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2014年(平成26年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン

2014年(平成26年)の出来事

  1. 『薄明鬼語 西村賢太対談集』(扶桑社、2014年5月)

  2.  軽い「頸椎症性神経根症」と診断される(2014年6月16日)

  3. 『随筆集 一私小説書きの独語』(角川書店、2014年7月)7/1

  4. 『疒の歌』(新潮社、2014年7月)7/31

  5. 「蠕動で渉れ、汚泥の川を」連載開始(『すばる』2014年9月~)

  6. 『下手に居丈高』(徳間書店、2014年9月)9/10

  7. NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」で稲垣潤一と対談(2014年9月27日放送)

  8. 『一私小説書きの日乗』(角川文庫、2014年10月)

  9. 『一私小説書きの日乗 野性の章』(角川書店、2014年11月)

一私小説書きの日乗 野性の章(シリーズ第3巻)のつづき

2014年1月

2014年1月1日
年賀状37枚着。
『山本周五郎長篇小説全集』の「火の杯」のゲラ刷りを読了。「メモを取りながら」と述べている。
角川書店のPR誌『本の旅人』2014年1月号を読む。単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』の書評が載っているため。書いたのは真梨幸子。「何とも面白く、有難い」と述べている。
「疒の歌」第4回のネタ繰り。

2014年1月2日
年賀状16枚着。15枚を書いて送る。

2014年1月6日
出先から帰室。そのあとサウナ。
夜9時半に鶯谷「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせを新年会。「疒の歌」は2014年3月号、4月号、5月号の3回に分けて書く手筈を整える。
「田畑氏、この日は”かねて気になっていた”らしい、六百円のビーフシチューを敢然とオーダーす」「各々豚野郎然として貪り食う」と述べている。

2014年1月7日
「東京者がたり」第19回<築地市場>篇を書く。

2014年1月8日
『週刊現代』から電話。”理想の都知事”的な質問に10分ほど答える。
「滞納していた国民健康保険料、百七万何千何百円かを、区役所に払いにゆく」と述べている。毎月、最大限度の7万7千円に設定され続けている。年4回、それぞれ特別区民税を70万~80万円支払っていることに「何かしら割り切れぬ思いが残る。実に馬鹿馬鹿し」と述べている。

2014年1月9日
午前11時半に外出して、大塚駅前でテレビ朝日「お願い!ランキング」2014年1月22日放送分のロケ撮影。女子学生タレント2人に対して都内の家賃3万円以下の賃貸住宅をプレゼンする内容。
サウナ。
帰宅。
「三日の夜に、東京駅の東海道新幹線のホーム上のベンチで」 という記述がある。※日乗の空白期間にどこかへ遠出したことを示すもの。恋人か?
「したてに居丈高」第59回を原稿用紙に清書する。新幹線ホームで時間つぶしにメモしておいたもの。
『文學界』用の短篇「邪煙の充ちゆく」の続きに取り掛かろうとするが「流れが摑めず」と述べて、断念している。

2014年1月10日
サウナ。
神保町の三省堂本店で、角川書店の榊氏、吉良氏、『野性時代』の山田編輯長と合流。単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のサイン会。100名の定員割れは杞憂に終わる。
サイン会の列に『新潮』田畑氏も並んでおり、「仕方なく氏にも為書き署名をし、握手をする」と述べている。角川書店の両編輯者による田畑氏評も記録している。田畑氏の来歴についても少し触れている(心霊部員、隠密部員と自称している逸話等)。
※賢太による田畑氏評は、「しかしまあ、一見茫洋きわまりないものの、あれで実務には長けたところがあるし、大物作家の娘さんと結婚もしてるから、陰の素顔はなかなかに食えぬところを有した男には違いあるまい。『新潮』編輯長の、ただのでく人形でもない、と思いたい」と述べている。
そのほか、『en-taxi』田中陽子編輯長も並んでいた。
サイン会を7時半過ぎに終えて、書店販売用の本にも署名する。
山田編輯長、榊原氏、吉良氏らと須田町の高級な感じの焼肉店で飲み食いする。このとき賢太は韓国焼酎であるJINROを飲んでいる。ウイスキーは「飲めば九割方の確率で、吐く)と述べている。
「一私小説書きの日乗 野性の章」の日乗は、2013年8月号から1年の約束だったが、さらに1年間の延長したいという打診を受ける。しかし「以前の本誌とその周辺から受けた仕打ち」を蒸し返すなど、いったんゴネたあと結局は受諾する。※『本の話WEB』でのサラリーマン編輯長事件についてすこし触れている。
その後、「現役売れっ子作家の悪口大会」「角川的タブーの領域」に触れたせいか、「自分だけタクシーに押し込まれて」しまう。

2014年1月11日
2014年1月8日に電話インタビューを受けた『週刊現代』の都知事選コメントは没になる。※時期的には「猪瀬直樹の後任について」の内容。
「邪煙の充ちゆく」を最後まで書き上げる。清書する。

2014年1月12日
サウナ。
「邪煙の充ちゆく」の清書を終える。35枚。
頭痛、関節の痛みが出たので夜8時にルルアタックを服んで床に就く。
山本周五郎『青べか物語』を文庫本を読み返す。「生まれ育った江戸川の風景を思い出す」と述べている。

2014年1月13日
サウナ。
雑用一束。
夜9時に四谷三丁目で、『en-taxi』田中陽子編輯長と打ち合わせ。2冊目の対談集(『薄明鬼語』)と、次の対談相手と短篇について。「が、この日は当方のムシの居所が悪く、互いの進行の段取りの悪さに険悪な空気となる。/ 二時間程経ったときに自分は激昂して席を立つ」と述べている。
帰室。

2014年1月14日
清書済みの「邪煙の充ちゆく」を読み返して訂正する。
加筆して38枚見当になった同短篇が完成。
「だが内容は例によって例の如し」と述べている。※これは『根津権現裏』に同じ一節がある。
『文學界』の森氏にバイク便の手配を依頼する。森氏から「採用との一報」あり。

2014年1月15日
終日在宅。
雑用を片付ける。
上原善広の最新刊『路地の教室 部落差別を考える』(ちくまプリマー新書)を読む。

2014年1月16日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年1月17日
「したてに居丈高」第60回を書く。
「一私小説書きの日乗」の続きを書く。

2014年1月18日
サウナ。
『文藝春秋』2014年3月号用の随筆(「受賞後第一作」)を書く。
明日のため眠らずに、田中英光の長篇小説『端艇漕手』を復読する。

2014年1月19日
午前6時すぎに室を出て、フジテレビ本社で朝の生番組「新報道2001」に出演する。
控え室で、今回おなじ番組に出演した崔洋一と少し話をする。
帰室。
ひと眠り。
バイク便で届いていた「邪煙の充ちゆく」のゲラ訂正。
深更、玉袋筋太郎より携帯メールが届き、「先般のラブホ騒動に関して、氏の面目躍如たるもう一つの後日譚。思わずふきだしてしまったが、現時点ではとても記せぬ」と述べている。
「疒の歌」第4回のメモを眺める。

2014年1月20日
体調悪し。
雑用一束。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年1月21日
「邪煙の充ちゆく」著者校の残り半分。「今回も馬鹿の作文の見本みたくなった加筆だらけの訂正を終えて」と述べている。
サウナ。
帰室。
「疒の歌」第4回を書き始めるが、はかがゆかず。

2014年1月22日
今年2月発売の小島慶子のエッセイ『解縛 しんどい親から自由になる』の帯文を書く。
「疒の歌」第4回の下書き。

2014年1月23日
サウナ。
「疒の歌」第4回の下書き分を4枚清書する。
さらに下書きの続き。

2014年1月24日
ラジオを聴きながら、午後3時まで「疒の歌」第4回の清書。
「したてに居丈高」第61回を書く。
食事のため外出
「室に戻った」と述べている。
仮眠。
「疒の歌」第4回の下書き。

2014年1月25日
「疒の歌」第4回の下書き、清書。

2014年1月26日
「疒の歌」第4回の清書。合計37枚。
(帰りの記述なし)
仮眠。
「疒の歌」第4回の清書の訂正。稲垣潤一の30周年ベスト盤をかけながら。
明け方5時すぎ、「どうにか人前に出せるところまで持ってゆき、『新潮』誌のアカウントがあるバイク便に連絡す」と述べている。
晩酌しているところにバイク便が来る。原稿を渡す。

2014年1月27日
午後2時ごろに、田畑氏から「疒の歌」第4回について「無事採用」という連絡が来る。
雑用一束。

2014年1月28日
サウナ。
『週刊現代』から都知事選に関するアンケートが届いたので回答する。
「疒の歌」第4回のゲラ。

2014年1月29日
藤澤淸造月命日。
『「淸造忌」は、今年もやはり思うところあり、日延べをす』と述べている。
フジテレビの湾岸スタジオで、ゴールデンタイムのクイズ番組「ペケ×ポン」2014年2月21日放送分を収録。岩井志麻子と共演する。
帰室。
「疒の歌」第4回のゲラの続き。
田畑氏の希望により、訂正したゲラをバイク便で新潮社に返送する。

2014年1月30日
雑用一束。
「したてに居丈高」第62回を書く。

2014年1月31日
「ライトでポップな方の買淫」のため外出。
帰室。
「疒の歌」第5回の仕込み。

2014年2月

2014年2月1日
サウナ。
夜7時に「十年ぶりに会う知人と一杯」と述べている。東京に転勤になった為、再会することになった。玉袋筋太郎に電話して「風花」で合流する。玉袋筋太郎から「ウコンの力」をもらう。週刊誌の女性記者が2人が現われる。※賢太はチヤホヤされ「性的挑発風の言辞まで弄」されたので期待して二人の連絡先を聞いた。

2014年2月2日
サウナ。
『山本周五郎長篇小説全集』第25巻の巻末エッセイを書く。本掲載の前に『波』2014年3月号に掲載される。10枚中6枚を書く。

2014年2月3日
一昨日に「風花」で遭った女性記者の一人にショートメールを送る。返信あったが「事務的で素っ気ない文言」と述べている。※それ以降、連絡はなかった。
午前2時すぎに三重に行っている玉袋筋太郎から携帯メール届く。
『山本周五郎長篇小説全集』第25巻の巻末をエッセイを書く。
魚屋で買った刺し身で晩酌。

2014年2月4日
体調が悪く、関節の痛みがあり、37度5分の熱あり。
床に就いて、相馬泰三の短篇をあれこれ復読。「もっと再評価されて然るべき」と述べている。

2014年2月5日
「したてに居丈高」第63回を書く。
番組収録先へ向かう途中の電車で、『週刊現代』今週号(週刊現代2014年2月15日号 「有名人30人の「最終結論」「私はこの人に一票を投じます」)の中吊りに自分の名前がかなり大きく掲げられているのを見かける。先日のアンケートがらみ。下車時の品川で1冊購める。表紙に名前あり。
天王洲スタジオで、BSジャパンのニュース番組形式「大竹まことの金曜オトナイト」2014年2月14日放送分の収録。
虚室に帰る。
『山本周五郎長篇小説全集』第25巻の巻末エッセイ「自分にとっての読むべき作家」のゲラ訂正。

2014年2月6日
サウナ。
2014年3月の文芸各誌が届く。
『文學界』2014年4月号(「邪煙の充ちゆく」所載)と『新潮』2014年4月号(「疒の歌」第4回所載)のみ保存。「他は封も開けず、ゴミ袋へ直行」と述べている。『新潮』には単行本『一私小説書きの日乗 憤怒の章』の書評について「褒貶ともに的外れ」と述べている。
藤澤淸造の短篇を5本読み返す。

2014年2月7日
「今週の、神田の古書会館での即売展目録に出ていた『根津権現裏』、首尾よく入手。例の淸造自筆の書き込みがある一冊。今回のは、佐佐木茂索宛の献呈署名入り」と述べている。。※目録に出るのは(賢太が知る限りでは)15年で初。抽選システムだったので「心臓に悪」かったと述べている。淸造運の良さを再確認する。
ラジオ聴取しながら雑用一束。
新潮社の会議室で、来週収録の読売テレビのバラエティー番組「ダウンタウンDX」スタッフと打ち合わせ。
同室で、『週刊現代』の本に関するインタビュー。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の森氏と「密談」。「売文渡世も、なかなかに世知辛きもの」と述べている。

2014年2月8日
雪。
『文藝春秋』2014年3月号が届く。随筆「受賞後第一作」掲載。

2014年2月12日
「東京者がたり」第12回<東京駅>篇のゲラを訂正。
支払調書がおおむね揃ったので確定申告の準備をおこなう。

2014年2月13日
砧のTMCスタジオで、読売テレビのバラエティー番組「ダウンタウンDX」2014年2月20日放送分の収録。
帰室。
本橋信宏の新刊『東京最後の異界 鶯谷』を読む。※この本に正岡子規や江戸川乱歩と共に西村賢太も取り上げられていること知って購入した。
「したてに居丈高」第64回を書く。
晩酌時、TMCの楽屋から持って返った仕出し弁当を肴にする。

