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2011年(平成23年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン

2011年(平成23年)の出来事

  1.  第144回芥川賞受賞(2011年1月14日、朝吹真理子と同時受賞)

  2. 『苦役列車』(新潮社単行本、2011年1月26日)

  3. 『小銭をかぞえる』(文春文庫、2011年3月10日)

  4. 『随筆集 一私小説書きの弁』(新潮文庫、2011年4月16日)

  5. 『廃疾かかえて』(新潮文庫、2011年4月26日)

  6. 『寒灯』(新潮社単行本、2011年6月1日)

  7.  藤澤清造『根津権現裏』(新潮文庫、2011年6月26日、校訂・語注)

  8.  韓国語訳『苦役列車』(dasan books、2011年10月4日)


2011年2月

『随筆集 一私小説書きの独語』所収(創る人五十二人の二〇一一年日記リレー)

2011年2月12日
石川県の金沢本社から『北國文華』のへんしゆうしやが来宅。淸造小伝の再録許諾を得るため。藤澤清造特集のインタビュー取材。

2011年2月13日
「寒灯」を着想する。

2011年2月14日
「東京スポーツ」で高橋三千綱と対談。<芥川賞 西村賢太風俗3P>記事。

2011年2月15日
「あらたにす」インタビュー。
J-WAVE「JAM THE WORLD」にゲスト出演。

2011年2月16日
NHK-BS「週刊ブックレビュー」の収録。

2011年2月17日
講談社から刊行した単行本『廃疾かかえて』『随筆集 一私小説書きの弁』のゲラ訂正。講談社に相談せず、新潮文庫に移すことを決めた。

2011年2月18日
東京會舘。第144回芥川賞・直木賞の授賞式。受賞スピーチをおこなう。


2011年3月

『一私小説書きの日乗』(日乗シリーズ 第1巻)

2011年3月8日
当日の『読売新聞』をもとめる。〈私小説はいま〉という記事をチェックするため。電話取材を40分も受けたのに使われていたのは一言だった。

2011年3月10日
当日の毎日新聞をもとめる。以前受けたインタビュー記事をチェックするため。藤澤清造の初版本、石原慎太郎などに言及。文春文庫『小銭をかぞえる』発売日。

2011年3月12日
新潮社経由で依頼があった『SAPIO』の8枚の文章を引き受ける。

2011年3月14日
新潮社にて『美人百花』の著者インビューを受ける。ゆたかへんしゆうちようと対面。このときは関係悪化しておらず。読売新聞の仮社屋にて「日テレG+」の番組収録。文化部・鵜飼記者との対話形式インタビュー。ふたたび新潮社にて『週刊ポスト』からの震災に関する電話取材を受ける。

2011年3月15日
確定申告。昨年の原稿料や印税収入は480万円弱。

2011年3月16日
新潮社にてBS11の番組制作担当者と打ち合わせ。「寒灯」を書きはじめる。

2011年3月17日
『週刊文春』よりファクシミリでアンケート取材。「今、このときこそ読む一冊」について300字以内の文章。川崎長太郎「父島」を挙げる。

2011年3月18日
『週刊SPA!』坪内祐三との対談ゲラが届く。

2011年3月20日
「日乗」を書く。

2011年3月22日
セシウムを気味悪がってセブンイレブンにてミネラルウォーターをもとめるが品切れだった。仕方なく売れ残っていた割高の黒烏龍茶をもとめた。新潮社から宝4ケース(48本)が届く。

2011年3月23日
「寒灯」の下書き(第1工程)を終える。原稿用紙への清書(第2工程)は一時間に2~4枚のペース。

2011年3月24日
第2工程を終えて、清書したものをさらに訂正する作業(第3工程)に取り掛かる。新潮社指定のバイク便を呼ぶ。担当は田畑氏。

2011年3月25日
「寒灯」採用される。初稿ゲラを訂正する。

2011年3月27日
新潮社からの8千円の謝礼振込を確認する。2011年『波』3月号表紙に掲載される筆跡掲載によるもの。

2011年3月28日
新潮クラブにて上原善広と『波』誌上の対談。新潮社本館にて『廃疾かかえて』『随筆 一私小説の日乗』の文庫カバー装幀の打ち合わせ。

2011年3月29日
藤澤清造月命日。七尾へ行かず。お茶の水にてBS11「テリー伊藤の月に吠えろ」の収録。初回ゲストとして2週分を収録する。

2011年3月31日
門前仲町にて『東スポ』の随筆新連載(いろ艶筆)打ち合わせ。5月から毎週木曜日に掲載。※(「いろ艶筆」は単行本掲載時に「色慾譚」に名称変更)

2011年4月

2011年4月1日
白夜書房からファクシミリ届く。高田文夫編輯『落語ファン俱楽部』からの寄稿依頼。
TBS「アッコにおまかせ」から、震災に関するアンケートのファクシミリ届く。

2011年4月2日
『マトグロッソ』山口氏と新宿紀伊国屋。二階の文庫売り場「男の告白フェア」にて顔写真パネルが掲示されているため。
さきに、山口氏(女性)を電話で罵倒した。
自宅で、立川藤四楼のCD「鰻の幇間」「黄金の大福」を聴く。

2011年4月3日
『随筆集 一日』の文庫版あとがきを書く。

2011年4月5日
新潮社で、TBSの深夜番組の打ち合わせ。
『ELLE JAPON』のインタビューを受ける。
『新潮』2011年5月号を購める。付録である「谷崎潤一郎の肉声CD」が目当て。表紙の書き文字が矢野へんしゆうちようの手によるものだと知る。
五月刊行の文庫2点について打ち合わせ。古浦、田畑、桜井氏。

2011年4月6日
『週刊文春』の電話取材。震災復興のアイデア。

2011年4月7日
『SAPIO』の随筆(草食系男子について)を書く。

2011年4月8日
桜井氏から『新潮45』2011年5月号が送られてくる。自身についての記事(正津勉「平成の御世に出現した『西村賢太』なる奇観作家」、西村賢太「寒灯」書評?)が掲載されているため。
日本文学振興会から芥川授賞式の芳名帳(和綴じの完全複製版)、当日の写真、DVDが届く。

2011年4月10日
都知事選にて生まれて始めて投票する。石原慎太郎が立候補しているため。
『北海道新聞』の随筆(日ハム)を書く。礼状3本を書く。

2011年4月11日
荒木経惟『男 アラーキーの裸顔』が届く。自分の写真が載っているため。
TBSで、新番組「ゴロウ・デラックス」の収録。付添は田畑氏。

2011年4月12日
『中央公論』2011年5月号が届く。インタビュー掲載のため。
東スポ阿部記者から、本誌掲載の「芥川賞授賞式における石原慎太郎とのツーショット写真」が届く。
『北海道新聞』随筆のゲラチェック。
『週刊ポスト』から取材依頼。私小説について。(後日中止)
『小銭をかぞえる』(文春文庫)3刷の知らせ。

2011年4月14日
『週刊アサヒ芸能』今週号、書物雑誌(付録・牛丼屋で本は読めるのか)の五月号が届く。寄贈。

2011年4月15日
『二度はゆけぬ町の地図』4刷の見本が届く。
新刊書店で、水木しげる『墓場鬼太郎』第一巻と二巻、魔夜峰央『ビストロ温泉パタリロ!』、新田たつお『静かなるドン』第九十八巻を購める。

