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「シンクロしないこと」について:さのかずやさんの読書会と、久しぶりの下北沢の夜

下北沢は、本当に良い街だ。

活気と、若さと、多様性に溢れている。飯はうまくて安い。酒を飲めば、見知らぬ隣の人と語り合える。「サードプレイス」を知りたい奴は一度下北沢で飲めばだいたいのことはわかると思う。

朝に弱いところと変化が激しすぎるところはご愛嬌だが、こんなに魅力のある街は他にはない(ポートランドとか、そうなのだろうか)。いずれにせよ、2014年から2年間過ごした僕が言うのだから、間違いない。

そんな下北沢に、さのかずやさんの『田舎の未来』の読書会があるので久しぶりに降り立った。さのさんは、道東でも、TouchDesigner界隈でも名前を見ることが多く、ちょっと北海道の企画などでもご相談をしたことがあったが、直接お話しするのは初めてだった。

『田舎の未来』は、出版後即買いはしていたものの、kindle積ん読現象で序盤で読み止まっていたので、前日深夜から再び読み始めた。札幌から新千歳空港を経て、当日の会場であるBookshop travellerに行くまでの経路で集中して読み込みなんとか読了。Bookshop travellerは西口徒歩1分のところにある「本屋のアンテナショップ」で、そのコンセプトはとても魅力的であった。近いうちに利用したい。

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さて読書を通して、一つ気になるキーワードがあった。それは「ぼく個人としては、好きな人と好きな場所で、好きなものを作ったりしながら暮らしたい」(「修士論文と電通事件と、働きすぎないカルチャーについて」より)という言葉。違和感を覚えていたのだが、明確に言語化できなかった。

さて読書会開始。読書会は軽くみんなの自己紹介をした後、4つのテーブルに分かれてフリートークだった。ぼくの席は3人いて、ぼく以外の二人は地方出身で、これから活動をしようとされている方もいて盛り上がった。途中でさのさんも会話にまざって本の話を突っ込んだりしてとても楽しい会だった。ただ、ぼくの上記の話はまとまっておらず、「オチ」もないので話すことは控えていた。

読書会が終わりアフタートークみたいになったので、整理しないままではあったが、同席だった方にこの話を振ってみた。「迷惑をかけてるな…」と自覚しつつ、ゆっくりと聞いて頂いているうちに、徐々に頭が整理されていった。要するにこういうことだ。

(さのさんの意図とは別に)「好きな人と好きな場所で、好きなものを作ったりしながら暮らしたい」という言葉に、他者との「シンクロ」を感じたのだ*1。この人とならいつでも一緒にいるのが自然、みたいなやつだ。一方で、ぼくには常に一緒にいたいような「好きな人」が思いつかない。もちろん、これは悪い意味ではなくて「常に一緒にいたい人」は思いつかないけど、「たまに一緒にいたい人」は沢山思いつくし、その人のためなら割とどこでもいける。また「意図せず、仕事を一緒にせざるを得なくなった人」の魅力的なところを見つけて良い協働をつくることも嫌いではないし、今までもそれなりに成果は出してきた。「好きな人と好きな場所で、好きなものを作ったりしながら暮らしたい」ではなく、「その人が住む、その人の場所に遊びに行って、お互いが楽しいことを色んな場所でやって、暮らしたい」がぼくのスタンスと言えそうだ。ぼくが行く場所・遊ぶ場所はたくさんあって、帰る場所ぐらいは一人で良いのだ。

世代的なものもあるのかもしれない。37歳で割と保守的な組織の中にいるため、同じような価値観を持つ者は少ない。37歳になると家族がいるかいないかでかなり価値観は変わる。その上で、ぼくと同じ独身だとすると、バリバリやっている経営者やビジネスマンか、アーティストや(稼ぐ気があまりない側の)フリーランスのようなオルタナティブな生き方をしている人か、あるいは公共団体勤務や大学教員に分かれる。いずれも共感する部分は多いし、「好きな人」だし、一緒に仕事することが多いのだけど、「シンクロ」ではない。価値観で言えば、自分から少し下のアラサー世代の方に近さを感じるんだけど、やっぱり年齢差はあるので「シンクロ」とは違う。