2014年2月14日
雪。終日在宅。
雑用一束。
『野性時代』の山田編輯長から、「本日記の、『週刊ジョージア』へのタイアップ転載第一回のデザイン見本」が届いたので確認して返信。転載料がもらえる。
映画「野性の証明」のDVDを観る。

2014年2月15日
サウナ。
帰室。
10日ぶりに掃除機をかける。「本当に、いろいろな点に関して不精になった」と述べている。※以前は、掃除機かけが起床後の習慣だった。
手をつけあぐねていた雑用をいろいろ。

2014年2月16日
雑用いろいろ。
鶯谷「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせ。「(略)矢野編輯長の悪口大会(此度も無論、卓を叩きつつ、声高にそれを朗々と開陳しているのは自分のみであるが)(略)」と述べている。そのほか、他の書き手や編集者への「(略)悪罵と中小パーティー(これも云っているのは、無論自分だけで、田畑氏は終始困惑気味に、仕方なしの苦笑いを浮かべているのみ)」と述べている。
「いいストレスの発散になった」と述べている。

2014年2月17日
サウナ。
新潮社出版部から、小島慶子の最新刊『解縛 しんどい親から自由になる』の見本がと届いたので拾い読みする。帯文を担当したもの。
さらに、先日届いていた、帯文を担当した友川カズキのニューアルバム『復讐バーボン』を改めて聴く。「凄絶の饗宴」と述べている。
浅草の演芸ホール、久保田万太郎旧居跡(淸造スポット)、安寿司屋という恒例のコースめぐり。
(帰室か帰宅か不明。記述なし)
晩酌。

2014年2月18日
雑用一束。
午後5時に室を出て、三軒茶屋で開催されている「坂上忍氏の飲み会」に出席する。タレントやアナウンサー等10人程度の集まり。

2014年2月19日
「したてに居丈高」第65回を書く。
外出。
室に戻る。
仮眠。
「疒の歌」第5回のノート下書きを始めるが、はかがゆかず。

2014年2月20日
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年2月21日
雑用をひとつ片付ける
北千住の集合場所で、テレビ朝日「お願い!ランキング」2014年2月26日放送分のロケ撮影。家賃3万円以下の狭小賃貸物件をめぐる企画の第2弾。AKB48の人気メンバー(柏木由紀、渡辺麻友)と共演。北千住から板橋を廻る。
※西村賢太はインタビューで「前田敦子よりも柏木由紀が好き」と述べていたが、これは他の随筆にて自ら否定(撤回)している。
高島平でテレビ関係の打ち合わせ(特番だったが、以後バラシになった)。
帰室。
「したてに居丈高」第65回のゲラ。
「一私小説書きの日乗」を書く。
テレビ仕事の間隔が空くので「痛風発症の憂いに気を取られることなく、缶ビール二本を飲む」と述べている。

2014年2月22日
サウナ。
「疒の歌」第5回を書く。下書きノートに6頁。

2014年2月23日
「疒の歌」第5回の下書き分を原稿用紙に清書する。
いったん外出。
帰室。
MXテレビ「ウルトラマンタロウ」の再放送を眺めてから、仮眠。
「疒の歌」第5回の下書きを8頁。

2014年2月24日
「疒の歌」第5回の清書。
「疒の歌」第5回の下書き。ノート8頁分。
松本清張原作の映画「鬼畜」のサントラ(サウンドトラック)CDを聴きながら晩酌。

2014年2月25日
「疒の歌」第5回の清書。
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「疒の歌」第5回の下書きを寝室で。ノート8頁分。
稲垣潤一「男と女 4」を聴きながら晩酌。

2014年2月26日
終日在宅。
「疒の歌」第5回の清書。合計41枚となる。
入浴。
「疒の歌」第5回、清書原稿の訂正をおこなう。
「朝七時、どうにか人様に読んで頂けるレベルのところに仕上げて、新潮社のアカウントがあるバイク便に電話する」と述べている。

2014年2月27日
午後2時半に田畑氏から電話があり、「疒の歌」第5回は無事採用。
サウナ。
帰室。
「したてに居丈高」第68回を書く。
深更、「疒の歌」第5回のゲラがバイク便で届く。
「此度もまた、各ページが真っ赤になるまでの書き込みを加え(但、すでに台割りが確定しているので、例によって同行数内での病的な加筆と云うことだが)と述べている。
訂正原稿をバイク便で送る。

2014年2月28日
午後12時半に起床したあと、田畑氏から「責了」の連絡あり。「今回は珍しく再疑問点は出ずに終わった」と述べている。
サウナ。
帰室。
届いていた『波』2014年3月号の随筆(『山本周五郎長篇小説全集』第25巻の巻末エッセイ「自分にとっての読むべき作家」)を眺める。
酒井順子の最新刊『地震と独身』(新潮社)を読む。

2014年3月

2014年3月1日
サウナ。
久方ぶりの床屋。
帰室。
古い邦画DVDを鑑賞三昧。

2014年3月2日
買淫のため外出。
帰室。
寄贈の『アサヒ芸能』と『週刊大衆』をまとめて流し読み。
「したてに居丈高」第67回。この連載は残り1回。

2014年3月3日
鍋屋横町のソフト・オン・デマンド本社で、「風俗調査団」のインタビュー。『夕刊フジ』に掲載(夕刊フジ2014年3月14日20面)。「白石茉莉奈のAV五本と、ソフト・オン・デマンド社特製のボックスティッシュ二箱をお土産に頂く」と述べている。
中野坂上で、玉袋筋太郎と一献傾ける。ともに買淫する。二軒目へ流れる「男のヒナ祭り」と述べている。

2014年3月4日
雑用を片す。
夜6時に室を出る。浅草で、知人と合流。演芸ホール。木戸前で煙草を吸っていいたら「ふいと人波の中から女性に名前を呼びかけられる/口はばったく、随分と思い上がった云い草ではあるが、これは日常茶飯事(傍点)なので」と述べている。※この女性は文藝家協会の人だった。ところで、西村賢太は協会会費を6年分滞納していた。3月末までに納入しないと強制退会するという最終通告書が届いていた。

2014年3月5日
サウナ。
『新潮』の田畑氏から「左肩を骨折した」という連絡あり。「柵的なものを跳びこえようとし、足をつっかけて転倒したそうだが、ここ一、二年がとこ続いている、新潮社の文芸部署での骨折の連鎖は、いよいよ氏にまで及んだことに不可思議なものを覚える」と述べている。」
田畑氏のために見舞い袋を購めてきて「ご祝儀並みの少なからぬ紙幣を封入し、宅配便にて送る。/無論、これを編輯部内にて、他の部員が打ち揃っているところで開封するようにとの指示を添えてのものである。/善行は周囲に大いに知らしめて実践するのが、自分の流儀だ」」と述べている。
田畑氏のことを「根が大石内蔵助にできてる、甚だ食えぬタイプの氏」と評している。

2014年3月6日
午後1時に室を出る。
千葉方面に向うのは約10年ぶり。『煉瓦』主宰である九鬼高治の自宅があり、約1年半の在籍期間中に所用で4度足を運んだ。
千葉の幕張の放送大学で、ラジオ版の講義<特別講義「幻の私小説家・藤澤淸造」>2014年6月22日放送分の収録。
総武線を飯田橋まで乗る。十代の頃からの2店舗をはしごして食事をする。
帰室。
明日発売の『新潮』2014年4月号掲載「疒の歌」第5回目の刷り出しを読み返す。次号の第6回(最終回)の組み立ての再確認のため。
電話が多い一夜。

2014年3月7日
ラジオを聴きながら雑用一束。
午後6時に税理士事務所。収入はほぼ変わらぬ年収額。特別区民税、国民健康保険も昨年と同じ最高額。「ちょこちょことアルバイト業にも精を出して稼ぐのが、何やら馬鹿馬鹿しくなってくる」と述べている。
帰室。
夕刊フジ掲載の風俗調査団インタビューのゲラ。
「喧嘩別れした」はずの『en-taxi』田中陽子編輯長と「一応の和解」をする。これにて、進行が止まっていた扶桑社の対談集作業が再始動する。

2014年3月10日
終日無為。
『週刊現代』2014年3月22日号(わが人生最高の十冊)インタビューを入手する。

2014年3月11日
「東京者がたり」第21回<青山>篇を書く。
終日無為。

2014年3月13日
サウナ。
「東京者がたり」第21回のゲラ。
届いていた、勉誠出版『私小説ハンドブック』をパラパラめくる。「自分の項目も設けられている」と述べている。
コンビニで『夕刊フジ』夕刊フジ2014年3月14日号(2014年3月13日発売)を購める。風俗調査団インタビュー掲載。
雑用一束。

2014年3月14日
雑用片し。
帰室。
雑用一束。
「したてに居丈高」第68回(最終回)を書く。都合1年半の連載。一回も落とさなかった。

2014年3月15日
テレビ朝日本社で、ビートたけし氏の討論番組「ビートたけしのTVタックル 3時間SP」2014年3月24日放送分の収録。たけしが「肩先に花の香りを残す人」と「腐泥の果実」の内容を褒めてくれる。※賢太は感激している。
帰室。

2014年3月16日
サウナ。
帰室。
扶桑社の対談集『薄明鬼語』のゲラ。各篇に付される<後記>を書くとき、2年ぐらい前の印象を忘れていることに気づく。かえって「客観性」が生まれて良い、とも述べている。

2014年3月17日
『薄明鬼語』のゲラ。
上原善広の最新刊ノンフィクション『差別と教育と私』(文藝春秋)を読む。※「疒の歌」と比べている。
藤澤淸造の短篇3本を復読。

2014年3月18日
サウナ。
『薄明鬼語』のゲラ。
別の作業。
晩酌しながら玉袋筋太郎にメールを送る。

2014年3月19日
『薄明鬼語』のゲラ。「後記」も書く。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏、講談社文庫の秋元氏と打ち合わせ。
明日、正午からロケ撮影があるので先抜けする。
帰室。

2014年3月20日
テレビ朝日本社ヘ向かい、「お願い!ランキング」2014年3月31日放送分のロケ撮影の収録。女性アイドルと激安の食べ物屋を廻る新企画。「自分に課せられた役割りは、基本貶して、何んやかやと文句をつけまくると云うもの。で、アイドルの方は反対に褒めちぎり、もってバランスを取るものらしい。/計三店を廻ったが、どれも普通に美味しいので、難クセをつけるのになかなかの苦労を要す」と述べている。池袋で終了。
タクシーチケットを貰って帰室。
うたた寝。
雑用片し。

2014年3月21日
サウナ。
(帰室、帰宅の記述なし)
雑用一束。
寝室にて、「疒の歌」第5回(最終回)の下書き。ノート4頁。

2014年3月22日
手紙2本を書く。
有楽町のよみうりホールで、ニッポン放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」二十五周年イベントに出席。5時からの一部は客席で観覧。6時20分からの第2部では「審査委員長」として舞台に上がる。1000席以上すべての客入り。
※一昨年(2012年)に、日本近代文学館主催<夏の文学教室>で講師を務めたことを思い起こしている。そのときは6割方の客入りだった。
楽屋で、杖なしで歩いている高田文夫と対面する。
イベント終了後、原稿の提出期限があるので打ち上げは不参加。
帰室。
「疒の歌」第5回の下書きを清書。さらに下書きの続きをノート3頁。

2014年3月23日
サウナ。
「疒の歌」第5回の下書き文を清書。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年3月24日
サウナ。
(帰室、帰宅の記述なし)
「疒の歌」第5回の下書き。ノートに3頁。
新潮カセットブックの松本清張の短篇を4本聴く。

2014年3月25日
「疒の歌」第5回の清書。
「七日発売の文芸誌で、こんな二十五日にもなって台割も確定してるのに、まだその半分も書けていないと云うのは、確かに大概な話ではある。/今回はギリギリで三十日一杯までを設定してもらっているものの、これは『新潮』誌だからできる芸当であろう」と述べている。
「疒の歌」第5回の下書き。ノート3頁。

2014年3月26日
「疒の歌」第5回の清書。
食事のため外出。
(帰室、帰宅の記述なし)
「疒の歌」第5回の下書き。ノート6頁。

2014年3月27日
「疒の歌」第5回の清書。
食事のため外出。
(帰室、帰宅の記述なし)
「疒の歌」第5回の下書き。ノート6頁。

2014年3月28日
「疒の歌」第5回の清書。
食事のため外出。
(帰室、帰宅の記述なし)
仮眠2時間。
「疒の歌」第5回の下書き。ノート5頁。

2014年3月29日
藤澤淸造月命日。
「疒の歌」第5回の清書。
「疒の歌」第5回の下書き。ノート3頁。下書きは終了。
「疒の歌」第5回の清書5枚。都合50枚。

2014年3月30日
「疒の歌」第5回の清書50枚の訂正。「例によって清書の意味もなくなり、正確な枚数も分からなく程の削除の加筆」と述べている。
仕上げたものをバイク便で送る。
「原稿在中の封筒にガムテープを貼り」と述べている。