2011年4月18日
宝酒造より「純」4ケースが届く。毎日新聞インタビューで名前を出したため。
宝酒造と高田文夫に礼状を書く。
「信濃路」で、『マトグロッソ』山口氏と打ち合わせ。

2011年4月19日
『どうで死ぬ身の人踊り』7刷の見本が届く。本の雑誌が「”2009年度文庫ベストテン”第1位に選んだこと」について感謝する。
藤澤淸造の資料整理。

2011年4月20日
新潮社で打ち合わせ。桜井氏から『苦役列車』の翻訳申し込み(中国・韓国・台湾)の話を聞く。
6月発売の新作短篇集の装幀について打ち合わせ、初稿ゲラを受け取る。
『東スポ』連載(「いろ艶筆」)の第1回目の原稿を書く。

2011年4月21日
王子の「半平」で、『東スポ』大沢、鬼塚記者と打ち合わせ。東スポの連載(が毎週から月一回に変更するという告知を受ける。震災に伴った紙不足によるもの。

2011年4月22日
『二度はゆけぬ町の地図』5刷発行の通知が届く。

2011年4月24日
高田文夫が構成する「昭和のいる・こいる 四十五周年記念リサイタル」を観るため、「北とぴあ さくらホール」に一人で赴く。

2011年4月25日
『マトグロッソ』に「日乗」を送稿。

2011年4月26日
『東スポ」から、GW明けから「いろ艶筆」が週一連載にもどる通知を受ける。

2011年4月29日
藤澤淸造月命日。
7月に刊行する新字新カナ版「根津権現浦」について、思いが溢れる。

2011年5月

2011年5月2日
新潮社で打ち合わせ。
文庫解説をしてくれた友川カズキのライブ(会場:ShowBoat)のため高円寺に向かう。田畑・古浦氏も参加する。
都丸書店で、横溝正史『吸血蛾』(昭33 講談社ロマンブックス)、諏訪三郎『大地の朝』(昭16 講談社)、高見順『如何なる星の下に』(函欠、昭15 新潮社)、円本全集の端本『佐佐木茂索集』(カバー付、昭4 平凡社)、島田清次郎の『大望』函付き(大9 新潮社)を購める。これにて島清の著書は全点完品を収集済み。

2011年5月3日
『落語ファン倶楽部』の随筆を書く。
高田藤四楼の高座CD「小言幸兵衛」「天災」「幇間腹」「首ったけ」を聴く。

2011年5月4日
講談社文庫『どうで死ぬ身の一踊り』8刷の見本が届く。

2011年5月6日
西日暮里で、『週刊現代』「会う食べる飲む また楽しからずや」欄のインタビュー取材。

2011年5月7日
『いろ艶筆』第2回を書く。

2011年5月10日
新潮社で、『週刊プレイボーイ』の「バカになれ」欄のインタビュー取材。今年2月にも取材を受けた。

2011年5月11日
飯田橋で、読売テレビ「ZIP!」のロケ取材。関西地方のみで放映。
ワタナベエンターテインメントの氏と飲む。
単行本『寒灯』のゲラチェック。

2011年5月12日
神保町で、『週刊現代』のインタビュー取材。モノクログラビアページ。
おなじ講談社の『群像』に1年半ほど干されていることを思い出す。群像編輯長との思い出も。
岩波ホールで、田畑・桜井氏と待ち合わせ。
小宮山書店で取材を受けるつつ、『ウインチェスターM70』(昭36 新潮社)の帯付きサイン入り本を購める。大藪春彦・当時26歳の署名本は珍しい、という。
駿河台下、万世橋、淡路町の飲み屋でインタビュー取材。
「いろ艶筆」第3回を書く。『寒灯』のゲラチェック。

2011年5月13日
文藝春秋社で『文學界』の打ち合わせ。
『寒灯』のゲラチェック。バイク便に渡す。
角川文庫『二度はゆけぬ町の地図』5刷の見本が届く。

2011年5月16日
新潮社で、新潮文庫『根津権現浦』巻末に収録した「藤澤清造年譜」を古浦氏に渡す。
会議室で、ニッポン放送と打ち合わせ(番組は実現せず)。
池袋で、川中美幸のCDを購める。「川中美幸 人・うた・心」(文化放送)に出演するための事前予習。

2011年5月17日
浜松町の文化放送で、「川中美幸 人・うた・心」にゲスト出演。4日分(月曜日から木曜日)のまとめ撮り。十代の頃に家具配送のトラック助手のアルバイトをしており、川中美幸の町田の新築豪邸にテーブルセットか何かを運び入れたことがある。そのとき川中の書棚に横溝正史の文庫本があったことを覚えているという逸話を披露する。
三島由紀夫賞の発表があるため編輯者の同行は無し。

2011年5月18日
角川文庫『二度はゆけぬ町の地図』6刷の知らせを受ける。『野性時代』と和解することを決める。
赤坂の東北新社で、NHK番組について打ち合わせ。「ドトールコーヒ」で、田畑・藺牟田の両氏と話す。
神保町で、『en-taxi』の田中氏と打ち合わせ。坪内祐三も合流する。のち「風花」へ。

2011年5月19日
「いろ艶筆」第4回を書く。
『文藝春秋』7月号のアンケート「次の総理はこの人」書く。
新潮文庫『根津権現裏』のゲラチェック。

2011年5月20日
田中英光が愛人の腹を刺して四谷警察署に逮捕・連行?された日。
都電のほうの王子駅前で、『落語ファン倶楽部』で使うための近影撮影。白夜書房の編輯者とは本日が初対面。
『新潮』7月号の随筆を書く。

2011年5月23日
東京フィルハーモニー交響楽団の公演パンフレットに寄せる一文を書く。

2011年5月24日
新潮文庫『根津権現裏』の解説を書く。

2011年5月25日
新潮社で、主婦の友社『ミーナ』のインタビュー取材。
プレジデント社『プレジデント』のお金に関してのインタビュー取材。
フリーのテレビプロデューサーと打ち合わせ(番組は実現せず)。
古浦氏と『根津権現裏』の装幀選び。信濃八太郎が提出した図柄は四点、デザインのバージョンは八種類。即決する。
『寒灯』のカバーデザインのラフを見る。桜井氏が同席。
夏の「新潮文庫の100冊」に『暗渠の宿』が入ったことを知る。

2011年5月26日
『根津権現裏』の清書はじめる。
「いろ艶筆」の第5回を書く。
文春文庫『小銭をかぞえる』4刷の知らせを受ける。丹羽氏から。

2011年5月27日
道玄坂で、『サイゾー』2011年7月号の対談収録。相手は岩井志麻子で初対面だった。

2011年5月28日
『根津権現裏』の本文ゲラチェック。

2011年5月29日
藤泡淸造月命日。掃苔に行かず。
『根津権現裏』の本文ゲラチェック。「注解」にも手を入れる。

2011年5月30日
『根津権現裏』の本文校訂と語注を書く。

2011年5月31日
本文ゲラを戻し終えたあとに、念のために底本を確認する。「新潮文庫用のルビ」について気にする。初出(底本)どおりのルビにしたかった。

2011年6月

2011年6月1日
新潮文庫『暗渠の宿』7刷の知らせ。今回の刷り部数は3万2千部。
収録作「けがれなき酒のへど」を「煉瓦」主宰者の自宅へ持参したときの思い出を述べている。煉瓦の発行部数は300部。

