11皿と22巻と岩ガキ。※熱っぽい体が欲していた故、イチゴのカキ氷を迷った末に注文する。氷の上にソフトクリームが載ったもので美味、と述べている。
帰室。
胃薬を服む。
3時間近く眠ってしまう。
「一私小説書きの日乗」の整理。
本の拾い読み。

2016年6月7日
体調、悪し。
ひたすらの散歩。
回転寿司で11皿22貫と茶碗蒸し。
帰室。
※体がダルいため布団に入ったらスッと眠りに落ちる。
深更2時まで眠ったり目覚めたり。
「トラック野郎」シリーズのDVDを2本立て続けに眺める。

2016年6月8日
「体調ままならず。終日寝たり起きたり」と述べている。
飲酒せず。

※2016年6月9日~2016年6月11日の記述なし

2016年6月12日
すこしだけ体調復す。
日中外出。
帰室。
田中慎弥の最新刊『炎と苗木 田中慎弥の掌劇場』(毎日新聞出版)を読む。「素晴らしき仕事。敬服の至り」と述べている。

2016年6月13日
サウナ。
「体調八割方復す」と述べている。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏との打ち合わせ。
「今宵の清水氏のコスチュームは、シャツにこそフリルのようなあしらいが施されているが、ジャケットは落ち着いたベージュ色の、至ってノーマルなもの。この極く普通の当たり前さは、氏の場合は却って奇異なり」と述べている。

2016年6月14日
サウナ。
病院で痛風用の尿酸の生成を抑える常用薬を貰ってくる。
「帰途、天ぷら屋で壜ビール一本と海老天丼。ともに痛風患者が口にすべきものではないが、致し方なし」と述べている。
帰室。
雑用を片す。
1時間ほどうたた寝。
寄贈の同人雑誌や自費出版本を読む。

2016年6月15日
サウナ。
KADOKAWAの小部屋で、『公募ガイド』2016年8月号用のインタビュー。KADOKAWAの山田氏経由での依頼。
『野生時代』の似田貝氏に半ば無理矢理のかたちで「志満金」に連れていかれる。
※以下のくだりには、連載「一私小説書きの日乗」が『野性時代』での終了するにあたって、『野性時代』誌の新編輯長の挨拶にまつわる揉めごとの顛末を書いている。
※メール文面の一部を引用すると(引用者注:新編輯長に対して)<思い上がるのは勝手だが、こちらはお前なぞに用はない、馬鹿野郎>とのこと。
「根がきわめてのエチケット尊重主義にできてる自分には、エチケットをわきまえない手合は度し難し」と述べている。
※しかし、志満金においてビールや白鷹の徳利をはじめのご馳走でもてなされると「(略)すっかり懐柔されて、愉快で幸福な気持ちになってしまう。やむなし」と述べている。

2016年6月16日
サウナ。
帰室。
「四畳半の書庫の方に入った古本の整理。取りあえず段ボール一函分を処分することとす」と述べている。
小一時間ほど赤羽方面を散歩する。
(帰宅、帰室の記述なし)
『文學界』2016年8月号の特集用短篇の題を「写真」と名付け、下書きを始める。収穫ゼロ。
読書。

2016年6月17日
外出。
浅草の演芸ホール。淸造スポットに立ち寄る。
帰室。
文藝春秋出版局よりバイク便で、9月刊行予定の短篇集『芝公園六角堂跡』の初校ゲラ。
町田市民文学館で現在開催中の<この街の現在──ゼロ年代の町田の若手作家たち>展のチラシ、西村賢太展示コーナーの写真も同封されていた。
「展示コーナーの写真を見ると、自分が一年半程参加していた同人雑誌『煉瓦』が四冊ばかり出ており(どこで手に入れたのだろう?)、玉袋筋太郎との連名のサイン本も飾られている」と述べている。
日本近代文学館による「歴代の芥川賞の受賞作の原稿一枚目」の提供依頼を断った、と述べている。(※ただし、芥川賞150回記念の折には求められたのでそれを書いた)。
市立町田文学館の「創立以来からの評議員だか何んだかをやっていた、"古本好きの温厚な人格者"で通っているらしい大学教授に、己れのメンツを保つ為と覚しき、或る姑息で浅ましい妨害を受けたことがある」と述べている。「それまでは維持会員にもなっていたものだったが」とも述べている。よくわからない。
※この人物は、西村賢太が商業誌に載り始める直前に70幾つで亡くなっている。自作のネタにするのは、も少し先のことになるだろうと述べている。
短篇「写真」の下書き。流れが摑めず。

2016年6月18日
「一私小説書きの日乗」の整理。
中野方面に用足し。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
別短篇のネタ繰り。
「写真」の下書き。ノート3頁とちょっと。

2016年6月19日
「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」第6回を書く。<石浜金作>篇。
「写真」の下書き。ノート3頁。提出期限は23日まで。

2016年6月20日
「写真」の清書。その最中に『すばる』の清田編輯長から携帯メールにて「急遽の報告があるので会いたい」との連絡あり。
神保町で、清田氏から栄転の報告を受ける。
帰室。
「写真」の清書。
「写真」の下書き。
「(略)取りあえず明日が提出期限となっている「日乗」最終回の、最後の整理」と述べている。
「二〇一一年に、イースト・プレスのWEB文芸誌『マトグロッソ』で始めさして頂いたこの「日乗」は、その後文藝春秋の「本の話WEB」で一年続けたのち、『野性時代』誌に移り約三年間の連載を経て、今回同誌での終結をみる。/特に感慨もなし」と述べている。
※次回分から「本の雑誌」2016年9月号からの連載となる
「(略)「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」は、『WEB本の雑誌』の方に移動することと相成った。/同誌の杉江氏、並びに浜本編輯長に満腔の感謝」と述べている。※が、これは実現していない。
※『野生時代』から『本の雑誌』へ連載を移籍することをして「オリックスを自由契約になり、広島に拾ってもらった格好」と評している。※広島の方が上位であることを付け加えている。

※『一私小説書きの日乗 不屈の章』ここまで

『一私小説書きの日乗 新起の章』(第6巻)