2014年3月31日
フジテレビの湾岸スタジオで、ゴールデン枠の、クイズ番組の収録。「クイズ!それマジ!?ニッポン 2時間SP」2014年4月20日放送分の収録。
「自分も上背は百七十七cmだから」と述べている。男女問わず身長の高いタレントばかりだったので「自分の背が極端に低く見えた」ため。
帰室。
仮眠。
田畑氏から「疒の歌」第5回のゲラ発送の知らせあり。
「疒の歌」第5回のゲラ訂正。「朝八時、ほぼ同行数での加筆を施し終え、これにて長篇「疒の歌」、一巻の完了と相成る」と述べている。「合計三百八十枚」と述べている。

2014年4月

2014年4月1日
田畑氏から「疒の歌」第5回(最終回)責了の知らせ。
サウナ。
帰室。
藤野可織の最新刊『ファイナルガール』(扶桑社)を読む。収録作の「狼」を傑作短篇と述べている。

2014年4月2日
昭和52年に沒した祖母の祥月命日。
午後2時半に、錦糸町でテレビ朝日「お願い!ランキング」2014年4月7日放送分の激安店巡りロケ収録。錦糸町、秋葉原、虎ノ門を廻る。今回も「貶し役」。タクチケ(タクシーチケット)を貰う。
帰室。
入浴して外出。
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長、角川書店出版部の榊原氏と打ち合わせ。同氏来年新年号(1月号)の創作(「畜生の反省」)、6月刊の随筆集(『随筆集 一私小説書きの独語』)、『一私小説書きの日乗 野性の章』(第3巻)単行本化の件について。
山田編輯長と榊原氏はヤクルトスワローズの熱狂的ファン。
例によって賢太が「現今の売れっ子作家、及び角川的タブーのベールの奥に鎮座まします当今スター(?)作家への悪口罵倒大会に持ってゆこうとするのだが、話がそこに触れた途端、両氏の表情は忽ちにして硬くなり」と述べている。話を逸らされた。
帰室。

2014年4月3日
サウナ。
帰室。
雑用一束。
新井紀一(あらい・きいち)の『雨の八号室』を復読。

2014年4月4日
雑用一束。
買淫のため外出。
帰室。
「東京者がたり」第22回<上野桜木町>篇を書く。

2014年4月5日
新宿の末広亭で夜席を聴く。
帰室。
六角精児の新刊『少し金を貸してくれないか 続・三角でもなく四角でもなく六角精児』を拾い読み。
『薄明鬼語―西村賢太対談集』のゲラ。

2014年4月6日
『薄明鬼語―西村賢太対談集』のゲラの最終確認。<あとがき>を書く。宅配便で扶桑社に戻す。
買い出しのため外出。
(帰室、帰宅の記述なし)
「明日(みょうにち)に備え、常よりもうんと早めの、夜十一時半から晩酌を始める」と述べている。

2014年4月7日
10時すぎに室を出て、集合場所の巣鴨の中華料理店へ。テレビ朝日「お願い!ランキング」2014年4月21日、2014年5月5日放送分のロケ撮影の収録。巣鴨から高円寺、大泉学園、神田、日暮里を廻る。
帰室。
入浴したのち外食。
(帰宅、帰室の記述なし)

2014年4月9日
「東京者がたり」第22回ののゲラ。

※この期間の空白、あやしい。知人、カノジョか?

2014年4月14日
サウナ。
「一私小説書きの日乗」を書く。
外食したが(帰宅、帰室の記述なし)。

2014年4月15日
雑用。
『薄明鬼語―西村賢太対談集』の念校を確認する。
『新潮』次号の創刊百十周年記念号に書く短篇(「人工降雨」)のネタ繰り。GW進行のため4月23日の朝までに提出しなければならない。

2014年4月16日
『薄明鬼語―西村賢太対談集』の雑用。
新宿の「かに道楽」本店で、新潮社出版部の桜井氏、『新潮』の田畑氏と打ち合わせ。「疒の歌」単行本化の件。7月末刊行になる。
田畑氏は左肩骨折がまだ癒えず。左腕を吊ってカーキ色の上っぱりを袖を通さず羽織っている姿を、「やさぐれ刑事」の原田芳雄みたいな雰囲気、と述べている。田畑氏は禁酒中なのでノンアルコールビールにする。転倒した際にアゴも強打して縫ったらしい。ただし田畑氏は食欲は旺盛でカニずくし(カニ味噌の甲羅焼き)をペロリと平らげた。
※賢太は一人だけで「不倶戴天の敵・矢野編輯長の悪口大会を開く。かれこれ七、八年前から、此奴を馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、実際ここまでだったとは知らなかったので、大いに熱が入る。実に愉快」と述べている。
帰室。
仮眠。
雑用片し。

2014年4月17日
サウナ。
「人工降雨」と題して書き始める。文芸誌の記念号には「随筆」ではなく「創作」を提出したい旨を述べている。顔見せ「随筆」を寄稿する同業者を「便利屋ゴミ作家」と批判している。そんな原稿依頼をする編輯者についても「無能」と貶めている。
現今残っている文芸誌では、藤澤淸造が寄稿していたのは『新潮』だけ、だから「クソ雑誌」にもかかわらず寄稿しているにすぎない、と述べている。

2014年4月18日
サウナ。
雑用一束。
「人工降雨」を書く。

2014年4月19日
「人工降雨」の下書きを清書する。6枚弱。
頭痛。仮眠。
「人工降雨」の下書き。ノート5頁。

2014年4月20日
サウナ。
帰室。
「人工降雨」の清書。
「人工降雨」の下書き。ノートに7頁。

2014年4月21日
寝覚めに体の痛みを感じる。37度8分の発熱。ルルアタックIBを服んで寝る。
午後3時に起きる。
「人工降雨」の清書。
「人工降雨」の下書き。ノートに5頁。
再びルルアタックIBを服む。

2014年4月22日
平熱に戻る。喉の痛みあり。
サウナ。強制発汗。
帰室。
「人工降雨」の清書。指定通りの30枚となる。
トーストにマーガリンを塗ったのを食べる。
「人工降雨」の清書の訂正。
朝方6時に完成したのでバイク便で送る。

2014年4月23日
田畑氏から「人工降雨」を無事採用する旨の連絡来る。
ルルアタックIBを服む。
午後6時到着を目指して池袋。明後日収録のあるテレビ番組の打ち合わせ。ワタナベエンターテインメントの人は今回は同席せず。帰りに池袋の東武デパートのデパ地下。
タクシーで帰室。
「人工降雨」のゲラがバイク便で届いたので、訂正して、バイク便で戻した。「全工程ひとまずの終了」と述べている。

2014年4月24日
「人工降雨」責了の知らせがあった。
外食後、帰室。
届いていた日本文藝家協会『文学2014』(講談社)が届く。「跼蹐の門」再録。「この年刊創作集、編纂委員に新しくまともなかたが加わったらしく、実に五年ぶりに拙作も採られたものらしい」と述べている。
新潮社から届いた『山本周五郎長篇小説全集』第十四巻「楽天旅日記/花も刀も」を読む。

2014年4月25日
午後2時すぎに室を出て、天王洲スタジオでテレビ東京の番組「たけしのニッポンのミカタ!」5月2日放送分の収録。
帰室。
『山本周五郎長篇小説全集』第十四巻の続きを読む。
『薄明鬼語 西村賢太対談集』のカバー色見本がバイク便で届く。第二対談集。
雑用一束。
「明け方五時、晩酌。これでまたしばらくテレビ関係での用向きが途切れる為、痛風発症の憂いを気にせず、ビールを再開」と述べている。天王洲スタジオから持ち帰ってきた弁当も食べる。

2014年4月26日
サウナ。
白夜書房から届いた、高田文夫責任編集『落語ファン倶楽部』最新号を開く。終刊号。
2014年6月下旬刊行の単行本、随筆集『一私小説書きの独語』のゲラ。
買淫から帰室。
相馬泰三の長篇『荊棘の路』(大7 新潮社)の冒頭を復読する。最後まで読んだ。

2014年4月27日
サウナ。
届いていた『共感百景』(KADOKAWA/エンターブレイン)をパラパラ読む。「二年程前の、草月ホールでのイベントに参加さして貰った折に発表した、自分の”共感詩”も三本収録されている。
『すばる』用の連載長篇(「蠕動で渉れ、汚泥の川を」)のネタ繰り。「おおむね固まり、シノプシスを作る」と述べている。

2014年4月28日
『すばる』長篇の題名を考える。「最初に、あらすじを考えていた段階で浮かんでいたものを、改めてあれこれとひねくり廻す感じ」と述べている。
夜8時に鶯谷「信濃路」で、『すばる』誌の清田編輯長と新連載の長篇小説について打ち合わせ。新宿に移動して、何箇月ぶりに「風花」に行く。先客に「自分もその名前ぐらいは知っている或る老大家」「繰り上げ大家」が編集者四、五名に囲まれて飲んでいるのを目撃する。「(略)丸無視しながら、”文壇”的には不様で孤立無援だった藤澤淸造や田中英光のことを考える」と述べている。
帰室。

2014年4月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
「週末に収録がある、CSスカパー番組内に必要な、関根勤氏が監督をされる映画(『騒音』? 2015年5月23日公開)の脚本を読み、<速報>のDVDを眺める」と述べている。
単行本『一私小説書きの独語』ゲラ。

2014年4月30日
先週放送(2014年4月21日?、2014年5月5日?)された「お願い!ランキング」同録DVDを眺める。画面の端に「例の新潮社版権の写真」が映っていた確認のため。このとき、なぜか「石川近代文学館」のキャプションが入ったことについて、その理由を考察したり、本来の来歴を語っている。本来は、新潮社発行の、『文章倶楽部』大正13年11月号の口絵に掲載されたもの。※賢太が、(平成12年)2000年12月に『藤澤淸造全集 全七巻 内容見本』の表紙に転載するまでは未発掘の一葉だったことを主張している。内容見本に掲載するときには事前に許可を求めている。そのとき返信を受けた新潮社のファクシミリの内容を引用している。ウィキペディアの転載についても「苦々しく思っていた」と述べている。
「まさかに、レッキとした”文学館”よりも、その作家の歿後弟子を自任する一個人の方が、はるかにその関連資料を所蔵していようとは、こちらの長年の淸造キ印ぶりを知らぬ限りは想像もつかぬことであろう」と述べている。

2014年5月

2014年5月1日
サウナ。
「ふと気まぐれを起こし、帰り道を三十分程かけて徒歩で帰室。汗だくとなる。」と述べている。
赤羽でエロ本を購める。
帰室。
仮眠。
手淫を一度挟んでゲラ訂正。(対象の記述はないが、直前の単行本『一私小説書きの独語』と考えられる)

2014年5月2日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
改めて室を出て代田橋へ。貸しスタジオの一室で、CSスカパーの映画紹介番組「映画ちゃん」2014年6月15日放送分の収録。
(帰宅、帰室の記述なし)
各種文芸酒がいつもより早く届きはじめる。短篇「人工降雨」掲載号なので『新潮』2014年6月号のみ開封せずに保存。

2014年5月3日
古本屋で、藤森淳三の評論集『文壇は動く』(大12 越山堂)を2万円で入手する。そのほか、旧『宝石』誌のバックナンバー2冊、古文庫本冊を購入する。
(帰宅、帰室の記述なし)

2014年5月4日
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。
古い邦画のDVDを眺める。

2014年5月5日
終日無為。
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。

2014年5月7日
サウナ。
雑用一束。
「東京者がたり」第23回<神宮球場>篇を書く。
体調がすぐれないので晩酌なし。「久方ぶりの休肝日」と述べている。

2014年5月8日
サウナ。
『ダ・ヴィンチ』から謝礼5千円で”記憶に残るカレー店”的なアンケート(特集 本 VS.カレー 『ダ・ヴィンチ』2014年7月号)の依頼が来る。ファクシミリで回答する。
外食後に帰室。
仮眠。
特集 本 VS.カレー(『ダ・ヴィンチ』2014年7月号)
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年5月9日
サウナ。
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせ。田畑氏は禁酒中なのでホッピー単体をノンアルコールビールとして飲む。「珍しく、小説談義なぞを少しする」と述べており、例によって「天敵・矢野編輯長」に対する一人悪口大会もおこなう。「楽しい」と述べている。
田畑氏の〆は「カレーそば(どうも自分の知っている文芸誌編輯者は、総じてカレーそばを好む傾向があるようだ)」と述べている。例によって「各々醜き豚とかしてすすり食い」と述べている。

2014年5月10日
サウナ。
雑用一束。
帰室。
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。
寝床で、先日入手した藤森淳三の評論集(『文壇は動く』)を読む。

2014年5月11日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ。

2014年5月12日
『野性時代』2014年7月号用の短文3枚(「恩人 横溝正史」)を書く。

2014年5月13日
「有益、無益の雑用が次から次にやってきて、閉口す。/で、次第に閉口が苛立ちに変わる」と述べている。
終日在宅。

2014年5月14日
サウナ。
帰室。
雑用一束。
単行本『疒の歌』のゲラがバイク便にて届く。
「鰻が食べたい。女を買いたい」と述べている。

2014年5月15日
軽ろき痛風の症状あり。久しぶりの発症。
「小説が書きたい。女を買いたい」と述べている。

2014年5月16日
痛風だが、どうにか歩ける状態。
午後1時に秋葉原の集合場所で、テレビ朝日「お願い!ランキング」2014年5月26日放送分のロケ撮影。秋葉原から神田界隈の3ヶ所をめぐり、下北沢と廻るもの。
帰室。
仮眠。
寝たり起きたりして無為に過ごす。

