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2015年(平成27年) 西村賢太『一私小説書きの日乗』お仕事タイムライン

2015年(平成27年)の出来事

  1.  第16回「淸造忌」をおこなう

  2. 『無銭横町』(2015年2月、文藝春秋)

  3. 稲垣潤一ライブに出席(2015年2月11日)

  4. 『随筆集 一日』(2012年5月、文藝春秋)

  5. 『小説にすがりつきたい夜もある』(2015年6月、文春文庫)

  6. 「芝公園六角堂跡」(『文學界』2015年7月号)

  7. 『痴者の食卓』( 2015年7月、新潮社)

  8. 『東京者がたり』(2015年10月、講談社)

  9. 『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』(2015年11月、角川文庫)

  10. 『形影相弔・歪んだ忌日』(2015年12月、新潮文庫)

  11. 『風来鬼語 西村賢太対談集3』(2015年12月、扶桑社)

  12. 「誰もいない文学館」連載開始(『小説現代』2015年12月号~)

  13.  藤澤清造『根津権現裏』の佐々木味津三宛献呈署名本(清造による伏せ字書き入れ)を買い取る

一私小説書きの日乗 遥道の章(シリーズ第4巻)のつづき

2015年1月

※大晦日や3日が「帰室」表記なので、半同棲先に滞在していないのでは? わからない。

2015年1月1日
「一私小説書きの日乗」の整理。
文藝春秋から届いていた、単行本『無銭横町』のゲラ。

2015年1月2日
日中無為。
小一時間程散歩。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『無銭横町』のゲラ。

2015年1月3日
体調ややすぐれず。
友川カズキの語り下ろしエッセイ単行本『友川カズキ独白録 : 生きてるって言ってみろ』(白水社)の帯文を送稿する。※今日が締め切りだった。
小一時間の散歩。
帰室。
単行本『無銭横町』のゲラ訂正。

2015年1月4日
サウナ。
小一時間の散歩。
(帰宅、帰室の記述なし)
単行本『無銭横町』のゲラ。

2015年1月5日
サウナ。
回転寿司で15皿30貫。
単行本『無銭横町』のゲラ。訂正終了。

2015年1月6日
やや体調すぐれず。
終日無為。

2015年1月7日
単行本『無銭横町』のゲラを宅配便で文藝春秋出版局に送る。
外をブラブラ。
帰室。
うたた寝。
DVD観賞。

2015年1月8日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
終日在室。

2015年1月9日
外出。
帰室。
夜8時半に改めて外出。
四谷三丁目で、文藝春秋出版局の田中光子氏、ノンフィクション部の森氏、『文學界』の豊田氏との新年会。「いろいろと、有難き限り」と述べている。

2015年1月10日
「そろそろ小説を、と思うも、何かすっかり全部のタガが外れた感じ」と述べている。
サウナ。
帰室。
うたた寝。
読書。

2015年1月11日
届いていた『文學界』2015年2月号(随筆「独りの味」)と『すばる』2015年2月号(「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第6回)だけを取っておき、あとは開封せずにゴミ箱行き。
「夜、黒カビだらけだった浴室を清掃」と述べている。
「東京者がたり」第31回<日暮里>前篇を書く。
眠いので晩酌せず。休肝日。

2015年1月12日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
夜7時に室を出て、砧のTMCスタジオで東海テレビの言葉遊び系のバラエティー「ニホンゴ三壇蜜活用」2015年2月14日放送分の収録。
帰室。
雑用片し。
ファクシミリで届いていた「東京者がたり」のゲラ訂正、返送。

2015年1月13日
サウナ。
「夕方、久しぶりに浅草へ。/演芸ホール、淸造スポット(久保田万太郎生家跡)、安寿司屋、の王道コース」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
『小説新潮』2015年3月号用短編(「微笑崩壊」)のネタ繰り。

2015年1月14日
雑用一束。
夜9時に、鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長との新年会。
「風花」に流れると、久世光彦夫人が現れる。「どうご挨拶してよいかわからずにドギマギしていると、有難いことに御夫人は自分の顔を知っていて下すったらしく、にこやかに声をかけて下さる」と述べている。※「どうで死ぬ身の一踊り」を久世光彦に褒めてもらった話を書いている。「(略)当時この御一文がどれだけ自分にとって有難く、そして救いとなってくれたことか。/この五箇月後に久世氏は急逝され、ご面識を得る機会を永久に失ってしまったが(略)」と述べている。
※さらに、新潮文庫『どうで死ぬ身の一踊り』にも坪内祐三の解説と久世光彦の当時の連載全文を再録したことを述べている。

2015年1月15日
サウナ。※サウナ室のテレビの大相撲に熱中。
(帰宅、帰室の記述なし)

2015年1月16日
鶯谷「信濃路」で、急遽『新潮』の田畑氏と新年会。「最後に、田畑氏のみコロッケカレーを取り、皿に顔を埋めるみたいな塩梅で食らいつく」と述べている。※賢太は日暮里ラーメンに言った。
帰室。

2015年1月17日
サウナ。
終日無為。

2015年1月18日
『小説新潮』2015年3月号用短編(「微笑崩壊」)について、「(略)仕事を始めないと、全部が時間的うに間に合わなくなってくる」と述べている。

2015年1月19日
昼から「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の下書き。ノート3頁。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と新年会。文壇よもやま話エンタメ篇。「柴崎氏のみ焼うどんをスタイリッシュにすする」と述べている。※賢太は日暮里ラーメン。
帰室。

2015年1月20日
サウナ。
単行本『無銭横町』の再校が届く。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回は提出期限に間があるので、再校を優先して進める。

2015年1月21日
単行本『無銭横町』の再校。
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長と出版部の似田貝氏との新年会。
2015年8月号で連載終了予定だった「一私小説書きの日乗」は向こう1年延長が正式決定。
※賢太、似田貝氏を”キモイ”と感じて「キモ貝」と呼ぶことにした。
「えげつない話を連発したのちに、唇の廻りを真っ赤に染めながらスパゲッティーナポリタンをすすり、キモ貝氏はニタリと笑う」と述べる。山田編輯長も「確かにキモい」と述べている。

2015年1月22日
サウナ。
帰室。
雑用一束
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の下書き。ノート6頁。

2015年1月23日
起床後、すぐにリビングの食卓で、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回のノート9頁分の下書きを清書する。13枚となる。
外食のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の下書き。ノート7頁。

2015年1月24日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の清書。
寝室で万年床に腹這って「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の下書き。ノート5頁半で下書き終了。。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の清書。

2015年1月25日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回の全体的な訂正作業。ファクシミリで『すばる』編輯部に送稿。
外食。
帰室。
うたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回のシノプシス作り。
雑用片し。

2015年1月26日
サウナ。
帰室。
「一私小説書きの日乗」2015年3月号分のゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回のゲラがバイク便で届く。
BS「吉田類の酒場放浪記」を眺める。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第7回のゲラ。送稿。

2015年1月27日
サウナ。
帰室。
蒼井雄『船富豪の惨劇』の元版(昭11 春秋社)で復読。

2015年1月28日
『友川カズキ独白録 生きてるって言ってみろ』(白水社)が届く。「中上健次や、たこ八郎とのエピソードが楽しい」と述べている。

2015年1月29日
藤澤淸造月祥月命日。
午前9時に起床して、能登空港から七尾入り。
夕刻より第16回「淸造忌」をおこなう。「野次馬はすっかり去り、元の静かな状態に復して何より」と述べている。

2015年1月30日
七尾の常宿で起床。
帰京せず、新大阪までの切符を買って寄り道する。

2015年2月

2015年2月3日
帰京。
雑用一束。
『小説新潮』2015年3月号用の短編「微笑崩壊」と題して下書きを始める。ノート4頁。

2015年2月4日
サウナ。
夕方5時到着を目指し、渋谷で稲垣潤一と、稲垣潤一のマネージャーである竹内氏と一献。「筆舌に尽くせぬ、うれしくて有難いひととき」と述べている。稲垣潤一が「吉田類の酒場放浪記」のファンであることを吐露する。2軒目は新宿に流れる。

2015年2月5日
稲垣潤一に昨夜のお礼を込めて携帯メールを送る。
「微笑崩壊」の下書き。うたた寝を挟んでノート15頁。「やればできるものだ」と述べている。
晩酌には高田文夫の奥様から届いた牛肉の佃煮をつまむ。

2015年2月6日
「微笑崩壊」の下書き。ノート6頁。ひとまず終了。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
2時間のうたた寝。
「微笑崩壊」の清書。

2015年2月7日
サウナ。
帰室。
「微笑崩壊」の清書。終了して、全体の手直し。
午前2時半に「どうにか人様の前に出せるレベルに仕上げ」たので、一応の完成。『小説新潮』の大曾根氏にバイク便の手配を依頼する。

2015年2月8日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
「何年かぶりで、宅配ピザを取って食べてみる。生地の耳に、ソーセージが詰まっているやつ。大層に美味」と述べている。
「東京者がたり」第32回<日暮里>後篇を書く。

2015年2月9日
雑用片し。
バイク便で「微笑崩壊」のゲラが届く。
夜八時に室を出て、鶯谷「信濃路」で、『文學界』の豊田氏と打ち合わせ。※賢太は日暮里のラーメン屋で仕上げ。
帰室。

2015年2月10日
リビングの食卓で「微笑崩壊」のゲラに訂正を入れる。ファクシミリで送稿。
神保町で、『すばる』の清田編輯長にお寿司を鱈腹ご馳走になる。文壇よもやま話。1軒のみで解散。
帰室。
酔いを覚ましてから「東京者がたり」第32回のゲラ。

2015年2月11日 ※短篇「芝公園六角堂跡」の元ネタ
サウナ。
夕方6時すぎに室を出て、浜松町で稲垣潤一の”叩き語りハコバン70'sライブ2015を観賞する。招待を受けたもの。※「自分が稲垣氏のファンになったのは、今は昔の中学二年時からのことである」と述べてファン歴を語っている。打ち上げにも参加したが……
「しみじみ、感無量の一夜/が、そのあとがいけなかった。一人になり、会場のホテル前の藤澤淸造終焉地跡に佇んだとき、自分の馬鹿みたいに上記した得意顔は、不様に歪む格好となった。/自身の、知らず知らずのうちの不心得を直視」と述べている。「これは良い機会であった」「(略)その因がハッキリ解った」と述べている。

※半同棲先に滞在しているかもしれない。

2015年2月12日
サウナ。
夜に外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「種々思いを改め、予定を立て直す」と述べている。

2015年2月13日
サウナ。
回転寿司で12皿24貫、揚げ立て天ぷら、アラ汁を食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
深更、戎光祥出版『ミステリ珍本全集07 大河内常平「九十九本の妖刀」』の月報用短文(「大河内常平讃」)を書く。3枚。
晩酌に、鯖の塩焼きや、のどぐろのお刺身など。

2015年2月14日
「一私小説書きの日乗」の整理。
(帰宅、帰室の記述なし)

2015年2月15日
「一私小説書きの日乗」の整理。
終日無為。
夕方、回転寿司で16皿32貫と揚げたて天ぷらを食べる。
帰室。
古い邦画のDVDをひたすら眺める。

2015年2月16日
サウナ。
帰室。「急に体がだるくなって横臥。そのままダラダラと過ごす」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。興がのらず断念。

2015年2月17日
「日中、やむなく外出」と述べている。※やむなく外出、たまに登場するフレーズだが何か意味がありそう。
サウナ。
帰室。
届いていた『友川カズキ独白録 生きてるって言ってみろ』(友川カズキのサイン入り)を開く。これは2015年1月28日に読んでいたもの(白水社から届いた)とは異なる。本の構成を手がけられたフリー編集者の佐々木康陽青年が送ってくれたもの。佐々木青年の手紙が添えてあったことについて「相変わらず妙に胸を打つ。/この人の長文書簡は全くもって、いい意味のみで一個の作品。その手紙の上手(うま)さとコクは、殆ど太宰治並み」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。ノート2頁。

2015年2月18日
午後12時着を目指して、テレビ朝日本社で、クイズ番組のスペシャル版「Qさま!!3時間SP」放送分の収録。”先生軍団”の一員として出演。所属チームが優勝したためハワイ旅行を獲得した。「楽屋から弁当二個を持ち(略)」と述べている。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。ノート2頁半。「そろそろ焦りが生じてくる」と述べている。