2011年6月2日
『根津権現裏』の解説ゲラと語注ゲラの訂正。
「いろ艶筆」第6回を書く。
『文學界』田中光子・新編輯長から手紙が届く。
東京フィルハーモニー交響楽団から定期演奏会の招待状が届く。寄稿の縁。

2011年6月4日
芥川龍之介の墓の掃苔に行く。染井の慈眼寺墓地。芥川賞受賞のお礼参り。谷崎潤一郎(分骨)・谷崎精二の墓にも手を合わせる。

2011年6月6日
『根津権現裏』の三校。解説と語注の再校。年譜もすこし調整する。

2011年6月7日
『根津権現裏』の著者作業を終える。
新潮文庫版は「淸造文学の入門書」という位置づけであり、『藤澤淸造全集』には正字歴史的仮名遣いを収録する。
近代文学館の前館長である井口哲郎氏から贈られた日本酒「手取川」をコップで飲む。

2011年6月8日
新潮社で『日経エンターテインメント』(2011年8月号)のインタビュー取材。古浦氏、岩崎市と連携して新刊の宣伝につなげる。
NHKの番組出演(「ようこそ先輩」)について、東北新社と三回目の打ち合わせ。

2011年6月9日
『yom yom』の随筆を書く。
「いろ艶筆』第7回を書く。
四谷三丁目に行き、『野性時代』との手打ち式をおこなう。三宅編輯長、藤田氏、書籍部の吉良氏、山田氏。2010年10月頃から絶縁状態だったが、三宅編輯長が頭を下げて、賢太も謝罪して和解成立。小学六年生のときに横溝正史『悪霊島』読みたさに買った雑誌なので思い入れがある。海外翻訳版が進行しているという話が出たが、これは角川側のウソだったことを後日知ることになる。

2011年6月10日
『ダ・ヴィンチ』から紙焼きの大判写真が届く。同誌の企画で荒木経惟(アラーキー)が撮影したもの。

2011年6月13日
『波』2011年7月号の随筆を書く。
『en-taxiの田中陽子編輯長から連絡あり。
町田康『猫とあほんだら』を読む。

2011年6月14日
コアマガジンから送られてきた藤木TDC『アダルトビデオ最尖端~身体と性欲の革命史~』のゲラを読む。帯文を依頼されているため。
上原善広『私家版 差別語辞典』を再読。
「いろ艶筆」第8回を書く。
赤羽のイトーヨーカドーで、ノート下書きに使っているボールペンの替え芯を購める。
ブックオフで文庫本二冊とCD一枚を購める。

2011年6月15日
東京都町で、石原慎太郎と対談。『en-taxi』2011年夏号の企画。二日前に急遽決まったもの。まだ生きている小説家のなかでは最も好き、と書いている。二十年ほど前に古書展で購め、持参した『価値紊乱者の光栄』(昭和33年・凡書房)に署名してもらい、色紙の揮毫も得る。
神宮球場で、『東スポ』の大沢記者、鬼塚記者のコネクションにより、グラウンドで西武ライオンズの試合前の練習を見学する。新潮社の田畑氏、古浦氏、桜井氏と合流する。ヤクルト球団の常務から「スワローズグッズ」の福袋をもらう。そのあと、ヤクルト-西武戦を観戦する。角川書店の山田氏と偶然顔を合わせる。ヤ党のエンタメ系女性作家(木内昇?)と観戦に来たため。

2011年6月16日
『落語ファン倶楽部』第十三号が届く。白夜書房からの献本。表紙に<祝 芥川賞>の文字あり。高田文夫が前口上にて触れている。

2011年6月17日
藤木TDC『アダルトビデオ最尖端~身体と性欲の革命史~』の帯文を書く。

2011年6月19日
『文學界』2011年8月号の随筆「展墓」を書く。
2010年は随筆依頼が皆無だったことを思い出す。

2011年6月20日
新潮社の新潮クラブで、朝吹真理子と対談。(電子書籍関連の企画であり、映像として公開されるもの)。

・特別対談「朝吹真理子×西村賢太」vol.1 Shincho LIVE! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=c8Z2NBsRQp0

・特別対談「朝吹真理子×西村賢太」vol.2 Shincho LIVE! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=DOZr9xbvU8s

司会は『新潮』の矢野優編輯長。この時点で「天敵」と述べている。
新刊の『根津権現裏』をビニール袋に入れたまま持参、誰にも中身を触れさせなかった。対談終了後、矢野氏、田畑氏、古浦氏、開発部の白河氏と神楽坂の中華料理店で食事会。「風花」で朝吹真理子も交えて歓談する。

2011年6月21日
「日乗」を書く。
テレビ収録の事前アンケートを記入する。
『文學界』の随筆ゲラ。
『日経エンターテインメント』のインタビューゲラ。
『CREA』の読書特集企画の電話インタビューに答える。
先月から『小説現代』の献本が始まっていた。

2011年6月22日
新潮社で、新刊『根津権現裏』の取材を受ける。東京新聞の石井記者、朝日新聞の加藤記者、毎日新聞の棚部記者。
真夏にもかかわらず「親子煮そば」を注文する田畑氏をながめて、三島由紀夫風に「複雑な彼」という感慨をいだく。

2011年6月23日
新潮社で、新刊『寒灯』の取材。共同通信の瀬木記者からインタビュー。
TBSテレビの情報番組のVTR収録。書籍コーナーのもの。深夜番組の打ち合わせ。
「いろ艶筆」第9回を書く。

2011年6月27日
日本中国文化交流協会主宰の<中国の小説家、詩人との交流会>の出席をキャンセルする。一昨年に、平田俊子にテレビで『瘡瘢旅行』を褒めもらったので会ってお礼を言うつもりだった。
発売前に『寒灯』2刷の知らせ。
『朝日新聞』2011年7月5日の随筆を書く。新刊『根津権現裏』に関するもの。

2011年6月28日
新潮社で、新刊二冊についての取材。産経新聞の磨井記者。日経新聞の舘野記者。『メンズノンノ』のライターによるインタビュー。
『波』2011年7月号の『寒灯』書評を読む。松本徹によるもの。

2011年6月29日
藤澤淸造月命日。ただし能登に行かず。自室の墓に花を供える。
『藤澤淸造短篇集』の準備。※この時点では『藤澤淸造随筆集』の準備もおこなっている。逝去後、2022年夏に刊行予定という情報が漏れ伝わった。

2011年6月30日
半蔵門で、TOKYO FM「ラジオ版 学問のススメ」の収録。
TBSの深夜番組の打ち合わせ。
『根津権現裏』2刷決定の知らせ。

2011年7月

2011年7月1日
半蔵門で、TOKYO FM「鈴木おさむ・よんぱち」生放送14時台にゲスト出演
局内の一階ロビーで、田畑氏・古浦氏と藤澤淸造文庫第二弾(短篇集)などの打ち合わせ。
「いろ艶筆」第10回を書く。
西麻布で、ワタナベエンターテイメント社長・渡辺ミキと恵俊彰と食事会。

2011年7月4日
新潮社へ行き、TBSテレビの深夜番組のロケ収録(7月21日放送のゴロウ・デラックスSP)。鶯谷~入谷~汐留~鶯谷をまわる。

2011年7月5日
角川文庫『二度はゆけぬ町の地図』6刷の見本が届く。

2011年7月7日
HK「課外授業 ようこそ先輩の「お手本私小説」(一隅の夜)を書く。原稿用紙三枚。結末を明暗の二パターン用意してくれという注文。
ワタナベエンターテインメントとは現時点では正式に契約を交わしていない。
朝日書林から「大市の藤澤清造自筆原稿の入札価格」について電話で相談。