2014年5月17日
サウナ。
『薄明鬼語 西村賢太対談集』の見本が届いていたので開く。30冊目となる自著。
買淫、外食のため外出。
帰室。
単行本『一私小説書きの独語』のゲラ、ラストスパート。

2014年5月19日
単行本『一私小説書きの独語』のゲラをバイク便で戻す。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」のネタの段取りを再確認する。
「立て続けに長篇を書かしてもらえる有難みを、ふと思う」と述べている。

2014年5月20日
単行本『疒の歌』の初校ゲラ。
外出して「風花」へ。
帰室。
酒井順子の最新刊『女を観る歌舞伎』(文藝春秋)を読む。

2014年5月21日
終日在室。
雑用一束。
「久方ぶりにテレビをつけ」て、BS放送のプロ野球をあちらこちら観る。
単行本『疒の歌』のゲラ。
仲代達矢版の「野獣死すべし」(昭34)のDVDを眺め返す。

2014年5月22日
「来月からの仕事の予定の立て直し。カレンダー裏面に持ち込みを含む、向こう六箇月の原稿予定を書き込み、机(食卓)のすぐ横の壁面に掲げる」と述べている。
酒井順子『女を観る歌舞伎』を読了。
単行本『疒の歌』のゲラ。

2014年5月23日
サウナ。
夜9時、鶯谷「信濃路」で、徳間書店『読楽』誌の崔編輯長と打ち合わせ。「したてに居丈高」の単行本化の件、徳間文庫の或るアンソロジーの件について。どちらも崔氏が担当することに。
1軒で解散して、日暮里まで歩いてラーメンを食べる。
タクシーにて帰室。

2014年5月24日
痛風がぶりかえす。病院処方のロキソニンを飲んで仮眠。
やはり痛風おさまらず。「完全に痛風状態」。レベル7の弱と云ったところ。が、9の中ぐらいまでは、まだ辛ろうじて歩くことができる」と述べている。
食卓上で雑用一束。
夜9時、四谷三丁目で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。次回対談の件。
帰室。
仮眠したのち晩酌。

2014年5月25日
痛風おさまらず。
書庫(六畳部屋)に散乱したり積み重なっている資料等の整理。
単行本『疒の歌』のゲラ。

2014年5月26日
痛風おさまらず。ロキソニンを服む。
夜7時半、鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏、文庫部の秋元氏と飲む。
日暮里のラーメン屋に歩いて行く。
帰室。

2014年5月27日
痛風おさまらず。
終日在宅して雑用一束。
織田作之助『二十歳』(昭16 萬里閣)を復読。

2014年5月28日
サウナ。
痛風はレベル6弱。
帰室。
雑用一束。
単行本『一私小説書きの独語』のあとがきを2枚書く。「本当に、自分のような五流の書き手のエッセイ集が、こうして三度まとめてもらえると云う事態は、まことに奇蹟事である」と述べている。

2014年6月

2014年6月2日
「一昨日に捻った首の痛みがひどく、右肩から右手の中指に抜ける激痛で、昨日は一睡もできず」と述べている。寝違えとは異なるようで、午前中に一時間半ほど仮眠する。
病院でレントゲン撮影したが異常なし。痛み止めと湿布をもらう。
帰室。
単行本『疒の歌』のゲラ。
横臥するより食卓に座しているほうがラクな状況。
痛み止めに宝焼酎を飲む。

2014年6月3日
一睡もできず。4日間の合計睡眠時間は4時間弱。
首の痛みに対してはロキソニンの効果なし。痛風の痛みには効果あり。
違う病院に行ってレントゲン撮影。親切な医師がMRI検査手続きもしてくれた。肩に2ヶ所のトリガーポイント注射(麻酔薬)をしてもらう。一時的に激痛がおさまったが、3時間後に激痛ぶりかえす。<四十七歳にして、思わず、「痛いっ、ああ痛いっ!」との情けない声が、独り言として漏れ出てしまう>と述べている。

2014年6月4日
三時間半ほど眠る。
予約していたMRI設備のある病院へタクシーで向う。
「機器の中の、ひどい金属音と閉塞感に、全身が脂汗にまみれる」と述べている。
サウナ。ジャグジーで首を温めることによって痛みをやわらげる。
帰室。
単行本『疒の歌』のゲラをバイク便で新潮社に返送する。

2014年6月5日
4時間半ほど眠る。
サウナ。
『すばる』連載予定の「蠕動で渉れ、汚泥の川を」に取り掛かりたいが、痛みと右手の痺れのためボールペン握れず。
痛風も改善せず。頭痛なし。

2014年6月6日
5時間弱ほど眠る。
サウナ。
雨。
予定では『野性時代』山田編輯長と出版部の榊原氏らと神宮球場で交流戦観戦の予定だったが、雨なので中止した。しかし集合して鶯谷「信濃路」で飲み食いする。そのあとひとりで日暮里のラーメン屋へ行く。
帰室。

2014年6月7日
痛みで目覚めることはあったが合計8時間ほど眠った。「気持ちが安らぐ」と述べている。
サウナ。
帰室。
雑用。右腕に力入らず。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の下書き、始められず。いつもは寝そべって書くが、痛みで横になれないため。
5年前のぎっくり腰を回想している。「膿汁の流れ」を書いていたころ。頸椎の痛みがあると布団に腹這って書けない。
セル版の天知茂「江戸川乱歩シリーズ」DVD2本、BS放映を録画した「いつがギラギラする日」と「アイアンマン」を観る。

2014年6月8日
飛び飛びで4時間弱眠った。
寝室のクーラーが壊れた。12年間使っていた。
池袋東口のビックカメラで7万円台の新品を購める。きょうは日曜日、取り付け工事は来週水曜日。
帰室。
首の痛みがひどいのでロキソニンを服む。
サウナ。
帰室。
痛みがひどく書けないのでDVD三昧。

2014年6月9日
不眠のまま外出。
溝の口で、午後12時からテレビ朝日「お願い!ランキング」2014年6月30日放送分のロケ撮影。神田、銀座、新橋、赤坂の激安料理店巡り。
帰室。
原稿まとまらず。締め切りをあきらめかける。
DVDを眺めながら晩酌。

2014年6月10日
飛び飛びに4時間半ほど眠った。
病院でMRI検査の結果を聞く。大学病院を紹介される。麻酔のトリガーポイント注射と新たに精神安定剤を出してもらう。
帰室。
「東京者がたり」第24回<新東海橋>を書く。痛みで難儀しながら。

2014年6月11日
6時間眠れた。
サウナ。
病院で、肩に麻酔のトリガーポイント注射。
有楽町の三省堂書店で、夜7時から、扶桑社刊『薄明鬼語 西村賢太対談集』のサイン会。『スナックあるある』(講談社)を発売した玉袋筋太郎と合同サイン会となる。
銀座の中華料理店で、『en-taxi』で午後9時から友川カズキと対談。田中陽子編輯長が同席。
キャバクラの客引きから「日乗」を読んでいると声を掛けられた。「根が機嫌伺いにできてる自分は、作り笑顔なぞを見せ、深々と一礼したのち、改めて通り過ぎる」と述べている。

2014年6月13日
サウナ。
帰室。
『すばる』の清田編輯長に電話して、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の新連載開始の原稿について「白旗を掲げる」「自己嫌悪と苛立ちで、その後は何も手に付かず」と述べている。
『野性時代』2014年7月号の横溝正史「鬼火」オリジナル原稿版を読む。

2014年6月14日
サウナ。
『文學界』の原稿「菰を被りて夏を待つ」のネタ繰りを始める。

2014年6月15日
寝起きは痛みが軽くなったように感じたが、夜にぶり返す。
サウナ。
帰室。
湿布、ロキソニン、筋肉弛緩剤、抹消神経の痛みに効果があるというビタミンB12をほどこす。
痛風の症状は1箇月続いている。「自分はもうダメかも知れぬ」と述べている。

2014年6月16日
痛みによって目覚めるが、眠れるようにはなってきた。
紹介された大学病院の整形外科で、頸椎症性神経根症の「軽度」のもの、と診断される。手術やブロック注射の必要はない、自然治癒する、と告げられるが、現に痛みがあるため「どうにも心細くてたまらぬ」と述べている。
文學界の短篇「菰を被りて夏を待つ」のノート下書き。痛みがあるので布団に腹這いになって書けず。リビングの食卓で書く。「この、座った姿勢で下書きから行なうのは、五年前に「瘡瘢旅行」を書いたとき以来のことだ」と述べている。執筆のこだわり。下書きノートに4頁。

2014年6月17日
サウナ。
帰室。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き分の清書。5頁。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。

2014年6月18日
痛みが軽い。
サウナ。
帰室。
薬一式。ロキソニンが不要に思えるくらい。
「菰を被りて夏を待つ」の清書。
湿布とくすり。ロキソニン抜き。
「菰を被りて夏を待つ」の下書きの続き。ノートに8頁。

2014年6月19日
肩と腕の痛みが軽くなった。
サウナ。「自己流治療法の一つ」と述べている。
帰室。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。ノート4頁。
鶯谷「信濃路」で、田畑氏と打ち合わせ。田畑氏は左肩骨折まだ全治しておらず、「互いの傷を舐め合う」と述べている。最後に両者は麺類を貪り食った。※賢太は例の日暮里のラーメンへ行ったあと「お土産チャーシュー(異様に量が多い)」を購めて、タクシーで帰った。
帰室。

※「一私小説書きの日乗 野性の章」ここまで

一私小説書きの日乗 遥道の章(シリーズ第4巻)

2014年6月20日
「菰を被りて夏を待つ」の清書。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。痛みが残っているため腹這いになれず食卓で書く。ノート4頁。

2014年6月21日
サウナ。
帰室。
「菰を被りて夏を待つ」を清書。
外食のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。

2014年6月22日
「菰を被りて夏を待つ」の清書。
東京駅から"のぞみ"で新大阪駅へ向かう。
午後4時、大阪駅前の巨大ビル内の紀伊國屋書店でサイン会。『薄明鬼語 西村賢太対談集』のもの。
「終了後、新大阪駅構内で小一時間喋り(略)」と述べている。
帰京。
室に戻る。(帰室)
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。

2014年6月23日
「菰を被りて夏を待つ」の清書分に訂正を入れて、終えた分を『文學界』編集部にファクシミリで送稿。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。

2014年6月24日
サウナ。
病院で、首のリハビリ治療を開始する。「現時点では余り必要のなくなった感じ」と述べている。
帰室。
「菰を被りて夏を待つ」の下書き。夜9時に書き上がる。
「菰を被りて夏を待つ」の清書。「9枚にて終了」と述べている。
「菰を被りて夏を待つ」の清書の訂正作業。深更3時にファクシミリ送稿。
「菰を被りて夏を待つ」合計40枚。

2014年6月25日
「菰を被りて夏を待つ」のゲラがバイク便で届く。
朝までかかって訂正して、ファクシミリで戻す。

2014年6月26日
『文學界』から「校了の知らせ」が届く。
雑用片し。
届いていた、単行本『随筆集 一私小説書きの独語』の見本を開く。31冊目の単著。随筆集として3冊目。「(略)この出版不況のご時世に、本当に有難い限りだ。」と述べている。

2014年6月27日
「昨日来、新潮社関係で些か不快なことが続き、パーティーの方のみ赴く予定だった、本日の新潮三章の授賞式行を取りやめとす。」と述べている。
鶯谷「信濃路」で飲んでいたが、腹が立ったので田畑氏を呼び出す。「ホッピーのジョッキ片手に、ネチネチと氏を叱る。」と述べている。最後に両者麺類を「さながらイノブタのように貪り食う。」。
日暮里ラーメンに立ち寄る。

2014年6月28日
サウナ。
帰室。
雑用一束。

2014年6月29日
藤澤淸造月命日。「室内墓地に香華を手向く」と述べている。
終日在宅。
雑用片し。

2014年6月30日
能登の七尾市の西光寺へ。
藤澤淸造法要。掃苔。

2014年7月

2014年7月1日
七尾の最近の常宿で起床。
帰京。
『文學界』で人事異動あり。「また当分の間、自分は同誌から無意味に干されることになりそうだ。馬鹿馬鹿し」と述べている。
『新潮』の田畑氏からは朗報ファクシミリが届いた。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
石川県嫌いを公言しているが、石川県で買ってくる「ますの押し寿司」だけはどうにも憎めないと語る。

2014年7月2日
サウナ。
新潮社の会議室で、『中日新聞』のインタビュー。SNSに関して。2014年7月12日付けに掲載予定。終了後、出版部の桜井氏と打ち合わせ。単行本『疒の歌』のカバーと帯について。
早稲田鶴巻町の「砂場」で田畑氏と飲み食い。「各々末期の胃潰瘍患者みたくして、目を血走らせながら浅ましくかき込む」と述べている。
帰室。