2015年2月19日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書きが出来ている分の清書。
芥川賞直木賞の授賞式のパーティーのみに顔出し予定だったが取りやめる。原稿を優先するため。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。ひとまず終了。
(芥川賞直木賞の授賞式で帝国ホテルにいるはずの)田畑氏に連絡する。
午後9時前に、鶯谷「信濃路」に行くと、『小説現代』の柴崎氏が先に着いていた。田畑氏も合流して「文壇よもやま話」(エンタメ小説界隈、純文学界隈)をおこなう。
「或る出版社の、小説が読めないことで有名な一社員のツイッター話に嗤う」と述べている。※これは『新潮』の矢野優編輯長のこと。この頃から急逝まで『新潮』に書くことはなかったが、あまりにも長期間に渡る執拗なディスであり、なにやら愛憎相半ばの印象を受ける。
「この話柄をふってきた柴崎氏(略)」と述べているが、これは柴崎氏が抗議したとか何とか言っていたような(要確認)。
「田畑氏のみ、どう対応したら良いのか分からぬ、と云った態(てい)で、チンと押し黙って俯いている。そう云えば氏には、この春からの倉庫勤務を大いに頑張って欲しいものだ。フォークリフトの免許も取らしてもらえるのであろう」と述べている。※田畑氏は異動した?
「最後に、田畑氏のみ味噌ラーメンを食す。が、それだけでは慊(あきたりな)かったらしく、立て続けにオムライスもオーダーし、ペロリと平らげる。流石」と述べている。
1軒のみで解散。
日暮里のラーメン屋で仕上げ。
帰室。

2015年2月20日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
万年床で腹這って「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。ノート7頁。一昨日までは4頁半。

2015年2月21日
サウナ。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。はかがゆかず。

2015年2月22日
やむなく雑用片し。
外食。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の下書き。第8回分を終了。

2015年2月23日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回の清書。全体の訂正。
「朝六時に、一応人様の前に出し得るものに仕上げて、今回はファクシミリにて『すばる』編輯部に送稿。/清田編輯長は、朝7時に出社するそうなので、その時間までの送稿を厳命されている。つまり、期日より一日遅れてしまったわけだ」と述べている。※反省と自己嫌悪を感じている、とも述べている。

2015年2月24日
バイク便で「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第8回のゲラが届く。最後の訂正を施す。
コンビニで買い出し。
帰室。
真梨幸子の未読分の著作を読む。1日1冊ペースで。※『en-taxi』Summer 2015 vol.44』掲載の対談に備えている。

2015年2月25日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
確定申告の準備を始める。
真梨幸子の長篇小説を読む。読みきれず。

2015年2月26日
確定申告の準備。
外食。
帰室。
読書(※真梨幸子の長篇?)。1冊読了。

2015年2月27日
サウナ。
文藝春秋より届いていた新刊単行本『無銭横町』見本入りの函を開ける。36冊目となる単著。「信濃八太郎氏による装画が、いつも以上に素晴らしい」と述べている。
買淫のため外出。
帰室。
読書。

2015年2月28日
終日在室。終日読書。

2015年3月

2015年3月1日
サウナ。
帰室。
読書とうたた寝の繰り返し。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)

2015年3月2日
「確定申告用の書類を揃えて、税理士事務所に発送」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
六畳の書庫の整理。

2015年3月3日
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」の昨日までの整理。

2015年3月4日
終日無為。
寝床に腹這って、仕事をやったりやらなかったり。
藤木靖子の中篇2作を復読。「これぞ、元祖イヤミス作家」と述べている。※イヤミス作家である真梨幸子との対談に備えている?

※半同棲先に滞在していると見せかけて「帰室」の文字あり。

2015年3月5日
「夕方、魚屋に行ってアワビと縞アジを購む」と述べている。
帰室。
読書。
「仕事、すっかりサボりぐせがつく。やむなし。人間、こう云うときもある」と述べている。

2015年3月6日
サウナ。
散髪。三箇月ぶり。
回転寿司で16皿32貫と揚げたて天ぷらを食べる。
帰室。
「新仁義なき戦い」のDVDを眺め返す。
鉄人社から届いた松本清張原作の「黒い画集第二話 寒流」(昭36 東宝)のDVDを眺める。観るのは三十年ぶり。

2015年3月7日
日中無為。
回転寿司で15皿30貫を食べる。アラ汁も。
(帰宅、帰室の記述なし)
映画「黒い画集第二話 寒流」について6枚書く。鉄人社『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88』に収録予定のもの。

2015年3月8日
『観ずに死ねるか!傑作絶望シネマ88』の原稿をファクシミリで送る。
外で用足し一束。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回のネタ繰り。
藤澤淸造の短篇3篇を初出雑誌で読み返す。「狼の吐息」(『青年』大正13年11月号)「青木のなげき」(『週刊朝日 春季特別号』大正15年4月1日号)「赤恥を買ふ」(『宇宙』昭和2年11月号)。
「また原稿仕事を続ける闘志が湧いてくる」と述べている。

2015年3月9日
「一私小説書きの日乗」の整理。
回転寿司で、13皿26貫と、あさりの赤だし、白子の天ぷらを食べる。
「東京者がたり」第33回<神楽坂の銭湯>篇を書く。

2015年3月10日
サウナ。
帰室。
ひたすら、一日中、真梨幸子の著書を読む。※対談に備えている。

2015年3月11日
日中外出。
帰室。
ふたたび外出で、夜9時に四谷三丁目の焼肉店で、文藝春秋出版局の田中光子氏、ノンフィクション部の森氏、『文學界』の豊田氏と打ち合わせ。「種々有難きことあり。有意義なる一夜」と述べている。

2015年3月12日
雑用一束。
税理士事務所で、今回の確定申告提出書類についての説明を受ける。雑務終了。「地獄の特別区民税も、還付金でいくらか相殺軽減されそうな見通し」と述べている。
夜9時に、鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。文壇よもやま話。
※「小食の清田氏が珍しく焼うどんと味噌汁」を平らげている。

2015年3月13日
サウナ。
午後4時到着を目指し、新宿の小田急ホテルセンチュリーサザンタワーで、真梨幸子と対談(ボードゲームと再現フィルムの小説 『en-taxi』Vol.44 Spring 2015)。「当方の念願叶ってのもの」と述べている。※予定時間を大幅に延長した。
持参した『人生相談』と『5人のジュンコ』に宛名入りのサインをしてもらう。

2015年3月14日
サウナ。
文藝春秋より届いていた、文庫本『随筆集 一日』(文春文庫『小説にすがりつきたい夜に』)のゲラ。「親本がまったく売れなかった」と述べている。しかしながら「自分のような一種の札つきが出版運だけはいい」とも述べている。

2015年3月15日
サウナ。
文春文庫『小説にすがりつきたい夜に』のゲラ。「ところどころの文章が鼻につく」と述べている。
江上剛の著作を集中的に読む。※対談に備えている

2015年3月16日
文春文庫『小説にすがりつきたい夜に』のゲラ.
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と一献。文壇よもやま話の純文学篇。田畑氏だけ味噌ラーメンをすすり、賢太は田端で海老ラーメン。※信濃路で〆るのに飽きただけかもしれない。

2015年3月17日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長と出版部のキモ貝こと似田貝氏と打ち合わせ。※この日は、賢太もラーメンとチャーハンで〆ている。似田貝氏は焼きうどん&カレーそば。山田編輯長は餃子のみ。
帰室。

2015年3月18日
リビングでゴロゴロしながら短篇のネタ繰り。
食卓でシノプシス作業。「これでもう、書けたも同然」と述べている。
文春文庫『小説にすがりつきたい夜に』のゲラ。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の豊田氏と打ち合わせ。予定を変更してもらう。「自分より二十近くも年少の青年だが、なかなかに頼り甲斐のある編輯者だ。やや調子の良すぎるきらいはあるが」と述べている。
似田貝氏は納豆定食。※賢太は一人で日暮里のラーメン屋で味噌つけ麺や餃子など。

2015年3月19日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回のノートを拡げる。さしたる収穫なし。
サウナ。
八重洲ブックセンターの本店8階ギャラリーで、午後7時より、高田文夫の新刊『誰も書けなかった「笑芸論」』発売記念トークショー<笑いと私の東京地図>に聞き手として出演する。新刊の版元担当は『小説現代』の柴崎氏。定員100名がアッと云う間に埋まった。
書店近くの居酒屋で打ち上げ。文藝春秋の田中光子氏、『文學界』の豊田氏、なぜか『新潮』の田畑氏も参加した。
編輯者たちと共に近くの居酒屋で二次会。「お三方ともご多忙の中、それぞれ誘いもしないのに足を運んで下すったことに、ただただ感謝。/自分はこれで案外に、良き編輯者に恵まれているのかも知れぬ」と述べている。

2015年3月20日
腰の具合悪し。
サウナで暖める。
帰室。
寝室の万年床に腹這って、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回の下書きノートをひろげる。
腰の痛みが段々ひどくなる。小便に行くのにも難儀する。※今回は原因不明だがギックリ腰と判断している。
腰痛で動けなくなる長期戦を踏まえたうえで煙草と食糧の買い溜めに出かける。「一歩踏みだすごとに、腰から下が沈み込むような痛み」と述べている。

2015年3月21日
腰痛酷い。ヨチヨチ歩きしかできない状況。ただし5年前のギックリ腰より少しましなレベル。「今回のは横臥していても痛みが走る。むしろ椅子に座っている方が、ラクはラクだ。/けれどいったん座ると、今度は立ち上がるのがなかなか容易ではない」と述べている。

2015年3月22日
腰痛3日目。痛みのピークか。
仕事が手につかず。
DVDをぼんやり観てすごす。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回はどうやっても間に合わない状況。悪度胸を固める。

2015年3月23日
『すばる』の清田編輯長に電話して、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回(今月校了号)について白旗を挙げる。「清田氏の温厚さが、この場合は却って辛い。/敗北感に打ちひしがれ、女体を買いにゆきたくなる」と述べている。

2015年3月24日
ドラッグストアで鎮痛消炎成分の入った効果な湿布を購める。
(帰宅、帰室の記述なし)
湿布を貼って横臥する。少し痛みがラクになる。

2015年3月25日
サウナ。
帰室。
左足親指の付け根に痛風の兆しあり。
『辻潤全集』の各巻を調べ事を兼ねて復読する。

2015年3月26日
腰痛になって1週間目だが、痛みレベル8が7に軽減した程度にすぎない。苛立つ。
湿布を貼って横臥のまま『辻潤全集』と大泉黒石の全集から「人間廃業」を復読。

2015年3月27日
腰がだいぶラクになる。
サウナ。
帰室。
湿布を貼って横臥で今東光の本を読む。

2015年3月28日
サウナ。
腰は7割方ほど恢復。
飛鳥山公園の桜が咲き始める。プロ野球も開幕。
帰室。
今東光の著作を読み耽る。「未読のまま十数年放置していたものにも、ようやくに手を付ける」と述べている。

2015年3月29日
藤澤淸造月命日。
室内墓地に香華を手向く。
腰の症状が軽快した。
雑用片し。
湿布&横臥で今東光を読み耽る。

2015年3月30日
終日、雑用片し。
左足親指付け根の痛風、ほぼおさまる。
今東光を読み耽る。

2015年3月31日
外食のため外出。
帰室。
『en-taxi』編輯部より、真梨幸子対談のゲラ。

2015年4月

2015年4月1日
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!!」2015年4月13日放送分の収録。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
真梨幸子対談のゲラ。
真梨幸子の最新刊『お引っ越し』(角川書店)を通読。

2015年4月4日
サウナ。
帰室。
無為。
腰に違和感を覚えたので湿布を貼る。

2015年4月5日
終日無為。「完全にダメな方の周期に入っている」と述べている。

2015年4月6日
サウナ。
回転寿司で11皿22貫と揚げたて天ぷらを食べる。
帰室。
読書。
原稿用紙へ「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年4月7日
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
文春文庫『小説にすがりつきたい夜もある』のゲラを最終確認。
※この時点で『小説に~』を正式タイトルに変更することを決めた。先月(2015年3月)に文藝春秋出版局の田中光子氏に申し入れて承諾を得た。
「(略)前書名の表題作「一日」は、やはり創作に分類されるべきものである。/なので、この際「一日」をカットし、これは向後、また運良く文庫版での短篇集が発刊される機会があったなら、改めてその集中への収録とすることにした」と述べている。

2015年4月8日
サウナ。
文春文庫『小説にすがりつきたい夜もある』のゲラを宅配便で文藝春秋に戻す。
気力が復している感じ。
短篇90枚のネタ繰り。

2015年4月9日
やむなく外出。
帰室。
池袋で、あす収録があるテレビ東京の番組スタッフと打ち合わせ。
帰室。
書き仕事。

2015年4月10日
サウナ。
品川の天王洲スタジオで、テレビ東京の「たけしのニッポンのミカタ!」2015年5月15日放送分の収録。
帰室。
二時間ほどうたた寝。
雑用片し(調べもの)