2016年6月21日
「写真」(『文學界』2016年8月号用の短篇)の清書。
外食。
帰室。
「写真」の下書き。

2016年6月22日
「写真」の清書。
「夜、よんどころない用事で三時間程外出し、帰室後に酔いを醒ます為に二時間半眠る」と述べている。
「写真」の下書き。

2016年6月23日
「写真」の清書。30枚で終了。
「続けて第三工程たる全体的な手直しに取りかかる。終えた十枚ずつを、『文學界』編輯部にファクシミリで送稿」と述べている。完了。
「一私小説書きの日乗」最終回のゲラ。※ここでも「オリックスから広島への移籍」となぞらえている。
1
2016年6月24日
サウナ。
帰室。
『松永延造全集』第2巻を拾い読みで復読。
「写真」のゲラがバイク便で届く。手直したものをファクシミリで返送。完成。
「まむしの兄弟」シリーズのDVDを眺める。

2016年6月25日
サウナ。
帰室。
来月のイベントの予習のため、六角精児のエッセイ集を2冊続けて復読。
小島政二郎の随筆集『木曜座談』(昭17 小峰書店)を復読。

2016年6月26日
サウナ。
浅草で天丼を食べてから演芸ホール。
藤澤淸造スポットたる久保田万太郎生家跡に佇む。
安寿司屋。いつものコース。
帰室。
六畳の書庫で淸造資料の整理。「屋内紛失していた淸造の嫂(あによめ)が仮寓していた場所の、昭和四十年代の生写真が出てくる」と述べている。

2016年6月27日
近所の銭湯。
魚屋でカツオのお造りを購める。
帰室。
届いていた「一私小説書きの日乗」再校ゲラ。ファクシミリで『野性時代』誌に返送。
『公募ガイド』2016年8月号のインタビューゲラ。
駒込方面を一時間程散歩。汗だく。
淸造資料の整理。「楽しく幸せなひととき」と述べている。

2016年6月28日
集英社より届いた単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の見本を開く。44冊目の単著。「湊かなえ氏の帯文が何んとも有難し」と述べている。
「晩酌時も、該書をしきりにひねくる」と述べている。

2016年6月29日
藤澤淸造月命日。
室内墓地に新しき香華を手向ける。
夕方、能登空港から七尾入り。(※関係者による出迎えが無かったとすれば、空港からはおそらくタクシーを使って、穴水町という地域を通って七尾湾沿いの片側一車線~中島町~和倉温泉駅前を通って七尾市中心部に向かっている。交通の便が悪い。約50km/約1時間を要する。通常料金ならば片道1万5千円程度?)
夜6時過ぎに西光寺に到着。
掃苔したのち本堂にて法要。

2016年6月30日
朝9時に常宿をチェックアウト。
能登空港経由で帰郷。
サウナ。
初めて入るラーメン屋で食べて「食後、少々気持ち悪くなる」と述べている。
帰室。
胃薬を服んで、二時間程うたた寝。
「誰もいない文学館」第8回を書く。<倉田啓明『地獄へ堕ちし人々』(大11 春江堂)>篇。

2016年7月

2016年7月1日
サウナ。
「体調悪し」と述べている。
上原善広の最新刊ノンフィクション『一投に賭ける 溝口和洋、最後の無頼派アスリート』(KADOKAWA)を読む。「人称のスタイルに瞠目」と述べている。

2016年7月2日
「引き続き、体調悪し。主に胃の不快感」と述べている。
終日、室に籠もってDVDを眺める。
6日発売の『すばる』2016年8月号が早く届く。湊かなえ対談所載号。「保存用の段ボール函に入れる」と述べている。

2016年7月3日
「本日も具合悪し」と述べている。
たまっていた寄贈週刊誌をまとめて拾い読み。
終日無為。
「夜、昔テレビの通販で買って、押し入れに放り込んでいた足裏マッサージ機を久方ぶりに取り出し、三十分程使ってみる。血行は良くなった感じ」と述べている。
※晩酌を控えめにしている。

2016年7月4日
総合病院で胃痛用の薬を貰ってくる。服用する。
「すると心なしか次第に不快感弱まり、日常に立ち戻った気分にもなる」と述べている。
素麺を茹でてすする。薬服用。
3時間程寝る。だいぶ具合が良くなる。
※要心して晩酌はカルピスサワー2缶のみ。

2016年7月5日
サウナ。
「体調、ほぼ回復。なので日中。外出。/夜、帰宅して淸造資料の整理に没入。これだけをやって、余生を過ごしたい」と述べている。
※「帰宅」と書いてあるにもかかわらず、滝野川「帰室」のような行動を記している。「帰宅」「帰室」の記述も当てにならないことがわかる。

2016年7月6日
サウナ。
スーパーで食糧の買い出し。
淸造資料の整理。

2016年7月7日
夕方散歩。「サーティーワンでアイスクリームを三個なめる。美味」と述べている。
淸造三昧を続ける。

2016年7月8日
二時間弱サウナ。
淸造資料。
『抒情文芸』147号(創刊四十周年号)のエッセイ5枚を書く

2016年7月9日
8月公開の映画「オールディックフォギー/歯車にまどわされて」のサンプル盤DVDを眺める。百文字強のコメントを書く。インディーズバンド OLEDICKFOGGYのドキュメンタリー。
※このコメントは、『西村賢太追悼文集』内で伊藤雄和が全文引用している。

2016年7月10日
明治古典会大市の開札日。藤澤淸造関連の出品物は登場せず。
「ヨタ札を投じておいた芥川の長文書簡二種と尾形亀之助を含む書画帖は、いずれも当然その値段では遠く及ばず。結句、落札ゼロ」と述べている。

2016年7月11日
二時間弱サウナ。
用足し。
帰室。
『小説新潮』2016年9月号用短篇の下書きノートを拡げる。ノート2頁弱。

2016年7月12日
夜7時、八重洲ブックセンター本店で六角精児氏とのトークショー&サイン会。

蠕動で渉れ、汚泥の川を 西村賢太|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー
https://www.bungei.shueisha.co.jp/contents/zendo/ts.html
※抜粋が読める

"西村 ただ、1枚書けば原稿料が5千円もらえるんで、まったくの5千円目当てで(笑)。結局、480枚書いて、今までの拙作の中では一番長くなったんですけど"

"西村 僕の行っていた製本所では、新潮文庫を専門に製本していたんですよ。(中略)それから20年後に拙著の『暗渠の宿』というのが文庫になったときに奥付見たら、そこの製本所だったんです"

※憲専堂製本株式会社 2022年12月6日現在の社名は<柿澤憲専堂製本株式会社>?