2011年7月8日
四谷三丁目で、NHK「課外授業 ようこそ先輩」の制作会社との打ち合わせ。
鰻屋「志満金」で、角川書店の山田氏・『野性時代』の藤田氏と打ち合わせ。9月号から随筆の連載(一私小説書きの独語)が正式決定。

2011年7月9日
「いろ艶筆」第11回を書く。
『en-taxi』掲載の石原慎太郎との対談(2011年夏号)の色校チェック。
町田康『ゴランノスポン』を読む。

2011年7月10日
藤澤淸造自筆原稿(三点の合計金額は404万3100円)を、明治古典会の七夕大市で落札する。淸造原稿が出たのは8年ぶり。(※「敵の取れるまで」22枚、「乳首を見る」59枚、「スワン・バーにて」60枚、すべて200字詰め原稿用紙。この件については、『群像』2019年7月号所載 藤澤淸造「乳首を見る」覚書 にて事情を述べている)
水谷隼『われは英雄』(昭10 春秋社)、嘉村礒多の自筆原稿、多々羅四郎『臨海荘事件』(昭11 春秋社)をヨタ札で落札。
川崎長太郎の自筆原稿は今回見送った。四点所有している。

2011年7月11日
『寒灯』2刷の見本が届く。
「日乗」を書く。
横溝正史「殺人鬼」「百日紅の下にて」「幽霊男」を復読。

2011年7月12日
横溝正史『幽霊男』のつづきを読む。
生家付近である江戸川区で、NHK「課外授業 ようこそ先輩」の一回目の収録。5年生のときまで通っていた母校である東京都江戸川区二之江第二小学校。32年ぶり。田畑氏、古浦氏、藺牟田氏が付き添う。収録後に周辺を歩く。

2011年7月14日
先日落札した藤澤淸造自筆原稿のうち短篇小説の一篇を読む。未見だったもの。

2011年7月15日
新潮社で、『藤澤淸造短篇集』と『随筆集』(のちに見送られる)、『苦役列車』の打ち合わせ。

2011年7月18日
『根津権現裏』2刷の見本が届く。発売から、わずか12日後に決定する。荷物受け取りに宅配ロッカーを利用している。

2011年7月19日
横溝正史「湖泥」「貸しボート十三号」、『金田一耕助の冒険』中の三篇を復読。
江戸川区で、NHK「課外授業 ようこそ先輩」の二回目の収録。東北新社で別撮りして、撮影終了。
打ち上げで、早稲田鶴巻町の「砂場」。編輯者の悪口を言おうとしていたが同じ店内に講談社の重役が居たので控える。

2011年7月21日
浜松町の文化放送で、「大竹まこと ゴールデンラジオ」生放送のゲスト出演。芥川賞に関するある文章中で自分のことにまったく言及しなかった大森望とニアミスする。放送中にそのことについて軽くディスる。
帰室後、本人から直接献本を受けた、大森望編『アジャストメント──ディック短篇傑作選』の表題作と「くずれてしまえ」を読む。

2011年7月22日
新潮社で、『NEWSポストセブン』の取材。『寒灯』著者インタビュー。
https://www.news-postseven.com/archives/20110815_28732.html?DETAIL

『週刊朝日』の取材。『寒灯』著者インタビュー。

2011年7月23日
葛西善蔵祥月命日。
「いろ艶筆」第13回を書く。(※)第12回の記述がないのは底本どおり
町田康『残響 中原中也の詩によせる言葉』(NHK出版)を読む。
「信濃路」で打ち合わせ。

2011年7月25日
『小説新潮』の短篇がはかどらず、ひとまず棚上げ。
田中英光に関する原稿依頼を2件引き受ける。
買い集めておいたDVDをひたすら観る。『太陽を盗んだ男』『野獣死すべし(昭55年版)』『殺人遊戯』、松竹版『八つ墓村』。再生は、藺牟田氏からもらったDVDプレーヤー(ワンセグ機能付き)にておこなう。
立川藤四楼『居酒屋』『野ざらし』を聴きながら晩酌。

2011年7月26日
『一私小説書きの独語』第1回を書く。1年半ぶりの原稿依頼。一年間の連載予定。

2011年7月27日
所用のため新宿に出かけたのち、高円寺の古書店をパトロールする。中野ブロードウェイ内の古書店で雑本二冊を購める。ヒーロー物の販売店で、イナズマンの小さなフィギュア(750円)を購める。プロ野球グッズの店で、ヤクルトの川島慶三・実使用バット(2万1千円)も欲しかったが自重する。
嵐寛寿郎主演『近藤勇 池田屋騒動』のDVDを観る。松竹版『八ツ墓村』のつづきを観る。30年前に名画座で鑑賞して以来、100回以上は観ているもの。

2011年7月28日
「いろ艶筆」第14回を書く。
新刊書店で、石原慎太郎との対談が掲載された『en-taxi』夏号を保存用に5冊購める。

2011年7月29日
藤澤淸造月命日。今回は不参。
「色えんぴつ」ゲラ。「一私小説書きの独語」ゲラ。

2011年7月30日
小谷野敦の新刊『東海道五十一駅』(アルファベータ)から、表題作と「ロクシィの魔」を読む。「私小説の快作」と評価する。

2011年7月31日
東日本大震災で乱れたままになっていた六畳の書庫などを整理する。
人に贈る誕生日プレゼントを購めるために池袋へ出かける。
帰室後の夜半、今後の小説スケジュールを立て直す。直近の短篇からは5ヶ月経っている。

2011年8月

2011年8月1日
『新刊ニュース』2011年11月号のアンケートを書く。
『人間の証明』『汚れた英雄』のDVDを観る。

2011年8月2日
手紙の返事を書く。十二通。
葛西善蔵の短篇をあれこれ復読。

2011年8月3日
新潮社で、『清流』2011年11月号のインタビュー。
小説新潮の堀口氏と打ち合わせ。
新潮文庫の古浦氏に「新潮文庫 夏の一〇〇冊フェア』景品キーホルダー(四個)を融通してほしいとお願いする。
桜井氏から今週分の『週刊新潮』を受け取る。大森望が『寒灯』を取り上げているため。

2011年8月4日
「いろ艶筆」第15回を書く。

2011年8月5日
「新潮文庫 夏の一〇〇冊フェア』の景品である「新潮パンダ」キーホルダーが届く。古浦氏が送ってくれたもの。子供の頃から親しみがあったので欲しかった。保存する。

2011年8月8日
浅草の演芸ホールで過ごす。
「淸造スポット」である久保田万太郎旧居前を通る。

2011年8月9日
『CREA』2011年9月号が届く。スケジュール記事が載っているため。

2011年8月10日
次に書く短篇の復習的メモを書く。

2011年8月11日
『野性時代』2011年9月号が届く。「一私小説書きの独語」第1回掲載分。「課外授業 ようこそ先輩」非売品文庫の「あとがき」を書く。4枚。窓口である新潮社の田畑氏にファクシミリで送信。
『文藝春秋』2011年9月号をめくる。
『新選組』(三船敏郎が近藤勇を演じたもの)のDVDを観返す。
東宝『沖田総司』(よねくらまさが近藤を演じたもの)』について想起する。

2011年8月12日
「いろ艶筆」第16回を書く。半年連載の約束。
新潮社出版部の桜井氏からゲラが届く。『清流』誌の著者インタビューのもの。
手紙を三本書く。
『悪霊島』『蘇る金狼』のDVDを観る。