2015年4月11日
サウナ。
KADOKAWAメディアファクトリーから届いていた、荒木経惟の新刊写真集『男 アラーキーの裸ノ顔』を開く。※アラーキーの裸ノ顔 第169回 西村賢太(『ダ・ヴィンチ』2011年5月号が収録)
帰室。
調べものに没頭する。

2015年4月12日
無為。
藤澤清造に関する調べもの。

2015年4月13日
サウナ。
帰室。
台所の掃除。
池袋で、あさって収録の日本テレビの番組スタッフと打ち合わせ。
帰室。
晩酌のために外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
早々に寝る。

2015年4月14日
サウナ。
帰室。
雑用(調べもの)を片す
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』の山田編輯長、出版部のキモ貝氏(似田貝氏)との打ち合わせ。文壇よもやま話の富士見篇。
キモ貝氏を「キモちゃん」と呼ぶ。
山田編輯長はラーメン、「キモ氏」はカレーライスを食べる。山田編輯長がキモ氏のカレーライスを<朝の飯田橋駅の公衆便所カレー>と命名する。
帰室。

2015年4月15日
川崎の生田スタジオで、日本テレビの深夜帯のアイドル番組「AKBINGO!」2015年5月26日、6月放送分の収録。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」の整理。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。文壇よもやま話の音羽篇。「最後に、自分は味噌ラーメンとチャーハンを貪り食い、柴崎氏はスパゲッティーナポリタンと味噌汁を取りて、スタイリッシュにすする」と述べている。
1軒のみで解散。
帰室。

2015年4月16日
全く気力が出ない。
雑用片し。

2015年4月17日
文藝春秋よりバイク便で届いていた文春文庫『小説にすがりつきたい夜もある』の再校を確認する。
藤澤淸造関連の調べもの。
「最早今月も、『すばる』に対しての悪度胸は固まっている」と述べている。

2015年4月18日
『すばる』の清田編輯長に電話して、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の今月校了分を落とすことを伝える。2ヶ月連続の休載。ひたすら詫びる。
サウナ。
帰室。
藤澤淸造関連の調べもの。

2015年4月19日
サウナ。
帰室。
もろもろ深省。
「いるのかいないのかサッパリ分からぬ"読者"のことを念頭においた様(ためし)は一度もないが(略)」と述べている。清田編輯長に対して「甚だ申し訳なし」と述べている。
三省のあと、「一私小説書きの日乗」の今月校了分のゲラ訂正。
自己嫌悪の焦燥と寂寥感あり。
買淫のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
藤澤淸造『根津権現裏』を原本(大11 日本図書出版)で復読する。

2015年4月20日
雑用一束。
帰室。
『根津権現裏』の原本を読み続ける。

2015年4月21日
サウナ。
帰室。
淸造関連の資料整理。
田中英光『風はいつも吹いている』の初収刊本(『暗黒天使と小悪魔』昭和23 文潮社)で復読。
「イナズマン」で云うところのサナギマン状態の心境、と述べている。

2015年4月22日
雑用を2つ片づける。
名古屋に出かける。
買淫。
駅前のビジネスホテルに宿泊する。

2015年4月23日
名古屋駅から新幹線に乗って、広島で下りる。
買淫。
「吉田類気取りで居酒屋で一杯飲み、ホテルに戻ってすぐと寝る」と述べている。

2015年4月24日
広島駅から新幹線に乗って、博多(駅)で下りる。
ビジネスホテルにチェックイン。
中洲で一杯飲む。
買淫。
屋台でとんこつラーメンをすする。

2015年4月25日
(福岡市)のホテルを出て、博多駅から新幹線に乗る。車中で『文學界』2015年7月号用の短篇(「芝公園六角堂跡」)のシノプシスを作る。90枚見当。
「久方ぶりにウツボツたる創作意慾みたいなものが、身中に蘇えってきている」と述べている。
帰室。
藤澤淸造の「女地獄」と「母を殺す」を初出誌で復読する。

※帰京すると書いていないので、半同棲先に赴いた可能性あり

2015年4月26日
サウナ。
回転寿司で11皿と22貫とアラ汁を楽しむ。
ウツボツたる創作意慾。ただし漲らず。

2015年4月27日
サウナ。
「未だ、サナギマン状態」と述べている。
「あの、2月11日の芝公園での思いがこの状況を生みだしてもいるし、今こそが自分にとってはそれの書きどきでもあるのだから、焦って仕損じてしまっては、どうにもならぬ。/淸造の墓前に、ぬかずきたし」と述べている。

2015年4月30日
帰京。午後2時帰室。(この帰室時間から、半同棲先を逆算できないか?)
「一私小説書きの日乗」の整理。
四谷三丁目の焼肉店で、『文學界』の豊田氏と武藤編輯長との打ち合わせ。文壇よもやま話の各文芸誌篇。2軒目は「風花」。

2015年5月

2015年5月1日
サウナ。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と一献。「茨城の倉庫へ異動」云々は冗談のようだ。文壇よもやま話。
「最後に、自分はソース焼きそばと味噌汁、田畑氏はスパゲッティーナポリタンと味噌汁を取って、互いに暑苦しくすすり上げる」と述べている。

2015年5月2日
サウナ。
買い出し。
帰室。
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、徳間書店の崔氏と一献。『読楽』編輯長だった崔氏は今春から書籍部に異動した。文壇よもやま話。「意外な事実の特盛篇」と述べている。

2015年5月3日
「知人のお子さんへの、「こどもの日」用の玩具を買いにゆく。ドラえもんのボードゲームと、ジバニャンとコマさんのフィギュアがそれぞれくっ付いた、ボタンを押すと笑い声の出るボールペン二本。/発送も済ます」と述べている。
※この「知人」がもしも葛山久子に該当するならば、葛山は既婚者(子持ち)ということになる。わからない。
※2014年10月16日(遥道の章)では、「知人の姪っ子」に幼児向け学習ドリルを買っているので、別の知人かもしれない。

2015年5月4日
前夜眠らず。サウナ。
渋谷のNHK放送センターで、午後1時5分よりNHKラジオ「書評ゲーム ビブリオバトル」の公開生放送。昨年11月にも出演した書評バトル番組。※賢太は大河内常平の復刊『九十九本の妖刀』(戎光祥出版)を紹介した。指定されたカテゴリは「泣ける本」だったが、復刊が泣けるほど嬉しかったとこじつけたもの。「見事に玉砕す」と述べている。
会場に来てくれた編輯者を付き合いが古い順に記している。『小説現代』の柴崎氏、徳間書店の崔氏、『新潮』の田端氏、『野性時代』の山田編輯長、『文學界』の豊田氏、角川書店のキモ貝(似田貝)氏。
それらの編輯者たちと新宿の寿司屋で文壇よもやま話。2015年度上半期大会。騒ぎすぎて店の人から注意を受ける。
※賢太はここでも矢野編輯長の悪口を長々と述べている。
2軒目は新宿二丁目の蕎麦屋(田畑氏が食べログに登録していた店。ただし行ったことはない店なのでハズレがほとんどだが、今回の蕎麦屋は当たりだった模様)。柴崎氏、崔氏、山田編輯長以外の編輯者はポッチャリ以上の体格。

2015年5月5日
よく寝る。気力充実。
仕事は進められず。

2015年5月6日
サウナ。
終日在室にて読書。
藤沢周の最新刊『界』(文藝春秋)、田中慎弥の最新刊『宰相A』(新潮社)を読む。

2015年5月7日
サウナ。
雑用一束。
鶯谷「信濃路」で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。二ヶ月連続で連載を落としたことを詫びている。
※清田編輯長はなぜか手土産(万世の生パック式の焼豚拉麺セットとレトルトのビーフシチュー等の詰め合わせ)を賢太に手渡す。賢太が2度目の白旗を伝えたとき(2015年4月18日)に「苦し紛れで、少し大袈裟な仮病を装った」ため、清田氏は快気祝いとして手土産を持参したようだ。

2015年5月8日
サウナ。
「東京者がたり」第34回<神田川>篇を書く。先月は落とした。

2015年5月9日
無為。
買淫のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
『文學界』2015年7月号用の短篇(「芝公園六角堂跡」)をノートに書き始める。冒頭のわずかな部分のみ。

2015年5月10日
サウナ。
「芝公園六角堂跡」の下書き。この日に題を正式決定した。
「この2月にあった例の(2月11日の項に記した)出来事をもとにしているが、どうでもこれは、今書いておかなければならぬものだ」と述べている。

2015年5月11日
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート4頁。

2015年5月12日
「芝公園六角堂跡」の清書。
銭湯や外食のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート3頁。

2015年5月13日
サウナ。
帰室。
「芝公園六角堂跡」の清書。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート8頁。「少し、間隔が戻ってきた感じ」「書けてうれしい」と述べている。

2015年5月14日
神保町の集英社会議室で、西加奈子と対談(『すばる』2015年7月号の企画)。
対談終了後、清田編輯長が飲みに誘ってくれるが断る。
帰室。
「芝公園六角堂跡」の清書。
二時間ほどうたた寝。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート7頁。

2015年5月15日
サウナ。
帰室。
「芝公園六角堂跡」の清書。
新潮社出版部より新刊の短篇集『痴者の食卓』のゲラが届く。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート8頁。
「どうやら"ダメな方の周期"から脱することができた感じ」と述べている。

2015年5月16日
「芝公園六角堂跡」の下書きと清書。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート4頁。

2015年5月17日
「芝公園六角堂跡」の清書。
雑用を片す。
2時間ほどうたた寝。「寝室のクーラーを、今日から十九度設定へ」と述べている。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート5頁。
録画した「吉田類の酒場放浪記」を眺めながら晩酌。

2015年5月18日
サウナ。
買い出しのため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「芝公園六角堂跡」の下書きと清書。
「一私小説書きの日乗」の今月分の整理。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート2頁。

2015年5月19日
病院に痛風の薬をもらいにいく。
「帰途、魚屋でまぐろとカツオのお造りを、一フネずつ購む」と述べている。
帰室。
新潮社編輯部からバイク便で届いた『痴者の食卓』装幀案が届く。「中に飛び抜けて良いのが一点あり」と述べている。
『すばる』編輯部から、『すばる』2015年7月号掲載の西加奈子対談ゲラが届く。
「芝公園六角堂跡」の下書き。夜と深更の2度にわけてノート各4頁(計8頁)。

2015年5月20日
「芝公園六角堂跡」の清書。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
2時間うたた寝。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート8頁。

2015年5月21日
サウナ。
帰室。
「芝公園六角堂跡」の清書。
外食。
「芝公園六角堂跡」の下書き。ノート8頁。合計67頁にて下書き完了。

2015年5月22日
「芝公園六角堂跡」の清書。「此度の最終ギリギリの提出期日は、二十五日の夜十時まで」と述べている。「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の締め切りもある。
明け方4時半前に「芝公園六角堂跡」の清書全終了。※現段階で原稿用紙94枚だが90枚程度に刈り込む必要あり。

2015年5月23日
サウナ。
すばる』2015年7月号掲載の西加奈子対談ゲラを片付ける。
「芝公園六角堂跡」の訂正。「ほぼ全改稿に近い直し。文章を一発で整えられぬのは自分の同人誌時代からの悪癖である」と述べている。
明け方4時までに「芝公園六角堂跡」の訂正を半分まで終える。

2015年5月24日
「芝公園六角堂跡」の訂正作業。夜10時前に終了したので『文學界』の豊田氏にバイク便の手配をしてもらう。
夜11時より「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回の下書きを始める。ノート7頁。

2015年5月25日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回の下書き。ノート3ページ。下書き完了。
銭湯と外食。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回の清書。さらに訂正作業。
明け方4時に『文學界』から「芝公園六角堂跡」のゲラがバイク便で届く。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回の訂正終わり。『すばる』編輯部にファクシミリで送稿する。
録画しておいた「吉田類の酒場放浪記」を眺めながら酒を飲む。

2015年5月26日
サウナ。
帰室。
「芝公園六角堂跡」のゲラ。「ここでものっけから加筆が多くなる」と述べている。
届いた「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回のゲラ。『すばる』のほうが最終猶予期限までに余裕がない。
午前零時前に「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回が仕上がる。ファクシミリで戻す。
「芝公園六角堂跡」のゲラの続き。深更2時に完成。
「この駄作に限っては、人様に読んで頂く目的は一切ない。今の自分の為にどうしても書く必要があっただけである。即ち、アマチュア気分の"いい気な愚作"に他ならない」という例の口上を書き連ねている。「久方ぶりに、同人誌時代の初心に立ち戻った思い」と述べている。※もとはといえば藤澤清造研究者として師の名を汚さないよう箔をつけるための創作活動であった為。
『文學界』の豊田氏にバイク便の手配を依頼する。

2015年5月27日
サウナ。
元日本ハムファイターズの富田勝選手の訃報を知る。「永淵選手、菅野選手に次いで、富田選手のファンだった。合唱」と述べている。
『野生時代』2015年7月号用の「一私小説書きの日乗」ゲラを確認。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第9回、「芝公園六角堂跡」の原稿について「相次いで再校疑問点がくる」と述べている。「
「芝公園六角堂跡」は全校了。
鶯谷「信濃路」で、豊田氏と飲む。豊田氏はトンカツと鶏の唐揚げをダブルで注文する。「さすが、若手」と述べている。
※それぞれ〆は、賢太は冷やし中華、豊田氏は納豆定食を餓鬼のように貪り食った。ちなみに賢太はその直後にいつもの日暮里のラーメン屋で壜ビールと肉入りつけ麺を食べている。
帰室。

2015年5月28日
サウナ。
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」の整理。
酒井順子の最新刊『中年だって生きている」(集英社)を読む。
晩酌で「ピーマンのおしたし」を肴にしている。

※29日~ 半同棲先に滞在?