2014年7月3日
サウナ。
帰室。
テレビ朝日本社で「お願い!ランキングPresentsテレ朝夏祭り」2014年7月19日放送分「お願い!ランキング」の収録。激安料理店巡りのロケ。玄関口でオープニング撮影、六本木2軒、西麻布1軒。テレ朝に戻って楽屋で待機したあと、屋上庭園で小芝居の撮影。

2014年7月4日
飯田橋の角川書店。新しいビルに移転してから初めて訪問する。エレベーター内に萌え萌えポスターが貼ってある。「今や、それが角川書店ならぬ、"KADOKAWA"の象徴なのであろう」と述べている。
小部屋の面談室みたいなところで、単行本の新刊『随筆集 一私小説書きの独語』の書店用サイン本を110冊を作る。書店用の色紙16枚も。文言(識語)は「小説にすがりつきたい夜もある」。新潮社で単行本『疒の歌』の販促用POPに書き込んだのと同一。
『野性時代』の山田編輯長は「逃げた」ので、出版部の榊原氏と神楽坂の「志満金」で鰻と冷酒。四、五年前にも角川書店の編集者五人と訪れたことがある店。今回は待遇が上がった。

2014年7月5日
サウナ。
首、肩、腕の痛みほぼなくなる。「一箇月強で、一応の快癒と云った感じ」と述べている。
痛風も良くなっている。
徳間書店から届いていた、新刊の単行本『下手に居丈高』の初校ゲラ。
買淫のため外出。
帰室。
水守亀之助の短篇五本を復読する。寝室で横になりながら読めるくらいには良くなった。

2014年7月6日
明治古典会の七夕古書大入札会の入札日。藤澤清造関連ものは無し。
田中英光関係では、書簡と葉書のウブ口の一括物あり。しかし同姓同名のものと判断。
ヨタ札で、久保田万太郎の戯曲の自筆原稿、尾崎一雄の創作の自筆原稿を落札する。
多々羅四郎『臨海荘事件』(昭11 春秋社)、函・本体ともすこぶる美本を落札。「この本は十八歳時に一万八千円で購入、架蔵して、すぐに金に困って売り払って以来、実に二十九年ぶりとなる再入手」と述べている。大手町が舞台の小説。
※奥付の住所をみると、当時の賢太の室のすぐ近くに住んでいたようだ。

※これ以降しばらくカノジョとの半同棲先滞在の疑いあり。

2014年7月9日
日中ブラブラ。
古本屋で、織田作之助の旺文社文庫『猿飛佐助』を600円で書い直した。特に欲しいわけではなかった。
咳止まらず。鼻水黄色。
(帰宅、帰室の記述なし)
「東京者がたり」第25回<亀戸>篇を書く。

2014年7月10日
サウナ。
夜までブラブラ。
魚屋、ラーメン屋に行く。
帰室。
発熱、38度。アイスノンとルルアタックIB。
咳をしすぎて後頭部のスジに痛みを感じる。
仮眠後に37度3分。

2014年7月11日
平熱。
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第1回の下書きを改めて書く。
はかがゆかず。

2014年7月12日
新潮社と角川書店から誕生祝いに、宝の「純」25度1ケース(合計2ケース)が届く。
雑用片し。

2014年7月13日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」書けず。
「一私小説書きの日乗 遥道の章」を書く。

2014年7月15日
サウナ。
買淫のため外出。
帰室。
寝室にて藤澤清造の随筆を読み返す。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」書けず。

2014年7月16日
無為。家事。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」を書きはじめる。下書きノートに6頁。※題名はこの日に決まった。

2014年7月17日
サウナ。
帰室。「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。
仮眠。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の下書き。ノート6頁。

2014年7月18日
食卓につき、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。
サウナ
帰室。
寝室にて「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の下書き。ノート6頁。

2014年7月19日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書分20枚の訂正。提出期限を数日延ばしてもらっていた。『すばる』編輯部のゲラ作業負担を軽減するため。締め切りギリギリなので。
『すばる』誌にアカウントがあるバイク便を呼ぶ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。
仮眠。クーラーの温度は17度設定。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の下書き。ノート4頁。

2014年7月20日
「一私小説書きの日乗」を書く。
『下手に居丈高』のゲラ訂正をはじめる。

2014年7月21日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の下書き。ノート6頁。下書き終了。

2014年7月22日
雑用従事。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。9枚。続いて訂正作業。
朝七時に「何んとか人様の前に出せる状態まで持ってゆき」、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第1回分40枚が完成する。
バイク便を呼ぶ。

2014年7月23日
サウナ。
帰室。
提出し忘れていた「一私小説書きの日乗」をファクシミリで送稿。
葛西善蔵の祥月命日であったことを思い出す。
雑用一束。

2014年7月24日
サウナ。
芥川龍之介の祥月命日であったことを思い出す。
買い出しのため外出。
帰室。
仮眠。
外食のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『下手に居丈高』のゲラ。「『週刊アサヒ芸能』連載時は行数がきっかり決まっており、レイアウト上での融通は一切利かなかったので、読み返してみるとその行数におさめるべく腐心したところが、いちいち流れが悪くて読みづらい。この機会にいちいち訂正を施してゆく」と述べている。

2014年7月25日
買淫のため外出。
帰室。
仮眠。
単行本『下手に居丈高』のゲラ。

2014年7月26日
サウナ。
神宮球場へ行くためのタクシー待ちでつかまらず、大汗をかいていしまい、いちど自室へ戻ってシャワーを浴びる。ふたたび外出。
神宮球場の一塁側内野スタンドで、『野性時代』の山田編輯長、角川書店出版部の榊原氏と合流。ナイター。約1年2、3ヶ月ぶりの観戦。過去には、夏は観戦を避けていた。「混むところと暑いところに、わざわざお金を払ってまで赴く必要は、自分としてはどうにも感じられないのである」と述べている。
「熱狂的なヤ党の山田、榊原両氏」という記述有り。
※暑さを避けるため、風通りの良い場所へ賢太ひとりだけ移動して「単独観戦」する。その日は8回表でヤクルト敗勢となったので全員退出した。
「自分もこう見えて大概だが、山田、榊原両氏もああ見えて、かなりの我儘を押し通される」と述べている。
そのあと連れ立って四谷三丁目の焼肉店で飲食。

2014年7月27日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第1回のゲラ訂正。
新潮社出版部より届いていた、単行本『疒の歌』の見本を開く。32冊目となる単著。
「カバー画に使用させて頂いた、村山槐多のデッサン、「のらくら者」が素晴らしい。はな、この作を書く以前から、いつかこの絵をカバーに使わせて貰いたいと願い、そして該作はこの絵をイメージして書き進んでいた部分もある」と述べている。

2014年7月28日
サウナ。
帰室。
雑用一束。

2014年7月29日
藤澤清造月命日。
能登の西光寺で掃苔。「次の長篇連載を書き始めたことを、墓前に報告」と述べている。

2014年7月30日
午後1時に帰京。
帰室。
仮眠。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『下手に居丈高』のゲラ。

2014年7月31日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
室を出て、新宿6丁目の SHINJUKU SCAT! が会場の、稲垣潤一の”ハコバン”ライブ。
終了後に、同所のステージで、NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人たち」2014年9月27日放送分の撮影。緊張した、と述べている。二種のアルバムのライナーノーツにサインしてもらう。「稲垣氏にお会いするときは、氏のご負担にならぬよう、その都度二枚だけに宛名入りサインを頂くことにしている。/かれこれ一四枚に書いて頂く格好となった」と述べている。

2014年8月

2014年8月1日
締め切りが近いので、日中より執筆する。
『小説新潮』2014年9月号用の短篇「下水に流した感傷」。40枚見当。
「下水に流した感傷」のノート下書き。4頁。
深更に「下水に流した感傷」の下書き。6頁。

2014年8月2日
砧のTMCでTBSのバラエティー番組「水曜日のダウンタウン」2014年8月13日放送分の収録。
帰室。
単行本『下手に居丈高』のゲラ。
「下水に流した感傷」の下書き。ノート6頁。

2014年8月3日
「下水に流した感傷」を原稿用紙に清書。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
寝室の万年床で「下水に流した感傷」の下書き。ノート8頁。

2014年8月4日
「下水に流した感傷」の清書。計40枚を仕上げる。
入浴したのち「下水に流した感傷」の清書の訂正。20枚分。

2014年8月5日
サウナ。
新潮社の本館ロビーで田畑氏と合流する。
新潮社クラブで、NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人たち」の撮影2回目。稲垣潤一との対談。※互いの仕事場を行き来するという趣旨のようだ。夕方6時に終了。
鶯谷「信濃路」で、稲垣潤一とサシ飲み。稲垣潤一は生ビールと冷奴とウインナー揚げとワンタン等を飲み食いした。2軒目にも付き合ってくれた。
この「信濃路」に向う途中、矢来町→飯田橋→後楽園→こんにゃく閻魔→言問通りというコースを辿った。西村賢太が15歳から26歳のときに住んでいた安宿が点在している場所であり、藤澤清造、田中英光と共に稲垣潤一の曲と歌声があったことを追想している。そして「色紙への揮毫」を自分から求めたのは石原慎太郎と稲垣潤一の2人だけであることを強調している。
帰室。
稲垣潤一の1982年のデビュー曲である「雨のリグレット」をエンドレスで流しながら宝「純」を飲む。中学2年の3学期にテレビ番組で見かけて、その数日後にレコードを買いに行ったことも述べている。ファン歴32年。

2014年8月6日
「下水に流した感傷」の訂正残り。20枚。バイク便で『小説新潮』編輯部に送稿する。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
バイク便で「下水に流した感傷」のゲラが届く。
単行本『下手に居丈高』のゲラ訂正。5篇分。初校終了。

2014年8月7日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『下手に居丈高』のゲラを徳間書店宛に宅配便で送る。
届いていた文芸誌のうち『すばる』2014年9月号のみして、保存用の段ボール箱におさめる。「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第1回の所載号。他の文芸誌は開封せずに廃棄した。

以降、カノジョの半同棲先に滞在している節あり。

2014年8月8日
「東京者がたり」第26回<言問通り>篇を書く。「ファクシミリで送稿後、近所をブラブラ。/魚屋へ行ったり五目ラーメンを食べたり、スーパーで買い出ししたり。」と述べている。いつもの行動とビミョーに異なる。

2014年8月9日
「一私小説書きの日乗」を書く
「夕方、ブラブラ。/ホームセンターへ行ったり、知人の子供用への玩具を買ったり、回転寿司を食べたり。」と述べている。

2014年8月10日
午前9時起床。
「東京者がたり」第26回のゲラ。
「下水に流した感傷」のゲラ。

2014年8月11日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
リブロ池袋本店で単行本『疒の歌』のサイン会。
来場者を評して「昨年夏の同店、本年二月の三省堂神保町本店、六月の三省堂有楽町店(玉袋筋太郎氏との合同サイン会)、大阪の紀伊國屋書店と、五回連続で参加して下すった青年がいる。/有難いおかただ」と述べている。※例の蒐集家Nさんかな?
昨年のサイン会=2013年7月11日
今年だけでサイン会は4回目。「これは一寸多すぎるきらいはある」と述べている。
新潮社出版部の桜井氏、文庫の杉原氏、『小説新潮』の大曾根氏、『新潮』の田畑氏たちと、新宿の「かに道楽」本店で飲み食い。

2014年8月12日
雑用一束。
中野坂上で、玉袋筋太郎と一献傾ける。玉袋氏が店内でナンパした女性2人と連れ立って2軒目に行く。※そのあと玉袋と賢太は2人で歌舞伎町に移動した。

2014年8月13日
やや頭痛あり。
徳間書店からのバイク便到着を待ったあと、外出。
新潮社に向かっているとき(神楽坂駅の出口から同社へ真っすぐ歩いていると)、矢野優編輯長とニアミスする。矢野氏はやりすごうそうとするそぶりを見せたが、結局ふたりは相対して軽く挨拶を交わした。※賢太はそのときの矢野氏の態度について嫌味たっぷりの言葉を述べている。さらに「自分は思わずノドの奥から青痰をせせり上げ、べっと吐き出す」と述べている。
新潮社の新館会議室で、単行本『疒の歌』に関する読売新聞の著者インタビュー。
帰室。
上原善広の最新刊『石の虚塔 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』(新潮社)を読む。
藤澤淸造の随筆数篇、田中英光の短篇3本を復読する。
稲垣潤一からもらったアルバム「Revival」をエンドレスで聴きながら晩酌をおこなう。

2014年8月14日
「一私小説書きの日乗」を書く。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。清田氏は先日酔って転げて肋骨を痛めたばかり。コルセット着用。そのあと「風花」に移動。
帰室。

2014年8月15日
寝たり起きたり。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
溜まっていた寄贈分の『週刊アサヒ芸能』と『週刊大衆』をまとめて読む。
「一私小説書きの日乗」を書く。
雑用一束。