2016年7月13日
『小説新潮』2016年9月号用短篇の下書き分を清書。
神保町の「げんぱち」で、『本の雑誌』の浜本編輯長らと一献。「文芸誌編輯者とはまた違った角度からの、"出版界よもやま話"に舌舐めずりする」と述べている。

2016年7月15日
「思うところあり、文藝春秋より九月刊行予定で初校ゲラも届いていた短編集、『芝公園六角堂跡』の刊行期順延を、同社出版局の田中光子氏に申し込む」と述べている。
「(略)今年よりも、来年に入ってからの刊行の方が良い」「(略)その方が少なくとも自分の中では納得がゆく為に、勝手を通させて頂く」と述べている。
映画「オールディックフォギー/歯車にまどわされて」のコメントを書き直す。※この件の窓口は、講談社文芸部の柴崎氏。
四谷三丁目で、柴崎氏と『小説現代』の編輯者をまじえて打ち合わせ。※新婚の柴崎氏を肴にした、と述べている。

2016年7月16日
「一昨夜辺りからの首の違和感、今日は酷し」と述べている。
『小説新潮』2016年9月号用短篇について「(略)書き継ぐ気になれぬ」と述べている。
先月末に届いていた、日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2016』(光村図書出版)の封を開く。随筆「独りの味」を所収のため。
「イナズマンF」のDVDを眺める。

2016年7月17日
「首、及び左の肩と腕の痛み甚だし。二年前に舐めたところの、頸椎狭窄症と同じ痛み。それがぶり返したものらしい」と述べている。
※前回は1ヶ月ほどで治ったが、今回はどうなるか不安を感じている。
首、左肩、左腕に3枚の湿布を貼る。

※2016年7月18日~2016年7月20日の記述なし

2016年7月21日
「肩の痛みで殆ど眠れず」と述べている。病院処方の薬と湿布を頼りにしている。

2016年7月22日
「夕方、所用で大阪へ。/梅田の喫茶店で知人と一時間程面談。次の連載小説を準備するにあたって、できれば会っておきたかった人物」と述べている。※葛山久子のモデル女性か?新大阪から新幹線で帰京する。

※2016年7月23日~2016年7月26日の記述なし

2016年7月27日
首と肩の痛みは変わらず。
『小説新潮』誌の編輯者に連絡して、予定の短篇提出を1ヶ月延ばしてもらう。
ほかの種々の話も断る。「(略)自身の痛みには滅法弱くできてる質だけに、致し方なし」と述べている。
真梨幸子の最新刊『私が失敗した理由は』(講談社)を読む。

2016年7月28日
痛みあり。
神保町をパトロールする。古レコード3枚のみ購める。
帰室。
真梨幸子『私が失敗した理由は』の続きを読了。
邦画DVDを眺める。

2016年7月29日
藤澤淸造月命日。
室内墓地に新しき香華を手向ける。
午後の航空便で能登へ向かい、夕方5時半に七尾着。6時すぎに西光寺。藤澤淸造、代々の墓の二基を掃苔する。
夜7時半より、本堂で法要をおこなう。

2016年7月30日
首の痛みで殆ど眠れないまま、午前9時半に常宿を出て能登空港(当時には既に「のと里山空港」に改称)を経由して、正午前に帰京。
帰室。
中野ブロードウェイで、古CD1枚を購める。
赤羽方面に散歩。外食。
きょう入手した古いCDをかけながら、手をつけていなかった「自分関連の新聞、雑誌記事の切り抜き作業」をおこなう。

2016年7月31日
サウナ。
帰室。
首の痛みが鬱陶しいため、買淫を我慢して「やむなく手淫」をおこなう。
「まむしの兄弟」シリーズのDVDを2本続けて観る。
セル版の「Wの悲劇」も眺める。

2016年8月

2016年8月1日
首と肩の痛みはあるが眠れるようになる。
雑用一束。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。普通のカジュアルないでたち。「逆に奇異」と述べている。清水氏の異動がなかったことに対して祝杯をあげる。

2016年8月2日
病院で痛み止めの薬を貰う。
帰室。
湊かなえの最新刊の『城崎へかえる』(NPO法人 本と温泉)を読む。「内容に即しての、蟹の殻を模したケースも面白い」と述べている。城崎温泉限定のご当地本。
※この献本には『神戸新聞』の切り抜き記事を同封してあり、その内容は単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』が八重洲ブックセンター本店調べで書籍総合一位となっているもの。先々週のサイン会で90冊程売れたときのもの。

2016年8月3日
二時間弱サウナ。
帰室。
雑用一束。
「信濃路」で、徳間書店の崔氏と打ち合わせ。崔氏は一段と痩せて、一段と酒が強くなった感じ、と述べている。

2016年8月4日
首と肩の痛み、だいぶ和らぐ。
「が、引き続き書き仕事を始めようとするとズキズキ疼き、ものごとをまとまって考えられない。或る種の怠け病の要素もあるのやも知れぬ」と述べている。
CDとDVD三昧。

2016年8月5日
二時間弱サウナ。
神保町の古書店をパトロール。
御茶の水(※原文ママ)の「ディスクユニオン」でCDを物色した。
夕方6時に三省堂本店(8階催事場)で、真梨幸子との出版社との垣根を超えた合同イベント(トークショーとサイン会)。真梨幸子の最新刊『私が失敗した理由は』と、西村賢太の最新刊『蠕動で渉れ、汚泥の川を』。来場者は70名余り。
『本の雑誌』の浜本編輯長らの姿を見つけ、同誌のWEB版で8月から連載すると約束していた原稿(「文豪ばかりが作家じゃないと、いつか教えてくれた人たち」の続き?)提出を失念していたことを思い出す。
サイン会「終了後、重々にお詫びし、九月からの仕切り直しの提案を頂く。申し訳ない限り」と述べている。
飲み会嫌いの真梨幸子が帰ったあと、講談社の柴崎氏、『小説現代』の編輯者、徳間書店の崔氏、文藝春秋の田中光子氏、集英社の編輯者、合計6名で飲み食いする。