2015年5月31日
スーパーに食糧の買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
「夜、自室にて乾蕎麦を茹でて、"もり"にしてすする」と述べている。
昨日の深更より手をつけ出した、単行本『痴者の食卓』の初校ゲラに手を入れる。

2015年6月

2015年6月1日
サウナ。
帰室。
『痴者の食卓』のゲラ。
「夜、久方ぶりに会った知人と、焼肉。過去に二度入ったことのある店だが(略)」と述べている。※葛山久子か?
(帰宅、帰室の記述なし)
大下宇陀児の初期(大正期から昭和期)の短篇をいくつか復読する。

※以下の数日間は半同棲先の可能性。「帰室」と書いてあるが、半同棲先っぽい行動なので。

2015年6月2日
少々体がだるいので二度寝。
体調悪し。
夕方、散歩。
回転寿司で9皿18貫と揚げたて天ぷらを食べる。
帰室。
『痴者の食卓』のゲラ。「二時間かかって一短篇を確認、微調整し、その後は読書」と述べている。

2015年6月3日
まだ体調悪い。
二度寝。
回転寿司で6皿12貫とアラ汁を食べる。
帰室。
宇野浩二の初期作を4篇拾い読みする。
『痴者の食卓』のゲラ。

2015年6月4日
少し体調が戻る。
サウナ。
帰室。
『痴者の食卓』のゲラ。全部の訂正を終える。

2015年6月5日
午後より、やむなく外出。
休肝日。
読書三昧。

※謎の空白。

2015年6月9日
雑用片し。
届いてた純文学系各誌のうち『文學界』2015年7月号(「芝公園六角堂跡」掲載)と『すばる』2015年7月号(「蠕動で渉れ、汚泥の川を』第9回掲載)のみ保存する。
「東京者がたり」第35回<新宿二丁目の病院>篇を書く。次が最終回。

2015年6月10日
室を出て、テレビ朝日本社で、クイズ番組のスペシャル版「Qさま!! 3時間SP」2015年6月22日放送分の収録。

2015年6月11日
38度超えの発熱。ルルとアイスノンで対処して横臥する。「夜に入っていた予定を取りやめる」と述べている。

2015年6月12日
熱下がる。でも少しダルい。
終日在室。
『松永延造全集』のあれこれを復読する。

2015年6月13日
体調やや復する。
サウナ。
帰室。
届いていた鉄人社『観ずに死ねるか! 傑作絶望シネマ88』の見本を拾い読みする。「悪意の奔流」(松本清張原作の映画「黒い画集第二話 寒流」について書いたもの)所収雑誌。
珍しく午前零時前に眠ってしまう。

2015年6月14日
午前6時前に放尿のため目が覚める。
「一私小説書きの日乗」の整理。
雑用片し。
回転寿司で8皿16貫と揚げたて天ぷら。
帰室。
橘外男『ある小説家の思い出』上下巻(中公文庫)を約三十年ぶりに復読する。

2015年6月15日
サウナ。
帰室。
雑用一束。
「マグロの血合肉二サクをダイス状に切り、醤油とみりん、日本酒と生姜で煮付ける」と述べている。
田中英光『姫むかしよもぎ』(昭22 赤坂書店)を復読する。

2015年6月16日
体調悪し。
夜の打ち合わせを日延べしてもらう。
寝たり起きたり。終日在室。
岡田鯱彦『犯罪の足音』(昭38 青樹社)を読む。
橋本五郎の短篇を4篇復読する。
録りだめしておいた「吉田類の酒場放浪記」を眺める。

2015年6月17日
体調復す。予定を立て直す。
散歩。
帰室。
先般入手した、今東光の70年代の説法レコード『極道辻説法』を聴く。「面白し」と述べている。

2015年6月18日
サウナ。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
風呂場の掃除。「清掃後、甚だ気分良し」と述べている。
手紙の返信2本を書く。投函。
(帰宅、帰室の記述なし)
天知茂の"江戸川乱歩の美女シリーズ"のDVD「氷柱の美女」「白い乳房の美女」を眺める。

2015年6月19日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回の下書き。ノート3頁。前2回を読み返したり第1回を読み返したりする。さらにノート2頁。

「遥道の章」ここまで

一私小説書きの日乗 不屈の章(シリーズ第5巻)

2015年6月20日
サウナ。
『文學界』の豊田氏から、昨夕に携帯メールが届いていたに気づく。豊田氏に異動の内示が出たという内容。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回を清書。

2015年6月21日
外出。
帰室。
雑用片し。
「一私小説書きの日乗」の整理。※『野性時代』編輯部にファクシミリで送信している。なにを送信したのだろう。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
雑用片し。
新潮社出版部より、7月刊の短篇集『痴者の食卓』の再校ゲラが届く。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回の清書。

2015年6月22日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回の全体的な訂正作業。
夕方4時に終わったので、『すばる』編輯部にファクシミリで送信する。
銭湯。
(帰宅、帰室の記述なし)
『痴者の食卓』の再校ゲラ。少し手を入れる。

2015年6月23日
サウナ。
外食。
帰室。
バイク便で「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回のゲラが届く。「一私小説書きの日乗」のゲラも届く。
『痴者の食卓の再校ゲラを終わらせる。

2015年6月24日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第10回と「一私小説書きの日乗」のゲラに手を入れる。
『痴者の食卓』の再校ゲラは宅配便で返送する。
「右足に、またぞろ軽ろき痛風の兆しがあらわれたので、本日より、しばらくビールをプリン体ゼロの発泡酒に切り替える」と述べている。

2015年6月25日
痛風の痛みをハッキリ感じる。ロキソニンを服む。
やむなく外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
腹案のある短篇の下書きを試みるも、まるで進まず。

2015年6月26日
痛風の痛みで何度も目覚める。6時間おきに「尿酸を抑える薬」とロキソニンを頼りにする。今回はアキレス腱のところに痛みが出ている。
終日在室。
古い邦画のDVDを眺めて過ごす。

2015年6月27日
痛風の痛みが酷い。室内を歩くときも、絶えず右足首を庇った格好になるため、後架(こうか ※便所)にてうっかり腰を捻ってしまう。ぎっくり腰が悪化する。
腰にフェイタスを貼って横臥する。
腰痛と痛風のため、夜に入っていた予定は取りやめ。
「どうもここ数年、自分は六月になると体がおかしくなる」と述べている。
「このデンでゆけば、来年の六月には心臓でも止まってしまうのではなかろうか」と述べている。
近々対談予定のあるかたのご著を読んで過ごす。
「座っているぶんには痛みの出ないのが、何んとも不可思議」と述べている。

2015年6月28日
尿瓶代わりにしている2リットルペットボトルの中身を後架に捨てる。
痛み止めを飲んだり湿布を貼り替えたりする。
「煙草も飲み物も充分に買い置きのあるのが、せめてもの救い。まさに、備えあれば憂いなしと云うやつだ。/ひたすらの読書で無聊を紛らす」と述べている。

2015年6月29日
藤澤淸造月命日。
痛風はすこし軽快。ぎっくり腰は変わらず。湿布を張り替える。
一日寝床で読書する。
「不思議と性慾もなし。かれこれひと月半以上、買淫せず。食慾もさして湧かず。ただ外を散歩したい」と述べている。

2015年6月30日
右足の痛風は8割方おさまる。腰の痛みも半分ちかく軽減する。どうにか歩けるようになる。
サウナ。
帰室。
短篇の下書き。ノート2頁。
「どこかに持ち込んでみるつもりだったが、このまま今ダラダラと書き続けてみても仕損じるだけであろう。再び棚上げして、後日改めて取りかかった方が正解に違いない」と述べている。

2015年7月

2015年7月1日
痛風再発。左足小指の付け根とその裏に痛み。患部を保冷剤と医療用テープで処置して冷やす。痛みどんどん増してゆく。
終日在室。終日読書。

2015年7月2日
左足小指の痛風がひどい。
終日読書。

2015年7月3日
痛風まだひどいまま。
やむなく外出。
帰室。
腰の張りをおぼえたので湿布を貼る。

2015年7月4日
痛風、腰の張りともに軽快にむかう。
鶯谷「信濃路」で、玉袋筋太郎と一献。
二軒目にて『小説現代』の柴崎氏と『新潮』の田畑氏に緊急招集をかける。
三件目は新宿三丁目の寿司屋。

2015年7月5日
痛風、だいぶ治まる。
朝日書林の荒川氏からの電話で、「本日開札の、明治古典会七夕古書大入札会に出品されていた藤澤淸造自筆書簡は、無事に入札したとの知らせ」と述べている。五枚のキチガイ札を投じていた。「下札五十五万の落札値」と述べている。
「淸造の手紙が出品されたのは、二〇〇一年の大市以来、実に十四年ぶり。その折の、中河与一宛のやや長文のものも、無論自分が落札している。
サウナ。買淫。
帰室。
淸造の随筆をあれこれ復読する。

2015年7月6日
西新宿で江上剛と対談する。『en-taxi』Vol.45 Summer 2015 のもの。
対談終了後、江上剛は次の仕事に向かったが、田中陽子編集長と速記担当のフリーライター橋本倫史青年と新宿2丁目のへぎ蕎麦の店で一杯飲む。

2015年7月7日
サウナ。
帰室。
ビッグコミックスペリールコミックス最新刊への帯文を送る。「高額謝礼に目がくらんだかたち」と述べている。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。「東京者がたり」単行本化と11月号からの新連載エッセイ(「誰もいない文学館」)について相談する。※実際には2015年12月号から連載開始した。文壇よもやま話のエンタメ篇。

2015年7月8日
サウナ。
雑用片し。
四谷三丁目で、今期の異動に伴う引き継ぎの会をおこなう。田中光子氏、森氏、豊田氏。さらに「出版業界において飛びっきりのエキセントリックな服装で知られた、あの清水氏(略)」と述べている。
『文學界』担当の豊田氏は『週刊文春』に戻ることになった。後任が清水(陽介)氏。
豊田氏は「芝公園六角堂跡」と「無銭横町」の原稿、さらに随筆1本を担当した。「しみじみと感謝の念を覚える」と述べている。森氏は『別冊文藝春秋』の編輯長に栄転する。

2015年7月9日
サウナ。
予定の立て直し。
「東京者がたり」最終回を書く。

2015年7月10日
池袋の喫茶店で、あさって出演する生放送の報道番組の打ち合わせ。
新潮社の外で煙草を吸っていたら『新潮』の田畑氏と遭遇する。ふたりで本館に向かう。二階の大会議室の入口に芥川賞の合同事前取材会場との大きな貼り紙を見つける。
出版部の桜井氏が付き添い、トーハン『出版ニュース』の著者インタビュー。単行本『痴者の食卓』について。
鶯谷「信濃路」で田畑氏と飲む。文壇よもやま話。※またしても『新潮』矢野編輯長の悪口大会を長文で述べている。
「最後には自分はオムライスと味噌汁、田畑氏はメンチカツカレーと味噌汁を取りて、各々末期の胃潰瘍患者のような勢いでかき込む」と述べている。

