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ホームスクールの重さと軽さ

※画像は2歳の時、タイのパンガン島にて

◆ 神奈川県で、妻と息子(2011年生まれ、現在11歳、小学6年生の学年)と3人で、旅と音楽と哲学を中心にホームスクーリングしています ◆

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ホームスクールを行っている家庭にとって、「他人の目」というのは気になる問題かと思います。

私達はよく旅に出ます。旅の良さ、とは何でしょうか?

たくさんありますが、その1つとして「しがらみがない」ことかと思います。どこの国、どこの街に行っても、私達を知っている人間というのは一人もいません。

それだけでなく、海外の誰も彼もが「他人の目」をほとんど気にしないのです。この「他人の目」というのは、日本固有のものです。例えばキリスト教社会では、他人の目は気にせず、「神」の目を気にします。いわゆる「恥」と「罪」の文化の違いですね。

キリスト教文化だけでなく、私が訪れた国のほとんどが、「他人の目」を気にしません。タイなんてもう、誰も、何にも、気にしません。

海外に出てはっきりと認識したのですが、日本という国は、圧倒的に閉塞感、拘束感、束縛感がある国です。これは世界でもトップクラスかと思います。

理由は、元来農耕民族であるところの村社会であること、江戸時代の寛政異学の禁により儒教一辺倒になった経緯があること、江戸期における五人組、戦時中における隣組の制度、これらが関係してくると思うのですが、まぁ、簡単に言うと、空気が重くて、みんなと同じ行動を取らねばならない、同調圧力ってやつです。

もちろん、海外のどこの国だって多かれ少なかれその傾向はあると思います。例えば日本と同じような、重さ、を感じるのはイスラム教の国です。

(これはイスラム教の国に居住したらという意味であって、旅をするだけではこの重さを感じないどころか、一番旅がしやすい国でもあります。イスラム教は聖地メッカへの巡礼者・旅行者に非常に親切なのです)

ただ、イスラム教の重さというのは、宗教という重さ、コーランという経典による重さ、です。日本はといえば、仏教? 儒教? 神道? いえいえ、そのどれでもなく、半径数m以内にある「所属する共同体」の重さ、です。お父さんなら職場の部署です。お母さんならママ友やPTAです。お子さんならクラスメイトです。すなわち、神ではなく人間の重さ、なのです。

日本というのは興味深いことに、この半径数mの共同体の外を出ると、一気に人との関係が希薄になり、軽く、なるのです。

なので私達は、この半径数mから一歩外に出て、海外を旅している時のような軽さでホームスクールを行ってきたし、これからもやっていきたいと思います。


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◆ 中学入学まで残り半年。親が表に出て友達を探すのは残り最後の半年のつもりで、noteで書くことによって息子のホームスクール友達を探しています。これから書くいくつかの記事を読んで、息子と遊んでみようと思った方は、是非ご連絡ください ◆

episteme-homeschool@yahoo.co.jp