2014年8月16日
終日無為。

2014年8月17日
夕方5時に室を出て、銀座の博品館劇場で「ワタナベエンターテインメント 夏のスペシャルお笑いライブ WEL SP 2014」に出席する。<一分間・笑いのスプリントShow!>のリアクター役として。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の下書き。ノート4頁。

2014年8月18日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の下書き。ノート3頁。
雑用。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の下書き。ノート7頁。

2014年8月19日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の清書。18枚。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の下書き。ノート6頁。これで下書き終了。
洗濯物を干す。

2014年8月20日
「一私小説書きの日乗」を書く。
雑用一束。
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!」2014年8月25日放送分の収録。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の清書。5枚。

2014年8月21日
午前8時起床。※翌日番組収録だが、めずらしく事前に仮眠をとっている。
午前10時に室を出て、五反田に集合。テレビ朝日の深夜番組「お願い!ランキング」2014年9月8日、9月22日放送分のロケ撮影。激安グルメレポーターの役回り。半年間も続けている。五反田、秋葉原、銀座、新橋、六本木と巡る。
いったん帰室。
夜9時半、四谷三丁目で、前『文學界』の森氏、田中光子氏、現『文學界』の豊田氏と打ち合わせ。「捨てる神あれば拾う神あり。有難い限り」と述べている。※2014年7月1日の日乗では担当編輯者(森氏)の異動を嘆いていたが杞憂だった模様。
帰室。

2014年8月22日
サウナ。
「東京會舘ならぬ」帝国ホテルの芥川賞直木賞授賞式のパーティーの方だけに出席予定だったが、暑くてダルいので取りやめ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の清書。7枚。合計30枚でひとまず終了。
鶯谷「信濃路」で、帝国ホテルの授賞式パーティーに出席しているであろう田畑氏を呼びつけて飲み食い。「名実ともに豚野郎と化して貪り食う」と述べている。
帰室。

2014年8月23日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回の清書の訂正。「加筆に次ぐ加筆。どうしても省略して削ることができない。いつまで経っても小説が上手くならないわけだ」と述べている。
『すばる』編輯部にファクシミリ送稿。
サウナ。
帰室。
届いていた『小説新潮』2014年9月号(「下水に流した感傷」所載)、『小説現代』2014年9月号(「東京者がたり」第26回所載)を開く。
雑用一束。
『en-taxi』の田中陽子編輯長からもらった「和久傳」の梅素麺を茹でて食べる。

2014年8月24日
単行本『下手に居丈高』の再校ゲラ。深夜4時に、徳間書店の崔氏にバイク便の手配をしてもらう。
買淫のため外出。
帰室。
返信を要する手紙4通を書く。
川崎長太郎の長篇『地下水』(昭56 集英社)を復読。
江戸川乱歩の短篇2本を復読。

2014年8月25日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回のゲラ。2頁分。
「一私小説書きの日乗」第16回のゲラ。※「遥道の章」だが、遥道の章 第16回ではないはず。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。飲み食い。田畑氏の食欲が旺盛なので柴崎氏が小食にみえる、と述べている。
日暮里で仕上げの正油ラーメン。
帰室。
仮眠のあと「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回のゲラをするつもりが「そのまま昏々と寝続けてしまう」と述べている。

2014年8月26日
午前9時半起床。※珍しく早起き
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第2回のゲラ。音楽をかけながら。「リビングの、食卓兼仕事机」にて。
雑用一束。
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
『新刊ニュース』2014年11月号用のアンケートを返送。
「何んだか七月末から、怠惰な自分としては随分と働いた感じ。/どこからも随筆一本求められなかった四年前辺りのことを思えば、実に有難い話だ」と述べている。

2014年8月27日
サウナ。
外出。
帰宅。※「帰室」表記ではない。半同棲先に滞在か?

2014年8月28日
終日無為。
ホームセンターに行き、スーパーに行き、回転寿司に行く。※スーパーで購めたサンマを塩焼きにして食べている。

2014年8月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
外出して回転寿司を食べる。
帰室。※この翌日に「回転寿司」を食べて「帰室」している。半同棲先滞在説がよくわからなくなる。

2014年8月30日
腰痛悪化。
回転寿司。「この三日間で、都合百貫以上を食べたことになる。/何故か知らぬが、体が異様に生魚と酢飯を欲している」と述べている。※半同棲先で回転寿司を食べるのがクセになり、帰京したあともこらえきれず回転寿司に行ったのかもしれない。
帰室。
読書とネタ繰り。

2014年8月31日
腰痛続く。
終日無為。

2014年9月

2014年9月1日
サウナ。
ダイアモンド✡ユカイから電話あり。「近々ロケ撮影のある、氏がゲスト出演されるテレビ番組への、友人枠にての出演要請。/光栄の至り。二つ返事にてお受けする」と述べている。※半蔵門のTOKYO MX「ニッポン・ダンディ」にでレギュラー共演していた縁がある。
魚屋で買ったアワビと鮪のトロを購める。※これは東京の魚屋? 地方で魚のうまさに目覚めたので習慣化している?
帰室。
読書。

2014年9月2日
サウナ。腰を暖める。
回転寿司。15皿30貫。

2014年9月3日
サウナ。
別の回転寿司店。13皿26貫。金目鯛をえらく気に入る。
帰室。
横臥。腰痛に対して湿布の効果を感じられず。
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』の初稿ゲラ。

2014年9月4日
第4エッセイ集である単行本『下手に居丈高』の見本が届く。33冊目となる単著。
織田作之助の旺文社文庫『猿飛佐助』を復読する。「先般購め直した」と述べている。
水上勉の角川文庫『フライパンの歌』を復読する。作中に田中英光が登場するため。

2014年9月5日
九段のインド大使館、門のところで『新潮』の田畑氏と合流。
「今月末に、インドのバンガロールで開催される文学フェスティバルに、なぜか自分を招待してくれる旨、『新潮』を通じて連絡があった。日本の作家は他に一人招くとの由。」と述べている。詳細を聞くためにきょう訪れた。
新潮社で、『週刊読書人』のインタビュー(西村賢太、一私小説書きに徹する 上中下 全3回)の取材を受ける。
田畑氏と鶯谷「信濃路」で一杯。そのあと「風花」に流れるが腰痛のため早めに終了。池袋で魚介つけ麺をすする。
帰室。

2014年9月6日
腰痛が悪化する。
小説すすまず。執筆計画を大幅に変更する。

2014年9月7日
腰の具合、よくならず。
原稿が手につかず。
田畑氏に連絡して、月末のインド開催の文学フェスティバル行きを中止を伝える。

2014年9月8日
サウナ。
腰痛のため仕事が手につかず。「疼痛でものを考えられない」と述べている。
角川文庫「一私小説書きの日乗」を万年床に腹這って書く。
神楽坂の日本出版クラブで、『季刊文科』64号に掲載する対談をおこなう。相手は勝又浩。
「文芸評論家との対談なぞ本来は真っ平御免であるが、それが恩義のある氏となれば、または話は別の次第」と述べている。「けがれなき酒のへど」を『文學界』に転載してもらったときのエピソードを回想している。松本徹、大河内昭爾の名前も出している。
「別段、職業としての小説書きを目指していたわけではないが」と述べている。

2014年9月9日
腰に不安あり。
テレビ朝日本社で、深夜のバラエティー番組「お願い!ランキング」2014年9月22日放送分のロケ撮影。激安店レポ企画の出番が終了。
(帰宅、帰室の記述なし)
「東京者がたり」第27回<北区三景>を書く。十条、滝野川、西ケ原。

2014年9月10日
目黒で、フジテレビのバラエティー番組「ウチくる!?」2014年9月28日放送分のロケ撮影。ダイアモンド✡ユカイのゲスト出演回、そのお手伝い。
帰室。
角川文庫『一私小説書きの日乗』の再校ゲラ。
「東京者がたり」第27回の著者校。

2014年9月11日
サウナ。
終日ネタ繰り。

※以降、半同棲先の可能性あり

2014年9月12日
スーパーで買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」を書く。
回転寿司で「憑かれたように」十五皿三十貫を食べる。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の下書き。はかがゆかず。

2014年9月13日
腰痛がだいぶ良くなる。
「夜、知人からスマホを差し出される。ネットニュースで自分のことが、久方ぶりにネタになっているとのこと」と述べている。ゴシップニュースサイト(サイゾーウーマン)の当該記事に目を通し、自著が売れないことを揶揄されている内容に一言物申している。サイゾーウーマンは、以前にも西村賢太をネタにした記事を公開しているが、その内容に誤りがあったことも述べている。

西村賢太、初長編が「全然売れない」! 『お願い!ランキング』出演も効果なし?(2014/09/13 15:00)|サイゾーウーマン
https://www.cyzowoman.com/2014/09/post_13528_1.html

無頼派作家・西村賢太、文藝春秋にぶち切れ!? 異例の連載移籍となった訳(2013/08/29 19:00)|サイゾーウーマン
https://www.cyzowoman.com/2013/08/post_9735_1.html

「尤も、確かに『疒の歌』は売れていない。一万部刷って(略)殆ど売れていない」
「『寒灯』にせよ『棺に跨がる』にせよ『歪んだ忌日』にせよ、それぞれ初版部数は一万であるが、これらの方が『疒の歌』以上に全く売れてはいないからだ」と述べている。

「(略)自分の小説がまるで売れないのは、何も昨日今日に始まったことではない。『苦役列車』意外のほぼ全部が売れていないのだ。見損なってもらっては困る」と述べている。
※「ほぼ」とエクスキューズしているように、新潮文庫『暗渠の宿』はかなり数万部レベルで売れているはず。

「また自分は、テレビ出演に関してすでにアルバイトとして完全に割り切ってやっていることは、これまで複数のインタビューの場でも述べてもいるところだ」と述べている。

「(略)『疒の歌』刊行後に、実際の自分がお会いした数人の編輯者との間では該所の話題なぞ一切出ていないし(献本の返礼は、すでに手紙やファクシミリで頂いている)」と述べている。

「そも、初版三千部でサッパリ売れない時期を経てている自分には、実際、五千部売れれば合格点の純文学界の世界で四千部も売れてくれれば、それで大満足なのだ」と述べている。

「(略)実名を晒し身元を晒して、十年一日、進歩も発展もない全部が同じ構造(との拙作への批判も、それは八年前のデビュー四作目たる『暗渠の宿』のときから、今日まで延々と、散々に言われ続けていることだ。但、自分は傍目にはそう見えるらしき野暮な小説のスタイルこそ追求したい為、今もあえてそれに向い続けている)の全く売れない私小説を書いているわりに、なぜか大手の複数の版元から絶えず単行本化、文庫本化され、その都度原稿料とは別個に、改めて刷部数分の印税を堂々たる稼ぎとして手中にしているの(略)」と述べている。

※これは、群像2006年9月号 第357回 創作合評 を踏まえているのかもしれない

「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の下書き。ノートに4頁。

2014年9月14日
雑用片し。
回転寿司で14皿28貫、穴子の一本握りを1貫。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の下書き。ノートに3頁。

2014年9月15日
雑用片し。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の下書き。ノートに8頁。

2014年9月16日
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の下書き。ノートに7頁。第3回の下書きは終了。

2014年9月17日
午前9時起床。
「ほぼ一日、外出状態」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
次の短篇のネタ繰り。

2014年9月18日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。しばらくのち『新潮』の田畑氏が合流。「風花」に流れる。

2014年9月19日
サウナ。
帰室。
角川文庫『一私小説書きの日乗』の再校ゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書。
田畑氏に電話する。『新潮』2014年11月号掲載予定の短篇(夢魔去りぬ)の題名を伝える。

2014年9月20日
角川文庫『一私小説書きの日乗』の再校ゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書。「清書とは云え、大幅に直しながらなので、はかがゆかず」と述べている。
午前四時、洗濯物をベランダの物干しにしまう。
※違和感。半同棲先に滞在か?