2015年7月11日
サウナ。
「呑まず眠らずで横溝正史の『悪霊島』を読み通し、夜を明かす」と述べている。※明朝に生放送のテレビ出演があるため。賢太によく見られる習慣のひとつ。

2015年7月12日
午前6時20分に室を出て、フジテレビ本社で生放送の報道番組「新報道二〇〇一」2015年7月12日放送に出演。メインゲストの石原慎太郎に久しぶりに会う。「何度も述べていることだが、自分は現存の小説家では、唯一石原氏を敬している。/これまでに色紙への揮毫を所望したのも、氏と稲垣潤一のお二方のみである」と述べている。
控え室における石原慎太郎の様子に感激する。
ハイヤーで大塚駅前の吉野家で外食。
都電で帰室。
新潮社から誕生日祝いとして宝酒造「純」25度がワンケース届く。角川書店は昨年は送ってくれたが今年は届かず。「五流の書き手には、随分と冷たいものだ」と述べている。
「一私小説書きの日乗」の整理。
6畳間の書庫の片付け。

2015年7月13日
午後三時半に水道工事業者が来て浴室を修繕してもらう。
サウナ。大相撲を眺める。
帰室。
『野性時代』2015年9月号に掲載する随筆「乱歩寸感」3枚を書く。

2015年7月14日
サウナ。
帰室。
倉田啓明の短篇を5篇復読する。

2015年7月15日
寝汗が酷い。
角川書店から届いていた、2015年11月刊行の角川文庫『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。
「自分の編で三年前に刊行予定のものだったが、この度、ようやく再スタートを切る運びとなった。尤もこれは深い仔細あっての中断ではなく、すべては自分の怠惰の故の棚上げである」と述べている。
校訂に時間がかかりそうと目算を立てる。提出期日までにゆとりあり。

2015年7月16日
サウナ。大相撲テレビ観戦。
帰室。
単行本『痴者の食卓』の献呈リストを改訂する。
雑用片し。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の下書き。ノート4頁。

2015年7月17日
外出。
帰室。
『田中英光傑作選』のゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の下書き。ノート3頁。

2015年7月18日
「朝方のカレーが祟ったか、えらく胸ヤケがする。ガスター10を服む」と述べている。※前日の晩酌に「手製のカレーライス」を一皿半食べている。
「19歳のときから丸十年かけて蒐集した英光資料」について述べている。某文学館(山梨県立文学館)に一括で✕百万円にて売りこかしてしまった等。
「この文庫の収録作は、その初出誌をポツポツ書い直しているうち、いつかまた原物で揃っているのが強みである。またそのうち一作は、英光による自筆の原稿でも入手している」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の下書き。
「但、書くことは書くが、今月は、はなから『すばる』誌に渡すつもりはない。同誌の清田編輯長に、些か含むところがある」と述べている。

2015年7月19日
一昨日にキノブックスから届いてた、新刊『本なんて! 作家と本をめぐる52話』(随筆「韓国みやげ」収録)を開く。初出は『新潮』2012年2月号。そのあと、文藝家協会編『ベスト・エッセイ 2013』(光村図書出版)、単行本『随筆集 一私小説書きの独語』(KADOKAWA)にも再録された。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の清書。
外食。
「室に戻ったのち」とあるが、(帰宅、帰室の記述なし)。
『週刊文春』2015年7月30日のコメントを書く。又吉直樹「火花」が芥川賞受賞したことに対するもの。「多分、書面の方がギャラが多額になる気がしたので、後者を選んだもの」と述べている。きっかり200字。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の下書き。ノート5頁。
藤澤清造の晩年の随筆をあれこれ復読する。

2015年7月20日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の下書きを仕上げるが、「今月は『すばる』誌には送稿せず。/残りの清書も後日改めて行なうことにし、ひとまず下書きノートを机の抽斗(ひきだし)にしまいこむ」と述べている。※2015年7月18日を参照

2015年7月21日
「本日よりシャワーを水にする」と述べている。
たまっていた手紙の返信書き。
鶯谷「信濃路」で、『野性時代』誌の山田編輯長と出版部の"キモちゃん"ことキモ貝(似田貝)氏との打ち合わせ。文壇よもやま話。
※『新潮』の矢野編輯長の悪口を述べている。矢野編輯長と山田氏とのエピソードあり。
※〆は、賢太はラーメン、山田編輯長は冷やし中華、似田貝氏は<朝の飯田橋駅の、公衆便所の便器飛び散りカレー>の豚カツ入り。
帰室。

2015年7月22日
サウナ。
痛風の薬を貰うために病院へゆく。
(帰宅、帰室の記述なし)
11月に刊行の『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。本文の校訂作業。「慎重にならざるを得ぬ為、遅々として進まぬ。が、楽しい作業」と述べている。

2015年7月23日
葛西善蔵の祥月命日。
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。30頁。

2015年7月24日
サウナ。
帰室。
資料整理の雑用片し。
21時より、新潮社の大会議室で『週刊現代』の著者インタビュー。新刊の単行本『痴者の食卓』に関してのもの。1時間ほど。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏にゆく。文壇よもやま話。矢来町限定篇。
※賢太はオムライスと味噌汁、田畑氏はいわゆる<朝の飯田橋駅の、公衆便所の便器飛び散りカレー>と味噌汁で〆る。
帰室。

2015年7月25日
きのう新潮社で貰ってきた、新刊『痴者の食卓』の見本10冊を開く。38冊目となる単著。

2015年7月26日
雑用片し(資料の整理と切り抜き)。
買い出しのため外出。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。

2015年7月27日
サウナ。
買淫のため外出。
帰室。
再入浴。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。

2015年7月28日
雑用片し(資料の切り抜き)。
食事のため外出。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。

2015年7月29日
藤澤淸造月命日。
花屋で購めた仏花を室内墓地に手向く。
サウナ。
帰室。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。
新宿で、玉袋筋太郎と東京者対談。「『小説現代』の拙文、「東京者がたり」連載終了記念として、同誌次号用の企画」と述べている。「飲み雑談の態となる」と述べている。
終了後、『小説現代』の柴崎氏と3人で飲み直す。
※その途中で「富士そば」にて、玉袋筋太郎が一般人に絡んでいく。賢太も便乗して悪ノリに加わる。そのあと一般人2人と玉袋とで写真撮影をおこなう。撮影者は柴崎氏。"一寸した「小僧の神様」ごっこだ"と述べている。
異動した「風花」で、島田雅彦と『文學界』の武藤編輯長が何やら密談していた。さらに程なくして、『文學界』の「内面は硬骨、見た目はシスターボーイの清水氏が現れる」と述べている。清水氏も飲みに加わる。
新宿三丁目の寿司屋に行くが店じまいだったので、手近の居酒屋に流れる。

2015年7月30日
サウナ。
帰室。
昨夜、柴崎氏から手渡された、10月刊行の単行本『東京者がたり』の校閲を通していない仮ゲラをはぐる。「これも種々手を入れたいところが多し」と述べている。
鶯谷「信濃路」にて、「先々月より感情的に含むところがあった、『すばる』誌の清田編輯長との手打ち式。/こちらも非礼の段を詫び、「蠕動~」の連載再開を約す」と述べている。
2015年7月31日
サウナ。
外食。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。「相不変スピードは上がらぬが、一生これをやっていたい幸福な時間」と述べている。

2015年8月

2015年8月1日
雑用片し。
買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。

2015年8月2日
「午後一時半に起床するも、そのままズルズル夕方まで、寝室にて過ごす」と述べている。
外食。
「帰室後、リビングと寝室のエアコンのフィルター、パネルを外し、浴室でもって水洗い。汗だくになる」と述べている。
横溝正史の「人形佐七」物を三篇復読。「佐七物の復読は、もしかすると二十年ぶりぐらいのことかもしれない」と述べている。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。「離魂」の校訂。大好きな作、と述べている。

2015年8月3日
池袋の喫茶店で、再来週に収録のあるBS11番組の打ち合わせ。
帰室。
「吉田類の酒場放浪記」を眺める。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。「生命の果実」に取り掛かる。「師、太宰治への思いを描いた、この哀切きわまりない短篇に関しては、自分は生原稿を所蔵している。自筆本での校訂であれば、怖いものなしである」と述べている。

2015年8月4日
「生命の果実」校訂の続き。
新潮社の会議室で、『月刊 宝島』2015年10月号No.761 休刊号のインタビュー(「芥川賞は僕の人生をこう変えた」)。芥川賞小特集。
鶴巻町の「砂場」で、『新潮』の田畑氏と飲み食い。
帰室。
三時間眠る。
「生命の果実」校訂の続き。

2015年8月5日
買淫のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラ。最後の一篇である「風はいつも吹いている」約120枚に取り掛かる。

2015年8月6日
「夜、小学館の新書の編輯者から、何やら非常識な内容の、携帯のショートメール」が届いた。返信するが回答なし。※その後、賢太の自宅に直接やってきて郵便受けに名刺を残していった。何かの解説文の依頼だった模様。
「風はいつも吹いている」のゲラ。

2015年8月7日
サウナ。
「風はいつも吹いている」の校訂(ゲラ)。

2015年8月8日
小学館から、帯文を書いた『響~小説家になる方法~』第2巻が届く。
「風はいつも吹いている」の校訂。『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の全校訂が終了する。残りは再校と解説書き。

2015年8月9日
KADOKAWA宛に宅配便にて『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』のゲラを返送する。
買淫のため外出。
帰室。
田中英光『雲白く草青し」を原本(昭18 桜井書店)で復読する。
晩酌時に、『すばる』清田編輯長からもらった缶詰のオイルサーディンと珍しい牡蠣の缶詰をあける。

2015年8月10日
終日無為。
古い邦画のDVDを眺める。
酒盗の壜詰セットが届く。

2015年8月11日
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
『野性時代』2015年9月号が届く。随筆「乱歩寸感」を寄稿した江戸川乱歩特集号。
※巻末の次号予告に自分の短篇が組み入れられたのをみて、ネタ繰りをはじめる。

2015年8月12日
サウナ。
回転寿司で11皿と22貫、あさり汁。
(帰宅、帰室の記述なし)
室内の片付け。

2015年8月13日
外食のため外出。
帰室。
うたた寝。書き作業する気起こらず。

2015年8月14日
サウナ。
回転寿司で10皿20貫、アラ汁。
「帰室後、藤澤淸造資料の整理(淸造の名が出ている新聞、雑誌記事類の切り抜きと分類)。ここ四、五年分のは現物で収集するだけしておき、未だ片付かず」と述べている。

2015年8月15日
日中無為。
夜にすこし散歩する。
帰室。
淸造資料の整理。

2015年8月16日
「一私小説書きの日乗」の整理。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の清書。

2015年8月17日
外出。「夜、魚屋でアジのお造りを購める」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の聖書。20枚目まで。

2015年8月18日
サウナ。
帰室。
今週末に収録があるテレビ番組のアンケートを書く。
届いていた『週刊現代』2015年8月29日号今週号を開く。単行本『痴者の食卓』インタビュー掲載号。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の清書の残りを仕上げる。

2015年8月19日
外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
トーハンの『新刊ニュース』2015年9月号を開く。単行本『痴者の食卓』インタビュー所載。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の全体の手直し。
『野性時代』2015年10月号用短篇の下書きをしようとするが気乗りせず。

2015年8月20日
仕方なく外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」の整理。『野性時代』編輯部にファクシミリで送稿。

2015年8月21日
渋谷で、BS11の宮崎美子MCによる本に関する番組「宮崎美子のすずらん本屋堂」2015円8月28日放送分の収録。単行本『痴者の食卓』に関しての20分間インタビューと他のコーナーに出演。「編集なしの完パケものなので、殆ど生放送みたいな感じ」と述べている。
帰室。
二時間程うたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回の訂正作業を仕上げる。

2015年8月22日
サウナ。
帰室。
届いていた『小説現代』2015年9月号を開く。玉袋筋太郎対談(ショートバージョン)掲載号。完全版は単行本『東京者がたり』に収録される。
ついでに同号掲載の真梨幸子の連載小説、高田文夫・坪内祐三・小島慶子の連載を順々に読む。
『野性時代』2015年10月号用短篇の下書きは「はかがゆかず」と述べている。
「汚れた英雄」のDVDを観返す。

2015年8月23日
文藝春秋より届いた『「文藝春秋」で読む戦後70年』第4巻を開く。田中慎弥との対談(初出:『文藝春秋』2012年4月号、単行本『薄明鬼語』所収)が再録されている。他の再録記事も拾い読む。
外食のため外出。
帰室。
各部屋の片付け。
「深更、万年床でノートを拡げるも、今日もどうにも気分が乗らぬ」と述べている。
角川文庫版の大藪春彦『復讐の掟』を復読する。

