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4歳の時 ホームスクールの動機と決断(1) 旅の話

※画像は5歳の時、ラオスのルアンナムターにて

私達夫婦は、息子が小学校に入学する2年ぐらい前から、幼稚園にも小学校にも入学せずに、ホームスクールでやっていこうと決めました。

学校で勉強することよりも大事なことが、たくさんあると思っているからです。

旅と音楽と哲学。これを教育の3本柱としてホームスクールでやっていこうと思いました。それぞれ具体的に話したいと思います。

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息子が2~3歳の時には、世界半周の旅に行きました。期間は1年半、行った国は、アジア・中近東・北アフリカ・ヨーロッパの計28ヵ国。私達は昔も今もずっとバックパッカースタイルで旅をしています。

3歳の時にネパールで2ヶ月通ったモンテッソーリ幼稚園では、ゆるく通っていたのですが、日本の幼稚園は合わなそうだと思い、帰国してからも幼稚園には入園しないで、日本各地を旅したりしてました。

5~6歳の時に、また旅に出ました。期間は半年、東南アジア6ヵ国の旅。

この旅の期間中に、日本では小学校入学のタイミングでしたが、旅に行く前に地元の小学校と相談して、ホームスクールでやっていくことを伝えました。

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ホームスクールの1つの柱、旅について。

幼児の脳が3歳までに形成されるという話はよく聞く話しですが、たとえ3歳でなくても、幼少時代、10歳ぐらいまでの体験は人生において決定的だというのは、多くの方が自分自身の体験として感じていることだと思います。

そしてこの時期での「五感」「五官」の形成も、同じように大事だと思うのです。

例えば味覚です。日本人はダシという隠し味で料理を作ります。そのダシの奥深さに比例し、日本人の「舌」にある味覚類を知覚する極細の「ヒダ」は物凄い数で、反面、ジャンクフードで育ったアメリカ人にはこの「ヒダ」の数が圧倒的に少ないそうです。

私達の旅では、なるべく日本食を自炊しつつ、さらに世界中の料理を息子に食べさせることによって、息子の「味覚」に寄与したい。

嗅覚。各国の香辛料の匂い、屋台の匂い、お香の匂い、体臭の匂い、香水の匂い、草花の匂い、木々の匂い。息子の「嗅覚」に寄与したい。

聴覚。喧騒の音、動物の鳴き声、生の音楽、世界中の言語を、聞き取れない、理解できないような、多種多様な発音の言語を、能動的に「聞く」のではなく、受動的に「聴く」ことによって、息子の「聴覚」に寄与したい。

触覚。気候や風土、息子を抱きかかえる人々、砂漠の砂、峡谷の岩、象の背中、ランプータンの毛。息子の「触覚」に寄与したい。

「視覚」は、説明するまでもないでしょう。

これを「教育」だとは思っていません。私は何も教えていないし、世の中も息子に意識して何かを教えようとしてるわけではありません。

幼少時代は人間の一生の中で最も「受動的な」時期だと思っています。この時期を利用していろんなことを受け取って欲しい。このインプットされた事柄は全て忘れてもいいと思っています。

意識(自我)がそれを忘れても、深層心理(自己)がそれを覚えているだろうし、体は五感・五官を通して、きっとそれを覚えていると思うからです。

そしていつか将来、それを自己表現する時、アウトプットする時に、あの時のインプットが、何か目に見えぬ力で役立ってくれればいいと思っています。そう、ソクラテスにおけるダイモーン(※)のごとく。

※ソクラテスは何かをしようとする時、それが良くない行いの場合はダイモーン(心の声)が聞こえてきて、その行為を止めようと引き留めた、というエピソードがあります。

味覚のヒダの話で言えば、ヒダが多いからそれが人として優れているとは、全く思っていません。ヒダが少ないほうが「なんでも」おいしく食べれるからです。その方が幸せな場合だってあります。

ただ、ヒダが多いか少ないか、どちらの人生が幸福なのか、それを選択するときに、どちらも選ぶ「自由」があることが、その「自由」を息子が得てくれることこそが、望みなのです。

音楽で言えば、J-POPだけを聞いて育ち、J-POPを選ぶことと、世界中の音楽を聞いた上で、それでもJ-POPを選ぶこととでは、後者には「自由」があるのです。

それが、旅の目的です。

私達のホームスクールに「旅」は無くてはならないものなのです。

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◆ 中学入学まで残り半年。親が表に出て友達を探すのは残り最後の半年のつもりで、noteで書くことによって息子のホームスクール友達を探しています。これから書くいくつかの記事を読んで、息子と遊んでみようと思った方は、是非ご連絡ください ◆

episteme-homeschool@yahoo.co.jp