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西村賢太は幼少期に「赤毛のアン」を読んだことがあるのか? ないのか?

相反するインタビュー発言

ウェブメディア『メシ通』のインタビュー記事(2019年5月)によれば、西村賢太は「幼少期に赤毛のアンを読んだことがない」と発言している。

西村:ほとんどなかったですね。Wikipediaに姉の影響で『赤毛のアン』を読んだとか書いてあるらしいんですけど、そんなの一回も読んだことないんですよ。

芥川賞作家・西村賢太が自身の半生で見てきた食風景と、消えない郷愁の味 - メシ通

その一方で、複数の過去インタビューでは「赤毛のアンを読んだことが読書のはじまり」だと発言している。

Wikipediaの西村賢太の項にもあるとおり、2011年10月14日放送分のNHK「スタジオパークからこんにちは」において、「読書好きな姉の影響で、幼児期から『赤毛のアン』『キュリー夫人』などを読み、活字に親しんでいた」する発言があったことは間違いない。本人映像が残されている。

西村「姉が非常に本が好きだったので『赤毛のアン』とか『キュリー夫人』とかあの辺の名作とか伝記とかよく読んでいましたね」
(映像 01:25~ 01:36 の発言を書き起こし)

NHK映像ファイル あの人に会いたい「西村賢太(作家)」
NHK総合 2023年2月4日午前5:40-午前5:50 放送分

NHK映像ファイル あの人に会いたい「西村賢太(作家)」 - NHKプラス
https://plus.nhk.jp/watch/st/g1_2023020429194
(配信期限 :2023年2月/11(土) 午前5:50 まで)

つまり、西村賢太は2019年になって、2011年の発言を覆したことになる。どちらか本当なのだろうか? 幼少時に、赤毛のアンを読んでいたのか否か。

以下に、西村賢太が「赤毛のアンを読んでいた」と発言しているインタビューの抜粋を紹介する。
現在判明しているだけでも、2つのインタビューにおいて「姉が持っていた(自宅に置いてあった)赤毛のアンを読んでいた」と発言している。

1. 特別インタビュー 我が師を語る 藤澤清造 悲惨だが滑稽、野暮だけどダンディー

(略)本との出会いは本好きの姉の影響を受けたという。
 姉が持っていた「赤毛のアン」など家にあった少女ものを読んでいたのが本との付き合いの始まりで、本格的にハマったのは小学校5年生の時でした。ちょうど横溝正史ブームで、書店にいっぱいに平積みされている1冊を手にしたところ、たちまち、そのおどろおどろしい世界に引き込まれました。そこから推理小説に没頭したのです。 

北國文華 2011年春 第47号

・北國文華 2011年春 第47号(2011年3月)
https://www.amazon.co.jp/dp/4833017946
・北國文華秀作選(再録)
https://www.amazon.co.jp/dp/4833021404

2. 私がモノ書きを決断したとき(第1回 読書体験)

覚えているのは『赤毛のアン』シリーズ。生意気にも、小学1年のくせに子供向きのものじゃなくて新潮文庫で読んでいました。まあ、あれは難しい話じゃないですけど。その他、伝記ものでキュリー夫人、一休さん、良寛和尚とか、そんなのを読んでいました。 

『日刊ゲンダイ』2011年10月10日付

赤毛のアン (新潮社): 1954|書誌詳細|国立国会図書館サーチhttps://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000912846-00
西村賢太は、1967年(昭和42年)7月12日生まれ。

・日刊ゲンダイ 2011年10月10日付・10月8日発行
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111008/t 

「取材ではテキトーに答えている」発言集

覗き見趣味による読者の好奇心を満たす側面がある私小説を書いていた西村賢太には、虚構と事実の狭間を曖昧にしたり、自身のインタビュー発言の信憑性をうやむやにしたりするインセンティブが働く。それを裏付ける記述を引用する。

1. 湊かなえ対談(『すばる』2016年8月号)

西村 (略)それに僕、自分の小説中にも書いていることなんですが、基本的にああいうテレビとかインタビューの場、つまり自作以外の場でいちいち本音は洩らしません。それほど耄碌してねえよ、というスタンスで。

西村賢太✕湊かなえ 「いまの挫折」は、「一生の挫折」では、ない!
(初出:『すばる』2016年8月号

2. 上原善広対談(『西村賢太対話集』)

上原 (略)西村さんの小説に書かれている出来事は、ほぼ事実なんですか?
西村 いや、僕の場合はそれを尋ねられた媒体や場所により、「ほとんど事実です」と言ったり、「ほとんど嘘です」と言ったりで、バラバラにしています。一概には言えないんですよ。「私小説」の中にも小説という言葉が入っている通り、あくまでフィクションが前提ですから、ノンフィクション的な部分を強調しすぎて、読者に単なるノンフィクションと捉えられてしまうと、小説としては失敗作ということになります。努めて、虚構と事実の狭間を曖昧にするように心がけています

西村賢太対話集』所収 上原善広対談
(初出:『新潮45』2011年12月号)

3. 初単行本を刊行(2006年)当時の著者インタビュー

(略)一緒に暮らす女性のヒモ同然なのに暴力を振るい、女性の父親の出版資金を借りて使い込んでいる。それが一人称の私小説仕立てなのだ。
「虚の部分がほとんど。本人はあんなにいやな人物じゃありません」と何やら弁解じみた口ぶりだが、虚々実々も狙いの内だろう。

貧乏小説に親近感 異色の新人 『どうで死ぬ見の一踊り』著者インタビュー
『朝日新聞』2006年3月15日 夕刊 13面

「虚構と事実の狭間を曖昧にしたい」という私小説書きとしての都合上、著者インタビューに対しても「本音を漏らさない」姿勢だったから、「赤毛のアンを読んでいた」云々という発言についても、芥川賞受賞当時における何らかのセルフブランディングの一環だったのかもしれない。