2015年8月24日
サウナ。
かに道楽新宿本店で、新潮社おごりで食事。単行本、文庫、『小説新潮』、『新潮』の窓口役4名が同席。文壇よもやま話・矢来町限定編。※矢野編輯長の悪口を述べている。
「風花」に流れる。
帰室。

2015年8月25日
サウナ。
帰室。
町田康の最新エッセイ集『常識の路上』(幻戯書房)を読む。
手紙の返信を1本書く。投函。
(帰宅、帰室の記述なし)
2時間うたた寝。
ノートを拡げるも気乗りせず。「何か、自らあえて時間切れの状況を待ち望んでいる感じ」と述べている。

2015年8月26日
池袋のブックカフェで、BS朝日のドキュメント番組「ザ・ドキュメンタリー」2015年9月10日放送分の収録。インタビュー形式のもの。1時間半ほど。
タクシーチケットをもらって帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第11回のゲラ。
買淫のため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
ノートを拡げるが「一敗地にまみれる」と述べている。

2015年8月27日
『野性時代』の山田編輯長に、「今回提出の短篇について白旗を掲げる(あまりに気まずいので、携帯メールにて掲げる)。/しみじみ自己嫌悪に駆られ、とりあえずサウナへ。/何やら、遠くへ行きたし」と述べている。

2015年8月28日
赤坂で、TBSラジオ「たまむすび」のスペシャルウィーク企画に曜日別応援大使として生出演。金曜パーソナリティーの小林悠アナウンサーと玉袋筋太郎と共演。1時間程度。
帰室。
「一私小説書きの日乗」のゲラ訂正。

2015年8月29日
藤澤淸造月命日。「室内墓地に、新しき香華を手向く」と述べている。
単行本『東京者がたりの校閲済みのゲラ訂正。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。

2015年8月30日
単行本『東京者がたりの校閲済みのゲラ訂正。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。
「胃の痛みも軽減している」と述べている。

2015年8月31日
トーハン『新刊ニュース』2015年11月号用の"お薦め本"アンケートを書く。
単行本『東京者がたり』のゲラ。
新宿のロフトプラスワンで、玉袋筋太郎トークライブ<新宿秘宝館>を、屋根裏部屋的出演者控え室モニターにて観覧。終演後の打ち上げにも参加。ゲストで来ていた高田文夫にも会う。
「笑っているうちに、胃痛はすっかり雲散のかたちとなる」と述べている。

2015年9月

2015年9月1日
単行本『東京者がたり』のげら。
湯島で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ飲み。清田編輯長、疲労している様子。「滅多に他人に気を遣うことのない自分が、何やらちと心配になった程に体調が悪そう。なので早めに切り上げて、一軒のみで解散す」と述べている。
帰室。
2時間うたた寝
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。

2015年9月2日
サウナ。
文藝春秋で、壇蜜と対談。WEB雑誌『別冊文藝春秋』2015年11月号の企画。対談前に『週刊文春』(?)グラビアベージ用のツーショット写真の撮影。
文春サロンのバーで宣伝用動画の撮影(YouTubeで閲覧可)。
『別冊文藝春秋』の森編輯長、角田氏、出版局の田中光子氏と四谷三丁目で食事。

2015年9月3日
サウナ。
帰室。
『東京者がたり』のゲラ。「訂正は多くなる一方」と述べている。
外食のため外出。
帰室。
1時間うたた寝。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。
晩酌時に、壇蜜からもらったブリ大根の"缶詰め"を食べる。

2015年9月4日
雑用片し。
池袋の喫茶店で、『週間SPA!』 2015年9月22・29日合併号のインタビュー。"下流中年の孤独と向かう術"的な内容。
帰室。
鶯谷「信濃路」で、『en-taxi』の田中陽子編輯長と打ち合わせ。次の対談や『風来鬼語』について。

2015年9月5日
サウナ。
帰室。
「何やら右くるぶしの辺に、ジワジワと違和感が募る。/紛れもなく、痛風の前兆」と述べている。ロキソニンを服む。備えとしての食糧・煙草・日用品の買い出しをおこなう。
単行本『東京者がたり』のゲラ。
右足の痛みが強くなる。

2015年9月6日
痛風おとろえず。「いつもの痛風と違って、此度のは横臥していてもズキズキ痛む」と述べている。
単行本『東京者がたり』中の一篇のゲラ。
古い邦画DVDをあれこれ眺める。
終日無為。

2015年9月7日
痛風は痛むが歩行はできる。痛み止めを5時間ごとに服む。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の「内面の硬骨を奇抜なファッションでくるんだ」清水氏との打ち合わせ。清水氏にとっては初めての「信濃路」。清水氏は小食酒豪。
二軒目は「風花」に流れる。
※賢太はその後、池袋の「富士そば」で紅生姜の天ぷら入りのお蕎麦とカレーライスを食べる。

2015年9月8日
どしゃ降りの雨。
『野性時代』の山田編輯長から、本日の神宮球場野球観戦中止の連絡あり。
湯島で、山田編輯長と角川書店出版部のキモ氏(似田貝氏)との打ち合わせ。『野性時代』2015年10月号の短篇を落としたことを詫びる。「両氏、終始妙な表情をしている」と述べている。
「そして帰り際に、ケチなKADOKAWAが珍しくタクシーチケットをくれた」と述べている。※これらの一連のケチ記述については、没後に編輯者自身から異論が発せられている。賢太による脚色が疑われる箇所。

2015年9月9日
サウナ。
帰室。
単行本『東京者がたり』のゲラ。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。「幸福な時間」と述べている。

2015年9月10日
サウナ。
足(痛風)の具合、8割方快復する。
帰室。
単行本『東京者がたり』のゲラ。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校。

2015年9月11日
雑用片し。
買淫のため外出。
帰室。
単行本『東京者がたり』のゲラ。

2015年9月12日
真梨幸子の最新刊『アルテーミスの采配』(幻冬舎)を開く。すこし読む。
単行本『東京者がたり』のゲラの追い込み作業。
『アルテーミスの采配』をすこし読む。
単行本『東京者がたり』のゲラの仕上げ。

2015年9月13日
単行本『東京者がたり』のゲラを宅配便で講談社へ戻す。
『アルテーミスの采配』を読了。「ひたすらに面白い」と述べている。
雑用片し。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校の追い込み作業。

2015年9月14日
最終通告が来ていた水道料金を十条の営業所で支払う。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の再校を終える。残りは「解説」のみ。
湯島で、『別冊文藝春秋』の森編輯長と打ち合わせ。

2015年9月15日
壇蜜との対談ゲラに手を入れる。
半日を費やして雑用一束を片す。「俄かに小説を書きたい意慾が蘇える」と述べている。

2015年9月16日
サウナ。
「サウナを出た足で、そのまま用足しの途に就く」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
「一私小説書きの日乗」の整理。

※半同棲先に滞在している可能性あり?

2015年9月17日
食糧の買い出しのためにスーパーへゆく。
回転寿司で12皿24貫と揚げたて天ぷらと土瓶蒸しを食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
『文學界』2015年11月号用の随筆(「"田中英光"がいた時間」)を冒頭2枚のみ書く。「常ならば六、七枚の随筆は、下書きなしのぶっつけで原稿用紙に書き、数時間で仕上げるところだが、これは内容が田中英光に関してのことなので、いつになく慎重にならざるを得ぬ。」と述べている。

2015年9月18日
サウナ。
回転寿司で12皿24貫と土瓶蒸し。
帰室。
1時間うたた寝。
随筆「"田中英光"がいた時間」を仕上げる。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年9月19日
魚屋でカワハギの肝付きお造りを購める。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の下書き。「何やら作中の"貫多"に会うのが、久しぶりの感じ」と述べている。

2015年9月20日
日中、ほぼ無為。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の下書き。ノートに3頁強。

2015年9月21日
サウナ。
スーパーで食糧の買い出し
回転寿司で13皿26貫と魚のアラ汁。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の下書き。ノート5頁。

2015年9月22日
日中、ほぼ無為。
回転寿司で15皿30貫と土瓶蒸し。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の下書き。ノート7頁弱。下書きを終える。

2015年9月23日
病院に薬をもらいにゆく。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の清書。

2015年9月24日
サウナ。
「珍しく、ライスバーガーなぞを購めて食べてみる。美味」と述べている。※モスバーガー?
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回の清書の手直し。「やはり、ウンザリする程訂正箇所が多くなり、いつものことながら、また改めて自分の文才のなさを思い知る」「で、どうにかよどみなく読めるだけのところに整えて(略)」と述べている。

2015年9月25日
「午後一番で、やむなく外出。雨で二十五日の金曜だけあって、道路の渋滞甚し」と述べている。※タクシーを使って赴いている。牛込柳町の物置部屋に荷物が届いた知らせがあったとか? 古書・支払い・税金関係だろうか? たびたび当該記述が発生している。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回を『すばる』編輯部にファクシミリにて送稿。
「"田中英光"がいた時間」のゲラ。
単行本『東京者がたり』の再校の確認。

2015年9月26日
サウナ。
終日、単行本『東京者がたり』の再校とそれ関連の確認。
「夜半、後架に行こうと立ち上がった際に、少しく腰を痛める。情けなし」と述べている。※腰痛防止のために散歩を習慣化する必要がある、と述べている。

2015年9月27日
腰に湿布2枚を貼る。
単行本『東京者がたり』再校の最終確認。宅配便にて講談社に返送する。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第12回のゲラを仕上げる。
「一私小説書きの日乗」のゲラを仕上げる。
雑用一束。

2015年9月28日
サウナ。
帰室。
返信を要する手紙書き。
鶯谷「信濃路」で、『小説現代』の柴崎氏と打ち合わせ。単行本『東京者がたり』の最終デザインを見せてもらう。「昭和五十四年の後楽園球場の外観写真。壱岐坂(いきざか:原文ルビなし)の下の辺から撮したものか」と述べている。
※日本ハムファイターズのファンクラブに入りフリーパスで通っていた思い出を述べている。

2015年9月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に新しき香華を手向ける。
サウナ。
帰室。
古雑誌の整理。「自分の載っている箇所の記事を切り抜き、取り敢えず専用の段ボール箱に放り込んでゆく」と述べている。
田中英光の朝鮮赴任時代の短篇を6篇復読する。

2015年9月30日
腰の痛みは、ほぼ霧散。
雑誌整理の続き。
買淫のため外出。
帰室。
雑誌整理の続きと、古書初版本のパラフィンがけ。「久方ぶりのその作業に、没頭するかたちとなる」と述べている。

2015年10月

2015年10月1日
神保町さくら通りの「げんぱち」で、坪内祐三と対談(『本の雑誌』2015年12月号)。「『本の雑誌』の杉江氏と、約四年ぶりの対面。/一寸した行き違いで、久しく疎遠となっていたが、坪内氏のおかげで不和氷解となる。目出度し」と述べている。※杉江由次氏のこと。不和については、本の雑誌のメルマガ 第12号 | 本の雑誌社 西村賢太『誰もいない文学館』制作秘話 https://honnozasshi.stores.jp/emails/62a855bc9a706209cd9e7a07 にて語られている。
浜本編輯長も加わって「燭台」という店に初めてゆく。ママは、WEB文芸誌『マトグロッソ』の元編輯者。「一私小説書きの日乗」の担当だった。「しかし狷介な自分は、その山口氏に暴言を吐いたり泣かしたり、はては連載終了後の単行本化を、強引に他社に引き取ってもらったりしてすっかり怒らせてしまい、以降、疎遠となっていた」と述べている。
『小説現代』の柴崎氏も登場。「人は人によって生かされている、なぞ云う陳腐なことを、しかしチラと省みることのできた、有難き一夜となった。

2015年10月2日
サウナ。
帰室。
ひたすら読書。

2015年10月3日
サウナ。
室内の不要なものを売却する。「幾ばくかの金子(きんす)を得る」と述べている。
帰室。
木内昇の文庫最新刊『ある男』(朝日文庫)を拾い読みする。親本は既読。
田中英光の短篇歴史小説4篇(「桑名古庵」「桜田門外」「桜田の雪」「ぶらり火」を復読。

2015年10月4日
終日無為。
本を読む。

2015年10月5日
サウナ。
帰室。
「昨夜読みかけでやめていた、宮澤賢治の評伝の続き」と述べている。

2015年10月6日
神楽坂で、能町みね子と対談(『en-taxi』 Vol.46 Winter 2016 終刊号)。※「一私小説書きの日乗」にイラストを提供してもらっているが、本日が初対面。
終了後、能町みね子、ライターの橋本(倫史)青年、田中陽子編輯長と「風花」に流れる。