そういえば、こんなことを先日ツイートした(これ「違い」⇒「互い」の誤字ですね…)。今回とは文脈は違うかもしれないが、つながる部分がありそうだ。前者は「シンクロ」できることを信じ、求めている人なのだと思う。もし両者に差異がないのであれば、論理的に自他の違いを分けることは「不必要に冷たい行為」になるし、価値観をシェアすればするほど関係は良い方向に向かうと信じることができる。

あるいはこっちも近いかな。「シンクロ」していることを表明することが「優しい」ことであるケースが多い気がする。ただ、個人的にはそれは難しいし、失敗に終わることが多いとは思う。少なくとも「優しさ」は期待されたくない。

振り返れば、ぼくが関わる団体に同世代は少ない。MMM(みなとメディアミュージアム)の実行委員会の多くは学生スタッフだし、一般社団法人MRS(新宿メディア地域活性化推進協会)の代表理事は20代だ。年下で「シンクロ」し得ない相手に意思決定を委ねたり、一緒に意思決定を行っている。一方で、環境芸術学会の理事会ではぼくは最年少だし、別で70代の経営者と膝付き合わせて協働する事業もある。プライベートで言えば、90代の祖母と70代の父との会話は価値観が全く異なるので、楽しい。いずれも「シンクロ」はしていない。だけど、ぼくの居場所もあるし、役割もあるし、楽しさもある。

もしかしたら、「シンクロ」しないことが僕の役割であり仕事かもしれないとは思う。あるコミュニティに「そのコミュニティにシンクロしなさそうだけど化学反応が起きそうな人」をつなぎ合わせたり、特定のコミュニティで閉塞or最適化してる人をかき乱して可能性を引き出したり、現状の厳しさを伝えたり、組織に「シンクロ」せずに一歩引いた目線ですべきことをすることが、ぼくの役割なのかもしれない。情報はそれぞれのユーザに最適化されてしまっている(cf.フィルターバブル)けど、その外から出たい欲求は消えていないし、必要性を感じている人や組織は増えている。そういう人や組織を手助けというか挑発するような活動を通して、社会全体を良くして行く、ぼくはそういう立ち位置なのかもしれない。

整理しないまま口に出すことが許される場で良かった。

読書会って、良いな。

さて、その後。せっかくの下北沢だったので古い行きつけを数軒回った。そのうちの一軒では、一見さんの若い3人の男たちがちょうど乾杯をしたところだった。そのうちの一人が昨日、めでたいことがあったということで、テキーラショットを店の全員に振る舞い、みんなで乾杯し、その後も他愛もない会話で楽しんだ。これは「シンクロ」ではなく、少し世代の違う者としての振る舞いだと思う。でも、「シンクロ」しない人間ならではの楽しみ方もある。

少し一緒に楽しんだ後、店を出て、下北沢に向かった。時間は23時。下北沢はまだまだ元気だ。若い人たちが泣いたり、笑ったり、ケータイで話したり、踊ったり、眠ったり、吐いたり(←これぞシモキタ!)していた。そこに今のぼくは「シンクロ」しない(5年前はギリギリ「シンクロ」してたかもね)。

でも、それで良いのだ、と思う。

註:上記一連の思考は、さのさんの「ぼく個人としては、好きな人と好きな場所で、好きなものを作ったりしながら暮らしたい」という言葉からインスピレーションを得て勝手に書きました。さのさん自体が「シンクロ」を求めてるかどうかは確認していないし、彼の活動を見ていれば「シンクロ」してない相手とも沢山活動していると思います。でも、それにストレスを感じているような形跡も…。改めて聞いてみたいな。

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