※2016年8月6日の記述なし

2016年8月7日
首と肩の痛みがほぼ治まる。
「誰もいない文学館」第9回を書く。<田畑修一郎『石ころ路』(昭15 人文書院)>篇

2016年8月10日
新幹線で新大阪にゆく。
午後3時すぎにテレビ大阪で、深夜帯のバラエティー番組「わざわざ言うテレビ」2016年8月30日放送分の収録。
梅田で知人と会食。
東京行最終の"のぞみ"で戻って帰室。
早めに就寝。

2016年8月11日
二時間弱サウナ。
シネマート新宿で映画を観る。
帰室。
録りだめしておいた「吉田類の酒場放浪記』を眺めながら晩酌。

※2016年8月12日の記述なし
※以前に比べて、記述がない日がたびたび発生するようになった。

2016年8月13日
不調がぶり返す。
「仕事をする気がまったく起きぬ。精神的にも"ダメな方の周期"に、またぞろ入ったものらしい」と述べている。
外食(※滅多に行かないファミレス)
帰室。
ひと眠り。
長見義三の短篇を4篇復読。

※2016年8月14日~15日の記述なし

2016年8月16日
「一私小説書きの日乗」の整理。『本の雑誌』にファクシミリで送稿。
督促されていた『新刊ニュース』2016年11月号恒例ののアンケート(惚れた二冊)を返送。先日の八重洲ブックセンター本店でおこなった六角精児とのトークイベントの速記に目を通して、集英社の文芸書編輯部に戻す。

蠕動で渉れ、汚泥の川を 西村賢太|集英社 WEB文芸 RENZABURO レンザブロー
https://www.bungei.shueisha.co.jp/contents/zendo/ts.html
西村賢太さん×六角精児さんトークショーの抜粋
於:7月12日 八重洲ブックセンター
回転寿司で、12皿24貫をつまむ。

※2016年8月17日~20日の記述なし

2016年8月21日
二時間弱サウナ。
帰室。
「少しくたまっていた雑用を止むなく片す。/そのうちの手紙の返信書きが、何んとも苦痛」と述べている。
藤澤淸造の短篇5作を初出誌で復読。

2016年8月22日
二時間弱サウナ。
雑用片し。
清造作品の復読。

※2016年8月23日~24日の記述なし

2016年8月25日
「午前九時半起床。入浴。/日中、やむなく外出」と述べている。
夕方6時すぎに室を出て、神宮球場で、角川書店の山田氏らと合流。ヤクルト対中日戦。「自分にとっては、かれこれ二年ぶりとなるナイター観戦」と述べている。
四谷三丁目に異動。
※5月か6月に会ったときの(離婚後、新しき恋を得た)山田氏の印象を語っている。

2016年8月26日
二時間弱サウナ。
酒井順子の最新刊『朝からスキャンダル』(講談社)を読む。「今更ながら、つくづく氏のコラムは面白い」と述べている。
「夜、買淫にゆきかけるも、ここのところ仕事をせず、懐中が乏しいところから手淫で我慢す」と述べている。

※2016年8月27日~28日の記述なし

2016年8月29日
藤澤淸造月命日。
台風の影響のため能登行きは日延べする。室内墓地に新しき香華を供える。
坪内祐三の最新刊『文庫本宝船』(本の雑誌社)を一部読む。このなかで、『暗渠の宿』『根津権現裏』(ともに新潮文庫)、『二度はゆけぬ町の地図』と『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』(ともに角川文庫)の計4点を取り上げている。

※2016年8月30日の記述なし

2016年8月31日
午後の航空便で能登へ。藤澤淸造の月命日の墓参り。「夕方五時に七尾着。常宿に入り、六時過ぎに西光寺に赴く」と述べている。
淸造と藤澤六右衛門系代々の墓を掃苔。本堂で読経。藤澤本家の二男が合流。
駅前で二男とか軽く酒を飲んだあと、ひとりで飲み直す。

2016年9月

2016年9月1日
午前九時半に常宿から能登空港へ。
正午過ぎに帰京。
空港からタクシーで帰室。王子まで一万円弱(定額割引き)。
北國新聞社主催の在京舎向け"石川県人会"パーティーの案内が届くが欠席とする。「(略)何がなし、少しうれしいような妙な気分」と述べている。

※2016年9月2日の記述なし

2016年9月3日
二時間弱サウナ。
帰室。
木内昇の最新作『光炎の人』上巻(KADOKAWA)を読み始める。『野性時代』連載中にも読んでいた。

2016年9月4日
『横溝正史研究』第6号の"巻頭言"(「懐かしの──」)を書くため、版元である戎光祥出版が送ってくれた既刊5冊を読む。

2016年9月5日
雑用片し。
鶯谷「信濃路」で、OLEDICKFOGGYのボーカル(伊藤雄和)とサシ飲み。「久しぶりに"通飲み"(※原文ママ)の態(てい)。そして、久々に愉快」と述べている。

2016年9月6日
二時間弱サウナ。
読売新聞文化部から送られてきた2016年8月28日付けの『読売新聞』掲載、単行本『蠕動で渉れ、汚泥の川を』の書評を読む。評者は、岡ノ谷一夫。
歌舞伎町で、田中慎弥と徳間書店の崔氏と一献。「遅ればせながら、慎弥氏東京移住の歓迎会」と述べている。
「風花」に流れる。「先客に中森明夫氏。"明夫ワールド"に浸る」と述べている。
帰室。