2015年10月7日
サウナ。
2015年12月刊行の対談集『風来鬼語』のゲラ。
湯島で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。「種々予定を変更して頂く」と述べている。※清水氏はフグの唐揚げをかじったせいで歯が欠ける。
※西片町までタクシーでゆき塩ラーメンを食している。
帰室。

2015年10月8日
掃除。
「一私小説書きの日乗」の整理。
サウナ。
帰室。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題の下書き。※随筆とは異なり、一度ノートに下書きをして書いている。新潮文庫の藤澤淸造文献のそれも同様。

2015年10月9日
サウナ。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題のつづきを書く。

2015年10月10日
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題のつづきを書く。
「十九歳から二十九歳までの丸十年を、寝ても英光、覚めても英光の時を経てていた自分には、何んともうれしく、そして泣きたい程に懐かしい作業。やはり田中英光の私小説はいい」と述べている。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題の清書作業。

2015年10月11日
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題の清書。22枚になる。KADOKAWA出版部の似田貝氏に送稿する。
小一時間の散歩。
(帰宅、帰室の記述なし)

2015年10月12日
雑用一束。
坪内祐三の最新刊『人生天語2 オンリー・イエスタデイ 2009ー2015』(文春新書)を読む。
雑用を片付ける。

2015年10月13日
やむなく外出。
帰室。
「一私小説書きの日乗』の整理。
連載小説(「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の次回分のネタ繰り。

2015年10月14日
スーパーに食糧の買い出しのため外出。
回転寿司で13皿26貫と土瓶蒸しを食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の下書き。ノート5頁。

2015年10月15日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
3時間寝る。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の下書き。ノート5頁。

2015年10月16日
食糧の買い出しのため外出。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の下書き。ノート10頁。ひとまず終了。

2015年10月17日
サウナ。
帰室。
DVDを眺める。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の下書きのやり直し。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年10月18日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の清書。
「夜、久方ぶりに散髪。スッキリしたが、髪を切ったら二箇月前に染めた白髪がやけに目立つ」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の清書。

※20日に「帰宅」の記述あり。半同棲先に滞在している可能性ありだが、よくわからない。

2015年10月19日
「夕方、魚屋に行って皮ハギのお造りを肝付きで三人前購める」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
BSで「吉田類の酒場放浪記」を眺める。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の清書。合計きっかり三十枚。

2015年10月20日
サウナ。
回転寿司で13皿26貫と土瓶蒸しを食べる。
帰宅。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の清書。全体的な手直しを施して完成。

2015年10月21日
「日中、しょうことなしに外出」と述べている。
帰室。
湯島で、『すばる』の清田編輯長と打ち合わせ。「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回の原稿を手渡し。今回の提出期日26日より早かった。初めて。「自分も、やればできるものだ」と述べている。

2015年10月22日
サウナ。
講談社より届いていた新刊『東京者がたり』の見本を開く。39冊目となる単著。第6エッセイ集。講談社からの刊行は単行本『一私小説書きの日乗』以来の6年ぶり。
「例の文芸第一と云う部署は馬鹿の粒揃いで相手にする気も起こらぬが、優秀な文芸第二の部署には頭が上がらぬ。本当にありがたいことである」「カバーに使用させて頂いた、深澤隆氏撮影による、一九七九年の後楽園球場の写真も素晴らしい」と述べている。
来年1月の新刊である新潮文庫『形影相弔・歪んだ忌日』の初校ゲラ。

2015年10月23日
届いていた『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の三校目。
十条で外食。
帰室。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の三校つづき。
新潮文庫『形影相弔・歪んだ忌日』の初校つづき。
能町みね子からもらったお土産「いちご煮の缶詰」を温めて食べる。

2015年10月24日
サウナ。
届いていた『別冊文藝春秋』2015年11月号を開く。壇蜜対談の掲載号で電子書籍専売だが、少部数だけ刷った紙本(非売品)。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の三校つづき。
新潮文庫『形影相弔・歪んだ忌日』の初校つづき。

2015年10月25日
新潮文庫『形影相弔・歪んだ忌日』の初校ゲラを終える。宅配便で新潮社文庫出版部に戻す。
コンビニで『週刊文春』週刊文春2015年10月29日号を購める。壇蜜とのツーショットモノクログラビア所載号。
帰室。
一時間強うたた寝。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の三校つづき。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年10月26日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第13回のゲラ。
「一私小説書きの日乗」を『野性時代』編輯部にファクシミリで戻す(ゲラ?)。
買淫のため外出。
帰室。
一時間うたた寝。
「新幹線大爆破」と「君よ憤怒の河を渉れ」のDVDを観返す。

2015年10月27日
サウナ。
八重洲ブックセンターで、『東京者がたり』出版記念の玉袋筋太郎とのトークショー&サイン会。「まずは百名の定員数が埋まってくれて、一安心」と述べているが、公式ホームページの告知では「定員80名」になっている。控え室で高田文夫と顔合わせ。その後の打ち上げの席で、『東京者がたり』の装幀を手がけた浅妻健司氏とも初顔合わせ。「お礼を述べさして頂く」と述べている。

2015年10月28日
サウナ。
テレビ朝日本社で、クイズ番組「Qさま!! 3時間SP」2015年11月23日放送分の収録。タクシーチケットをもらう。
帰室。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
『小説新潮』2015年1月号用の短篇のネタ繰り(※この短篇は別誌に掲載)

2015年10月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に新らしき香華を手向く。
サウナ。
帰室。
雑用一束。
テレビで日本シリーズを眺める。
鶯谷「信濃路」で、『本の雑誌』の杉江氏と打ち合わせ。「捨てる神あれば拾う神あり」と述べている。

2015年10月30日
届いていた『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の解題の三校に手を入れて返送。作業終了。
帰室。
旺文社文庫の小山清『落穂拾い・雪の宿』を復読。

2015年10月31日
サウナ。
帰室。
来週出演のラジオ番組用の事前アンケートを書く。
藤澤淸造資料の整理。「楽しき時間」と述べている。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
武田武彦のミステリ短篇(架蔵している旧『宝石』誌)を読み返す。

2015年11月

2015年11月1日
町田康の最新エッセイ集『スピンクの壺』(講談社)を読む。
赤羽辺りを2時間ほど散歩する。
(帰宅、帰室の記述なし)
短篇のシノプシスを作る。「が、これを書くのは、締切の早い純文学誌の方の、共に一月号用の『文學界』の短篇と、『すばる』の「蠕動~」第十四回の方をものした後になろう」と述べている。

2015年11月2日
サウナ。
浜松町の文化放送で、昼の帯番組「大竹まこと ゴールデンラジオ」14時20分からのコーナーに生出演。約20分間。
2年ぶり(稲垣潤一とのFRIDAY対談)となる講談社の26階のパノラマ会議室で、『日刊ゲンダイ』のインタビュー。単行本『東京者がたり』の著者インタビュー。芸能面に4日間にわたって掲載するもの。
帰室。
『en-taxi』 Vol.46 Winter 2016掲載の能町みね子対談のゲラ。
『風来鬼語』のゲラ。それぞれの章に付す<後記>を書く。

2015年11月3日
田中英光祥月命日。「この日に欠かさず墓参(青山立山墓地と、それに三鷹の禅林寺へも)していたのは、今は遠い昔のこととなった」と述べている。
『風来鬼語』のゲラ。
四谷三丁目で、KADOKAWAの山田氏と似田貝氏と打ち合わせ。『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の見本時期について。

2015年11月4日
携帯電話の着信で叩き起こされる。『週刊ポスト』から「ブスのハロウィン仮装について」の取材電話(『週刊ポスト』2015年11月20日号 西村賢太「ブスはコスプレするな」)。10分ほど。
『風来鬼語』のゲラ。<あとがき>を書く。扶桑社の田中陽子氏に連絡してバイク便の手配をしてもらう。
テレビ埼玉の「太陽にほえろ!」の再放送を眺める。
新宿の居酒屋で、玉袋筋太郎と対談。『すばる』2016年2月号の企画(「"師匠"を語る」)。

2015年11月5日
サウナ。
帰室。
酒井順子・清水ミチコの共著新刊エッセイ集『「芸」と「能」』(幻冬舎)を読む。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の清水氏と打ち合わせ。「今宵の氏のジャケットは、キラキラのスパンコール付き。奇抜」と述べている。
清水氏は1箇月越しのギックリ腰。
一軒のみにて解散。

2015年11月6日
雑用一束。
外食。
帰室。
二時間ほど眠る。
『小説現代』2015年12月号から開始する「誰もいない文学館」第1回を書き出す。6枚。
「(略)自己との関わりの中での偏愛書録。文豪ばかりが作家ではないことを力説すべく(以下略)」と述べている。1冊目は藤澤淸造『根津権現裏』(大11 日本図書出版)。「向こう三年間の連載予定だが、さてどうなるか」と述べている。

2015年11月7日
サウナ。
帰室。
資料整理。
手紙の返信書き。
「一私小説書きの日乗」の整理。

※半同棲先に移動する瞬間か。BS放送=半同棲先の設備? 「スーパーで食糧の買い出し」もそれっぽい。「再入浴」というのも気になる。睦事のほのめかしのようにも思える。

2015年11月8日
「誰もいない文学館」第1回のゲラ。
やむなく外出。
移動中、「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回のネタ繰り。
「夜十一時に帰宅」と述べている。
「先のネタのシノプシス作り」と述べている。

2015年11月9日
サウナ。
スーパーで食糧の買い出し。
回転寿司で15皿30貫と土瓶蒸しを食べる。
BSで「吉田類の酒場放浪記」を眺める。うたた寝。
再入浴。
『文學界』2016年1月号用短篇のシノプシスを改めて作る。「自作の「芝公園六角堂跡」を、仕方なく読み返しておく」と述べている。

2015年11月10日
古本屋で探しもの。
帰室。
DVD「拝啓天皇陛下様」「家族ゲーム」を30年ぶりに観る。「観終えたあとの感想は、それぞれ当時と大きく異なっていた」と述べている。
『文學界』2016年1月号用短篇(終われなかった夜の彼方で)の下書きノートを拡げる。進まず。

2015年11月11日
外出中に、『週刊ポスト』からふたたび電話インタビューの依頼あり(『週刊ポスト』2015年11月27日・12月4日号 芥川賞作家 西村賢太が再登場「なぜブスにブスといってはいけないのか」)。先週の記事に反響があったため追加取材。20分ほど喋る。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
きょう執筆を見送った短篇(「終われなかった夜の彼方で」)について、「前者のものは「芝公園六角堂跡」の後日譚なので、ゆめゆめ仕損じることはできない」と述べている。

※半同棲先に滞在の可能性。月の半ばが多いように見受けられる。

2015年11月12日
外出。
回転寿司で15皿30貫とアラ汁。
(帰宅、帰室の記述なし)
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。ノート2ページ。しかし冒頭からやり直すことになる。

2015年11月13日
サウナ。
(帰宅、帰室の記述なし)
『文學界』2016年1月号用の短篇について「終われなかった夜の彼方で」とする。下書き。ノート5頁。

2015年11月14日
「終われなかった夜の彼方で」の清書。
「夜、魚屋にゆき、真鯛の頭と皮ハギのお造りを購める」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。ノート6頁。

2015年11月15日
サウナ。
帰室。
「終われなかった夜の彼方で」の清書。
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。ノート3頁。

2015年11月16日
やむなく外出。
帰室。
届いていた岡村靖幸の対談集『岡村靖幸 結婚への道』(マガジンハウス)をはぐる。西村賢太との対談を収録。初出は『GINZA』2014年12月号。
「終われなかった夜の彼方で」の清書。

2015年11月17日
サウナ。
砧のTMCで、TBSのバラエティー番組「プレバト!!」2015年12月10日放送分の収録。
帰室。
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。ノート8頁。
届いていた角川文庫『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の見本を開封するのを我慢する。「これは落ち着いた心境でもって、ゆっくり眺めたい」と述べている。

2015年11月18日
真梨幸子の最新刊文庫『カンタベリー・テイルズ』(講談社物語)の<はしがき>と<あとがき>を読む。単行本『聖地巡礼』を改題したもので既読済み。
「終われなかった夜の彼方で」の清書。
小学館から届いていた『週刊ポスト』2015年11月20日号と『週刊ポスト』2015年11月27日・12月4日号を見る。例のハロウィン記事所載号。
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。