2014年9月21日
角川文庫『一私小説書きの日乗』の再校ゲラ。これにて確認終了。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書。ひとまず終了。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書の手直し作業。半分まで進める。提出期日は明後日の昼。

2014年9月22日
角川文庫『一私小説書きの日乗』の再校ゲラを、バイク便で角川書店に戻す。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回の清書の直し。ファクシミリで『すばる』編輯部に送稿する。
サウナ。
王子駅でつけ麺を食べて、コンビニで買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
藤澤淸造の短篇2本、随筆をあれこれ復読する。

2014年9月23日
『すばる』編輯部から「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第3回のゲラがバイク便で届く。「最終工程としての直しを入れて、戻す」と述べている。
次の短篇である「夢魔去りぬ」の下書き。ノートに3頁。「今から今月校了のを書き始めたって間に合わないかもしれぬ。/間に合わなかったら、そのときはそのときだ」と述べている。
2014年9月24日
文藝春秋で、同社出版社を経由して依頼があった大関酒造関連本のインタビュー(『ワンカップ大関』は本当に若者に飲まれてきたのか)。ワンカップ大関について。
『本の話WEB』の日乗連載で揉めて以来、縁が切れていたが、『文學界』の前担当者である森氏や田中光子氏のおかげで修復の兆しあり。
四谷三丁目で、田中光子氏と『文學界』編輯部の豊田氏と飲み食い。ノンフィクション部に異動した森氏も合流。

2014年9月25日
サウナ。
帰室。
「夢魔去りぬ」の下書き。ノート2頁。
長めの仮眠。
「網走番外地」(第1作)と「県警組織暴力」をDVDで眺める。

2014年9月26日
サウナ。
原稿の進捗を気にしつつも、大相撲を結びの一番までテレビで見続ける。
鶯谷「信濃路」で、玉袋筋太郎と一献。玉袋を信濃路に初めて案内した。
銀座、新宿と2人で流れ歩く。

2014年9月27日
サウナ。
「夢魔去りぬ」の下書きを一気に書く。ノートに10頁。合計15頁で下書き完了。
DVDで「素晴らしき日曜日」を眺めながら晩酌。

2014年9月28日
昨日の夜に放送された、稲垣潤一と対談した「SWITCHインタビュー 達人達」(NHK Eテレ)の録画を一部だけ観る。「自分の出演番組なぞを録画する趣味はないが、稲垣氏と共演(傍点)の栄に浴したものならば、話は別である。/ただ、これはまだ全部をじっくり観る気になれない。もっと後年か、或いは録画だけは取っておいて、そのまま一生観ることはないかもしれぬ」と述べている。※番組内にメッセージを寄せてくれた堀江貴文と六角精児についても言及している。おなじ番組内で使用された13年前の自分の映像にも言及している。
「夢魔去りぬ」の清書。23枚にて終了。「依然、気乗りせず」、訂正作業についても「やはり、やる気なしの、やっつけ作業」と述べている。※『新潮』誌に対して釈然としないものを感じている? 仕上げてバイク便を呼ぶ。
「苦役列車」から今回の「夢魔去りぬ」まで、「ミズテン採用」であることについて言及している。

2014年9月29日
藤澤淸造月命日。
室内墓地に香華を手向く。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
『新潮』編輯部より、「夢魔去りぬ」のゲラがバイク便で届く。
「夢魔去りぬ」の訂正作業。

2014年9月30日
サウナ。
「『新潮』田畑氏より、「夢魔去りぬ」再疑問点のないまま責了となった旨、連絡がくる。どうでも良し。当分、同誌に書く機会はないであろう。」と述べている。
※以降、『小説新潮』編輯部に寄稿したり単行本『痴者の食卓』は新潮社から出版したりしたが、『新潮』編輯部に寄稿することはなかった。
帰室。

2014年10月

2014年10月1日
雑用一束。
荒木町の寿司屋で、『野性時代』の山田編輯長と榊原氏(出版部から異動)と打ち合わせ。

2014年10月2日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
ネタ繰り。

2014年10月3日
四谷三丁目で、『文學界』の武藤編輯長、豊田氏と打ち合わせ。2軒目は「風花」。

2014年10月4日
サウナ。
帰室。
仮眠。
「東京者がたり」第28回<大森篇>を書く。

2014年10月5日
終日在室。
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のゲラ。

2014年10月6日
有楽町で、岡村靖幸氏との対談(「結婚は人間の本能なのです」)。マガジンハウスの女性誌『GINZA』の企画。岡村靖幸『結婚への道』所収。
帰室。
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のゲラ。

2014年10月7日
『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』用の原稿(「時代は変われど手書き原稿は滅びず」)を書く。

2014年10月8日
サウナ。
終日無為。
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のゲラ訂正。

※半同棲先に滞在しているかも

2014年10月9日
回転寿司で15皿30貫を食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のゲラ。

2014年10月10日
サウナ。
「魚屋にゆき、焼物用のアジと、中トロのサク、それにアワビを購める」と述べている。
単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』のゲラ。訂正終了。
仕事の予定を立て直す。

2014年10月11日
雑用一束。
文房具の買い出し。ジグソーパズルをうっかり購めてしまう。
回転寿司で16皿32貫を食べる。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年10月12日
DVDを観てボンヤリと過ごす。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の下書き。はかがゆかず。

2014年10月13日
「三連休中の為、サウナは混みそうなので今日も割愛」と述べている。
雑用一束。

2014年10月14日
サウナ。
古本屋に立ち寄って文庫本2冊つまむ。
回転寿司で16冊32貫を食べる。
帰室。
無為。

2014年10月15日
終日無為。
「頭に靄のかかった状態で、些細なことにやたらと苛立つ。/深更、該状況は多少の改善」と述べている。

2014年10月16日
サウナ。
「新刊書店に寄りて、知人の姪っ子用の、幼児向け学習ドリル七冊と、「アナ雪」のぬり絵を購める」と述べている。
回転寿司で、12皿24貫を食べる。「これでまた、しばらくの間は、”禁回転寿司”となるであろう」と述べている。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回を書く。ノート4頁。

2014年10月17日
外出。
帰室。
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。「自分が知っている限りの編輯長の中では、清田氏が最も小食か」と述べている。2軒目の「風花」で、坪内祐三が現れる。すぐ去っていった。※のち、賢太のみ先抜け。

2014年10月18日
雑用一束。
サウナ。
「右の膝の裏に、やや痛風発症の兆し」と述べている。
寝床でノートを広げるが気乗りせず。本を拾い読みしたり、うたた寝したり。
「かなり痛みの出てきた足を引きずり、洗濯物を干したのちに、晩酌」と述べている。痛風に良くないビールを控えるなど。

2014年10月19日
痛風2日目。右足上がらず。
「一私小説書きの日乗」を書く。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の下書き。ノート6頁。

2014年10月20日
痛風3日目。痛みがひどい。ロキソニン服用。
読書する。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の下書き。ノート4頁。

2014年10月21日
右膝裏の痛風。すこし和らぐ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の清書。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の下書き。ノート5頁。下書き終了。

2014年10月22日
痛風が8割快復。
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回の清書。そして訂正。
集英社のアカウントのあるバイク便で『すばる』編輯部に送稿する。

2014年10月23日
外食。
帰室。
朝山蜻一の短篇「死霊」「ひつじや物語」「僕はちんころ」「人形はなぜ作られる」を復読する。「何回繰り返して読んでも、三十二年前の初読時の驚きを覚える。さらに「天人飛ぶ」「くびられた隠者」も復読する。

2014年10月24日
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。1軒のみで解散して、いつもの日暮里のラーメン屋。お土産チャーシュを購める。
帰室。

2014年10月25日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。

2014年10月26日
『すばる』編輯部から届いた「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第4回のゲラ訂正。ファクシミリで戻す。
雑文一本を書く。

2014年10月27日
終日在室。終日無為。
藤澤淸造と田中英光の短篇小説を復読。
「明け方、痛快事あり。/午前六時過ぎより、淸造の位牌を前にし、一人で祝杯。」と述べている。

2014年10月28日
藤澤淸造生誕日。
サウナ。
四谷三丁目の焼肉店で、『野性時代』の山田編輯長、榊原氏、角川書店出版部の似田貝氏と顔合わせ。似田貝氏は「降らぬ安読書雑誌の編輯部にいた」とのこと。※『ダ・ヴィンチ』かな?
池袋で魚介ラーメンを食べる。
帰室。
雑用一束。

2014年10月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に香華を手向く。
鶯谷(※「信濃路」とは書いていない)で、『文學界』の新しい窓口役(担当?)の豊田氏を呼び出して打ち合わせ。「かなり調子の良いところもあるが、極めて本音で接してくれる辺り、なかなか好もしき青年だ」と述べている。
「風花」に流れると、『すばる』の清田編輯長が集英社出版部の美人編輯者

2014年10月30日
サウナ。
帰室。
雑用一束。
「東京者がたり」第29回を書く。

2014年10月31日
文藝春秋出版局で送られてきた新刊『ワンカップ大関、なぜトップを走り続けることができるのか? 日本酒の歴史を変えたマーケティング戦略』(ダイヤモンド社)を開く。インタビュー(『ワンカップ大関』は本当に若者に飲まれてきたのか)所収。
鶯谷(※「信濃路」とは書いていない)で、田畑氏と面談。
『新潮』の矢野編輯長の悪口大会。「(何度も云うが、無論、それを云っているのは自分の方のみで、田畑氏は終始緘黙を貫いている)」と述べている。
帰室。

2014年11月

2014年11月1日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、玉袋筋太郎と一献。「風花」に流れたあと、『小説現代』の柴崎氏が束袋の大ファンだったことを思い出したので、柴崎氏を呼びつける。自宅からタクシーで駆けつけた柴崎氏は、玉袋か会長を務める<全日本スナック連盟>の公認Tシャツを着用していた。さらに坪内祐三がひとりで現われて「猫目」に誘われたので行く。※賢太が「猫目」に訪れるのは3年ぶり。キンミヤのボトルが残っていた。
玉袋と柴崎氏と3人で新宿3丁目の寿司屋で仕上げ。「大層に楽しき一夜」と述べている。

2014年11月2日
角川書店から先週届いていた、角川文庫『一私小説書きの日乗』の見本を開く。34冊目の単著。「版元からの依頼で、帯に”推薦”としてお名前を挙げることを許して下すった六名の小説家のかたがたに、しみじみと感謝す」と述べている。※黒川博行、江國香織、重松清、小川洋子、真梨幸子、木内昇、の6名。
買淫のため外出。
帰室。
「刑事コロンボ」のDVD第1巻と第4巻、計4話を観る。

2014年11月3日
田中英光の祥月命日。
神保町の三省堂本店の2階の喫茶店で、あすにロケ撮影のあるNHK Eテレの番組スタッフと打ち合わせ。ワタナベエンターテインメントの担当者が変更になる。「それまでの担当者はいずれも遣り手で、大いに助けられた。ひたすらに感謝」と述べている。
※ラジオやテレビ出演が減るであろう、月1回程度の最低限の名前宣伝の範疇にとどめる、とも述べている。これまでの芸能活動に「違和感」を表明している。けっこう長文で。
5時5分から、同店の催事場で、NHKラジオの公開生放送「書評ゲーム ビブリオバトル~至福のときをくれる本~」2014年11月3日放送分に出演。
会場に来ていた『小説現代』の柴崎氏、『文學界』の豊田氏と鶯谷「信濃路」で飲み食い。
「最後に、自分と柴崎氏はラーメンとチャーハン、豊田氏は親子丼と味噌汁をかき込み、一軒にて解散」と述べている。

2014年11月4日
サウナ。
帰室。
短篇のネタ繰り。
新宿二丁目のとあるバーで、NHK Eテレの番組「有吉VS林修!年越しクイズサバイバー」2015年1月2日放送分のロケ撮影。※タクシーチケットをもらった。
帰室。
「一私小説書きの日乗」を書く。

2014年11月5日
「東京者がたり」第29回のゲラ訂正。
通風の薬を貰うために病院。
※吉野家の「吉」を、下が長いほうの「吉」で記載している。電子書籍版も同様。
室に戻る(帰室)。
鶯谷「信濃路」で、イラストレーターの信濃八太郎氏と対談(『en-taxi』2015年冬号 vol.43掲載)。※信濃氏は村上春樹本のカバー画も務めている。
「(略)五流作家の自分の駄本にも、いくつかの素晴らしいイラストを提供して下すっている。/これまでの拙著では単行本六種、文庫本8種と、それに自分が監修した新潮文庫本の藤澤清造作品二種を手がけて下すったが、実際にお会いするのはこれが初めてのことである」と述べている。※現代風の爽やかな青年であることに一驚している。
その後、田端のラーメンチェーン(先月に店内で人殺しがあった店)で軽く一杯と〆のラーメンを食べる。しかし残した。
帰室。

2014年11月6日
新潮社の会議室で、『中日新聞』<あの人に迫る>インタビュー。来年1月に掲載。
『新潮』の田畑氏と鶴巻町の「砂場」で飲み食い。
帰室。
新年号用の小説のことを考える。

2014年11月7日
サウナ。
雑用一束。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書きを進めようとするが、はかがゆかず。

※半同棲先に滞在している可能性あり

2014年11月8日
回転寿司で15皿30貫を食べる。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書き。ノート3頁。「いつもながら、見事にスタートダッシュに失敗す。才能がないのだから、仕方がない」と述べている。

2014年11月9日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書き。ノート4頁。
手製の寄せ鍋。

2014年11月10日
サウナ。
寄せ鍋の残り汁に肉や野菜を加えてカレーを作る。
仮眠。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書き。ノート5頁。

2014年11月11日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書き。ノート6頁。

2014年11月12日
百円ショップで何やかやと買い込む。
回転寿司で15皿30貫を食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の下書き。ノート5頁半。下書きは終了。

2014年11月13日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の清書。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の清書。

2014年11月14日
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の清書。合計35枚で終了。

2014年11月15日
やむなく外出。※たまにこの記述ある。何か意味ありそう。
帰室。
届いていた『文藝春秋オピニオン 2015年の論点100』用の原稿(「時代は変われど手書き原稿は滅びず」)を開く。
『en-taxi』2015年冬号 vol.43掲載の信濃八太郎との対談ゲラ。『季刊文科』64号掲載の勝又浩対談ゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の訂正。胃痛。
450円のワインとガスター10を服む。