根がセルフブランディング志向にできてる

1. 坪内祐三対談(『西村賢太対話集』)

芥川賞受賞の年(2011年)の西村賢太は、トレードマークである野暮ったい服装(ギンガムチェックのシャツ)のことをダメ人間を演ずるとき用のユニフォーム」と称している。

坪内 いや、痩せて、単におしゃれな服を着ちゃうと、ツマんない人になると思うな。今のカジュアルな服のままのほうがいいですよ。
西村 これはダメ人間を演ずるとき用のユニフォームですからね。僕、普段はビシッとしてますもの。外へ出るときは、わざとダメな感じを演出してコーディネートしてます(笑)。
坪内 藤澤淸造研究家だった頃は、いつもスーツを着て、ジュラルミンのアタッシュケースを持ってたんでしょう。
西村 そうなんです。ところがたまたまこの格好で芥川賞の受賞会見に行ったら、すごくウケたんです。それで「これだな」と。

西村賢太対話集』所収 坪内祐三対談(初出:『週刊SPA!』2011年4月5日号)

破滅型の私小説書きとして、貫多=賢太と見られそうで見られないようにと、きわめて自覚的に振る舞っていた。

勘ぐるならば、2019年のメシ通インタビューにおける「赤毛のアンを読んでいない」という発言は、西村賢太によるセルフブランディングの方針転換をあらわすもの、という解釈も出来得る。

参考リンク
芥川賞受賞作家、西村賢太さん出演の「スタジオパーク~課外授業ようこそ先輩」のツイートまとめ (2011.10.15) - Togetter
https://togetter.com/li/200722

赤毛のアンを読んでいた賢太と読んでいない賢太。はたして本当の西村賢太とは?

その他、幼少期の読書体験に言及しているもの

1. 逆風満帆 (上) 「ニートのヒーロー」

ただ、母親に「本を買う」と言えば、普段のお小遣いとは別に本代を渡してもらえることだけは、嫌ではなかった。そして小学生のころからよく読んだのが、角川文庫の横溝正史作品だった。

朝日新聞 BE 2012年8月4 朝刊 11面
逆風満帆 (上) 「ニートのヒーロー」一区切り

その他、青年期の読書体験に言及しているもの

1. 田中慎弥対談(『薄明鬼語』)

西村 僕も小さいときから本は好きでしたね。姉貴が本好きで、親がよく買い与えていました。最初に自らすすんで読み始めたのは推理小説で、たまたまその中に私小説作家の生涯をダイジェスト的に取り入れた作品があったんです。

薄明鬼語』所収 田中慎弥対談(初出:『文藝春秋』2012年4月号)

ここで言及している「私小説作家の生涯をダイジェスト的に取り入れた作品」とは、西村賢太が十代後半に出会った 土屋隆夫『泥の文学碑のこと。

随時追加(最終更新日:2022年4月10日)

日刊ゲンダイ バックナンバーリンク

2022年3月現在、西村賢太の単行本未収録のインタビュー記事「私がモノ書きを決断したとき(全5回)」を掲載している日刊ゲンダイのバックナンバー(PDF)が入手可能である。1号は約140円~150円。

私がモノ書きを決断したとき 第1回「読書体験」

日刊ゲンダイ 2011年10月10日付・10月8日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111008/t 

私がモノ書きを決断したとき 第2回「作家誕生」

日刊ゲンダイ 2011年10月17日付・10月15日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111015/t
『田中英光私研究』第七輯所収の「室戸岬へ」について、田中英光の長男に褒められたことがある、と発言している。

英光の次男・作家の田中光二さんのお兄さんで博報堂にいた方が、それを読んで、『おまえ、絶対プロになれる。直木賞を絶対に取れる』と。
(中略)
『俺が今まで書いたものを見て、ものになると思ったのは永倉万治と西村賢太だけだ」と言ってました。

日刊ゲンダイ 2011年10月17日付

その後、田中英光遺族との酒席におけるトラブルが原因で、田中家を出入り禁止(同然?)になる。この事件がきっかけで田中英光研究を断念せざるを得なくなり、やがて西村賢太は「藤澤淸造の歿後弟子であること」を心の拠り所とする新たな人生を歩みはじめる。

参考リンク

私が就職した広告会社に田中の長男がいた。英光に目のあたりがそっくりだった。次男は田中光二という。著名なSF作家である。

ハットをかざして 第171話 東京グッドバイ | ぐらんざ

中洲次郎=文
text:Jiro Nakasu
昭和23年、大分県中津市生まれ。
博報堂OB。書評&映画評家、コラムニスト、エッセイスト。

同上

私がモノ書きを決断したとき 第3回「文芸誌に登場」

日刊ゲンダイ 2011年10月24日付・10月22日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20111022/t

私がモノ書きを決断したとき 第4回「芥川賞受賞まで」

日刊ゲンダイ 2011年10月31日付・10月29日発行号
http://e.gendai.net/download/one_dl/20101029/t

私がモノ書きを決断したとき 第5回「芥川賞受賞」(完)

日刊ゲンダイ 2011年11月7日付・11月5日発行号http://e.gendai.net/download/one_dl/20111105/t

アイキャッチ画:キャンディ赤毛のアン

【更新履歴】

2023-02-04 11:26
NHK総合にて、『あの人に会いたい「西村賢太(作家)」』が放送されたこと踏まえて、「スタジオパークからこんにちは」出演時の発言の引用を追加。