2011年8月13日
神宮球場の一塁側内野S席で、阪神ヤクルト戦を観戦する。

2011年8月15日
新潮社で、新潮文庫『随筆集 一私小説書きの弁』三十一冊に署名入れをおこなう。
藤澤淸造シリーズ第三弾の予定だった「随筆」のコピーを持参するが、古浦氏を怒鳴りつけてしまい、同席していた桜井氏も怒りのオーラを発散しながら退室する。一方、田畑氏は泰然としていた。

2011年8月16日
神宮球場でヤクルト横浜戦。角川書店の山田氏、野性時代の藤田氏と合流する。山田氏は奥さんと子供2人がヤ党。
四谷三丁目の叙々苑で打ち合わせを兼ねた食事会。来年初頭に刊行する文庫(『人もいない春』)と編著(田中英光傑作選?)について話し合う。
6年付き合ってきて角川書店から初めてタクシーチケットを貰う。

2011年8月17日
手紙を三本書く。

2011年8月19日
「いろ艶筆」第17回を書く。
新潮社の会議室で一服したあと、東京會舘で「第145回 芥川賞・直木賞授賞式」(芥川賞は「該当者なし」・直木賞は池井戸潤『下町ロケット』)に出席する。
会場で、講談社の柴崎氏、『文學界』の編輯長・田中光子氏、森氏、文春出版部の丹羽氏と会う。坪内祐三と挨拶を交わす。池井戸潤は我が子を連れてきた。

2011年8月22日
『小説新潮』の短篇がはかどらず、一旦書くのをあきらめる。
『東京新聞』2011年8月22日夕刊を購める。インタビュー記事が載っているため。
東宝『病院坂の首縊りの家」のDVDを観返す。

2011年8月23日
「信濃路」で、飲みながら「一私小説書きの独語」第2回の下書き。

2011年8月24日
新潮社経由で、『共同通信』からインタビューの申し込み。民主党代表選について。後日受けることに。
『産経新聞』2011年8月24日朝刊か夕刊を購める。インタビュー記事が載っているため。
東宝『女王蜂』のDVDを見返す。

2011年8月25日
『一私小説書きの独語』第2回を書く。

2011年8月26日
「いろ艶筆」第18回を書く。
新潮社で、田畑氏・古浦氏・岩崎氏と待ち合わせ。
会議室で、『共同通信』のインタビュー取材。林記者。
そのあと『新潮』の矢野編輯長があわられる。校了中。『新潮』誌の200枚の原稿(?)について打ち合わせ。
『小説現代』柴崎氏に返信の手紙を書く。
日本テレビの出演番組用のアンケートを書く。

2011年8月27日
『小説新潮』『新潮』向けに書く予定の小説の構想を立て直す。

2011年8月28日
『朝日新聞』オピニオン面の金重記者からの電話インタビュー。民主党代表戦について。
『週刊文春』から「裸を見てみたい女性」についてアンケート的なコメントに答える。

2011年8月29日
横溝正史『悪魔の手毬唄』を復読。
NHK番組の最終収録。藺牟田氏や本日校了日のはずの田畑氏(一人っ子育ち)が駆けつける。
江戸川の小学校。控え室がわりの家庭科教室でPTA関係の夫人方に会ったとき旧知の人(付近一帯の大地主・当時の町内会長)と顔を合わせる。『苦役列車』の署名をおこなう。
番組で完成した「私小説集」の費用はNHK持ち、新潮社の全面協力のもと、新潮文庫とほぼ同じ体裁で仕上げる。葡萄のブランドマーク入り。制作部数五十部・約一三六ページ。ツカもしっかり。「掌編」と「あとがき」を書いて収録した。西村賢太コレクターにとって入手最困難本になるであろうことを予告している。
この非売品冊(文集)を「是非とも差し上げたい知人もいる」と述べている。(憤怒の章 2012年6月27日に登場する"知人"と同一人物か? 荒川氏や実母などの別の知人かもしれない)。

2011年9月

2011年9月3日
日本テレビの麹町スタジオで、武田真治氏・宮川大輔氏がナビゲーター役をつとめる「超移植対談 お会いできて光栄です」鼎談特別番組のワンコーナーの収録。2011年9月17日放送。

2011年9月5日
川崎長太郎の作を手当たり次第に復読。

2011年9月6日
川崎長太郎の連作長篇『路草』、最晩年の長篇『地下水』を復読。

2011年9月7日
手紙を一本書く。
藤澤淸造を復読。
浅草演芸ホールで夜席を聴く。

2011年9月8日
江戸川区役所で、戸籍謄本を取る。パスポート申請用。韓国語訳『苦役列車』のプロモーションをするために韓国へ行く前準備。
二十数年前に戸籍を取ったとき、三歳年上の姉が昭和62年(1987年)に結婚したことを知ったことを思い出す。姉が平成6年(1994年)に離婚したことを謄本から知る。
姉と最後に会ったのは昭和58年(1983年)で、それ以降は音信不通。
「いろ艶筆」第19回を書く。※第19回の記述がないのは底本どおり

2011年9月9日
新潮社で、『日刊ゲンダイ』のインタビュー。10月から週1回、全4回のもの。
新館の写真部で、パスポート用の写真撮影。
玄関ロビーで、『新潮』矢野編輯長と出くわす。
日本テレビの番組出演の打ち合わせ。藺牟田氏が合流。
四谷三丁目で、田畑氏マッコリ片手に自分語りをする。

2011年9月10日
藤澤淸造の自筆原稿をながめる。

2011年9月12日
池袋サンシャインシティ内のパスポートセンターで手続き。
秋恵のモデル女性と水族館に来たことを思い出す。
東武百貨店の七階・伊東屋で、便箋と封筒を購める。

2011年9月14日
新潮社桜井氏より、韓国語訳『苦役列車』のカバー画が届く。
高知県立文学館の館報(「高知県立文学館ニュース」第55号)用原稿を書く。「わが青春の田中英光」

2011年9月15日
中国語版『苦役列車』の調印が完了する。
高知県立文学館<太宰治と田中英光展>の展示用解説パネルの一文(「熱狂させる文体」)を書く。
「いろ艶筆」第二十一回を書く。連載は年内いっぱいまで延長することに。

2011年9月17日
『新潮』の二百枚が締め切りに間に合いそうもなくなる。
「一私小説書きの独語」を書くが、はかどらず。

2011年9月18日
両国の小劇場「シアターカイ」で、藤澤淸造と川村花菱を取り上げた公演。淸造の戯曲「恥」。ポスター、チラシ、半券などは「淸造資料」なので収集するため。前売り券を二十枚買う。演出に不満あり。田畑氏が同行する。

2011年9月20日
東池袋のサンシャインシティで、10年用旅券(パスポート)を受け取る。
新潮社で、『ゆほびか』2011年11月号のインタビュー取材。
田畑氏と打ち合わせ。小説原稿が間に合わないため掲載時期を遅らせることに。
フジテレビのバラエティー番組スタッフと打ち合わせ。深夜枠、ダメ作家として5分程度の出演予定。

2011年9月21日
台風が来る。
『週刊ポスト』から官能小説(十枚程度)の依頼あり。
田畑氏と打ち合わせ。
幻冬舎の有馬氏から2~3年ぶりの連絡を留守電で受ける。以前『パピルス』誌への短篇の約束を反故にして以来。
『小説現代』柴咲氏からファクシミリ届く。気まずくなっていたが和解済み。