2014年11月16日
サウナ。
体調復す。
帰室。
インタビュー続編所載の『週刊読書人』2014年11月14日(西村賢太、一私小説書きに徹する中編)、岡村靖幸との対談所載『GINZA』2014年12月号を開く。
『野性時代』2014年12月号の巻末の次号予告、<読切>のところに自分の名前があるのを見つける。短篇の提出期限まであと1週間ほど。
『文學界』2015年1月号(新年号)用(「無銭横町」)のネタ繰り。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回の清書の訂正。完成する。

2014年11月17日
『野性時代』2015年1月号用(「畜生の反省」)のネタ繰り。
池袋で、来月収録の正月特番バラエティーの打ち合わせ。
帰室。
「「一私小説書きの日乗」の整理。
『文學界』『野性時代』のシノプシスを作る。
『小説現代』2015年1月号用の短篇(「痴者の食卓」)のネタ繰り。

2014年11月18日
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回を、『すばる』編輯部にバイク便で送る。
『文學界』2015年1月号用短篇を「無銭横町」と題して、下書きを始める。ノート5頁。」

2014年11月19日
「無銭横町」の清書。「ほぼ全面改稿」と述べている。
押し入れから電気ストーブを出す。
「無銭横町」の下書き。ノート4頁。

2014年11月20日
「無銭横町」の清書。
「無銭横町」の下書き。ノート5頁。

2014年11月21日
サウナ。
帰室。
「無銭横町」の清書。
「一私小説書きの日乗」を整理。25枚を『野性時代』編輯部に送稿する。
「無銭横町」の下書き。ノート7頁。

2014年11月22日
「無銭横町」の清書。
「無銭横町」の下書き。ノート8頁。下書き仕上がる。

2014年11月23日
「無銭横町」の清書。合計43枚にて終了。
布団に腹這い、「畜生の反省」の下書きを始める。11月28日の朝が最終提出期限。「無銭横町」を脇に置く。ノート13頁。

2014年11月24日
「畜生の反省」の題を決め、原稿用紙に清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第5回のゲラ。
「畜生の反省」の下書き。ノート7頁。

2014年11月25日
「畜生の反省」の清書。合計31枚にて終了。
十条まで外食。
帰室。
「畜生の反省」の清書の訂正。明け方4時に『野性時代』山田編輯長に連絡してバイク便の手配をしてもらう。
「無銭横町」の訂正。午前8時に『文學界』の豊田氏に連絡してバイク便の手配をしてもらう。

2014年11月26日
午後4時起床。
外食。
帰室。
バイク便で届いた「畜生の反省」ゲラと「無銭横町ゲラに最後の修正を施す。
明け方4時までにすべて終了。

2014年11月27日
サウナ。
角川書店から届いていた、新刊の単行本『一私小説書きの日乗 野性の章』の見本を開く。35冊目となる単著。帯文は稲垣潤一とダイアモンド✡ユカイ。
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」を書く。

※半同棲先に滞在か?

2014年11月28日
サウナ。
回転寿司で15皿30貫を食べる。
布団に腹這い、「痴者の食卓」の下書きは収穫頁数ゼロ。「提出期限にまだ少し間がある」と述べている。

2014年11月29日
藤澤淸造月命日。
「魚屋にゆき、中トロのサクと焼物用のアジを購める」と述べている。※晩酌時に肴にしている。
(帰宅、帰室の記述なし)
「痴者の食卓」の下書き。ノート5頁。

2014年11月30日
「痴者の食卓」の下書き。ノート8頁。

2014年12月

2014年12月1日
サウナ。
帰室。
「痴者の食卓」の清書。
「痴者の食卓」の下書き。ノート3頁。

2014年12月2日
「痴者の食卓」の清書。
回転寿司。16皿32貫。揚げたての天ぷら盛合せ。
帰室。
うたた寝。
「痴者の食卓」の下書き。ノート8頁。

2014年12月3日
サウナ。
無為。
「痴者の食卓」の下書き。ノート1頁半。

2014年12月4日
仕方なく外出。
帰室。
雑用一束。
(帰宅、帰室の記述なし)
「痴者の食卓」の下書き。ノート3頁半。

2014年12月5日
砧のTMCスタジオで、フジテレビ系列の正月バラエティー特番「有吉VSミジメちゃん 今年幸せになってほしい大賞」」2015年1月2日放送分の収録。
帰室。
赤羽で胃薬と風邪薬を買う。外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
うたた寝。

2014年12月6日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の豊田氏と打ち合わせ。2軒目は新宿に流れる。
帰室。

2014年12月7日
サウナ。
雑用を片す。
鶯谷「信濃路」で、文藝春秋出版局の田中光子氏、『文學界』の豊田氏と再度の打ち合わせ。

2014年12月8日
「痴者の食卓」の清書。合計41枚で終了。
『東京スポーツ』の正月特別号用(2015年1月)の随筆を書く。

2014年12月9日
「痴者の食卓」の全体的な手直し。
夜7時に、『小説現代』の柴崎氏に連絡してバイク便の手配をしてもらう。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。1軒のみで解散。
帰室。

2014年12月10日
雑用一束。
「東京者がたり」第30回<白金台>篇。

2014年12月11日
夕方6時前に室を出て、中野駅前で玉袋筋太郎とRHYMESTERの宇多丸氏と合流して忘年会。
午前2時過ぎに解散。

2014年12月12日
サウナ。
『東京スポーツ』の正月特別号用(2015年1月)の随筆のゲラ。
「東京者がたり」第30回のゲラ。
「痴者の食卓」に目一杯訂正を入れる。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の「一夜」「刈入れ時」「豚の悲鳴」を復読。「気合いを入れ直す」と述べている。

2014年12月13日
サウナ。
帰室。
年末進行で提出期日の早まっている「一私小説書きの日乗」の整理。
買淫のため外出。
帰室。
仮眠。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2014年12月14日
雑用一束。
新潮文庫『藤澤清造短篇集』の「母を殺す」「女地獄」を復読。「闘志をかき立てる」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の下書き。ノート8頁。年末進行のため2014年12月17日の夜中一杯までが提出期限。

2014年12月15日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の清書。
外出。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏、『小説新潮』の大曾根氏と打ち合わせ。「二十七歳の大曾根氏に、”ゆとり”とからかうと、大層に不機嫌な顔になる。慶応ボーイのプライドの故か」と述べている。
新しもの好きの田畑氏が新メニューの”厚揚げ焼きのカレーがけ”を注文する。先日の清田氏もオーダーしていた。
「最後に、田畑氏はスパゲッティーナポリタン、大曾根氏はカレーそばを、それぞれ餓鬼のように貪り食べる」と述べている。賢太は夜食(田端でビールやら味噌焼肉定食やら餃子やら)のため自粛した。「晩飯はディナーのあとで」と述べている。東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』になぞらえている?
帰室。

2014年12月16日
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の下書き。ノート7頁。下書き終了。

2014年12月17日
リビングの食卓について「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の清書。清書終了。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の手直し作業。
野間三賞授賞式のパーティーの方のみに出席するつもりだったが割愛する。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の手直し終わり。『すばる』編輯部にファクシミリで送稿する。※バイク便では間に合わないのかも。
一杯飲みたくなり、野間三賞授賞式(帝国ホテル)に出席している『小説現代』の柴崎氏に連絡。
一時間後に鶯谷「信濃路」で落ち合う。なぜか『新潮』の田畑氏も同席。※呼ばれていないのに来るあたり田畑氏は賢太のことを嫌っていないようだ。
「最後に、柴崎氏はラーメン、田畑氏はスパゲッティーナポリタンを、各々何かに憑かれたような態ですすり込む」と述べている。賢太は日暮里の札幌ラーメンを食べるつもりなのでその場では「その食慾の三昧境に堕ちた両者を、感嘆の顔付きで傍観するのみ」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)

2014年12月18日
『すばる』編輯部から「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回のゲラがバイク便で届く。夜11時までに戻すため、最終工程の手入れを施す。ファクシミリで返送する。
年内の原稿仕事はすべて終了。
※このひと月の仕事量をみずから讃えている。

2014年12月19日
午前11時半過ぎに室を出て、午後2時からテレビ朝日で大晦日に7時間半放送するクイズ番組「くりぃむVS林修!年越しクイズサバイバー」12月31日放送分の収録。
休憩時間の夜10時過ぎに、『すばる』の清田編輯長から携帯メールが届き、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回の無事責了を知る。
収録は午前3時に終了。「ぶっ続けで十四時間スタジオに居たことになるが、例えば引越し会社の作業で半日間フルに働いて得る日当の軽く二十倍のものを貰えるのだから、これは年末用の小遣い稼ぎには悪くない。尤も来年は話がきても断るであろうが」と述べている。
※「芝公園六角堂跡」につながる心境か?
※引っ越しアルバイト料が少なく見積もって1万円とすれば出演料は20万円以上と推定できる。

2014年12月20日
ダイアモンド✡ユカイから今夜の単独ライブに招待されていたが先約のため行けず。代わりにスタンド式の祝花を贈る。
夜7時に、鶯谷「信濃路」で、高田文夫と玉袋筋太郎を交えた忘年会。「爆笑に次ぐ爆笑」と述べている。玉袋が他の客に絡んで暴れるが、最後にはその客と記念写真を撮った。玉袋と新宿に流れる。

2014年12月21日
サウナ。
帰室。
酒井順子の最新刊『オリーブの罠』(講談社現代新書)を読む。
坪内祐三の最新刊『続・酒中日記』(講談社)を拾い読み。
『中日新聞』のインタビューゲラ。これは2015年1月掲載予定だったが急遽2015年12月26日夕刊に載ることになった。

2014年12月22日
サウナ。
帰室。
『アックス』102号<赤瀬川原平追悼特別企画>を拾い読み。
買淫のため外出。
帰室。
読書。

2014年12月23日
サウナ。
新宿歌舞伎町で、玉袋筋太郎のトークライブ「新宿ラドンセンター」に20分ほど出演。
西新宿のヒルトン東京で、稲垣潤一からここ数年招待してもらっているクリスマスディナーショーに参加する。「夜六時半からのディナーの方は固辞し、八時から始まるショーの方のみ参加」と述べている。終演後にバックヤードの軽い打ち上げに参加する。
「十一時前にヒルトン東京を出て歌舞伎町に戻り、焼肉店での玉袋氏のライブ打ち上げの席に合流す」と述べている。

2014年12月24日
午後2時半到着、渋谷の円山町で、WOWOWのグラミー賞生中継番組の、スポット番宣「グラミー賞授賞式 ミニ番組」(不定期放送)ロケ撮影。
帰室。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の豊田氏と忘年会。「豊田氏も、本来ならば彼女とのイベントに充てたい日であろうところを、閑人の自分が半ば強引に呼びつけて、負のイベントを開催してしまう」と述べている。豊田氏はカレーライスを酒の肴にする。「風花」に流れる。
帰室。

2014年12月25日
サウナ。
帰室。
年賀状を年内のうちに書いてしまう。
「しばらくの間、師・藤澤淸造の流儀に倣って、賀状は正月一日に書いて投函するようにしていた。が、そこは世間一般の慣習に従う方が正解ではあろう」と述べている
43枚を手書きに仕立て上げる。投函。
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長と角川書店出版部の似田貝氏との忘年会。
※似田貝氏は黄色い鼈甲ブチの眼鏡をかけていた。山田編輯長は現在の月給の大半を離れて暮らす2人の子供の養育費に費やしているらしい。
(山田編輯長は)「五、六年前に窓口役になって下すった頃は、随分と虚無的な表情をしていたものだが、近時はすっかり<快活な野村萬斎>と云った感じ」と述べている。
1軒のみで解散。日暮里で仕上げ。
帰室。

2014年12月26日
サウナ。
夜9時に、四谷三丁目の焼肉店で、『新潮』誌の田畑氏と忘年会。文壇よもやま話。
帰室。

2014年12月27日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
真梨幸子の最新刊『5人のジュンコ』(徳間書店)を読む。
仲代達矢主演「切腹」のDVDを眺めながら晩酌。

2014年12月28日
「床屋で散髪したのち、イトーヨーカドーへ衣類の買い出し。ユニフォームたるチェック柄のシャツと、綿ズボン。靴下五束」と述べている。
回転寿司で13皿26貫と揚げ立て天ぷら。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。

※半同棲先に滞在しているっぽい

2014年12月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
回転寿司で15皿30貫と揚げたて天ぷら。アラ汁。
無為。

2014年12月30日
やむなく外出。モチつきを見学。
帰宅。
「一私小説書きの日乗」を書く。
真梨幸子の最新刊『5人のジュンコ』を読了。※徳間書店の雑誌『読楽』誌連載時に通読していた、と述べている。「やはり、とてつもなく面白い」と述べている。
DVDで黒澤明の「悪い奴ほどよく眠る」を観返す。

※帰京?

2014年12月31日
サウナ。
「帰室後、体調悪くなる。/横になって、あれこれ拾い読み」と述べている。
届いていた『東京スポーツ』の正月特別号を開く。コラム所載号(掲載日不明)。
DVDで「仁義なき戦い 頂上作戦」を観返す。