2015年11月19日
サウナ。
「終われなかった夜の彼方で」の清書。
「終われなかった夜の彼方で」の下書き。ノート2頁で終了。
「終われなかった夜の彼方で」の清書。清書を終了。

2015年11月20日
サウナ。
「パン屋でバゲットを購めて」と述べている。
帰室。
「一私小説書きの日乗」の整理。
「集英社の四賞のパーティーに行ってみようかと思ったが、割愛」と述べている。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と一献。「最後に田畑氏のみ、カレーライスを獣のように食す」と述べている。※賢太は日暮里のラーメンやで〆る。
帰室。

2015年11月21日
『日刊ゲンダイ』インタビューの第1回と第2回のゲラ。
赤羽方面を1時間半ほど散歩する。
(帰宅、帰室の記述なし)
「終われなかった夜の彼方で」のゲラ訂正。

2015年11月22日
『日刊ゲンダイ』インタビューの第3回と第4回のゲラ。
「終われなかった夜の彼方で」のゲラ。完成。『文學界』編集部に電話でバイク便の手配を依頼する。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回の下書き。ノート5頁。

2015年11月23日
サウナ。
外食
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」の清書。
スーパーで食糧、コンビニで日用品の買い出し。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回の下書き。ノート6頁。

2015年11月24日
一ツ橋の如水会館で、阿木燿子と対談(『サンデー毎日』2016年1月3日・10日新春合併号)。昭和54年公開の映画「白昼の死角」サウンドトラックのLP盤を持参してジャケットにサインをもらう。主題歌「欲望の街」(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)の作詞は阿木燿子によるもの。「日本映画の主題曲のボーカル入りのものとしては、自分はこれが最も好きだ」と述べている。
神保町の古書展を何店かパトロール。
帰室。
「一私小説書きの日乗」を『野生時代』にファクシミリで送稿する。
『風来鬼語 西村賢太対談集3』の再校ゲラをバイク便で扶桑社に戻す。
「終われなかった夜の彼方で」のゲラが届く。
外食。
コンビニで『日刊ゲンダイ』を購める。インタビュー第1回所収号。
(帰宅、帰室の記述なし)
「終われなかった夜の彼方で」のゲラ訂正。バイク便で戻す。

2015年11月25日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回の下書き。ノート8頁。
コンビニで『日刊ゲンダイ』インタビュー第2回所収の号を購める。
(帰宅、帰室の記述なし)
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回の清書。訂正作業。完成。『すばる』編集部にファクシミリで送稿。

2015年11月26日
やむなく外出。
夜に帰室。
『日刊ゲンダイ』インタビュー第3回所収号をはぐる。
バイク便で届いていた「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第14回のゲラ。

2015年11月27日
サウナ。
コンビニで、『日刊ゲンダイ』インタビュー第4回(最終回)所収の号を購める。
※全4回はインターネット上でも読める(要・無料会員登録)
“極私的”東京物語|西村賢太|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/columns/2390/145
帰室。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
「一私小説書きの日乗」の中途までの整理。
邦画のDVD「竜馬暗殺」と菅原文太版「木枯し紋次郎」を眺める。

2015年11月28日
サウナ。
買淫。
帰室。
『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』の見本の函に手をつけそうになるが、やはり我慢する。
買っておいてそのままになっていた『パタリロ!』のコミックス第94巻と第95巻を続けて読む。「姉の書棚から、この漫画のコミックス第一巻を読んだときの自分はまだ小学五年であったことを、ふと思う」と述べている。

2015年11月29日
藤澤淸造月命日。室内墓地に新しき香華を手向く。
角川文庫『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら 他』をようやく開く。
「感無量。/自分の解題は、まったくの蛇足であることを痛感す/結句、自分が今のところの仕事で誇れるのは、新潮文庫版の藤澤淸造『根津権現裏』と『藤澤清造短篇集』、そして今回のこの書の、三点の編著のみである。自らの身の丈を思えば、これで死んでも、もう充分といえば充分であるのかもしれぬ」と述べている。

2015年11月30日
サウナ。
帰室。
たまっていた雑用の片付け。
浅草の寄席。それから淸造スポットの久保田万太郎旧居地(生誕地)跡、安寿司屋のゴールデンコースを巡る。
(帰宅、帰室の記述なし)
藤野可織の新刊絵本『木幡狐』(講談社)を読む。

2015年12月

※半同棲先に滞在している?

2015年12月1日
サウナ。
外出。
帰宅。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年12月2日
スーパーに食糧の買い出し。
回転寿司で11皿22貫と土瓶蒸しを食べる。
(帰宅、帰室の記述なし)
『小説新潮』2016年1月号用の短篇「寿司乞食」の下書き。ノート3頁。

2015年12月3日
サウナ。
帰宅。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
「寿司乞食」の清書。
「寿司乞食」の下書き。ノート7頁。

2015年12月4日
「寿司乞食」の清書。
「寿司乞食」の下書き。ノート11頁。

2015年12月5日
「寿司乞食」の清書。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
「寿司乞食」の清書。
「寿司乞食」の下書き。ノート7頁。下書き終了。

2015年12月6日
「寿司乞食」の清書。
雑用。
「寿司乞食」の全体訂正。43枚で完成。

2015年12月7日
サウナ。
外で用足し。
(帰宅、帰室の記述なし)
『小説現代』連載の「誰もいない文学館」第2回を書く。

2015年12月8日
しょうことなしに外出。
帰室。
外食。
(帰宅、帰室の記述なし)
雑用一束。
「誰もいない文学館」第2回を書く。『小説現代』編輯部にファクシミリで送稿。

2015年12月9日
「寿司乞食」のゲラ。
用足しのために外出。
芝公園の藤澤淸造終焉の跡地。「しばし佇み、やはり二十九歳以降の自分には、いつもこの人の存在があったことを改めて実感す」と述べている。
浜松町の駅に向かって歩いている途中に、『週刊アサヒ芸能』誌の座談会(2014年1月2日・9日合併号 2013下半期「スキャンダル大賞」)でお世話になった同誌の記者に出会う。徳間書店が近くにあるため。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回のシノプシス作り。

2015年12月10日
サウナ。
帰室。
布団に入って4時間ほどうたた寝。
『東京スポーツ』2016年お正月特別号用のエッセー「一月に思う──私小説書きの初一念」を書く。
「一私小説書きの日乗」の整理。

2015年12月11日
「藤澤淸造資料に関しての朗報が届く。まだまだ自分の清造運は健在である。パソコンに張り付いていたって、肉筆資料と云うものは手に入らないのだ」と述べている。
新宿のロフトプラスワンで、村西とおるのトークイベント「ナイスな夜」のコーナー出演。岩井志麻子と辛酸なめ子と共演した。
歌舞伎町の鳥鍋屋で、『すばる』の清田編輯長と忘年会。

2015年12月12日
「誰もいない文学館」第2回のゲラ。
随筆「一月に思う──私小説書きの初一念」のゲラ。
「一私小説書きの日乗」の整理。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の下書き。はかがゆかず。
藤澤淸造の短篇2本の復読。
旧版の『尾形亀之助全集』の拾い読み。

2015年12月13日
扶桑社から宅配便で『風来鬼語 西村賢太対談集3』の見本10冊が届く。40冊目となる単著。「今日び、この出版不況の中で、こうした対談集を出してもらえるのは恵まれ過ぎだ」と述べている。能町みね子によるカバー装画についても「まったく溜息がでる程に素敵」「みすず書房の本みたいな上品さ」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の下書き。ノート3頁。
宅配寿司を肴に発泡酒を飲みながら『風来鬼語』をひねくる。

2015年12月14日
サウナ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書。提出期限は、年末進行のためギリギリで18日の夜まで。
『すばる』2016年2月号に掲載される玉袋筋太郎対談のゲラ。
『サンデー毎日』2016年1月3日・10日新春合併号の阿木燿子対談のゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の下書き。ノート5頁。

2015年12月15日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書。
2時間近くうたた寝。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の下書き。ノート6頁。
「何やら旧作に関しての有り難い話が舞い込んできたが、さてどうなるか。おそらくは難しいであろう」と述べている。※映像化のオファー?

2015年12月16日
サウナ(1時間だけ)。
「誰もいない文学館」第2回のゲラ。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書。
「一私小説書きの日乗」の整理。25枚になったものを『野性時代』編輯部にファクシミリで送稿。

2015年12月17日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の下書き。ひとまず全部仕上がる。
外食。
帰室。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書を全体的に手直しする。

2015年12月18日
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回の清書の訂正作業。「殆ど全改稿に近いかたち」と述べている。
「一私小説書きの日乗」のゲラ。
「すでにスーパーは閉まっていたので、コンビニで食糧の買い出し」と述べている。
(帰宅、帰室の記述なし)
雑用一束。

2015年12月19日
雑用片し。
鶯谷「信濃路」で、『文學界』の清水氏、『別冊文藝春秋』の森編輯長、文春出版局の田中光子氏との忘年会。「清水氏の今宵のコートは、夜目にも怪しげな黒とゴールドの豹柄。奇天烈」と述べている。
「風花」に流れる。『すばる』の清田編輯長が現れて「自分と少々悶着あり。自分は森氏に、宥め半分にたしなめられる」と述べている。

2015年12月20日
リビングの卓上に「かねふく」の明太子の箱あり。
「よくよく記憶を辿ってみると、昨夜「風花」で清田編輯長から貰った品であるらしい。してみると氏は、自分があの場に呼びつけたものだろうかと携帯の履歴を調べたら、まさしくそのようでもある」と述べている。
「蠕動で渉れ、汚泥の川を」第15回のゲラをファクシミリで戻す。
「深更、件の明太子で晩酌」と述べている。

2015年12月21日
サウナ。
帰室。
高橋三千綱の書き下ろし文庫の新刊『お江戸の姫君 右京之助助太刀始末』(双葉文庫)を読む。
藤澤淸造資料の整理。

2015年12月22日
サウナ。
帰室。
『サンデー毎日』2016年1月3日・10日新春合併号を開く。阿木燿子対談掲載号。
藤澤淸造資料の整理。

2015年12月23日
午後の飛行機で能登へ向かう。
夕方5時に七尾の常宿に向かう。

2015年12月24日
西光寺。藤澤淸造展墓(墓参り)。
フランス在住の「住職の兄上」と初顔合わせ。「この寺にもそろそろ二十年通っていることになる」と述べている。
「突然携帯のメール音が鳴り、淸造肉筆資料の朗報来たる」と述べている。
午後の航空便で帰京する。

2015年12月25日
サウナ。
帰室。
雑用片し。
10日分の「一私小説書きの日乗」の整理。
七尾駅で購めた"玉宝寿司"で晩酌。

2015年12月26日
サウナ。
慈眼寺に立ち寄り芥川龍之介の墓参。
帰室。
届いていた『小説新潮』2016年1月号(「寿司乞食」所載)と『小説現代』2016年1月号(「誰もいない文学館」第2回所載)を開く。
買淫のため外出。
帰室。
雑用片し。

2015年12月27日
「午後、某骨董品店のかたと会い、藤澤淸造の『根津権現裏』の、元版函付きを買い取る。/佐々木味津三宛の署名入り、淸造自身の筆で伏せ字を起こした書き入れ本」と述べている。
鶯谷「信濃路」で、『新潮』の田畑氏と忘年会。機嫌が良かったので矢野編輯長の悪口を言い忘れていたた、ということを悪口じみた調子で述べている。
「田畑氏も、来年こそは茨城の倉庫で活躍することであろう」と述べている。

※半同棲先に滞在している可能性。

2015年12月28日
やむなく外出。「途中、少々胃痛が起こる」と述べている。
帰宅。
『小説現代』2016年2月号用の短篇のネタ繰りとシノプシス作り。

2015年12月29日
藤澤淸造月命日。
サウナ。
コンビニで『東京スポーツ』のお正月特別号(一月に思う──私小説牡書きの初一念所載)を購める。
内藤誠監督「明日泣く」のDVDを観る。
『大泉黒石全集』をあれこれ復読。

2015年12月30日
知人宅に行って餅つきを見学。餅10個を貰う。
(帰宅、帰室の記述なし)
ひと眠り。
「誰もいない文学館」第3回を書く。4枚。

2015年12月31日
サウナ。
スーパーに食糧の買い出し。おせち具材とお雑煮用の鶏肉と椎茸と三つ葉少々。
帰室。
高木彬光『検事霧島三郎』を一冊まるまる復読。「三十数年ぶりだから、諸読と変わらぬ感興を覚える」と述べている。
「誰もいない文学館」第3回の残りを書く。
栗塚旭主演のテレビドラマ「新選組血風録」のDVDを眺め返す。

※2015年終わり