2011年9月22日
浅草橋で、フジテレビ『アウト✕デラックス』(2011年10月5日放送分)のロケ撮影。5分程度。

2011年9月23日
「いろ艶筆』第22回を書く。
対談予定の詩人キム・シニョン氏の作を読む。

2011年9月26日
「一私小説書きの独語』第三回を書く。
銀座八丁目で、『小説現代』柴崎氏と3年ぶりに飲む。1年ほど単行本の担当だった。高田文夫の担当でもある。

2011年9月28日
「シアターカイ」会報の劇評(「シアターX批評通信」第十三号 2011年10月)を書く。
「いろ艶筆」のゲラチェック。

2011年9月29日
近所の花屋で購めた仏花を室内墓地に供える。
フジテレビの湾岸スタジオで、「ニッポン小意見センター」(2011年10月9日放送)の収録。タモリ司会。茂木健一郎氏と「風花」で会ったことを思い出す。編輯者と揉めているところを仲裁されたことがある。
「いろ艶筆」第23回を書く。

2011年9月30日
東京タワースタジオで、日本テレビ「人生が変わる1分間の深イイ話」(2011年)の収録。賞金5万円と金色の特製携帯ストラップを獲得する。藤澤淸造終焉の地付近、淸造に関するエピソードVTR。

2011年10月

2011年10月4日
羽田からビジネスクラスで韓国へ。田畑氏が同行。
費用はすべて韓国語訳『苦役列車』の版元(出版社)持ち。すでに「驚く程多額な印税前払金」が振り込まれている。
金浦空港で、Dasan Books社の女性社員と男性通訳の出迎えを受ける。
Dasan Books社の食堂で昼食。出版エージェントなど7名が同席。田畑氏、料理をデジカメで撮影する。
近くのホテルの会議室で、『ハンギョレ新聞』の対談。相手は、詩人キム・シニョン氏。
再びDasan Books社
カフェーで、約50名の読者(ほぼ学生)と懇談会。司会はチェ・ミンソク氏(新進作家)。朗読、クジ引き、サイン会をおこなう。

2011年10月5日
韓国2日目。ソウル市中心部の某プレスセンタービルで、新聞・テレビ局15社の記者と懇談会。通訳は、韓国語訳『苦役列車』の翻訳者であるヤン・オッカン氏。
コリアナホテルのレストラン別室で、『週刊朝鮮』誌のインタビュー。

2011年10月6日
Dasan Books社で、50冊に署名入れ。
今朝の新聞各紙に今回の訪韓を扱った記事あり。『朝鮮日報』の見出しは<インテリヤクザが来た>というもの。
オンライン新聞CBCiのインタビュー。
オンライン書店「Interpark」のインタビュー。
署名入れは、合計200冊以上。
パク氏(作家志望の、若い喫茶店経営者)が通訳をつとめた。
田畑氏、新婚の奥さんに「高そうなキムチの大函二つ」を仕入れる。
帰国後、「いろ艶筆」第24回を書く。

2011年10月7日
渋谷のNHK放送センターで、14日昼の生放送番組(「スタジオパークからこんにちは」)の打ち合わせ。

2011年10月8日
王子駅前で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。

2011年10月10日
『通販生活』のアンケート回答
手紙を3本書く

2011年10月11日
新潮社の新館地下の食堂で、打ち合わせ。
文春文庫版『小銭をかぞえる』5刷が決定する。
高知県立文学館館報のゲラ訂正。

2011年10月12日
『日刊ゲンダイ』(10月10日付・8日発売)が届く。「私がモノ書きを決断したとき 西村賢太編」第1回掲載分。それぞれ土曜日発売号に載る(全5回)。
(※)日刊ゲンダイの紙面に「2011年10日10日」と印字されているものに掲載されている。
(※)オンラインのPDFバックナンバーは、「2011年10日8日発行」を購入する
横溝正史『びっくり箱殺人事件』を復読。

2011年10月13日
「いろ艶筆」第25回を書く。
田中英光『我が西遊記』上巻を復読。

2011年10月14日
NHK放送センターで、13時5分からの生放送「スタジオパークからこんにちは」に出演。田畑氏、古浦氏、田中陽子編輯長が付き添い。収録後、女性スタッフから『人もいない春』への署名を求められる。番組放送中に届いたファクシミリやメールのプリントを渡される。
池袋西口、東武デパートの7階で大判の封筒やクリファイルを購める。

2011年10月15日
コンビニで、連載「私がモノ書きを決断したとき」第2回が載った日刊ゲンダイを購める。

2011年10月18日
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の初稿ゲラチェック。
角川文庫『人もいない春』のゲラチェック。単行本は初版3千部だった。

2011年10月19日
『文藝春秋』2011年12月号の特集用エッセイ「やもめ中年の夢」を書く。
コンビニで、読書特集欄に寄稿した『週刊プレイボーイ』を購める。根津権現裏を挙げた。

2011年10月20日
「いろ艶筆」第26回を書く。
『週刊ポスト』用の官能小説(「膣の復讐」10枚)を書き始める。

2011年10月21日
新潮社で、日本テレビの番組スタッフと打ち合わせ。
『新潮』編輯長の矢野氏が現れる。原稿の掲載スケジュールの立て直し。「終始ニコリともせぬ冷ややかな様子」。

2011年10月23日
新幹線で大阪へ、大阪市中央公会堂で上原善広氏と対談。「新潮新書」の丸山氏が来ているのに、自分の担当編輯者は来なかった。
『文藝春秋』のゲラチェック。
「日乗」を書く。
「一私小説書きの独語」第3回を書く。

2011年10月25日
朝日新聞出版『3・11後 ニッポンの論点』(「尻ぬぐいできれば名総理」所収)が届く。
月刊『文藝春秋』新年号の特集アンケート依頼。「著名人36人 年賀状に書き添えたい一言」

2011年10月26日
ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」のオープニングと”お便りいきなり大笑い”コーナーで、高田文夫にイジられる
荒木町で、『小説現代』2011年12月号の対談企画(高田文夫)。6時間の収録。柴崎氏と秋元編輯長が同席。高田文夫の「傍流弟子」を名乗ることを直々に許される。高田文夫の話芸の影響を語る。

2011年10月27日
ニッポン放送「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」のオープニングと”お便りいきなり大笑い”コーナーで、昨夜について高田文夫にイジられる
『くつろぎの時間 喫煙室第22集』(2012年3月、文藝春秋企画出版部)に収録するエッセイの(「求めたきは……」)依頼あり。
「いろ艶筆」第27回を書く。掲載日が「文化の日」で東スポ本誌は休刊だが、『大阪スポーツ』『九州スポーツ』は発行するので、一話完結エピソードとした。

2011年10月28日
東京タワースタジオで、日本テレビ『人生が変わる1分間の深イイ話』(2011年12月12日放送)の収録。賞金5万円と番組ストラップを獲得する。

2011年10月29日
藤澤淸造月命日。
連載「私がモノ書きを決断したとき」第4回が載った日刊ゲンダイを購める。
「一私小説書きの独語」第4回を書く。

2011年10月31日
「膣の復讐」のゲラチェック。
韓国のDasan Booksからハングル版『苦役列車』が届く。だが「2刷」であり、頼んでいたのは「初版」なので再送依頼をおこなう。
文春文庫『小銭をかぞえる」5刷の見本が届く。
葉書を3枚書く。封書1通もあわせて投函する。
高田文夫からすすめられた、玉袋筋太郎『新宿スペースインベーダー~昭和少年凸凹伝~』を読む。