2016年9月7日
1時間だけサウナ。
砧のTMCスタジオで、テレビ朝日のクイズ特番「羽鳥&高島のニュース国民ボーダーライン!」2016年9月18日放送分の収録。
(帰宅、帰室の記述なし)
二時間程うたた寝。
「深更、一人で「信濃路」へ。/『藤澤淸造短篇集』をまたぞろ復読しつつ、生ビールとウーロンハイ、ポテトサラダ、赤ウインナー揚げ、焼鮭、ワンタン」と述べている。

2016年9月8日
早稲田の古本街をパトロール。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。「主に同誌での長篇新連載の件」と述べている。※「雨滴は続く」のこと
「今宵の清水氏、上は黒一色のセーラー服に、下は黒無地のロングスカートをパンクロッカーのように着こなしている。怪奇」と述べている。
※清水氏はこのあとラジオ局での用件があるため午後11時で別れる。
「リハビリは充分に行なったから、もうそろそろ本当に仕事に復したい」と述べている。

2016年9月9日
所用で神戸に行く。
新神戸駅前のホテルに宿泊。

2016年9月10日
新幹線で岡山へ。
岡山市内のライブハウスでOLEDICKFOGGYの全国ツアー何十日目かが行なわれているため。
※所用(県立図書館での調べ物?)や映画館で時間を潰したのち、ライブ会場へ向かう。
「客層も当然、十代二十代の若者ばかり。/が、実に楽しく、有意義なひとときを過ごす」と述べている。

※2016年9月11日~12日の記述なし

2016年9月13日
二時間弱サウナ。
帰室。
11月刊行予定の角川文庫『随筆集 一私小説書きの独語』のゲラ。
「どうで千円近いキ印定価をつけられてサッパリ売れぬのであろうが、しかしこのご時世に、ただでさえ売れぬ自分の随筆集を文庫化してもらえるのは本当に有難いことだ。

2016年9月14日
二時間弱サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
『横溝正史研究』第6号の<巻頭言>を三枚書く。版元の戎光祥出版に送稿。
※ここでは随筆タイトルを「懐かしの──『横溝正史研究』第六号に寄せて」と記述している。「僅かな枚数だが、これを書いてるときは何んとも幸せな気分であった」と述べている。

2016年9月15日
午前9時半に起床したのち「やむなく外出」と述べている。
午後4時前に帰室。
文藝春秋で、副社長の西川氏、宣伝局の羽鳥氏、出版局の田中光子氏から、日本文学振興会主催、来月のオープン講座「人生に、文学を」の説明を受ける。第1回の東京大学での講師役は村山由佳と自分(西村賢太)の2名。
四谷三丁目の初めて入った店で、田中光子氏と『文學界』の清水氏と食事?
「今宵の清水氏、毒々しい程に真っ赤なワンピース姿なれど、慣れてきたせいか不思議とこれが三十七歳、既婚男性の氏に何んとも似合って見える。そんな自分の感覚が、甚だ面妖奇怪」と述べている。文壇よもやま話。
「風花」に流れる。

2016年9月16日
二時間弱サウナ。
帰室。
角川文庫『随筆集 一私小説書きの独語』のゲラ。「殆ど直しはなし」と述べている。ただし、JTの広告エッセイ2本を単行本『喫煙室』収録にあたって少し文章を直しているので、それをゲラに反映させた。

2016年9月17日
神保町をパトロール。
片岡鉄兵の戦後の仙花紙本2冊。
御茶の水「ディスクユニオン」でCDを1枚購入する。
帰室。
角川文庫『随筆集 一私小説書きの独語』のゲラ。

2016年9月18日
角川文庫『随筆集 一私小説書きの独語』のゲラ終了。宅配便でKADOKAWAに戻す。
浅草の演芸ホール。全席。
藤澤淸造スポットの久保田万太郎生家跡を廻って、安寿司屋。
帰室。
久々に『七尾市史』を拾い読み。

※2016年9月19日から20日の記述なし

2016年9月21日
二時間弱サウナ。
帰室。
『文學界』2016年11月号用のエッセイを「或る不遜」と題して6枚弱書く。

2016年9月22日
1時間だけサウナ。
虎ノ門のテレビ東京スタジオで、午後二時より深夜帯のバラエティー番組「???」の収録。
帰室。
二時間程うたた寝。
短篇のネタ繰り。

2016年9月23日
「或る不遜」のゲラに手を入れる。
持ち込み用短篇の下書きノートを拡げる。

※2016年9月23日から27日までの記述なし

2016年9月28日
午後、所用で京都へ。駅前のホテルで一泊。

2016年9月29日
藤澤淸造月命日。
京都駅、金沢経由で七尾の常宿に午後4時前に到着。
6時に西光寺。淸造と藤澤家代々の墓の掃苔。
7時半より本堂で読経。

2016年9月30日
常宿を出て、能登空港。正午に帰京。
モノレールとJRで帰室。
『文學界』2016年12月号用の連載小説のネタ繰り。「題名は予定通り、「雨滴は続く」とす」と述べている。

2016年10月

2016年10月1日
二時間弱サウナ。
渋谷TSUTAYA O-EASTで行なわれているライブを少し眺める。
※帰途についたあと、(帰宅、帰室の記述なし)
渋谷、神宮前のAbemaTVで、午後1時からの生放送「ウーマンラッシュアワー村本大輔の土曜The NIGHT」に出演する。2時間出ずっぱり。
帰室。

※2016年10月2日から2016年10月4日までの記述なし。

2016年10月5日
雑用一束。
歌舞伎町で、OLEDICKFOGGYの伊藤雄和と飲む。伊藤の友人である俳優の渋川清彦氏が合流。
2016年10月6日から9日までの記述なし。

2016年10月10日
二時間弱サウナ。
文藝春秋出版局の田中光子から、2017年1月刊行予定の『芝公園六角堂跡』のカバー画ラフ2点が届く。「どちらも素晴らしい出来(略)二点どちらにすべきか、大いに迷う」と述べている。
「誰もいない文学館」の第10回を書く。<宇留野元一 『樹海』(昭32 理論社)>篇。

