西村賢太は幼少期に「赤毛のアン」を読んだことがあるのか? ないのか?
相反するインタビュー発言
ウェブメディア『メシ通』のインタビュー記事(2019年5月)によれば、西村賢太は「幼少期に赤毛のアンを読んだことがない」と発言している。
その一方で、複数の過去インタビューでは「赤毛のアンを読んだことが読書のはじまり」だと発言している。
Wikipediaの西村賢太の項にもあるとおり、2011年10月14日放送分のNHK「スタジオパークからこんにちは」において、「読書好きな姉の影響で、幼児期から『赤毛のアン』『キュリー夫人』などを読み、活字に親しんでいた」する発言があったことは間違いない。本人映像が残されている。
NHK映像ファイル あの人に会いたい「西村賢太(作家)」 - NHKプラス
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023020429194
(配信期限 :2023年2月/11(土) 午前5:50 まで)
つまり、西村賢太は2019年になって、2011年の発言を覆したことになる。どちらか本当なのだろうか? 幼少時に、赤毛のアンを読んでいたのか否か。
以下に、西村賢太が「赤毛のアンを読んでいた」と発言しているインタビューの抜粋を紹介する。
現在判明しているだけでも、2つのインタビューにおいて「姉が持っていた(自宅に置いてあった)赤毛のアンを読んでいた」と発言している。
1. 特別インタビュー 我が師を語る 藤澤清造 悲惨だが滑稽、野暮だけどダンディー
・北國文華 2011年春 第47号(2011年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4833017946
・北國文華秀作選(再録)
https://www.amazon.co.jp/dp/4833021404
2. 私がモノ書きを決断したとき(第1回 読書体験)
赤毛のアン (新潮社): 1954|書誌詳細|国立国会図書館サーチhttps://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000912846-00
西村賢太は、1967年(昭和42年)7月12日生まれ。
・日刊ゲンダイ 2011年10月10日付・10月8日発行
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111008/t
「取材ではテキトーに答えている」発言集
覗き見趣味による読者の好奇心を満たす側面がある私小説を書いていた西村賢太には、虚構と事実の狭間を曖昧にしたり、自身のインタビュー発言の信憑性をうやむやにしたりするインセンティブが働く。それを裏付ける記述を引用する。
1. 湊かなえ対談(『すばる』2016年8月号)
2. 上原善広対談(『西村賢太対話集』)
3. 初単行本を刊行(2006年)当時の著者インタビュー
「虚構と事実の狭間を曖昧にしたい」という私小説書きとしての都合上、著者インタビューに対しても「本音を漏らさない」姿勢だったから、「赤毛のアンを読んでいた」云々という発言についても、芥川賞受賞当時における何らかのセルフブランディングの一環だったのかもしれない。
根がセルフブランディング志向にできてる
1. 坪内祐三対談(『西村賢太対話集』)
芥川賞受賞の年(2011年)の西村賢太は、トレードマークである野暮ったい服装(ギンガムチェックのシャツ)のことを「ダメ人間を演ずるとき用のユニフォーム」と称している。
破滅型の私小説書きとして、貫多=賢太と見られそうで見られないようにと、きわめて自覚的に振る舞っていた。
勘ぐるならば、2019年のメシ通インタビューにおける「赤毛のアンを読んでいない」という発言は、西村賢太によるセルフブランディングの方針転換をあらわすもの、という解釈も出来得る。
参考リンク
芥川賞受賞作家、西村賢太さん出演の「スタジオパーク~課外授業ようこそ先輩」のツイートまとめ (2011.10.15) - Togetter
https://togetter.com/li/200722
赤毛のアンを読んでいた賢太と読んでいない賢太。はたして本当の西村賢太とは?
その他、幼少期の読書体験に言及しているもの
1. 逆風満帆 (上) 「ニートのヒーロー」
その他、青年期の読書体験に言及しているもの
1. 田中慎弥対談(『薄明鬼語』)
ここで言及している「私小説作家の生涯をダイジェスト的に取り入れた作品」とは、西村賢太が十代後半に出会った 土屋隆夫『泥の文学碑』のこと。
随時追加(最終更新日:2022年4月10日)
日刊ゲンダイ バックナンバーリンク
2022年3月現在、西村賢太の単行本未収録のインタビュー記事「私がモノ書きを決断したとき(全5回)」を掲載している日刊ゲンダイのバックナンバー(PDF)が入手可能である。1号は約140円~150円。
私がモノ書きを決断したとき 第1回「読書体験」
日刊ゲンダイ 2011年10月10日付・10月8日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111008/t
私がモノ書きを決断したとき 第2回「作家誕生」
日刊ゲンダイ 2011年10月17日付・10月15日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111015/t
『田中英光私研究』第七輯所収の「室戸岬へ」について、田中英光の長男に褒められたことがある、と発言している。
その後、田中英光遺族との酒席におけるトラブルが原因で、田中家を出入り禁止(同然?)になる。この事件がきっかけで田中英光研究を断念せざるを得なくなり、やがて西村賢太は「藤澤淸造の歿後弟子であること」を心の拠り所とする新たな人生を歩みはじめる。
参考リンク
私がモノ書きを決断したとき 第3回「文芸誌に登場」
日刊ゲンダイ 2011年10月24日付・10月22日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111022/t
私がモノ書きを決断したとき 第4回「芥川賞受賞まで」
日刊ゲンダイ 2011年10月31日付・10月29日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20101029/t
私がモノ書きを決断したとき 第5回「芥川賞受賞」(完)
日刊ゲンダイ 2011年11月7日付・11月5日発行号http://e.gendai.net/download/one_dl/20111105/t
【更新履歴】
2023-02-04 11:26
NHK総合にて、『あの人に会いたい「西村賢太(作家)」』が放送されたこと踏まえて、「スタジオパークからこんにちは」出演時の発言の引用を追加。