2011年11月

2011年11月1日
新潮社で、『通販生活』2012年春号のインタビュー。
サントリーのウィスキーに関するインタビュー。『文藝春秋』2012年1月号?(新年号)の広告ページ(ウィスキーを飲みながらの一冊。玉袋筋太郎の著書)。
大河内昭爾氏の新刊、『わが友 わが文学』(草場書房)を読む。

2011年11月2日
新宿の『風花』で、坪内祐三と対談。『en-taxi』2011年冬号。
「猫目」で福田和也に突っかかられる。

2011年11月3日
田中英光祥月命日。28歳頃までは三鷹・禅林寺の太宰治の墓前(英光が自裁を決行した)に佇み、息を引き取った井頭(井之頭)病院を廻る個人イベントがあった。不参するようになって16年が経つ。
高田文夫との対談ゲラ。
「いろ艶筆」第28回を書く。
上原善広との対談ゲラ。

2011年11月5日
日刊ゲンダイ「私がモノ書きを決断したとき」第5回(最終回)掲載号を購める。
新潮文庫『藤澤淸造短篇集』のゲラ。

2011年11月7日
ひねった腰が悪化する。
手紙2本を書く。
『読売新聞』の読書面「空想書店」(おすすめの5冊)の原稿を書く(私の非売書店)。

2011年11月8日
「空想書店」用の色紙を書く。文言は「小説にすがりつきたい夜もある」
『en-taxi』の坪内祐三ゲラ。この対談内でも触れた「勝谷誠彦事件」についての事情説明。芥川賞受賞以前のはなし。

2011年11月9日
「空想書店」本文の原稿を書く
『週刊ポスト』(膣の復讐)掌編の再校が届く。
 新潮文庫版『根津権現裏』3刷の知らせが届く。出版を拒否した二社の責任者を皮肉る。

2011年11月10日
『文藝春秋』2011年12月号が届く。「やもめ中年の夢」掲載。
「いろ艶筆」第29回を書く。
礼状の葉書3枚を書く。

2011年11月11日
新潮社で打ち合わせ。
高知県立文学館「太宰治 田中英光展」のパネル解説文のゲラ。
『読売新聞』空想書店のゲラ。
サントリー広告のゲラ。
「いろ艶筆」第29回のゲラ。

2011年11月14日
高田文夫との対談写真(グラビア頁で使用するもの)を大きく引き伸ばして額装したものが、『小説現代』柴崎氏から届く。リビングは藤澤淸造以外のもの(写真)は置かないことに決めているので、廊下の壁面に掲げた。

2011年11月15日
雑用一束を片付ける。
短篇に手をつけらず焦る。

2011年11月16日
『新潮』2012年1月号(新年号)の短篇の締切を伸ばしてもらう。
『文藝春秋』2012年1月号のアンケートを書く。
「いろ艶筆」第30回を書く。
桜井氏より『週刊ブックレビュー』のDVDが届く。六角精児が『寒灯』を取り上げた回(2011年11月13日。

2011年11月17日
夜から短篇(青痣)を書く。
深夜3時までにノート5頁書く。
『新潮45』2011年12月号が届く。上原善広対談が掲載。

2011年11月18日
昨夜からの短篇を書く。
明け方4時までにノート8頁。

2011年11月19日
『小説現代』2012年12月号が届く。高田文夫対談が掲載。読み返して、公認の傍流弟子になったことをあらためて喜ぶ。同誌で連載している「談笑亭日常」でも西村賢太に触れている。
短篇の下書きを進めながら、既にノートに下書きしていた分の清書も進める。
夜10時までに清書9枚。
明け方4時までにノート10頁。

2011年11月20日
「いろ艶筆」第30回のゲラ。
『通販生活』2012年春号インタビューとは別の(?)折込チラシの方のゲラ。
『ステラMOOK 週刊ブックレビュー 20周年記念 ブックガイド ムック』(‎NHKサービスセンター、2011年12月16日発売))のゲラ。
角川書店の文庫「????」のゲラ。「藤澤淸造シリーズ」同様の好評を得られるといいのだが……と書いているので、田中英光傑作選の前段階のものと考えられる。
夜10時までに清書7枚。
明け方4時までにノート8頁。

2011年11月21日
夜10時までに清書8枚。
明け方4時半すぎまでにノート6頁、計37頁をもって下書き終了。

2011年11月22日
コンビニで朝刊数紙を購める。新聞広告の『小説現代』広告に、高田文夫と共に顔写真が並んでいる。切り抜いて保存する。
明け方4時までに清書19枚。都合43枚にて「青痣」が完成。

2011年11月23日
「青痣」の推敲。訂正時には加筆が多い。夜8時に『新潮』に送る。
携帯メール宛てに「採用」の連絡あり。

2011年11月24日
「ビバリー」で立川談志追悼放送を聴く。(談志の死亡日は2011年11月21日)
半蔵門のTOKYO MXテレビで夕方5時からの生放送『5時に夢中!』に出演。レギュラーである中瀬ゆかりの代役として初出演する。共演の岩井志麻子に助けてもらいながら1時間を乗り切る。藺牟田氏・田畑氏・桜井氏・古浦氏が付き添う。
古浦氏から、新潮文庫『根津権現裏』3刷の見本を受け取る。二冊目の著作から背表紙に色がつく「新潮社ルール」について説明している。自分の文庫では「カポーティ・ブルー」にしているが、師である藤澤淸造の文庫の背表紙は「黒」を選んだという話。
四谷三丁目で、柴崎氏と打ち合わせ。

2011年11月25日
「いろ艶筆」第31回を書く。
東スポの2012年正月特大号向けの単発随筆を引き受ける。
『週刊ポスト』2011年12月2日号(「膣の復讐」掲載)を開いたところ、挿絵が横溝文庫の杉本一文であることを知らず驚く。
角川文庫『人もいない春』のゲラ戻しの催促を受ける。
「青痣」のゲラ。

2011年11月28日
「青痣」のゲラを戻す。約46枚で最終形。
雑用一束。

2011年11月29日
藤澤淸造月命日。
手紙4本を書く。
「一私小説書きの独語」第5回を書く。締切を延ばしてもらっていた。

2011年11月30日
山田氏から、文庫本2種(編著と自著)のカバーラフが届く。『二度はゆけぬ町の地図』のリニューアルイラスト。どちらも信濃八太郎に依頼したもの。(編著のほうは、2015年に出るまえに出版直前までいったが揉めて延期になった『田中英光傑作選』か?)
角川文庫『人もいない春』のカバー袖の文案が届く。

2011年12月

2011年12月1日
「一私小説書きの独語」のゲラを戻す。
「いろ艶筆」第32回を書く。
週末の『スポーツ報知』紙上における『苦役列車』映画化の第一報用コメントを東映から求められる。150字程度。
「いろ艶筆」ゲラ。
『サンデー毎日』新年特大号用から依頼された、原発労働者宛ての「年賀状」を書く。

2011年12月3日
『スポーツ報知』に『苦役列車』映画化の大きい記事。

この小説には、大向こう受けする要素が一切ない。多彩な登場人物もなければ、起伏に富んだストーリーもない。一人の落伍者の内面描写が眼目だから、いわば活字でしか成立し得ない世界だ。しかし、これを異能の山下敦弘氏が手がけられると聞き、その映像化への危惧は霧散した。すべてを委ねた上で、客観的に完成を待ちたい。