※2016年10月11日の記述なし

2016年10月12日
雑用一束。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏、出版局の田中光子氏と打ち合わせ。新連載のこと、単行本のこと、2016年11月におこなう東京大学での講座のことなど。
「今宵の清水氏、スウェットタイプの白のセーラー服(胸のリボンのプリントは、ミートソースの絡むパスタを結わえたデザインになっている)に、スパンコールがキラキラ飾り付けられた白パンタロン。傾奇(かぶき)」と述べている。

2016年10月13日
鶯谷「信濃路」で、OLEDICKFOGGYの伊藤雄和氏、スージー氏たち5名との飲み会。「ナイスな一夜」と述べている。

※2016年10月14日~2016年10月15日の記述なし

2016年10月16日
雑用一足。
『文學界』2016年12月号から開始する、長篇小説「雨滴は続く」第1回の下書きをはじめる。ノート6頁。。
「北町貫多、三十七歳時の不穏な岡惚れ(私小説と女への)の物語」と述べている。

2016年10月17日
雑用一足。
「雨滴は続く」の下書き。ノート6頁。

2016年10月18日
雑用一足。
「雨滴は続く」の下書き。ノート8頁。下書きは終了。

2016年10月19日
「雨滴は続く」の清書。13枚。「何やら直しがひどく、常よりも手間取る」と述べている。
2016年10月20日
二時間弱サウナ。
帰室。
「雨滴は続く」の清書。残りを仕上げた。「そのまま最後の全体的な訂正にかかり、朝方六時過ぎに『文學界』編輯部へファクシミリで送稿」と述べている。

2016年10月21日
二時間弱サウナ。
帰室。
木内昇の最新刊『光炎の人』下巻(KADOKAWA)の復読を読み継ぐ。

※半同棲先に滞在している可能性あり。

2016年10月22日
「雨滴は続く」のゲラがバイク便で届く。
「夜、外出。十一時前に帰宅」と述べている。
再入浴時に入浴剤「旅の宿」の"草津"を投入したせいか本格的に寝てしまう。

※2016年10月23日の記述なし

2016年10月24日
「雨滴は続く」のゲラに訂正を入れる。(※2016年10月22日にゲラが届いたのは本宅なので、すでに帰室している、と見受けられる)
来年1月から刊行予定の短篇集『芝公園六角堂跡』の初校ゲラ。「これは手を入れるところが、なかなかに多し」と述べている。

2016年10月25日
二時間弱サウナ。
『芝公園六角堂跡』のゲラ。

2016年10月26日
食糧と日用品の買い出し。
帰室。
2016年11月刊行の角川文庫『随筆集 一私小説書きの独語』に収録する「文庫化に際してのあとがき」を書く。
『芝公園六角堂跡』のゲラ。
カレールゥを「ジャワカレーの辛口」から「バーモントカレーの辛口」に変更する。今年5月~6月に胃を痛めて以来。
「子供の頃の、家のカレーがもっぱらこれだったが、やはり美味。もう五十歳になるのに、ラクに二皿いける」と述べている

2016年10月27日
二時間弱サウナ。
回転寿司で11皿22貫と揚げ立て天ぷら、土瓶蒸し、生ビール、冷酒2本。
帰室。
3時間ほど寝る。
『芝公園六角堂跡』のゲラ。2番目に収録している「終われなかった夜の彼方で」まで。

※2016年10月28日の記述なし

2016年10月29日
藤澤淸造月命日。
午前8時に起床して、金沢経由で夕方6時に西光寺で「淸造及び代々の一基の掃苔」と述べている。
夜7時半から本堂で読経。
「終了後にやってきた藤澤本家の二男のかたと、駅前で一献。朗報あり」と述べている。
常宿に戻る。

2016年10月30日
午前8時起床。
午後3時前に帰宅。(※半同棲先かもしれないが、本宅の可能性もある)
『芝公園六角堂跡』のゲラ。3番目に収録している「深更の巡礼」まで。

2016年10月31日
『芝公園六角堂跡』のゲラ。「十二月に泣く」に手を入れる。これにて完了。
スーパーへ食糧の調達にゆく。
「深更、右足くるぶし辺に、またぞろ少しく痛風の前兆。が、晩酌時には予定通りに、痛風に悪そうな生牡蠣ポン酢を食してしまう。止むなし」と述べている。

2016年11月

※2016年11月1日から2016年11月3日までの記述なし

2016年11月4日
「日中、外出。夕方、帰室」と述べている。
雑用片し。
※寄贈された同人誌について言及して「微苦笑」する。
文藝春秋より、『喫煙室 第23集 くつろぎの時間』の見本が届く。『週刊文春』掲載のJT広告エッセイ2本収録。(「夏の風物詩」「コーヒーの用途」。『随筆集 一私小説書きの独語』所収)
「痛風、大ごとに至らず前兆消滅。有難し」と述べている。

2016年11月5日
二時間弱サウナ。
帰室。
今日届いていた文芸誌のうち『文學界』2016年12月号だけを開く。「雨滴は続く」第1回所載号。「保存用のダンボール箱に入れる。これも、そろそろまた次の段ボールを用意する必要あり。手元に残しておいても仕方がないことは分かっているのだが」と述べている。

2016年11月6日
前夜眠らず。
午後1時半に出て、本郷の東京大学で、日本文学振興会主催の第1回オープン講座「人生に、文学を」に出演する。
「高額ギャラに目がくらみ」と述べている。
「(略)実際のところは進行役をつとめて下すった、同大学准教授の阿部公彦氏に始めから終いまで助けて頂く格好となる。感謝」と述べている。

2016年11月8日
「誰もいない文学館」第11回を書く。<大坪砂男『閑雅な殺人』(昭30 東方社)>篇。

2016年11月9日
「四時過ぎに、『新潮』編輯部に復帰した某氏と喫茶店で会う。まずは何より。再発せぬことを祈るばかり」と述べている。
※田畑氏のことか? 本の雑誌2022年6月号で、田畑氏は「最後にお会いしたのは5年半前」と述べている。
帰室。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。
「一昨日の、東大でのオープン講座の折には至って普通の黒ジャケット姿だった氏だが、今宵は恰もその反動ででもあるかのように、赤と青のサイケデリックなデザインのコートを妖しくお召しになっている。幻奇」と述べている。

2016年11月10日
二時間弱サウナ。
※(帰宅、帰室の記述なし)
「雨滴は続く」第2回のシノプシスを作る。
「どの過去作でもそうだったが、これを半切りにした古カレンダーの裏面に記入すると、もはや一篇書き上げたも同然の気分になる」と述べている。

2016年11月11日
「誰もいない文学館」第11回のゲラ訂正。
真梨幸子の最新作『イヤミス短篇集』を読む。「収録六篇すべてに驚愕、すべてに震撼。自らのダメなやおい私小説を思うにつけ、つくづく氏の才能が羨ましい」と述べている。

※2016年11月11日から2016年11月14日の記述なし

2016年11月15日
雑用一束。
「げんぱち」で、『本の雑誌』の浜本編集長らと打ち合わせ。のち「燭台」に流れた。ひととりで「風花」に流れる。

2016年11月16日
『読売新聞』読書面の"始まりの一冊"欄用のエッセイ3枚を書く。
「しかしながら、自分は現在のもそうだが、特に昔の写真と云うのを殆ど所持していない。十五歳で自活を始めてこのかた、そうした類を撮す機会もなかったし(友人、知人がいなかったから)、撮してくれる者もなかった(友人、知人がいなかったから)。
 それでも十九歳時の日雇い人足現場での一枚や、幼少期や二十五、六歳の頃のものが数葉残っており、他に先般、書庫(物置き)の整理をしていたら三十二、三歳時の折のが出てきたので、取りあえずこれを送っておく。/それにしても、一六、七年まえの自分は随分と痩せていたものだと、しみじみ思う。」と述べている。

2016年11月17日
二時間弱サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。ファクシミリで『本の雑誌』に送る。
角川文庫版『随筆集 一私小説書きの独語』の見本が届く。45冊目の単著。解説は木内昇。挿画は能町みね子。深謝している。
牛のスジ肉でビーフシチューの手作りを試みるが失敗。「ひどい不味さ。不興」と述べている。

2016年11月18日
二時間弱サウナ。
「雨滴は続く」第2回の下書き。ノートに6頁。

2016年11月19日
「雨滴は続く」第2回の清書。9枚分になる。
「雨滴は続く」第2回の下書き。ノート6頁。

2016年11月20日
「雨滴は続く」第2回の清書。
「雨滴は続く」第2回の下書き。ノート8頁。

2016年11月21日
一時間だけサウナ。
帰室。
「雨滴は続く」第2回の清書。全体への訂正を入れる。「途中、一寸長く揺れた地震に驚きつつ(略)」と述べている。朝6時半すぎに完成。『文學界』の清水氏に連絡してバイク便の手配をしてもらう。

2016年11月22日
二時間弱サウナ。
帰室。
雑用一束。
文藝春秋より届いてた『芝公園六角堂跡』再校をはじめる。「これがこちらとしての最終工程ゆえ、最後に今一度音読し、耳で聞いて、つっかかったところをチェックする」と述べている。

※2016年11月23日の記述なし

2016年11月24日
二時間弱サウナ。
帰室。
「雨滴は続く」第2回のゲラがバイク便で届く。
手紙の返信2本を書く。
鶯谷「信濃路」で、OLEDICKFOGGYのボーカル/伊藤雄和氏と飲む。「大いに愉快」と述べている。
二軒目は新宿に流れる。

2016年11月25日
一時間だけサウナ。
テレビ朝日のアークスタジオで、午後一時よりバラエティー番組「中居正広のミになる図書」2016年12月13日放送分の収録。
帰室。
四時間近く眠って再入浴。
「雨滴は続く」第2回のゲラ訂正。ファクシミリで『文學界』編輯部に戻す。

※2016年11月26日から2016年11月27日の記述なし

2016年11月28日
「所用で大阪に向かう」と述べている。
飛田新地を一廻り。ミナミの串カツ屋に入ったとき、何年か前にテレビ出演したときの串カツ大食い企画を思い出す。※「爆笑 大日本アカン警察」2013年8月11日放送分のこと。2013年6月30日(野性の章)参照。
大阪に宿泊する。

2016年11月29日
藤澤淸造月命日。
午前8時半起床。梅田で時間を潰しのち、大阪駅から金沢行きの特急列車に乗る。
午後4時に七尾入り、6時すぎに西光寺で淸造と藤澤家代々の一基を掃苔。
住職の兄がフランスから一時帰国していた。
本堂で、7時40分から30分間の読経。
「昨夜、このお寺の信徒総代のかたが急逝されたとのことで、電話多し。早々においとまし、駅前の居酒屋に向かう」と述べている。
常宿に戻る。

2016年11月30日
午前8時に起床、9時半に常宿を出て能登空港に向かう。当日売りのチケットを購めるつもりが、先月から運航ダイヤが変更しており午前の分は締め切られる。
「仕方なくまた七尾に戻って、山の中の健康ランドでしばし時間を費消す」と述べている。※「天然温泉 ほっとらんど NANAO」のこと
午後一時の特急で金沢駅まで、初めて北陸新幹線の"かがやき"に乗る。
「富山へ僅か十六分程で着いたのには驚いたが、その後もアッと云う間に長野に着き、アッと云う間に大宮に辷り込んでいったのには度肝を抜かれた。カルチャーショック。"と述べている。
上野駅で降りる。京浜東北線で帰室。

2016年12月

※2016年12月1日から2016年12月4日までの記述なし

2016年12月5日
水道橋博士の最新刊『はかせのはなし』(KADOKAWA)を読む。東京都の広報連載エッセイを単行本化したもの。

2016年12月6日
郵便局でゆうぱっく3個を出す。年賀葉書60枚を購める。
帰室。
町田康の最新刊『珍妙な峠』(双葉社)を読む。「装幀、装画も素晴らしい」と述べている。
※空行がない

2016年12月8日
松本徹の新刊『三島由紀夫の時代 芸術家11人との交錯』(水声社)を読む。
「誰もいない文学館」第12回を書く。<久鬼高治『北十間川夜話』(昭61 同成社)>篇。
※2016年12月9日の記述なし