『スポーツ報知』(2011年12月3日号)

※2011年2月に映画化の申し込みがあり、新潮社で監督を含めて打ち合わせをした。その打ち合わせ時の様子についても書いている。

2011年12月4日
フジテレビの湾岸スタジオで、2011年12月23日放送「人志松本のすべらない話 クリスマスSP」の観覧ゲスト出演。オープニング曲は、稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」。
おなじ観覧ゲストの稲垣潤一とすこし話す。稲垣潤一が来ることを知っていたので、20周年記念時のベスト盤ライナーノーツを持参してサインをもらう。事務所の方から発売したばかりの「30周年記念のベスト盤の見本」をもらう。田畑氏が付き添い。
「小説中では”秋恵”のみが稲垣潤一ファンのように書いているが、実際は、そもそもこれは自分よりの影響だったのである……。」と記載している。

2011年12月6日
山田氏から、編著文庫の手直しカバーラフが届く。
サイン本づくり。

2011年12月7日
根津権現で、『毎日新聞』夕刊インタビューと写真撮影。
池袋のビックカメラで「40型の、DVDとブルーレイが内蔵されたBRAVIA」を購める。

2011年12月8日
1年前のこの日、日本文学振興会からファクシミリで「芥川賞候補の連絡」が届いた。候補作「小銭をかぞえる」の掲載誌である『文學界』とは没交渉になっていたため。
このとき、唯一原稿を受け入れてくれた『新潮』2011年2月号向けに「腐泥の果実」の清書を書いていたことを思い出す。
「いろ艶筆」第33回を書く。

2011年12月9日
NHKアナウンス室から電話。12月10日放送のBSか何かの番組で『苦役列車』の一節を朗読するため規定使用料を振り込みたい、という内容。「現在の韓国の中の日本語文化」というテーマの番組。ハングル版『苦役列車』を翻訳したヤン・オッカン氏のインタビュー映像も有り。その録画DVDを送ってくれるよう依頼する。
テレビが届く。

2011年12月10日
藺牟田氏から、12月15日放送のTBS「ゴロウ・デラックス」の未公開シーン特集でVTRが使われる、という知らせ。2011年2月に出演したBS11の「ベストセラーBOOKTV」でも総集編(2011年12月30日放送)の映像再使用の連絡があった。

2011年12月11日
日本テレビの特番「中居正広のザ・大年表5」(2011年12月29日放送)の収録。

2011年12月12日
新潮社で、フジテレビの深夜枠特番の打ち合わせ。
TBSの特番で使用するVTRの撮影。
古浦氏と文庫の打ち合わせ。

2011年12月13日
『東京スポーツ』正月特大号の随筆を書く。

2011年12月14日
『新潮』2012年2月号用の随筆「韓国みやげ」を書く。はかどらず。
『本陣殺人事件』のDVDを大きなテレビで改めて観る。金田一映画として、野村芳太郎『八ツ墓村』、市川崑『悪魔の手毬唄』と並ぶベストスリーの作と位置づける。曽根中生『不連続殺人事件』を最も優れた日本の推理映画と位置づける。

2011年12月15日
『東京スポーツ』正月特大号の随筆ゲラ。
「いろ艶筆」第34回(最終回)を書く。一度も締め切りを落とさなかった。
西新宿のパークハイアットで、『週刊ポスト』の打ち合わせ。
「韓国みやげ」の続きを書く。

2011年12月16日
コンビニで『日刊スポーツ』を購める。芸能面に『苦役列車』の大きな記事。森山未來の写真あり。
帝国ホテルで、野間三賞のパーティーに出席する。柴田氏と合流。「けったくそ惡い初老の無能作家」とすれ違ったあと、「今の随分と小男だねえ」とほき捨てる。
佐伯一麦と4年ぶりの再会。体のことを心配する声をかけてもらう。
坪内祐三とその担当編輯者(柴崎氏・島田氏)に混じって銀座の「維新號」で会食。『小説現代』の連載随筆(「東京者がたり」)について相談する。柴咲氏の案をもとに坪内祐三が提示して定まる。

2011年12月17日
文藝春秋『喫煙室』に収録する随筆(「求めたきは……」)を書く。

2011年12月18日
映画『苦役列車』の脚本決定稿を読む。東映に所望していたところ、シリアルナンバー1番から7番を付された台本が送られてきた。
「韓国みやげ」のゲラ。
「求めたきは……」の続きを書く

2011年12月19日
四谷四丁目で、映画『苦役列車』のロケ訪問。スナック店内の撮影現場。東映から要請されていたもの。田畑氏・桜井氏・古浦氏が同席。
『週刊新潮』の取材。(『週刊新潮』2012年1月12日号掲載)
「求めたきは……」をファクシミリで送稿。

2011年12月20日
「一私小説書きの独語」第6回に取りかかる。

2011年12月21日
「一私小説書きの独語」第6回を送稿。

2011年12月22日
『毎日新聞』の井田記者から、根津神社インタビューの記事が本日夕刊に出るという連絡。
『東京スポーツ』を購める。「いろ艶筆」第34回(最終回)が一面に掲載されている。
「一私小説書きの独語」第6回のゲラ。

2011年12月23日
浅草橋で、フジテレビ深夜枠「アウト✕デラックス2」のロケ撮影(2012年1月5日放送)。
西新宿のヒルトンホテルで、稲垣潤一のディナーショーに向かう。招待客として。スーツとネクタイ姿でキメていく。ディナーは固辞して、稲垣潤一のマネージャーである野口氏に案内されて、夜8時からのショーから観覧に参加する。(※)感想を述べている。
終演後、色紙やライナーノーツに為書き入りのサインをもらう。

2011年12月24日
手紙を3本書く。
池袋のデパートで、稲垣潤一と野口氏へのお礼のワインをそれぞれ発送。

2011年12月25日
『通販生活』2012年春号が届く。自分(賢太)が商品を紹介した記事が載っているため。
『小説現代』の2月号から始まる連載随筆「東京者がたり」第1回を書く。

2011年12月26日
「東京者がたり」第1回を書き直す。

2011年12月27日
「東京者がたり」第1回をファクシミリにて送稿。
『週刊新潮』(2011年1月12日号)と『週刊文春』(2011年1月12日号)をコンビニで購める。それぞれインタビューや関連記事が載っているため。
四谷三丁目で、田畑氏・古浦氏と忘年会。そのあと「風花」に移動して、矢野編輯長も合流。昨年も田畑氏・矢野氏と忘年会をおこなったが、そのときは不遇意識の塊だったことを思い出す。「新潮社にお世話になっていること」「作家は不貞腐れながら書き続けることが肝心である」と痛感する。

2011年12月28日
恵比寿で、一昨日クランクアップした映画『苦役列車』の打ち上げに参加する。会っていなかった他の出演者とも話をする。同行した田畑氏が懇談の様子をデジカメに収める。

2011年12月29日
藤澤淸造月命日。今回は不参。
「東京者がたり」第1回のゲラ。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラ。

2011年12月30日
『新潮』2012年3月号の日記5枚(創る人五十二人の二〇一一年日記リレー)を書く。
池袋のデパート(東武百貨店)7階の伊東屋で封筒類を購める。同フロアのCD店で稲垣潤一の未入手だったアルバム2枚を購める。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。

2011年12月31日
歩いて染井の霊園へ。芥川龍之介の墓参。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』のゲラの続き。