2016年12月10日
「体調甚だしく悪し。/終日寝たり起きたりを繰り返す。」と述べている。
『東京スポーツ』紙の正月特別号用のエッセイを書く。「OLEDICKFOGGY」と題して3枚。

2016年12月11日
「体調悪し」と述べている。
「日中のうちからリビングの食卓の方にて、『文學界』の「雨滴は続く」第三回の下書きを始める」と述べている。
興が乗らないため、録りだめしておいたBS放送の「大都会PARTⅢ」を眺める。
四谷三丁目で、『文學界』の清水氏、出版局の田中光子氏と打ち合わせ兼文壇よもやま話、紀尾井町篇。
「今宵の清水氏、普通の白いワイシャツに普通の手編み風セーターで、平生のサイケデリック、かつエキセントリックなファッションとは打って変わっての、何やら昭和の好青年然としたいでたち、休日バージョンか。」と述べている。
帰室。
ひと眠り。
「雨滴は続く」第3回の下書きの続きをするつもりが、「うっかり朝六時過ぎまで眠ってしまう。/やむなく小便をし、付けっ放しだったリビングのエアコンと電気を消してから、また三時間程眠る。」と述べている。

2016年12月12日
「(略)依然体調悪し。胃痛のような腹痛あり」と述べている。
「十条方面に散歩に出てみるが、南橋の辺まで行ったところで引き返し、蕎麦屋へも寄らずに帰室」と述べている。
「誰もいない文学館」第12回のゲラ。
『東京スポーツ』2017年正月特別号用エッセイのゲラ。
外出。スーパーに食糧の買い出し。「だいぶ葉ものの野菜が安くなった」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
自炊の食事後、ルルアタックIBを服用したのち3時間程眠る。
「一私小説書きの日乗」の整理。
手紙を日本書く。
市川崑の「股旅」のDVDを観直す。最近気に入っているCDのフルアルバムを聴く。

2016年12月13日
二時間弱サウナ。
「雨滴は続く」第3回の下書き。ノート6頁。

2016年12月14日
やや体調復す。
病院に通風予防の薬を貰いにゆく。
ゾッキの安エロ本を6種類仕入れる。
(帰宅、帰室の記述なし)
「雨滴は続く」第3回の下書き。ノート6頁。

2016年12月15日
「雨滴は続く」第3回の清書。「訂正が多い為にスピードが上がらず、9枚分仕上げたところで時間切れとなり、室を出る」と述べている。
鶯谷「信濃路」で、講談社文庫部の柴崎氏と一献。「夏に同僚のかたと再婚された柴崎氏、つい三日ばかり前に待望のお子さん誕生とのこと。まことに目出度し」と述べている。
さらに「十年程前に知り合った頃は、デリヘル嬢を自室に呼び、個人情報を自らダダ洩れにさせていた無頼の氏も、今やすっかり酸いも甘いも噛み分けた大人(たいじん)の風格。/五十男となった自分も、今更ながらだが少しは見習わなければなるまい」蠹のべている。

2016年12月16日
リビングの食卓で「雨滴は続く」第3回の下書きの続き。「最早、完全に尻に火が点いてしまっている。6頁分。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
食卓上にて「雨滴は続く」第3回の清書。「作の後半部分のくだらなさに自分で辟易しながら、深更二時半に十七枚を仕上げ、合計二十六枚を揃える」と揃える。
全体の訂正作業。午前7時に完成。『文學界』の清水氏にバイク便の手配をしてもらう。
「いつものことながら、校了期間中の氏は、何時に連絡してもすぐさまの対応をしてくださる。(略)まったく氏には頭の下がる思いがする」と述べている。

※2016年12月17日の記述なし

2016年12月18日
二時間弱サウナ。
「雨滴は続く」第3回のゲラ。午前6時に終了。「清水氏にお伺いを立てると、やはりバイク便での戻しを希望されるので、またぞろ手配して頂く」と述べている。

2016年12月19日
『文學界』より疑問点なしで校了の連絡あり。
買淫と外食。
帰室。
近刊『芝公園六角堂跡』のカバー確認をする。「バイク便で届けられたその色見本、まだ手に微かに黒インクが付着す。文藝春秋出版局の田中光子氏に電話し、その旨を伝え、更に改善を懇願す。」と述べている。※このあとも、さらに装幀へのこだわりを述べている
「なので更なるダメ出しをするものの、納期のことのみで頭が一杯になっている先方は、こちらの”神経質”ぶりを言外に詰る調子にもなっている。/が、その点は自分も、どうでも譲ることはできぬ」と述べている。

2016年12月20日
二時間弱サウナ。
鶯谷「信濃路」で、OLEDICKFOGGYのボーカルである伊藤雄和氏、俳優の渋川清彦氏らと飲み会。二軒目は新宿に流れる。

2016年12月21日
『芝公園六角堂跡』カバーの修正色校が届く。
「前よりも酷くなっている。これだけ再三、再四伝えてもこの態たらくでは、もう改善の見込みなし。/やむなく刊行の中止を伝える。どうにも、致し方なし。」と述べている。

※2016年12月22日から2016年12月24日の記述なし

2016年12月25日
「『芝公園六角堂跡』関連の折衝を完全に放棄し、本日より早めにサナギマン状態に入る。
鶯谷「信濃路」で、青林工藝舎の高市真紀氏と打ち合わせ。
帰室。翌日からの旅の支度。

※2016年12月26日から2016年12月28日の記述なし

2016年12月29日
藤澤淸造月命日。
「午前八時起床。入浴。旅先の宿を出て、取りあえず博多から新幹線で大阪に出る」と述べている。※福岡県にいた模様
特急サンダーバードで金沢駅まで行ったが、帰省ラッシュのせいで希望時間帯の切符が取れず、七尾に到着したのは夜8時近く。
あらかじめ掃苔は翌日30日にすると伝えてあった為、常宿へ向かう。

2016年12月30日
常宿を出て、タクシーでいつもの健康ランドへ。
二時間程サウナと露天風呂。
タクシーで西光寺へ向かう。
藤澤清造と代々の掃苔。本堂にて読経。
午後3時半の特急で京都へ向かう。旅の再開。